愛読書

マンガ編
トイレット博士 (Mに・・・)
とりいかずよし著 
大田出版
1巻より刊行中 1680〜1980円

  調布のパルコは4FがCD屋で、5Fが本屋である。
その日はCDを見て回った後、帰ろうとしてエスカレーターに乗ろうとしたら、上りのエスカレーターだった。なぜか5Fへ行け、と言っているような気がして「そうか。5Fへ行けってか。」ということで僕は5Fへ向かった。
 5Fの本屋へ到着。久しぶりに来たら店内が改装されてきれいになっている。
着いてすぐにマンガコーナーがあるが、特に用事もないので素通りしようと思ったところ、僕はコーナーの奥から、5Fから僕を呼んでいた声の主(コミック)を発見した。

   その本の背表紙に大きく書かれており、僕の視界に真っ先に飛び込んできた名前、「トイレット博士」。
この作品名はある年代層以外にはもしかしたら、あまりなじみの無い名前かもしれない。
僕が小学校時代漫画週刊誌の少年ジャンプに掲載されていた作品である。
少年ジャンプ自体当時も大はやりで、他にも「ハレンチ学園」「男一匹ガキ大将」「マジンガーZ」をはじめとし「アストロ球団」「はだしのゲン」などの名作が誌上を賑わせていた。

   僕らの間では「トイレット博士」が一番人気があり、特にトイレット博士の後半に出てきた、登場キャラで結成する「メタクソ団」なるものを、自分達でも作ったりして、誰某がこの役というように真似をして遊んでいたものだった。

  最近マンガ業界でも昔の名作の復刻本の刊行があいついで、オールドファンには嬉しい限りだったのであるが、なぜかこの「トイレット博士」だけは、いろいろ事情があったのかもしれぬが、なかなか復刻本が出版されていなかった。僕はもちろん当時の雑誌もコミックもだいぶ昔に処分してしまって、今は読みたくてもトイレット博士が読めない状況にあった。
  それが、ついに!復刻されました!
  太田出版というところから、とりあえず第一期の作品が3巻各1800円平均で本棚に並べられていた。
  僕が棚に置いてあった3冊を全部一気に購入してしまったのは言うまでもない。

  この「トイレット博士」という作品、題名からご想像できるとおり、下の話ばかり出てくる。

 実のところ今回この文章を書いている僕としては、この作品を若い人や他の人に読んでもらおうというつもりは全然無い。実のところお勧めの漫画作品というわけでは無い。
  実際久しぶりに読んだ感想だが、今でも笑えるところもあるし、性的なネタを小学生の頃はピンとこなかったような場面も、今はピンときたりなんかして、結構今読んでもそれなりの面白さはある。
しかし、だからといってどうしても今の若い人に読んでもらいたいということはない。作品を分析しようということも無い。
ぎょう虫の話なんかが出てくるが、もう時代遅れのネタかもしれない。

                          *        *        *

  この作品は、作品の質は全然別にして、僕の少年時代の思い出がつまっている、本当に個人的な意義のみのある、せつなくも懐かしい作品なのである。
 宝箱という表現が、ちょっとキザな気もするがあっているかもしれない、僕のセンチメンタルコミックスなのである。
 僕は今感傷的に思うがままを綴っているだけなのである。

  当時はやっていた天地真理の歌をモチーフにした作品や、少年の恋を扱った作品なんかは、当時の甘酸っぱいせつない思いを蘇えらせてくれる。

                          *        *        *

  そして、この作品にまつわることに関して、もう一つ僕をせつなくすることがらがある。
  それは僕の小学校時代の友人Mのことである。

  Mとは小学校5年の時にクラスが一緒になり、おそらく少年ジャンプの話で意気投合し、仲良くなったのだと思う。
  土曜日には、よくMの住んでいた港の近くの社宅に遊びにいったりした。
  上述の「メタクソ団」を結成したのもMとであった。Mとはトイレット博士の話で盛り上がったものだった。
 Mとの思い出はすなわち「トイレット博士」の思い出なのである。
  僕らは互いに「親友」と称し親交を深め合った。
  こうしてMとの思い出は、今でも僕の少年時代を素敵に彩ってくれている。

