Monologue36 (2000.9.16〜2000.9.26)

「2000.9.26(火)」・花びら

 夜コンビニに外出した。
 僕の家の近くは自慢じゃ無いが、いわゆるコンビニで一番最寄りの場所でも、歩いて20分くらいかかるので行き来には必ず自転車を使用している。そんなにコンビニエンスでも無い。でもやっぱりややコンビニエンスなのでプッチコンビニエンス、略してプッチコビと称している。

 下らない冗談はさておき、帰りがけに家のすぐ近くの道で、一台の自動車が道一杯に車を止めているのを見つけ、ちょっとブルーになってしまった。
 その道は住宅街の細い道で、車が一台もあれば簡単に塞がってしまうくらいの道幅である。
 当然通行者の多大な妨げになる。

 ちょうどその車には若者が乗ろうとしているところであった。
 乗車中の若者は、席のことで何やら異性の隣に座るのが遠慮があるのか何かで、ウダウダだかイチャイチャだかしていてなかなか乗ろうとしていない。
 後ろで待っていた僕も、急いでいるわけでは無いのだが、こちとら急いでんだからサッサと乗れよと次第にイライラしてきた。
 若者の交渉だか何だかわからぬが、そのヤリトリも埒があきそうにないので、僕は強引に突破しようと、通行の為の空きのスペースが無いか確認した。

 すると若者が乗車しようとしている側の反対側(車の運転席側)の方に、ちょうど自転車一台が通れるスペースがあったので、僕は直ちに強行突破の命を自分に発令した。
 そのスペースのことをちょっと言うと、横側がゴツゴツした石の壁状になっていてそこから何の植物かわからぬが、茂みが生い茂って突き出している。
 道に並行してもう一本道が有り、そっちは坂になっているので、その坂の途中の部位がちょうど壁状になっているのである。
 強行突破すると、その茂みを多少かいくぐらねばならぬが、まあさして大した事も無かろうと高をくくっていた。

 ところがである。いざかいくぐって見ると、これがなかなか前に進まないのである。
 僕としては若者たちに悟られずクールにスッと通り抜けていきたいところであったが、ちょうど運転席の横でひっかかってしまい、いかにも何か当てつけのようにモガイテしまっているカッコワルイオジサンの図が展開されてしまいつつあった。
 大江千里の歌で「カッココワルーイ、フラレカター・・」というのが、あったと記憶するが、このケースだと「カッココワルーイ、ヤリスゴシカター・・」というようなことになる。

 僕は、何でよりによってこんな所でこうなるワケ?と一層ヒステリックになってきたので、無理やり自転車を引っ張って更に強引突破を試みた。
 すると何やらメキメキと音がしたが、とりあえず何とかその場は突破できた。

 どうやら茂みに意外に太い枝が有り、それが自転車のハンドルに引っかかってしまったらしい。
 盲点であった。

 帰宅して、これだから夜外出するとロクなことがネエ、などとイライラしつつコンビニの袋を空けていると、僕の肩に何かが乗っかっているのが視界に入った。

 なんじゃこりゃ?と思って良く見たら、それは種類はわからぬが、ちょっと紫がかった実に奇麗な鮮やかなピンク色の花びらであった。
 当時は暗くて良くわからなかったが、さっきの茂みをかいくぐった時にひっついてきたものらしい。

 モテナイ独身青年の部屋には不釣り合いな程、鮮やかで色美しい花の断片を僕はマジマジと見つつ、同時に自分の中で怒りとイライラの波がササササと引いてくのを感じた。
 その花びらはいかにも「そんなにイライラしないでネ・・・」と美しいオネエチャンがやさしく僕に語りかけてくれるようでもあった。

「2000.9.25(月)」・もう秋マーク

 今日の日テレの「ものまねバトル」ですが、コージー富田の鈴木雅之には思わず唸りました。
 コロッケの淡谷のりこも面白かったけど、コージー富田もある意味天才的なところがありますな。

 9月も終わり頃になると、新聞の番組欄の題名の横に○終(最終回)マークをチラホラ見かけるようになり、テレビ世代の私としても、もう秋だな・・・などと感じるようになってきた今日此の頃でありました。

