Monologue2006-2 (2006.1.13〜2006.1.31)
 「2006.1.31(火)」曇後雨・209歳

 1月27日はモーツァルトの誕生日だった。
 それに引き続き、今日はやはりオーストリアの優れたコンポーザー(作曲家)であった、フランツ・シューベルトの誕生日だ。209歳。
 モーツァルトとシューベルトは、モーツァルトの死後シューベルトが生まれているのでかぶっていない。二人の間に入るのはベートーヴェン。
 続いて1809年から1813年までに、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ヴェルディ、ワーグナーが生まれている。
 この18世紀後半から19世紀の始めは、近代音楽の確立の為に、優れた音楽の魂が時を選んで生まれて来た時代だったようだ。
 同じように1950年代のジャズや、1960年代にロックの世界で革命が起った時も似たように天才が、時を選んで生まれて来た。
 そうした時代に作られた作品は今でも色褪せることが無いのが驚きだ。
 色褪せないどころか未だに僕らを啓蒙し続けているのだから驚きを通り越して神秘ですらある。
 「2006.1.30(月)」晴・せっかく教えてもらったのだから

 こないだは、いつも通勤で乗ってる路線を変えて別の線にしたら、その元の方が事故で遅れていて乗らないで助かった、なんてことが2度程あった。
 それから、終電に間に合わないやと思って諦めてたら、前の電車が遅れたとかで終電も遅れていた為間に合った、などといった小ラッキーも起るようになった。

 昨年の終わりくらいから、僕の生活も落ち着きを取り戻して来たようにも見える。
 昨年〜おととし辺りだったら、自分の乗ってた電車が人身事故にあったり、前後が人身事故だったりとアンラッキーが普通に起っていた。

 どうやらこれは僕の徳・不徳がどうのこうのというより、そういうバイオリズムの時期を、魂がきっと自ら設定していたのかもしれない。

 ついてない時は、ついてないもんだ。
 なぜ、そういう時期があるのか?。

 そういう時期には、自分の中のダークサイドが噴出してくるのだ。
 つまり、自分が抱えているダークサイドとは何なのか、ハッキリと対面させられるのである。
 短気、被害者意識、依存症、心配性、非協力的、自己中心、暴力性、悲観的、盲従的・・・、などなど自分の最大の弱点が明らかになるのである。

 その自分のダークサイドと向き合った時、どうするか、それが大事だろう。
 不遇の時に、回りの環境や、回りの人間を変えようとすることも可能だろう。
 だが、まず自分のダークサイドを見つめ、それを認め、許し、どうすれば良いのか考えることだってできる。
 周りを変えるよりも自分が変わる。そうして自分をステップアップさせる方が、早道である場合が多い。

 例えば厄年や大殺界などと呼ばれている低迷期のようなものは、自分の最大の弱点が明らかになる、のであるから、ある意味教えてくれて、アザーッス!な事態なのだ。
 だから不満を言うのは、天から見たら、お門違いよ、せっかく教えてやってるのに〜、てなことになるのである。
 「2006.1.27(金)」晴・250歳
 
 今日はモーツァルト250才の誕生日だそうだ。
 NHKのBSでも特集をしたり、各種のCDも発売されたり、いろいろと盛り上がってきているようだ。
 僕も最近発売されているベストCDのラインナップを、ちょっと見てみたが、単なるベストという感じでは無く、なかなか充実した内容のものも出ていて、入門にはいいかもしれない。

 今までの経験を振返って、モーツァルトは、やっぱり多くの人に聴いてほしいと思う。
 モーツァルトは特にスピリチュアルな方向に僕らを向けてくれる音楽が多い。

 ただ正直なところ、音楽としては、実はチョット難しいかもしれないようにも思う。
 つまりちょっと聴いても、あまりに耳にサッパリしすぎて、深くまで入ってこないかもしれないからだ。
 もっと僕らの時代に近い大衆音楽を聴いた方が、何かの特効薬としては効き目があるのかもしれない。
 クラシックで言うならショパンなどの方が、ずっと入り易いように思う。

 それでもモーツァルトは、とにかく聴いていた方がいい。とにかく触れていた方がいい。
 そして、ある日突然、何かの人生のダークサイドな局面に見舞われた後に、きっと神の声のように響いてくるだろう。

