Monologue2006-12 (2007.21.x〜2006.XX.XX)
 「2006.7.23(日)」曇時々雨やめてくれ〜

 コンビニやファーストフードで、レジのネエチャンが釣銭を渡してくれる時、そっと手を添えてくれる時がある。
 我々モテナイ独身中年組合にとって、このプレイ・・・、いや失礼、このサービス(いやサービス、もチョットなあ・・・)は、非常に有益なものがある。仕事や通勤電車で疲弊し殺伐となった心を瞬時に癒してくれる時がある。

 ところが、このプレイ(もう”プレー”で定着させとるやないかいっ!)を、男性店員、下手すると店長級のオッサンがしてくる時がある。

 これにはほとほと閉口する。もうゲンナリする。仕事や通勤電車で疲弊し殺伐となった心が瞬時に凍りつく。エロビデオ見ながら男優の喘ぐ顔のアップシーンで昇天するくらい萎える。
 向こうは親切のつもりかもしれんが、こっちは心の中で「オイ!、コラ、ボケッ!」っと鋭くツッコミを入れて手をサッと引っ込める状態にする。

 きっと釣銭をこぼさない為にしているのだと思うが、オッサンに手を握られるくらいなら、釣銭なんぼでもこぼすわっ!、とすら思う。
 これはモテナイ独身中年世界の感覚でいくと「優しさ」では無く、むしろ「いじめ」に近い。時と場合によっては殺傷行為にすら匹敵する。
 また、添えたオッサンの手が予想外に柔らかく暖かかったりすると、もう怒りを通り越し、やるせない悲しみにすら変わる。
 悔恨の情甚だしく”オレの人生、どこで道を間違ったんだろう・・・”と哀しい人生回顧すら始まる。

 コンビニの店員に冷たくされるのも考え物だが、愛想良しが度を越して同性間のボディランゲージサービスまでに達するところまではいくのは極力避けてもらいたい。サービス業界に一考を要してもらいたい。
 その分を、ネエチャン店員にサービスプレーを強化してくれるよう是非打診願いたい。
 「2006.7.22(土)」曇時々雨パソコン新展開

 何とか新しいパソコン注文にまでこぎつけた。
 ipodも注文した。来週か再来週には手元にくるだろう。
 今回WinかMacかでかなり悩んだが、結局今までマックユーザーだったのと、appleの最新ラインナップのIntelMacで、どうやらWindowsが動かせそうなことがわかったので、両刀遣いでいけそうだということで、引き続き又基本マックユーザーになることにした。
 まあ、これでまたしばらくはIT後進人間時代とは無縁でいられそうだ。

 それにしても周辺機器やソフトも合わせて入手するとなると初期費用が、やたらかかる。
 去年から購入を計画していたとはいえ、去年の経済状態じゃあ絶対購入は無理だったわ。昔に比べ安くなったとはいえ、パソコン購入は結構まだまだ大イベントだな。

 昨日applestoreというのからネット経由で注文したのであるが、後からソフトの注文でオーダーミスしていたのに気づいた。
 注文確定後は変更がきかないので、その場合はコールセンターに連絡しろ、とWebページにはある。
 マジかよ・・・、変更きかなかったらどうしよ?・・・、数万の損害だよ〜・・・。うわあ〜・・・。
 急に激ブルーになる。
 そしてブルーを引きずり、なんだか気持ちよく眠れぬまま翌日に。

 それで今朝コールセンターに電話しようと受話器に手をかけようとしたその瞬間、どっかからタイミング悪く電話がかかってきてしまった。
 なんだよ、オイ!、この期に及んで追い打ちをかけるなよ、と思いつつ電話に出てみると、なんと!、電話はappleのコールセンターからだった。

 スゲエ!、なにこれ?!、久々の偶然の一致!、逆に超グッドタイミング!。
 どうやら注文の確認の電話をいれてくれたらしい。
 しかもWebページのガイドには”コールセンターのコンサルタントが応対”とあったので、何か上司・店長・上の人系の重々しい感じのオッサンが出てきて説教されるのかと思ったら、全然違くて逆に、かわいらしいネエチャンの声じゃん。
 何だよ、この点でもラッキー!。
 早速注文変更の旨を告げた所、全く心配するまでも無く快く応じてくれた。

 逆に、この偶然の一致で、今回の購入が正しい方向だということを示してくれてるじゃねえかよっ。ちぇっ、ブルーになって損した。

 とはいえ、まだまだ懸案はある。
 過去のマックの資産が新マックでは動かせないかもしれないということだ。
 そうなった場合、新機種用に合わせてデータ変換とか膨大な作業に費やされそうだし、中には決別しなくちゃならん資源もあるかもしれん。CDとか処分しなくちゃならんかもしれん。
 まあこの際古いものは整理すべき時期がきたと思って地道に対応してくしかねえな。

 今MDレコーダーが壊れて現在手持ちのCDを録音できなくなってしまっていたので、これからipodが使えるのは嬉しい。とりあえずはそれを励みにやってくしかねえな。
 それにしてもパソコンは最初の設定とか何だかんだと、かなりエネルギーいるからな。それからまだまだ必要なソフトも揃えなくちゃならんし、金かかるわ、はあ〜・・・。
 まだモノもきてねえ内から憂鬱になったりして。何この悲観的な傾向。僕って、無駄にスゲエ心配性ちゃん。これってかなりのエネルギーの浪費やね。この心配のエネルギー、何かボランティアとかにでも費やした方が、よっぽど世の為だな、ははは。
 「2006.7.21(金)」曇時々雨人生のよろこび

