Monologue2003-53 (2003.12.31)
 「2003.12.31(水)」曇・女が部屋に来た3

 今年は3度ほど我がモテナイ独身中年の部屋に女性が訪れてきてくれた。その都度僕は滅多にないことにいつも色めき立っていたのだが、3度目の女性の来訪は今でも彼女の残り香と共に強烈な印象を残している。
 今年の僕の十大ニュースのナンバー1を今年最後に当たってご紹介します。

   *   *   *

 もう大分前の、ある夏の夜、家で食事をしていたら玄関のベルが鳴った。
 返事をしないでドアに近寄ると、女性の声がする。
 良く聞き取れなかったので「はい?」と言ったところ「ありがとう・・・」と聞こえて来た。
 ありがとう?、何もしとらんぞ?。
 さすがの僕も、少し不穏な気配を感じ、セールスの類いならやり過ごしてしまおうと、断りのセリフを考えていると、いきなりベルの乱打が始まった。今時こんな連射をご披露してくださるのは、ピンポンダッシュの子供達か借金の取り立てぐらいであろう。

 とにもかくにもこの状況を打破すべく僕はドアを開けてしまった。
 そこには女性が一人。僕の家に良く来てくれる女性の平均的な年齢=20代X2.5+αの女性であった。

 開口一番、女性のあまりにも大胆な発言に、僕は少し引いてしまうほどであった。
 女:「揉んで・・・」。
 え〜っ?!。
 確かに僕は女に不自由はしている。そんな僕を見兼ねて神が出し抜けに贈り物をしてくれたのか?。それにしては賞味期限がいささか切れて過ぎている気もするが。

 僕は改めて彼女の格好をマジマジと眺めてみた。
 全体が白で統一された衣装、上半身は下着のようなシャツの上に前開きのシャツを羽織っており、下半身は男性用室内着として有名なステテコのような白いズボン、というかなりの軽装で、どうも家にいる格好そのままで来ました、という感じである。
 極めつけは足首から下の部分。一糸纏わぬ白い素肌を見せている。つまりは裸足だ。
 僕との出会いに興奮気味なのか、顔は年齢にそぐわぬ血色の良い赤ら顔である。その回りから女性用香水としては嗅いだことの無い匂い、例えて言うと、あまり見つからないのだが、強いて言えば日本酒と同じ匂いが漂っていた。

 尋常では無い・・・。
 一目見て感じた。いや、これは誰が見ても尋常では無い。
 僕は先程の彼女の大胆発言の真意を確かめるべく、もう一度聞き返そうと思う間もなく、彼女が自分の本心を僕に曝け出してくれた。
 女:「千円めぐんで・・・、お願いだから、千円でいいから・・・」。
 どうやら僕は”揉んで”と”めぐんで”を聞き違えたようである。普段欲求不満なところが、こんな時に顔を出すもんだ。

 僕:「どうしたんですか?」。
 改めて僕は通常な感性を持った人間が、この状況で普通に発するであろう問を発した。
 彼女はそれには答えず又同じ要求を繰り返す。
 女:「千円無い?・・・、お願い、千円でいいから・・・」。
 さて、どうしたものか・・・。
 僕の脳内司令部は緊急会議の結果、即座に判断司令を下した。
 僕:「ちょっと待ってて下さい」。
 僕は財布を持ってくると、千円札を取り出して彼女に渡した。
 女:「ありがとーっ!」
 彼女の顔がほころぶ。状況は異常な気もしないでも無いが、女性の笑顔を見るのは悪くは無い。

 そして間髪を入れず女性の口から男心をグラリと揺さぶるような次のセリフが出された。
 女:「もう千円ない?」
 全く男心を翻弄する小悪魔ちゃんだ。
 脳内司令部の緊急会議の結果は、彼女の要求に素直に応じておくのが得策と判断したようだ。
 僕は又千円札を取り出す。昔香港に行った時、土産物屋のオバチャン達に捉まったのを思い出す。

 女:「ごめんねーっ、ありがとーっ!」
 そして先程のシーンが若干の形を変えて輪廻した。
 女:「もう五百円ない?、必ずお返しします。五百円でいいから・・・」。

 立て続けに続く要求を、そこで断絶させたい、と意図した場合、得てして、その要求以上のものを提示することが有効である、と考えたくなるものだ。
 僕は提示された金額五百円を遥かに上まわる二倍の金額、すなわち千円を提示し、この交渉に終止符を打つ為の画策をした。

 この画策は事実上成功裏に終わり、さすがの彼女も、それ以上の要求はしようとしなかった・・・。
 ・・・というのは僕の甘い考えであった。
 女:「もう無いよね・・・」。つまりは”もう無いよね(あるならもっとくれえーっ!)”ということであった。
 こういう時の女性は貪欲だ。
 僕もどうしようか迷ってしまう。実際のところ手元にはもうそれほど無かった。
 男というのは、こういう時は哀しいもんである。思わず本心が顔に出るもんである。”先にいっちゃったヘヘ・・・”そんなのに似た哀しい笑いとも何ともつかない 表情が図らずも出てしまったのだろう。女性はこういう男性の表情を見逃さない。
 女:「無いですよね、無いならいいです。ほんとにありがとう。必ずいつかお返しします」。

