Monologue2003-52 (2003.12.22〜2003.12.30)
 「2003.12.30(火)」曇・今年とダークサイド

 今年は厄年じゃゆうこんもあって、人間のダークサイドな部分を、よう考えるこんが多い年じゃった。
 ほいで思ったんじゃが、人間ゆうんは最初っからダークサイドん落ちようゆうて思うもんはたぶんおらん、ゆうこんじゃ。
 ダークサイドに落ちるんは、必ずなんよう理由んありよる。
 もし自分が、そん人と同じ立場じゃったら自分が落ちていたかもしらん、ゆうようなの。

 人はダークサイドを抜いて人生を考えちゃあいけん。ダークサイドを上手く統合していかにゃあ人を普く愛するゆうことはできん。

 じゃからゆうて自分がダークサイドに落ちるゆうんは全くの馬鹿げたこんじゃでの。
 あくまでも心は常にブライトサイドに焦点を当て、ダークサイドに同調せず、上手く避けつつも自分に振りかかりよったら、落ち着いて冷静に愛を持って対処する・・・。
 これが今年一番強う思ったことかの。
 「2003.12.29(月)」晴・ゾク×α

 やれやれ、今期二度目の風邪にやられてもうた。又職場で貰うてしもたわい。来たんがすーぐわかったで。以降はゾクゾクしっぱなしよ。
 掃除もしとらん、年賀状も用意もしとらん、今月の給料もまだ入らん、帰省の目処は立たん。冴えない厄年の年末よのう。

 ま唯一、最近読んどるの22日の日記にも紹介させてもろた、シュタイナーの2冊ん新訳本のおかげで、又いくつか新しい気づきをさせてもろうた。この辺が今年最大の収穫になるんかのう。
 内容についちゃあ難しいで多くは語れんが、例えば今までようイメージが掴めんかった輪廻転生の仕組みが、げにわかりやすうイメージできるよう述べられたりしておって、あまりの納得具合に鳥肌が立つゆうんか背筋がゾクッとしたくらいじゃわい。
 「2003.12.27(土)」晴・なして困難?

 「愛する」ゆうんが難しいんは、まずもっておのれが愛で満たされんゆうてないと、愛するんが難しい、ゆうからじゃろうな。
 欽ちゃん(萩本欽一)が、エエこんゆうちょったが、ボランティアは、自分の身がシャンとして余裕ができりゃやれ、いうような意味のこんを言っとったらしい。ワシも全くその通りじゃ思う。
 たぶん愛も同じゃ。

 愛に満たされる、いうのは「愛される・愛する」いうか、「愛」と同じ波長になることじゃゆうて考えるとエエ。
 「愛」と同じ波長になるんには、物でも人でもそこに「美しさ」見つけるゆうことじゃ。
 恋愛いうのは相手に自然に「美しさ」を見つけとるんじゃろうの。
 家族に対する愛だってよ、皆に「エエとこ・長所」すなわち精神的やら何やらの「美しさ」を見つけとるゆうことじゃ。
 「感謝」いうのも相手の愛に対し賛美するゆう意味で、やはり相手に「美しさ」を見いだしてるんじゃな。
 芸術や自然、それからいろんなもんに「感動」するんも、それらのもんにいろんな「美」を見いだしてるんに他ならん。

 ほいじゃでよ、道端の石ころにでもよ「こんなあ(=君は)こがな所で毎日変わらんと強く生きちょるのお!」ゆうて、エエとこ、すなわちそのもんの「美」を見いだせりゃよ、少しは愛に近づける、ゆうもんじゃ。

 じゃがこっから先ん、実は案外難しいんじゃの。
 「見つける」ん自体は極々簡単なこんじゃ。先も言うたように、道端の石ころにだって美はあるからの。

 困ったんは「美しさ見つける自分を邪魔する自分」んがおるんよ。
 ほれがよ、「怒り」やら何やらのマイナスの感情やら吹き出しよったりよ、「自分の問題」やらゆうもんを持ち出してきよったりするんじゃの。
 ここが人ん愛の実践で1番つまづくポイントじゃろの。

 じゃでいくら愛愛ゆうてもよ、これらんある内は、たぶん相当難しいで。
 じゃで愛に行く為にゃあ、まずこれらあ解決して、そん邪魔する自分を浄化させておく必要があるんでの。
 自分に問題がありようて、そっちに気ん取られるゆうてなると、愛の波長になるこんは、げにげに難しゅうなってまう。
 気いとられるくらいじゃったら、まずそっちん問題を先に解決した方がエエんかもしれんのう。

 特に人との接点でマイナス感情が吹き出しよったりマイナスの態度取るゆうんは、「聖なる予言(角川文庫)」ゆう本でも述べられちょる「コントロールドラマ」ゆうんでの。
 ワシゃ現代人は、まずこん「コントロールドラマ」ん克服ん、何よりも必要じゃゆうて思うちょる。世界平和、おどれの幸せは、その後じゃ。逆に言やあ「コントロールドラマ」克服せにゃ、世界平和、おどれの幸せもきてはくれん。
 「コントロールドラマ」についちゃあ長くなるで、いずれ又。
 「2003.12.26(金)」曇後雨・結構普及?