「2000.9.24(日)」・一ふんばり

 今シドニーオリンピックをやってますが、今日は高橋選手が金に輝いた女子マラソンに思わず見入ってしまいました。

 近年いろんな分野で女性の活躍が目覚ましいですがその活躍に、疲れたオジサンは結構癒されております。
 女性が活躍して我々を元気づけてくれるということは、オジサンが今リストラやその他の苦労で人生に疲弊気味の社会において、もしかしたら時代の必然的な要請なのかもしれませんな。
 ひとしきり癒されたところで、我々オジサン連中も、もう一ふんばりしたいとこですな。

 ところで最近元気づけられるのは、やっぱモーニング娘ですな。
 皆かわいいですが、個人的にはヨッスィー(吉澤ひとみ嬢)が最高。

「2000.9.23(土)」・人生ゲームの・・・

 昨日の「タモリ倶楽部」で、子供の頃にはやった遊びを現代に流行らせようということで、出演者がそれぞれの子供の頃の遊びを持ちより、その中から大賞を選ぶというのことで面白おかしく一本作っておりました。

 それを見ながら私も昔やった遊びを想い出していました。

 ごく小さい頃の遊びはなかなかハッキリ想い出せないのですが、高校時代に仲間うちで大ハヤリしたのに「人生ゲーム」がありました。
 この「人生ゲーム」は、まだ今でもあるそうですな。ロングセラーだそうで、確かに面白いと思います。

 ただ当時「人生ゲーム」は私達ぐらいだと小学生時代、せいぜい中学生くらいまでで、高校生になるとあまりやらなくなっていたという記憶があります。

 これがなぜ高校時代になって再燃したか?

 それはとある新ルールを導入した為なのであります。
 そのルールとはどういうものか?
 それはゲームにリアリティを持たせるため、結婚相手を学校の同級生の中から選ぶ、ということであります。

 「人生ゲーム」をやったことのある人は、わかると思いますが、ゲームの中盤くらいで参加者が結婚するという局面があります。
 普通は只結婚なのですが、我々はそこに仮想現実感を持たせるために、相手を学校名簿の中から選ぶというルールを導入しました。
 要するにゲーム上で、車に乗せる自分のパートナーの駒に仮の名前をつけさせ、それは実際の同級生の名前から取る、ということなのであります。

 相手の選択については以下のような方法を採用しました。
 1.学校名簿を用意
 2..結婚に際してルーレットを3回回す。
 3.1回目に出た数字はクラス、2回目は出席番号の上一桁、3回目の数字は出席番号の下一桁、以上の条件に当てはまった人物を配偶者とする。

 この新ルールが、仲間うちでは大ウケ。
 これによってゲームに対するボルテージの上がり方は、かなりのものになりました。

 これは社会人でも社内名簿なんかを使ってやれば、結構それなりに楽しめるのでは無いかなとも思います。

「2000.9.18(月)」・ルークでいたい

 今日の朝日新聞で作家の筒井康隆氏が、老人は孤独に慣れなければいけないというようなことを書いておられた。これ以上どうこう書くと氏の本意からずれそうなので引用を避けるが、文中に、若者の過ちに対して老人は説教したりちょっかい出してはいけない、若者が聞いてきたら必要なことだけ教えれば良いというようなことが書いてあり、僕も深く首肯するとこがあった。

 自分の通って来た道を考えると、人はやはり誰かに引っ張ってもらうのでは無く、いつかは自分の人生は自分で築いていくことを自分自身で学ばなければいけないと思う。それがわかるまでは同じ過ちを繰り返すのだと思う。その為に若者には時間があるのだし。

 僕も自分のスタイルとして、若者に説教を行商するようなことはやめようと思うようになった。
 自分の生き方を提示するだけで、それを見て共感した者だけがついてくれば良いし、それで何か聞きたいことがあれば教えてやる、というスタイルでできればいきたい。自分は自分らしく生きるしか無いし、それ自体がメッセージになっていれば良い。それが今の僕にはカッコイイと思える生き方である。