  そんなMの家が、小学校の卒業を前に、学区外に新築を建て、それまで住んでいた社宅から引っ越すことになった。つまりMは転校することになったのである。

  それでもMが転校してからも、Mの新居へは自転車で遊びに行ったりして、しばらくはそれまでとは変わらぬ交友関係を続けた。

  やがてそれぞれの中学へ進学。僕は野球部、Mはボート部に入部し、お互いまた新たな世界での生活が始まった。この頃からMとは自然に疎遠になっていった。
   僕にとって中学の入学は、よその小学校との合体みたいなもので、人生における最初のカルチャーショックのようなものだったかもしれない。
   ともあれ、新しい友人もでき、お互いの生活で多忙になった僕とMは、一緒にプライベートを過ごす時はほとんど無くなっていった。
 

  そんな中学時代のある日、Mからの確か年賀状か暑中見舞いに、僕の実家の近くの、そしてMがかつて住んでいた近くの港で、ボート部の大会だったか練習だったかがあるので、見に来て欲しいとのことが書かれていた。
 僕は日頃の無沙汰もあったので、Mの勇姿を一目見てやろうと会場の港へと足を運んだ。

  そこには久しぶりに見た、ちょっと成長したMの姿があった。
もしかしたらMも僕を見て同じ事を考えていたかもしれない。
 そして二人の間には、なんとなくそれまでには無かったぎこちなさがあった。
大人の社会では、もう慣れっこになってしまっている、この人間関係でのぎこちなさを、僕が初めて感じた時だったかもしれない。
  きっともう少しお互い会話を交わせば、また昔のような二人に戻ったかもしれなかったが、Mが準備等で忙しそうだったので、その場はMの作業をじっと見つめているに止まった。
 二人の間の「トイレット博士」の時代は、どうやら既に終わっていたようであった。

  こんなこともあってか、この時の情景は僕の脳裏に、今でもよく焼きついている。今はもう別の世界の人間として、しかしその中で生き生きと活動をしているMの元気な姿・・・

 そして結局、これが僕とMとの最後の出会いになった。
 当時Mがどんな事情で、どんな思いで僕をその場所に呼んでくれたのか、今となってはわからなくなってしまったが、結果としてMは僕に最後の別れの挨拶をしにきてくれたのかもしれない。

  それからしばらくたった、ある日、Mの中学のボート部のボートが練習中の川の河口で転覆事故を起こしたというニュースが流れた。おそらく大雨の後か何かで水量が増していたのだろう。
  何人かは難を逃れたが、何人かは行方不明という。その行方不明の中にMの名前があった。
僕も立会いをしたりしたが、結局懸命な捜索も空しく、Mは終に帰らぬ人となってしまった・・・

                          *        *        *

  あれからもうだいぶ月日が流れてしまったが、最近感謝しなければいけないと思っているのは、僕は郷里で過ごした頃のことを振返るとき、楽しかった思いでばかりが蘇ってくる、ということである。
 思い出というものが、元来そういうものなのかもしれないが、昨今子供達が荒れた学校に通っている、などという記事を見るにつけ、当時は全くそう思わなかったのであるが、実は少年時代の自分はつくづくめぐまれていたのかもしれないな、ということである。
  家は貧しかったが、Mをはじめとして、誰かしらが僕を慕ってくれ、いつも誰かが僕の周りにはいてくれていた。結局僕の郷里での時代は、そうした僕を支えてくれた人たちがいてくれたからこそ、今でも良き時代として振り返ることができ、時には僕を元気にしてくれるのだ、という気がしている。

  今も時々郷愁にかられ、昔を振返ることがあるが、決して後ろ向きなのではなく、あの頃何が一体良かったのか、それについて考えてみることにより、後世の生まれ来る子供たちのために何かできることは無いか、今僕は暗中模索中なのであります。
 そしてそれが何か形になった時が、きっと僕とMとの新しい「トイレット博士」の時代の幕開けとなるわけなのである・・・と、ちょっと肩に力入りすぎか?

(2000.3.11)


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