 1999年にノストラダムスの大予言が、いろいろと取り沙汰された。
 どこだったかとあるスピリチュアル系のサイトに、あれはああしたものに惑わされ囚われない無い為の教訓的な意味があった、というようなことが書かれていた。
 僕も、なる程その通りかもな、と思った。

 世の中は相変わらず災害とか事件や戦争といったことが絶えない。
 政治も裏で何をしてるかわからぬし、経済格差も広がっている。
 こうした状態では不安や怒りや悲しみを抱かない方が難しいであろう。人間の感情としたら抱いて当然のことだと思う。

 環境破壊が地球にとっていけないのは見た目にも良くわかることだ。
 ただ思うに、地球に対して本当にいけないのは地球上にいる我々が、怒りや不安や悲しみや絶望の想念で自分を満たしてしまうことだと思う。
 地球人であることは、すなわち地球の魂に多大な影響を与えているのだと思う。

 だからといって、じゃあ苦しみを忘れて浮かれて楽しく享楽的に暮らせ、ということでは無い。

 疲弊した時は息抜きも必要だろう。エネルギーが減ったら充填しなくては続かないだろう。
 第一、否定的なイメージを抱き続けることは、そうした現実を無意識に望んでいることになって、それが自分の心の鏡のように繰り広げられて現実化してしまう恐れがある。

 ただ、現在は確かに膿が出る如くに我々の無意識に潜んでいた不安や怒りが現実化してダークサイドな出来事が噴出しているとも言える時代にあるかもしれない。
 であるから今は、自分にとって起った現象が、自分へのメッセージとして、必ず何かの向上を促しているものだと感じ、裏の意味を感じ取り、内面の気づきに繋げて行くことが必要ともいえる。
 痛みを見ることでどこを矯正したら良いかがわかる。それが今一斉に個人や社会レベルで行われている。新しい時代への準備として。

 自分にとって起きている現象が、どういう方向に自分を導いて行こうとしているのか?、それが人間の進化にとって、どんな意味があるのか?、愛をベースにおいた場合どういう行動を取るべきなのか?、といったことがもっと高度な霊的な観点から考えられるようになっていくことが必要だろう。

 まず肯定的になる為には、どんな出来事でも魂の向上の為の意味があり、その向上の為に、現世や高次の世界を含めたいろんな存在が我々に関して誰一人もれることなくサポートしてくれている、ということに気づくことだろう。
 すなわち、何も超常的現象を通じてだけでは無く我々の日常的な生活という最良の教材を通じて、そうした出来事から直感的に、そうだと感じ取ることは可能だと思う。
 星を見るとなぜ癒されるのか?、太陽からパワーを貰えるのはなぜか?。なぜ数学的発生確率が天文学的に低い現象が立て続けに起きたりするのか?。
 心静かに思ってみれば、今までいろんなサポートを自分が受けて来ていたことに気づくだろう。

 そして次第に否定的なイメージを膿を出すように浄化していき、あとは常に肯定的なイメージを抱けるようになっていくよう訓練する。まさに今はそうした訓練に適した時代になったと思う。
 多分、人間は、もっと明るく創造的で、もっとハイレベルの宇宙的な思念と共に生きて行くことができるはず、だと思っている。

 振返ってみれば日本なんて、つい明治くらいまでは、県同士が戦争してたのである。
 今は隣の県と戦争をしようとする日本人はいないだろう。
 それはやっぱり日本人の意識が、国レベルにまで拡大したからに他ならない。
 これができるということは、今度は地球レベルにまで意識を拡大して、地球全体が平和になることは充分可能なはずだ。
 ジョンレノン風に想像してみれば、もう各地での戦争は平和的解決をし、核も完全に廃止され戦争の恐怖が無くなり、各国がエネルギーや技術を友好的に交換し助け合って、皆がもっと創造的な活動にエネルギーを注げるようになる・・・、そんな時代が来たら、なんと素晴らしいことだろう。

 そんな時代は、でももうすぐやってくるのかもしれない。
 そんな時代の変わり目に遭遇できるなら見てみたいと思うだろう。
 事実、どうもそうした理想的な中で修行したいという魂が現代は沢山地球に受肉してきているようだ。
 だから人工も増えているのかもしれないが、地球は多少のことではビクともしない、太陽からは毎日あれだけのパワーが降り注いでいるし、いざとなれば地球の力がいかにものすごいかは、天災が教えてくれる。

 食料が無くなり飢餓が蔓延する国がある一方、なぜ食料をドブに捨てている国があるのだろう?。
 新しいエネルギーを開発する新しい力がドンドン出てるのに、なぜ古いエネルギーに固執しようとする力が働いてしまうのだろう?。
 食糧問題エネルギー問題などは地球資源の問題では無く、実はそれを使う人間のモラル、地球に住む人間側の意識の問題である気がしてならない。

 ・・・と、ぐだぐだ書いてきたが、精神科医師である越智啓子女史の「人生のよろこび」という本を読んでいたら、上記のようなことをいろいろ考えめぐらすきっかけになった。これからの時代に、どういうスタンスで生きたら良いかが、女性らしい快活で時に世俗的な話題も取り混ぜたわかりやすい語り口調で書かれている。一読の価値有りです。
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