 僕はモーツアルトは、心地好い気分の中でユッタリ聴くよりは、もっと荒波の中で揉まれた後に聴いた方が深く心に刻まれるんじゃないかとすら思っている。
 「ショーシャンクの空に」という映画の中で、主人公が刑務所の中で、いきなり「フィガロの結婚」の中の二重唱を流すシーンがある。僕は、あのシチュエーションこそが、まさに理想的なモーツアルトの聴き方では無いか?とすら思ってしまったくらいであるから。

 通称”ジュピター”と呼ばれている有名な交響曲がある(41番)。あの曲を小学生あたりに聴かせても、多分本当の良さは理解できないだろう。
 それでも聴いておいた方が良い。
 ずっと後になってから、様々な体験を経た後、ハ長調という最も原初な調性で書かれたジュピターが、その神秘のベールを剥がし、僕らの前に壮麗な姿を現した時に、ようやくその音楽の聖なる波動に自分が追いついてきたとわかるだろう。
 そして、あの天体の動きのような華麗な、かつドレファミという短い音形が僕らの人生を導いていくかのように聞こえてくる4楽章あたりを聴いて、あまりの神々しさに泣けるようになってきたら、もうモーツアルトとは長い付き合いのできる友人になっているかもしれない。
 「2006.1.25(水)」晴・今ならサザン歌える
 
 風邪流行ってるなあ。
 僕もやられた。しかし何とか乗り切って今回は休むまでには至らなかった。
 ただ喉がまだ痛え。
 今朝職場に入って、挨拶した時に”おはようございます”と言おうと思ったら、第一声「おはガガガッ@:#$%&’ーッ」になってしまって、自分のあまりのガラガラ声にビックリしてしまい、一瞬その場でフリーズしてしまった。

 僕が愛読していたジェームズ・レッドフィールドの「聖なる予言」。
 今まで自分が持っていたのは、ことあるごとに人に薦めてあげてしまっていたので、今手元に無かった。
 それで今日、又改めて角川文庫で出てる新しいのを買って来た。
 これからの時代を考えるうえで、もう一度深く読み直そうと思っている。
 特に権力闘争=コントロールドラマの部分などなど。
 「2006.1.22(日)」晴一時曇・新旧不思議対決
 
 今日のテレ東「ハローモーニング」は久々に面白かったなあ。
 なぜかというとスピードワゴンがモー娘とからんでくれたから。
 やっぱモー娘は芸人とからんでこそ味が出るな。
 元々ナイナイや貴さん(石橋貴明)とのからみがモー娘は良かったもんなあ・・・。
 あれ?、モー娘の話って、それも以前のモー娘の話って、もしかしたら、もう古いですか?。

 ゆーこりん(小倉優子)が「笑っていいとも」に出てるけど、今一良さが出て無い気がするなあ。
 もっと、さまあ〜ずとガンガンからませりゃイイのに。
 そこへいくと今日の日テレの「ロンQハイランド」は激面白かった。
 千秋とゆーこりんのカラミ、メチャ最高!。新旧不思議対決最高!。
 「2006.1.21(土)」雪・分散している大きな光
 
 起きたら雪。
 東京もやっと雪。
 雪は雨以上に浄化作用が強そうだな。
 今日は洗濯やら粗大ゴミ提出用の準備やら何やら雑用をやってたら一日終わってしまった。

 世の中は相変わらずダークサイドなニュースが跋扈している。

 ホリエモンは、発言や言動が随分人から恨みを買いそうだったので、いつかシッペ返しが来そうだなと思ってたら、意外に早く来てしまった感じだ。
 確かに本人達の言う通り、本当は悪気は無かったのかもしれない。

 だがここがダークサイドの恐ろしいとこなのだ。
 僕は”色と金がからむ所には必ずダークサイドの影有り”を座右の銘にしている。
 ダークサイドは、欲望にちょっと気を許した瞬間、静かにソッと忍び込んでくる。
 気がついたら、自分も知らず知らずの内に悪を犯していたりするのである。
 得てしてダークサイドに堕ちている時は、それに気がつかない。気がつくのは因果が応報して初めて気がついたりするのである。

 資金力の乏しい企業家に投資してやる、というのは大変良い考え方だと思う。
 しかし一歩バランスを崩して、私利私欲の芽が出ると、ダークサイドは一気に付込む。大きなエネルギーが動いている所ほど危ない。経済原理が優先されていればいるほど危ない。