 ここで僕はこの寸劇も閉幕を迎えるのだと思い、そろりと幕引きの準備をしようとした。ところが女の口から意外な言葉が・・・。
 女:「あたし、どうして帰ったらイイ?・・・」。
 思わず僕もドキリとする。これは良く女が勝負をかける時に使うと言われている”今日は帰りたくない”と同類のセリフと取るべきなのか否か?。んなわけねえっ。
 とりあえず今貴女はどこに住んでいるのか?と聞いてみると、どうやら同じ市のここからそれ程遠くない場所のようだ。

 只何しろ彼女は裸足なのである。
 僕はそばに置いてあった自分のサンダルを彼女に履かせた。これで少し異常なオバサン状態から、単なる酔っぱらいのオバサンにまで見た目がレベルアップするだろう。
 今まで彼女も少し動転していた感もあったが、やや落ち着きを取り戻し自分の行動が見えて来たようでもあった。
 彼女はここで遂に、この場を去ることを決断したようだ。
 女:「必ず返しに来ます。あの、お名前は?」。
 僕は自分の名を名乗り、念の為彼女の名前も尋ねた。今日初めて二人が名乗り合う。合コンかよっ。

 僕:「ちょっとコンビニに行くんで途中まで送ります」。
 僕がそういうと彼女は少し動揺を見せた。
 女:「ど、どこに行くんですかっ?」。
 僕:「コンビニに・・・」。
 彼女が今日初めての拒否の姿勢を僕に見せた。
 どうやら僕が然るべき公的機関(つまりは警察)にでも通報しようとしてるのでは無いかという不安を抱いたようだった。
 彼女がかなり狼狽したので、僕はコンビニに行く用事があるという物的証拠(つまりはコンビニ用料金振り込み用紙)を見せることで彼女を安心させた。

 僕ら二人はアパートの外まで歩いて行き、道に出た所で立ち止まった。
 ここからは一人で行けるからもう大丈夫だ、彼女は僕にそう告げると何度も礼をし、いつか必ず返しに来ると述べ、その後ひどく寂しげな後ろ姿を見せながら暗い道を去って行った。

   *   *   *

 当然のことながら・・・あれから彼女は僕のところには来ていない。
 僕自身も、たぶん彼女はお金を返しには来ないだろうと思っている。
 そのこと自体が彼女の生活が真っ当な方向に向かっていないことを暗示していることを認めるのも、いささか切ない。
 一体今頃どうしているのだろうか?。

 こんな顛末、もしかすると僕にしたら見知らぬ他人に割合親切にしたように思われるかもしれない。
 実を言うと、僕はこの婦人には見覚えがあったのである。
 僕の記憶に間違いなければ、彼女は以前ここのアパートの住人だった・・・はずなのである。たまに顔を見かけ挨拶をしたこともある。以前は随分丁寧で上品な婦人に見えた。何より普通に考えたら、赤の他人はこんな辺鄙なアパートまで金の工面の為に裸足で辿りついてこようとはしないだろう。
 そう言えばあのオバサン最近見かけないなと思っていたところだったのである。当時より痩せて風貌も衰えていたが、僕は彼女だと確信した。
 それでこの時も、そのことを彼女に問いただしたのであるが曖昧に答えを外されてしまった。あまり多くを語りたく無かったのかもしれない。
 僕の記憶では以前はこの一人用のアパートに、夫婦と思われる男性と同居していたはずだ。それ自体何か経済的制約の下に置かれていたことを意味するが、あの男性はどうしたのだろうか?。その男性と何かあったのだろうか?。まさか今は何かの事情で別離し一人暮らしをしているのか?。彼女自身の生活はどうしているのだろうか?。僕から貰った金で何をしようとしていたのか?。そうした多くの謎を聞き出すには、彼女はあまりに尋常では無い状態であった。

 あの日の一連のやりとりが、正しい行動だったか、どうだったか、今の僕には判断できない。もっと踏み込むべきだったのか、それとも厳しく突っぱねるべきだったのか。もしかしたら僕は全く騙されていたのかもしれないし。結果は今後おそらく僕の前には提示されてこないだろう。
 当時自分ができそうなことはやった、それだけだ。

 出会ったその場で短時間に人の心を読むのは難しいものだ。だからそんな人達と接する時には、その対処に自ずと限界が生じる。一体あの当時彼女の生活に何が起きていたのだろうか?。
 ハッキリ言えるのは、当時彼女は何かしら孤独で寂しい思いをしていただろう、ということだ。でなければこうしたことは起こらないはずだ。
 一人暮らし、安アパート、以前住んでいた場所へ金の無心に来た人生の晩期を迎えた老女・・・目の前にある現実はいかにも寂しげな人生の象徴ばかりで、僕もそれらに囲まれているだけに、彼女の姿が他人事のようには思えなかったということも確かではあった。

 もし僕に経済的余裕があれば彼女を完全に救うこともできたかもしれないし、人生の達人だったら、状況を上手く聞き出して何か有益な助言を与えられてやれただろう。
 勿論そんな力は僕には無かった。
 だからやはりできることといったら愛をもって接することだけだったんだ、今はそう思うしか無いのであった。
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