「2006.1.12(木)」晴・独身中年男性色情話捏造問題 毎日くるスパムメール。 何やら怪しい出会い系の勧誘が多い。 読んでみると、僕はあり得ないくらいモテテいるらしい。えらいことになってるらしい。 彼女達によれば僕が出会い掲示板に書き込みしたことになっており、それを大変気に入ってもらったとのことだ。やれ精子をくれだの、やれ一度でいいから声聞きたいだの、やれ外でずっと待ってるだの、まあまず全く僕自身と全然関係無い所で話が作りあげられている。 こういうのを今流行の言い方で言うならば「捏造」、簡単に言えばデッチ上げ、という。デッチ上げにも程があるが、此処まで来るともう創作物語、ファンタジーの世界だ。ハリーポッターも顔負けやっちゅうねん。 声聞きたいとか言って、オレが江頭2:50みたい声だったらどーするつもりやっちゅうねん。 ”よーーーっ!、エガちゃんですっ!、エガちゃんですっ!、ワンクールのレギュラーより一回の伝説っ!”。 |
「2006.1.11(水)」晴・切符も買えねえ いつも通勤で使用しているパスネットとSUICAを、ちょうど使い切ってしまって、久し振りに券売機で切符を買った。 ところが本当久し振りだった為なのか、そこで僕としたことが、かなり狼狽してしまった。 何も考えず、とりあえず券売機の前に行って、無意識にコインを2、3枚入れてから「あれ?、そもそも池袋まで幾らなんだっけ?」などと慌てて取り消しして金額表を見直す、などといった始末である。 パスネット・SUICA慣れしてしまってスッカリ切符の感覚を忘れてしまっていた。 いつも散策などで電車に乗り慣れているぞ、などとイイ気になっていた僕には、鼻っ柱をへし折られた事態だ。 初乗りの金額が幾らか?などというのもスッカリ忘れていた。 フジの「ごきげんよう」で、こないだ小林幸子が、自分の家の便所が用を足し終えて便座を離れると自動的に流してくれるというやつで、他人の家に行った時にその感覚でしてしまい、流すの忘れて便所から出てきてしまった、などという話をしていたのも、僕の切符購入狼狽話に通ずるものがある。 自動ドアだと思って、手動ドアの前で、ずっと突っ立って待ってた、などというのも同じ類いだ。 こういうことがあると、いかに便利に世の中がなってきているのか、つくづく思い知らされる、と同時に、それにスッカリつかりきって麻痺している自分にも気づく。 便利に慣れてしまうのも考え物だ。 ん?、年とってボケ始めたからだって?。 ・・ですよねえ・・・。 |
「2006.1.9(月)」曇後晴・旅番組 昨日の日テレの朝番組「遠くへ行きたい」で奈良大和路を放映していた。 薬師寺のバックの空や奈良町の風情を見ていて、とても心突き動かされるものがあった。 僕は日本の中では奈良県に一番行った回数が多い。ちなみに”日本の中で”などと言ってしまったが、外国には一回しか行ったことねえけど。 奈良はなぜか肌に合う。 僕の前世と何か関係あるのだろうか?。知ることができるものなら知りたいものだ。 関東ローカルだが埼玉テレビで月曜21:45から「三国街道〜風の道しるべ」という番組をやってる。 江戸から越後までの三国街道を、ピアニストの村松健氏が旅人となって辿っていくという内容だ。 内容もさることながら、村松健氏の弾くピアノ曲のBGMがイイ味を出している。 特に、本編の終わり近くになると流れてくるテーマ曲のスローヴァージョンが実に良い。 旅の途中で峠を越えてホッとしたり宿場が見えてホッとするような感じだ。 今日の放送ではそのスローヴァージョンをBGMに、ラストカットは青空と、そこに絶え間なく浮かんでは消えつつ流れゆく白い雲の映像だった。 この番組の制作者は、僕と同じような感性を持っているな、と思った。 |
