「2000.9.30(土)」・かなり無理
部外者というものは時に勝手に、あること無いこといい加減な下らないことを考えたりするもんである。
シドニーオリンピックの女子走り幅跳び金メダリストの方の名前は「ハイケ・ドイテ・ドレクスラー」さんだそうである。
ところで日本人的に言わせてもらうと、この方の名前の「ハイケ・ドイテ」という部分、いかにも走り幅跳びに向いていそうな名前とも思える。
これを逆手に取り、日本人もまず名前から強そうに見せていく、というのも一つの手であろう。
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「2000.9.29(金)」・10.0
今シドニーオリンピックをやっているが、選手の方達はワールドレベルの基準の演技・競技を行っている。
ところでモテ具合にもワールドレベルがあると思われる。
一方モテナイ独身男性(僕のこと)のモテ基準というのも一応ある。
電車などで視線が合った、などという微細な現象も、モテタ範疇に入ってくる。モテナイ独身男性の井の中の蛙レベルは十分クリアできることとなる。 ゆえに「女性に声をかけられた」なんてことになると、モテナイ独身男性の井の中の蛙レベルでは9.9すら叩き出すことになりかねない。もう大変な騒ぎである。 とある美術館に行った際に観覧を終え、出口から出ようとした際に、一人の女性がいて視線が合った。
そして次の瞬間、期待通りに呼び止められた。 ちょっと話を聞いてみると、今見た展示の感想を聞きたいとのことなので、特に怪しくはなさそうである。
その女性を良く見てみるとヘアースタイルがショートカットであった。
僕の発言をテープに録音しているようなので、10.0の勢いにまかせて僕もあること無いこと出まかせとも思えそうな位に饒舌にしゃべった。 こうして僕とその女性との至福の時が流れていたが、程なく修学旅行風のガキどもが大挙して出てきたので、彼女も次の仕事に取り組まなければいけなくなり、至福の時はガキどもに押し流されるように消えていった。 このようなほんの数分の女性との会話だけでもモテナイ独身男性の井の中の蛙レベルでは10.0、すなわち金メダルを獲得できるだろうことは、モテナイ独身男性諸君なら十分ご理解いただけることと思われる。
このように日記にでも書いておかなければ、モテナイ独身男性のモテ歴の履歴はドンドン風化して全くモテなかったことになってしまいかねない。 |
「2000.9.28(木)」・目をつぶれば簡単
ビートルズの名曲「ストロベリーフィルズフォーエヴァー」という曲の一節に「Living
is easy with eyes closed」という歌詞がある。
昔は、はびこる誤解に目をつぶれば楽だというような単なる逃避的な意味でしか捕らえられなかったけど、今はもう少し突っ込んだ見方をするようになった。 身近な例で言えば、今テレビではシドニーオリンピックが行われ盛り上がっているが、テレビを全く見ない人、テレビの無い人には全く関係ない出来事だし、それでもその人達の人生はそれはそれで動いていくのである。
自分に関してだって、昔は興味を持っていた出来事・人・いろんなものに関心を向けなくなっても、それはそれで自分の人生は動いていくし、その出来事だって動いていく。
自分が目を開こうがつぶろうが、世界は止まらずに回って動いているのである。 自分の目から入ってくる出来事に対して、反応するのは自分であり、その出来事自体に良いも悪いも無いのだろう。大事なのは自分の受け止め方である。
そして更に自分が目をつぶった時に、それでも聞こえてくる声、それでも肩を叩いてくる手、それから沸き上がる自分の想い、それだけに集中していれば、人生は随分とシンプルでわかりやすいものになるのでは無いかと、そんなことなんじゃないのかと最近思うようになった。 今まで自分は随分と散漫に無防備に目を開いていただけだったという気がする。死んだような目をしていたかもしれない。
もちろんこれは、一つの考え方に過ぎないし、拡大解釈かもしれない。
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「2000.9.27(水)」・カッコイイ老人
これから老齢化社会の傾向が激しくなるにつれ、老人はどうあるべきか理想の老人像について、いささか早すぎるような感も無きにしも非ずだが、イメージを考えるようになった。 以前今は亡きジャズヴァイオリニストのステファングラッペリが晩年近くにテレビ出演した時の演奏を見て大変魅了されたことがあった。
こんな老人なら僕もなりたいと思う。
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