 ワシゃエロビオ、エロビデオゆうて、男子のもんとばっか思うとってじゃった。
 ところがよ、最近はどうも、一人暮らしん女子なんぞが、あんエロビデオ見て自分を慰めとるゆうんも、意外に少しづつありよるようんなってきたらしいんでの。
 エエんか悪いんかようワカランが、ま、とにかくこいでワシもオネエチャンとの共通の話題がでけるで。ははは。ちなみにエロビデオゆうか、最近じゃエロDVDじゃの。ま、エエか。

 こないだもよう、フジん「ごきげんよう」ゆう番組で、華原朋美ちゃんがビデオの安売りゆうて勘違いしてエロビデオ買ってしもたゆう話をしとってじゃった。テレビじゃあ封開けずにまだ見取らんゆうことじゃったが、ありゃたぶんもう見とるの。
 「2003.12.25(木)」曇・ワシん愛の形ゆうんは

 クリスマスの時期ゆうんはよ、なんよう一年で最もよ、精神科学的に言やあ、キリストん意識に近づける時期じゃゆうて説があるぐらいじゃ。
 つまりよ、愛ゆうこんよの。
 巷じゃ皆恋愛に走りよる衆も多くてよ、ま、そりゃそれで愛の一つの形じゃし、悪くはなかろうの。
 ゆうたら皆が愛について内省するゆうには適した時期じゃゆうこんよの

 今日もワシゃよ、元ドゥービーブラザーズんマイケルマクドナルドん出しよったクリスマスアルバム「In the spirits」ゆうんを聞いてワシも意識をクリスマス仕様に持って来たとこじゃ。ケニーロギンズ&デビッドフォスターん「On christmas morning」をマイケルがカヴァーしよったんが入っとるが、こりゃカッコエエ。

 今日はこれ聴いてよ、ほいからそん後に「一人暮らしの乙女達」ゆうエロビデオを見ておやすみじゃ。
 ん?エロビデオは余計じゃと?。どこが愛じゃと?。
 何こきゃあがるっ!、エロスゆうたらギリシャ神話の愛の神ぞっ!。

 ・・・すまん、クリスマスに屁こいた・・・んじゃのうて屁理屈こいてもうた。
 気を取り直し、メリこみクリトリス!、・・んじゃのうてメリークリスマス。
 あ〜あ、こがな日に、めちゃくちゃ下に向こうてしもたわい。やれやれ。
 「2003.12.24(水)」晴・愛で動く

 やっぱ愛じゃの。
 愛の力が全てを変えていくよの。
 いつも何か壁に突き当たったらよ、そこに愛はあったか?、ゆうてよ、常に振り返ってみるゆうこんは意義あることじゃ思うの。
 「2003.12.22(月)」晴・訳でこうも違うんかいの

 ワシゃルドルフ・シュタイナーゆう人の著作を愛読しとる。こん人は19世紀後半から20世紀初頭にかけてのドイツの思想家で人智学ゆうんを提唱した、俗にゆう精神科学方面の人じゃ。
 こん人の本は人間にとってよ、非常に優れた真理ゆうを著述しておって示唆に富んどるがよ、その反面よ、どうでも難解なイメージがありよる。
 それはそん途方もない内容によるこんも確かにある。
 じゃがよう、大きいとこは実は翻訳じゃったんじゃよ。

 ワシゃつい最近シュタイナーの「いかにして高次の世界を認識するか(柏書房)」を読んだ。16日の日記にも書いたがの。
 こりゃ松浦賢ゆう人が訳しとる。
 こん人んは、まことにわかりやすくてエエ。
 実はよ、こん本、前から別な出版社から出とる別な人ん訳で持っちょるんが、読み比べてみると差が歴然よ。
 前んはモロ直訳。
 敢えてハッキリ言わせてもらうがよ、中学生の誤回答レベルで。
 正直なこん言うとよ、ワシゃシュタイナーん本読むときゃ、いつもこん直訳に腹ん立っておった。こがな訳じゃ誰もわかりゃせんで、ゆうてよ。

 なんよう「伝える」ゆうこんの難しさを感じるの。
 そりゃよ、前からある某出版社ん業績は有り難いで。なんちゅうてもよ、あんシュイタイナーん幻の著作をよ、一手に日本で紹介しとるゆう、優れた先駆的業績があるけの。ほりゃほれで評価しなけちゃいかんこんじゃで。

 柏書房ゆうんは、まだシュタイナーん著作を二冊しか出しとらんようじゃ。正直言えばよ、こん柏書房ん方で新訳読んでみたいの。
 松浦さん訳は、感動的にわかりやすいで。もう一冊柏書房で「テオゾフィー(神智学)」ゆうんがある。こりゃ内容自体が難しいで、おいそれとは理解できなあかもしれんが、それでも前に比べりゃ大分エエ。
 訳でこうも違うか思うの。なんようシュタイナーに出会うて大分経ちよるがよ、初めてシュタイナーゆう人ん感じが伝わってきたくらいのこんよ。

 こん「いかにして高次の世界を認識するか」は、ワシん中じゃジェームズレッドフィールドん「聖なる予言」シリーズに並ぶ名著じゃ思う。
 ゆうたらよ「聖なる予言」シリーズ読んだ後よ、こん「いかにして高次の世界を認識するか」を読めばよ、かなり内面の深化、人間ん進化ん手助けんなる思うよ。
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