「2006.1.8(日)」晴・あと2cm 外出帰り、京王線の明大前から特急に乗った。 ほぼ満員で、僕は最後に乗車しドアの所に乗った。 僕のすぐ横には、高校生位の女子がドアの脇に持たれかかっており、あどけない表情で周囲を見回している。 あどけない、というより、寝て起きたばかり、と言った方が正確だったようだ。 どうやら今まで立ったまま寝ていたらしい。 電車は出発した。 女の子を見れば、もう寝る気満々だ。 案の定ものの1分も経たない内に、立ったまま項垂れだした。 頭を下に下げたまま、次第にその女の子の頭が僕の肩の辺りに近づいて来た。 次の駅で僕は下車してしまうが、この電車は特急なので、時間はまだタップリある。このままいけば僕の肩に彼女の頭が凭れかかってくるのはもう間違い無い!。やった新年早々ラッキーッ!。 <僕の心の中> (HG風に、心の中では激しく腰を振りつつ) オッケーッ!、いいですよう、お嬢さ〜ん。 私のナデ肩で良ければ、御貸し出し致しますよ〜う、ドンドン遠慮無くお使い下さ〜い。ご心配無く〜。 なんならヨダレもオッケーッですよ〜。 役得、フォーッ!。 果てしない妄想にふける間に、女の子の頭がグッと近づいて来た。その距離5cm。もう接触まで秒読み状態だ!。 電車が走るにつれ更に接近!。もう既に2cm!、もうほとんどゴールだ!。 ガタッ。 電車が揺れ、女の子が起きてしまう。姿勢を立て直してしまった。 あ〜・・・。振り出しに戻るじゃ〜・・・。 気を取り直して幸運を待つ。 まだ時間はある。 そうこうする内に又5cm位まで女の子の頭がグッと近づいて来た。 オッケーオッケー。そうこなくちゃいけませんよ〜う。 ひたすら待つ。 すると幸いなことに又2cmの超至近距離に近づいてきた。 もう少し、もう少しだぞ〜、ガンバレガンバレーッ!。 しかしなかなか後少しのところで僕の肩にクッツいてこない。最後の2cmがなかなか縮まらない。まるで女の子が距離を測って寝てるかのようだ。 次第に僕も焦り始めた。 と、いきなり次の駅を告げるアナアウンスが・・・。 「次は〜、調布〜、調布〜・・・」 セイセイセイセイセイっ(HG風で)。 女の子はハッとした様子で起きあがってしまった。 あ〜っ、台無し。 結局カスリもしやしねえっ!。チックショー!。 あ〜、あと2cm〜!。 あ〜あ!、オレがナデ肩じゃ無かったらクッツイてたのにい〜(そういう問題かよっ?)。 |
「2006.1.7(土)」晴・心の中だからいけないこと 江原啓之氏の「江原啓之への質問状」という本を読んでいたら、こんなような意味の記述があった。 ”「あんなヤツ、死んじゃえ」と心の中で思うことは、実は殺人と同じこと”。 僕は、心の中で抱く悪念想念は、表面に出なければイイと思っていた。 しかしこれから先、もうそういう想念も抱くことはいけないというように要求される時代が、心の問題こそが重要視される時代が、すぐ近くに来ているのをヒシヒシ感じた。 悪念がいかに人間の生活に悪影響を及ぼしているか、更に人間が進化していく時に、いかに悪念が進化の妨げになるか、痛烈に実感し、深く認識せざるを得ない状況に、これからもっとなっていくのだろう。 お恥ずかしながら、僕なぞ通勤電車などでは未だに毎日”心の殺人”を繰り返している有り様だ。特に休日では無い時にテンションが下がっていると、電車の中などで殺意を抱かない日は無いような状態だ。 これではダークサイドから脱出できるわけなど無い。 今日も土曜日とは言え出勤だったので、既に少しイライラしていた。 帰りにとある中華料理屋に寄った。 店内は7割程度の混み具合だった。 僕が着席すると、すぐに僕の隣に一人の男性が来て座った。 僕は他にも空いている席があるのに、隣に座られたことで、又イラッと”追加イラ”が一つ来た。 せっかくの食事時に、こうしたオッサンに近寄られると鬱陶しくてたまらん。 そもそもその男性の座り方が、非常に雑で荒っぽい感じだったので又イラッとしたのであるが、見てみるとワイルドな男性では無く、逆にひ弱でボーッとしたホワイトアスパラみてえなヤツで、しかもどうも僕よりも年配っぽい。”ああー、もうお腹空いちゃってたまんないよ、もう我慢できない、早くゴハン食べたいなあ!”。