 尤も今のところ若者が聞きに来るほどの人生では全然ありゃしないし、知らず知らず自分が説教じみた理屈っぽいオセッカイオジサンに成り下がっている場合も今後大いに有り得ると思われる。この文自体が理屈っぽいと言えない事も無い。

 しかしながら、まあそれはそれであまり自分を責めないようにして、とりあえず今のところ理想の老人像としては、子供じみているがスターウォーズのヨーダやオビワン・ケノービのようなジェダイマスターのようになりたいと思う。老人になった時にそうなっていれば良いと思う。

 でも本音を言ってしまえば、いつまでも自分がルーク・スカイウォーカーでいたいのである(スターウォーズ見ていない人には全くわからない話で申し訳ないス)。

「2000.9.16(土)」・ドラクエ雑感1

 最近人生の多くの時間をドラクエ(ドラゴンクエスト)7に費やしてしまっている。
 ドラクエをやっていると潜在的な悲喜交々の自分が出てくる。
 ドラクエはロールプレイングというジャンルのゲームで、仲間と共に冒険をしていきながら主人公が成長していき、いろんな目的を遂行していくというゲームであるが、行く先々でモンスターと対戦していかなくてはならない。

 モンスターにやられると死んでしまい、ゲームも前回始めた次点まで(機械的に言うとゲームデータを保存した時点まで)リセットされてしまう。
 自分がレベルアップしてゲームが進むにつれ、モンスターも強くなっていく。
 僕は雑魚にやられるのはプライドが許さないので、なるべく弱いモンスターが出ている時に、長く時間をかけて自分をレベルアップさせてからいくようなタイプである。人生でも新しいことをする時には、資料を揃えて下準備をしてから行くので、人より着手が遅いような気がする。よく言えば慎重、悪く言えばオクテということになるか。
 十分修行してレベルアップしておけば、新しい強いモンスターが出てきても、一蹴のもとにしてしまえる。それが結構快感でもある。

 しかし各迷宮イベントの最後の戦いに出てくる、ボスモンスターは強いので、かなりの持久戦を強いられる。
 そこでは緻密な作戦と、かなりのテンションが必要であり、冒険に引き連れている仲間のメンバーの誰一人欠けても困る。
 ところが、たまに相手のモンスターの眠りの魔法かなんかにかけられ眠ってしまうメンバーがいる。
 すると只でさえテンションが上がっているので、その時点で怒りメーターが振り切れ大怒りレベルに達してしまう。
 すると思わず「てめ!、この非常時に寝てんじゃねえヨ!」と叫び、眠っていた凶暴性が目覚め、床にめがけて思い切りパンチを炸裂したりなんぞしているようになる。そしてそのメンバーがいない為、敗戦が濃厚になった戦いは完全放棄してしまい、「あ〜あ、もうダメだ。ザケンジャネエヨ。テメ、起きろよいい加減。」などと呟き、その後はしばらくゲームをやる気が起らなくなる、といったことになる。

 冷静に考えると、ゲームの中の話なので、そんなに熱くなる必要もなかろう、と思われる。
 しかしここには重大な問題が隠されている。

 つまりゲームではあるが、追い詰められた状況で、自分がどんな反応を示すかが現れているのである。
 僕の場合は、逆切れして関っている出来事を完全放棄してしまうというパターンである。
 これはスポーツの試合等で、最後の詰めが甘くてなかなか勝てないチームの弱点と似ている。
 この性格はゲームに限らず人生のいろんな局面で顔を出してくる。たまたまゲーム上で出たにすぎない。

 そんな自分の弱さが露呈され認識できるところも結構為になり面白い。

 肝心なのは、この後であるが、結局メンバーの中に、モンスターの魔法に対して有効な武器・呪文を持っているものがいることを知らなかったのが敗因だったようであり、自分のチームを良く把握していずに有効に駒を動かせなかった自分にミスがあったことが判明した。
 人生的に言えば自分を良く知らなかったということでもある。

 ここまで分かれば、後はまた雑魚で修行して前回からは更にレベルアップした状態で戦いに挑もうと思っている。そして次の戦いは、相手に全く動じない状態で完全勝利する、そんな風にしてリベンジしていくのがまた快感でもあるのである。

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