「2004.3.31(水)」晴・影響=縁? 夜の街を歩いとったら、とある洋風ん居酒屋んような店で、いかにもうだつのあがらんようなオッサンが二人して乾杯しとる姿ん窓越しに見えよった。なんよう祝杯ゆうんかのう、そがな感じじゃった。 ワシゃ、ゆうても毎度オッサンはウザったくて好かんゆうて言いよるんが、なぜかこん日のオッサンの祝杯姿は、見ておって気持ちのエエもんじゃった。 男同士の友情ゆうんかのう、そがな雰囲気が伝わってきよった。一杯飲み屋じゃのうて、女子ん好むような居酒屋でよ、それんささやかな宴ゆうんを強調させておった。 こんオッサンんにしてみりゃ、よもやオッサン嫌いの、こんワシん見とるなんぞ夢にも思うとらんで。 じゃがワシゃ、こんオッサンらの「印象」ゆうもんを、自分に取り入れ、こうして日記んネタにしよる。 よう考えてみるとよ、全く知らんもん同士でも、こがな風に「印象」ゆうもんを介し影響しあっちょるんよ。 よう知ったもん同士が縁があるゆうんは、よう理解でけるが、全く知らんもん同士でも、何らかの接点・影響んあったゆうことは、そりゃそれで立派な縁ゆうこんにはならんかの。 自分に影響を与えるゆうこんは、深いレベルまで探ってゆきゃあ、お互い何らかの繋がりがある、ゆうこんかもしれん。 もっと考え進めてみるとよ、ワシん知らん人でも知り合いが知っとる、ゆうてドンドンドンドン辿ってゆきゃあよう、結局世界中の皆が実は繋がってる、ゆう風に行き着くじゃろうて。 ワシらは今はこうした深いレベルん知覚できんで、お互いの繋がりゆうんを理解でけんかもしらんが、ゆくゆくこれん理解できりゃあ、お互い争うゆう必要は無いゆう風に気づいてよ、今までん無駄な力を本来の「創造」ゆう方向へ向かわすこんができる、そうゆうてワシゃ思うちょるがの。 明日から4月か・・・。早いのう・・・。 |
「2004.3.29(月)」晴・ある意味逆に哀しい 満員電車ゆうもんは、野郎がおるけえウザイでの。 女子ばっかじゃったら、あがな気持ちエエもんは無あでの。 今日は、げにエエこんがあった。些細なことじゃが、そん一事だけでワシの心も癒されたわい。こがなこんがあると、不快な満員電車にもよう、どうにかこうにか明日も乗っちゃろうかゆうて思うてしまうでのう。エエか悪いかわかりゃせんが。 何んあったって?。 ワシの後ろによう、若い奇麗なネエチャンがおってよう、駅を経るごとにワシゃドンドン後ろに押されネエチャンに背中で密着するようになった。ま、そりゃエエ。ようあるこんで、ネエチャンも手でガードしよるけえ、おいしいもんは何もありゃせん。 ところがよう、もうすぐ乗り換えの駅に差しかかるゆう時によう、そんネエチャンが前に構えとった自分の腕を、すー、ゆうて静かに降ろすんがワシの背中に感じられたんよ。 ゆうたら、ネエチャン、前のガード解きよった、ゆうこんじゃ。あとは想像したったりいや。 エかった。これだけで通勤の憂鬱ん消し飛んだ。 ん?、そんとなこんで舞い上がっとるオドレは頭がメデタイじゃと?。 なんなら〜っ!、ワシゃ逆に、こがなこんしか楽しめるもんが無いんじゃああ〜っ!。 これを取ったらワシにゃ何も残りゃせんのじゃああ〜〜っ!。 |
「2004.3.28(日)」晴・海の香 東京は穏やかな春の陽気だった。今日は花見をする人々が大勢いたようだ。 この時期僕は、なにかほろ苦いような切ないような心持ちになる。たぶん故郷を離れた時のことを思い出しているのかもしれない。 空気が、そんな気配を醸し出す。 以前この時期に故郷に帰省した際、実家の屋根の上に登って、しばらくボーッとしていたことがあった。 都会の生活に慣れだした僕は、そこで感じた故郷の空気にハッとさせられたものであった。 暖かい風が、強い海の香を運んでくる。僕の故郷は海の街でもある。 只僕の家は、それ程海から近くは無いのに、それでも海の香を家に居ながら感じることができた。 まるで僕の周りが海水で満たされているかのように、暖かく僕を包むような風が吹いてくる。 実を言えば僕自身、僕の生まれた街に、これ程までに海の香が漂っていたなんて思いもよらず、まさにそれは新鮮な驚きであった。 故郷に住んでいた時には全く気づかなかったことだ。 昔は海の匂いがしていなかった、という訳では無い。ずっと昔から、この香は僕の街を満たしていたのである。僕が、それに気づかなかっただけなのである。 それに気づいたのは、故郷を離れ都会に住むようになってからだ。そうして初めて海が僕らと、ずっと共にいたことがわかったのである。まるで故郷を離れて初めて親の愛を感じるように。 さだまさしの昔の曲に、こんなフレーズがあった。 ”こんな日は故郷の海鳴りが聞きたい・・・、子供の頃のように涙を流してみたい・・・、生きるのが下手な人と話がしたい・・・”(引き潮)。 今日は、まさにそんな日だった。 |