僕はかつてコンピューターのシステム開発に携わってきた経験がある。 
 この映画の侍の中心的人物である、島田勘兵衛(志村喬)の生き様を観ていると、どうしてもシステム屋、
ひいてはサラリーマンの生き様がオーバーラップしてきてしまうのである。 
    勘兵衛は浪人ではあるが、歴戦を戦いぬいてきた経験豊富な侍<ベテランエンジニア>である。 
 この映画における、降って沸いたような野武士との戦いは、 システム屋における新規システムの開発プロジェクトに相当する。 
  勘兵衛は百姓達<顧客=ユーザー>に、泥棒を巧みな方法で退治する現場を目撃されてしまう。
  なまじ才能のあるところを見られてしまったため、 勘兵衛は野武士を退治してくれる侍<開発請負業者>を探していた百姓達の目に留まり、百姓からの発注のターゲットになってしまう。
  こんな時、変に積み重ねてきてしまった経験が結構徒(あだ)になるものである。 
    勘兵衛もこの戦(いくさ)は最初は乗り気では無かった<新規プロジェクトはリスクも大きく受注を逡巡する>。 
 今まで歴戦、負け戦にばかり参戦してきたが<赤字プロジェクトばかりを渡り歩き>、
かろうじて生き長らえてはきた<赤字だったが何とかカットーバーし、以降は危なげながらも
本稼動している>。 しかし戦は正直なところ、もうこりごりだ<会社を辞めて転職でもしたい>と思っていた。 
    今回の百姓の依頼による野武士の撃退は、金にも出世にもならない<開発メリットが無い>戦で、非常にリスクがありそうである。 
 本意では無かったが、したたかな百姓<開発の事情を知らないユーザー>の必死の要請により
、渋々また戦を<開発を>承諾してしまう。そこには、食わなければならない<少しでも仕事を受注して売上げを出さなくてはならない>という経済的
事情もからんでいたようである。 
 が、やはり百姓の惨状を聞き泣き付かれた勘兵衛が、「情にほだされた」のが大きいといえる。
    勘兵衛は早速人材を集める。 
 何しろ突発的なプロジェクトなので、様々な人材が集まる。 
 五郎兵衛(稲葉義男)や久蔵(宮口精二)のような優秀な人材や、平八(千秋実)のようなグループの潤滑剤になるような宴会部長的人間もくる。 
 七郎次(加東大介)のように、かつての同胞<前プロジェクト時代の同僚>も集まる。 
 勝四郎(木村功)のような、今年入ったばかりの新入社員のようなものもいる。 
 かと思うと、菊千代(三船敏郎)のような、どこの馬の骨ともわからないような百姓出身の未経験<職歴の不明な未経験者>な、しかし憎めない性格の人間まで
が参画してくる。 
    しかし勘兵衛は長年培った経験により、これらの寄せ集めをうまくまとめあげ、
緻密な作戦をスケジュールどおり、こなしていく。 
    しかし、その野武士との戦い<開発作業>は熾烈を極め<連日の残業・徹夜>、
幾多の犠牲者<退職者>を出してしまう。 
    途中には勝四郎<新人>と百姓の娘<顧客の女子社員>との間の実らぬロマンスなどもある。 
    それでも、最終的には、ついに野武士を成敗することができる<納品完了〜本番稼働する>。 
    しかし勘兵衛達の多大な犠牲<赤字・退職者>をよそに、百姓<ユーザー>は勘兵衛達に感謝も無く、まるで、この戦いも無かったかのように、うかれまくり、いつものように歌を歌いながら田植えなんぞ始めている<一応システムを使用し始める>。 
   普通のパターンだったらヒーローとしてもてはやされてしかるべきなのに、報われぬ勘兵衛達には、戦いの後の特有の、どこか妙な虚無感が支配する。 
    ラストの勘兵衛の寂しげなセリフが実に印象的だ。  
   「今回もまた、負け戦<赤字>だったな・・・」 
   「えっ?」と聞き返す七郎次に勘兵衛が言う。 
    「勝ったのは<利益を得たのは>あの百姓達<ユーザー>だ。ワシ達では無い。
」。 
    ここで映画は終わる。 
    開発プロジェクトは、いつもこの勘兵衛のセリフのように、何か煮え切らない気持ちを
残しつつも収束していくことが多い。 
    納品した直後はトラブルが頻発し、それにより感謝されるというレベルでは無くなる。
    しかし、しばらくしてユーザーが、どうにかこうにか使いこなしているのを
見ると、「これで良かったのかもな・・・」などと思い直して、また新たな仕事を引き受けて
しまう、なんてことになる。 
 そしていつも感じるのは、また負け戦してしまったという敗北感・虚無感・・・ 
  百姓は無学で哀れであるが、それでいて実は最も力を持つ脅威の存在と成得る。
 報われないのは一見エリートの侍であることが多いと、勘兵衛は痛感しているのであろう。
 一部の人間が大衆の為に翻弄され犠牲になる、しかしそれがまるで自分の「性(さが)」であるかのように生きていく勘兵衛。
 そんな人間の哀しさを勘兵衛は象徴しているかのようである。
     勘兵衛は、きっとまた当ても無い旅を続け、また金のために、報われぬ負け戦<プロジェクト>を
してしまうかもしれない。 
 そんな負け戦をイヤとはいえない勘兵衛の、実に人の良い性格に、 日本人の侍<システム屋ひいてはサラリーマン>の
悲哀を見て取ってしまうのは、僕だけなのであろうか? 
 (2000.6.26)  |