 スターウォーズでもヨーダが言っていた。
 ダークサイドは人の優しさに付込んでくる。
 何かとても良いことをしているつもりだったのに、途中で歯車が狂ってオカシクなったことは無いだろうか。
 途中で欲が出たり、情にほだされたりした所に、スッとダークサイドの魔の手が忍び寄る。
 ダークサイドに影響されないバランスのとれた強く健全な精神を、我々平凡な市民は日常社会生活の苦行(?)から学ばなければいけないのだ。

 最近のこうしたニュースは、何かと教訓めいた事件が多い気がする。
 利益では無く、愛の実践を基本原理に置けば、こうしたダークサイドな事件も、勢いを静められる気がするのであるが、僕の単なる空想なのだろうか?。

 ともあれニュースなどを見ればダークサイドな事件も多々あるが、その一方で平凡な市民生活の中には僕達には知るまでに及ばない、小さな愛の光が、世の中のあちらこちら、僕達の身近な所でも静かに灯っていることも忘れないようにしたいものだ。
 それらは小さくても、愛で繋がっていれば実態は大きな光の分散したものに他ならないのだろう。
 「2006.1.20(金)」曇・イワイガワ
 
 「さまぁ〜ずバカルディDVDBOX」というのを買おうか否か迷ってる。
 問題は只一点。価格のみ。¥23000は、ちょっとキツイなあ。
 オレ金持ちだったら間違いなく買ってる。
 そうか。
 金の問題が無かったらやろうとしていることは、やってみる価値アリだ。
 買うか。

 NHKの「爆笑オンエアバトル」は売り出し中の芸人が出ていて面白いが、MCの塚原愛アナのアップアップな司会ぶりも申し分けないが見ていて面白い。
 民放女子アナにはスッカリ失われてしまった初々しさがある。
 確かにあれだけの有望な若手芸人を、面白おかしく上手にまとめるなぞ、タモリ・さんま・伸助クラスのベテラン芸人でなければ至難の技だ。それをあんなカヨワキ女性が行っているのも、かなり同情の余地がある。
 とはいえ、やはり塚原アナがセリフを噛んだりすると、申訳ないが「あっ、また噛んだ」などと興味本位で見てしまう。
 この噛んだり、つっかえたり、段取りを気にし過ぎたりしてできる「妙な間」が今は、なぜか心地好い。民放では味わえない、この番組でしか味わえない。
 NHKの「爆笑オンエアバトル」のサイトに塚原アナの日記があるので読んで見ると随分真面目そうな感じはあって、それが司会ぶりにも出てるようだ。

 ちなみにお笑いコンビ、イワイガワの岩井ジョニ男、最初見た時、オッサンキャラが鬱陶しかったが慣れてくると、なぜかクセになりそうだな。
 ではでは今日はこれで。閉店ガラガラッ!。出たあ〜っ!。また出んのかいっ!。
 「2006.1.13(金)」曇・独身中年男性手相超越問題
 
 手相は変わるな。
 大幅に変わる。
 自分のをマジマジと見てみると、なんか昔は見たことも無かったような線が随所に出てる。
 因みに僕のは細かい線が一杯あって手相も何が何だか良くわからん。何これ?ってな線が一杯ある。
 手相においてはXの印や横切る線は悪い印だ、などというが、それで行くと僕は今まで何度も死んでいることになる。
 まあ、これはどうとでもとれるような手にして、手相を超越しろ、とのマイマスターからの指令だろう。

 因みに所謂結婚線というのは、僕にしては非常にまともでイイのがクッキリ一本出ている。
 これはストレートに解釈すると、非常にまともな結婚を一度する、ということになる。
 だから不惑の年を過ぎてしまって独身エロ中年になったからといって、全然心配していない。
 しかし最近、心配しなさすぎて、マイマスターからの指令忠実に守っちゃって、逆に結婚に関してどっかで手相本当に超越しちゃったかも、などと一抹の虚しさを覚えないでも無い。その内結婚線も大幅に変わっちゃったりして。消えちゃったりして。

 因みに、この結婚線が子供の数を表す、という説もあったが、これはどうやら違うらしい。
 因みに僕の両親とも結婚線は一本で、子供は7人だ。
 ああ、そう言えば、あさっては法事で何年か振りに父方の親類が一堂に会する。天気はイマイチらしいがエキサイティングな日曜になりそうだ・・・。
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