なんかこのホワイトアスパラアオッサンから、こうした子供染みた浅ましい雰囲気が伝わってきて、それが僕より年上の人間の雑な立ち振舞いだということに、次第に尋常ならざる怒りが込み上げて来た。 人間イライラしてくると、こまかーい事に、いちいち反応してしまうもんだ。 僕も既にそのモードに入ってしまっていた。 これは相手に全て非があるのでは無く、イライラしてエネルギーが下がると、何か細かいことでも非難の対象になるようなことを見つけてあげつらい、実は自分を正当化してエネルギーを回復しようという人間の哀しい条件反射じみた性癖なのである。 勿論この日も僕は細か〜いことが癇に障った。 僕のところに店員が来たので、僕は注文を告げた。 その後すぐに店員はホワイトアスパラに注文を確認する為向き直ると、ホワイトアスパラ野郎は、いかにも待ち切れない、みたいな感じで、間髪を容れず、子供のように、こう注文を続けた。 「あと、しょうが焼き定食一つう!」 ”あと”?。 なんだよ、”あと”って?。 ”あと”、じゃねえよっ!!。 てめえに”あと”づけされる覚えはねえんだよっ!。 なんで、オレの連れみたいな体になってるんだよっ!?。 まさかホワイトアスパラ、てめえオレに勘定払わせようとしてんじゃねえだろなっ、おいっ?(んなこたない)。 あらぬ妄想不信はとどまることをしらず沸き上がる。 心の中にいかんともし難いホワイトアスパラ破壊衝動が沸き起こってくる。 僕の心の中ではこうして既に”ホワイトアスパラ殺人事件”が繰り広げられてしまった。 こういう時に限って、他の客が店を出て店内がガラガラになり、僕とホワイトアスパラが広い店内に仲良くくっついて座っている、という、ロマンチストな僕にとって堪え切れない図ができあがる。 案の定ものの数分もたたない内に、それは見事現実化した。 ホワイトアスパラの息づかいが聞こえてくる。 女性の息づかいなら子守り歌にしても良いくらいだが、なんでメシ時にこんなホワイトアスパラ野郎と並んでコイツの息づかい聞かなきゃならねえんだよっ!。 僕の心の中ではまた殺人が繰り返される。 ああ、もう我慢できん!。 怒りが臨界点に達した僕がとった行動とは・・・?。 ホワイトアスパラの反対隣の空いた席に、そそくさと移動しました。わっ、小市民。 一旦着席した席を変えてしまうのは店側には申訳なかったが、ホワイトアスパラの真横に居て、無益な殺戮を繰り返すよりはマシだろう。 このケースに似たケースに「電車の指定席の悪夢」がある。せっかく取った指定席でガラガラの車内に見知らぬオッサンと隣り合わせに座ることになる悪夢だ。ユッタリユックリしたい指定席で、なぜ他にいくらでも空いた席があるのに、こんなオッサンと顔並べて行かなきゃならんのだ?と、指定席選択システムの単純さを恨んだりする。 僕は普段、こうして随分無駄なエネルギーを費やしていることが多い。情けないことだ。 怒りの根本原因は自分でも良くわかっている。これは30代の半ば位からずっと続いている怒りである。 それは自分の職業に関することだ。だからどうすれば良いかもわかっている ただ現段階ではどうしようもないので、ひたすら忍耐の修行を続けているような有り様だ。 それでもつい堪え切れず、今日みたいに良く心の中で爆発を起している。 これは悪念を世の中に撒き散らしているの非常に良く無いことではある。 まあ僕は、自分で怒りの原因がわかっているから、まだマシな方だ。 現代でも不可解な事件や殺人などが、良く巷を賑わす。 そうした根っこには必ず何かしらの「怒り」がある。 静かな狂気の背後にも何かしらの「怒り」がある。 何か不可解な事件は、その「怒り」の巡り巡った結果だ。 ちょうど僕の職業に関する怒りが巡り巡って”想念界ホワイトアスパラ殺人事件”を起したように。 「怒り」を「怒り」でもって制しても、それは新たな「怒り」を生むだけだ。そうして果てしないループ地獄に陥る。 「怒り」が、これからの時代、心の問題を解きほぐしていく中で、益々原因が解明され浄化されていくことを願う今日この頃だ。 |