Monologue2003-39 (2003.9.12〜2003.9.24)
 「2003.9.24(水)」曇後雨・小さな世界

 どうやら秋が来たようだ。
 僕の住むアパートは、隣人のエアコンの音が無ければ至って静かなところだ。隣人がエアコンをつけない為に周辺が静まりかえる期間が年に何ヶ月かある。それが春と今のような秋である。
 夜、布団に入って耳をすませていると、虫の声が聞こえてくる。それもコオロギが一匹。まるで僕と会話をしているかのように、雨戸を隔てていてもハッキリと聞こえてくる。
 遠くで時折自動車が一台だけ走り去っていくのも聞こえる。
 それにも気を取られぬように、コオロギは自分の身体より規則正しい音楽を発している。思ったよりも規則正しく。ずっとそれを聴いている内に、その規則正しさの背後に、コオロギ達を司っている別の大きな存在達の脈動する音楽が聞こえてきそうでもある。

 秋になると毎年コオロギ達は、僕の部屋の前の小さな空間で、秋の夜長を鳴き通している。彼等は去年もここにいた者達なのだろうか?。だとしたら、彼等の小さな命を僕の鄙びた庵の脇の小さな世界で、ずっと存続させ続けてきたのであろうか?。彼等はこんな小さな世界にいることで満足なのだろうか?。僕のように、秋の雲を見て旅の空を夢見ることは無いのだろうか?。
 小さな世界への空想は尽きない。
 「2003.9.19(金)」晴後曇・台風がよ

 今年は気象の異変が多い。
 これから秋になるけど、今度はどんな異変が我々を待ち構えてるのだろうか?。
 これから台風の季節だ。
 台風が暴走して勝手にやってきちゃったりして。
 台風15号から20号までが一緒に来て混乱して渋滞になったりして。
 その横から21号が路肩を走っちゃうみたいに、すり抜けて追い越して先に行っちゃったりして。

 15号:「おいっ!、21号!、ワレ後から来て、なんで先に行くんならっ!」
 21号:「なんで言うて、そう頭ごなしに言われても、そちらさんが、行く行く言うて、なんも行かんからじゃないですか。台風言うたら1号づつ行くのが筋っちゅうもんです。先に筋通さんかったんは、そっちさんでしょうがっ!。そっちが筋通さんいうなら、こっちにだって考えがありますけえのうっ!」
 15号:「日本行くに台風は2号も3号もいらんのじゃっ!。考え言うて、回りくどい言い方せんでも、とるんならこの場でとってみいやっ!。いつでも相手になっちゃるわっ!」
 21号:「何言うとんならっ!、ワシがほしいのはアンタの首じゃのうて、日本でいっ!。それにワシがとらんでも、アンタら自分らで仲間割れしとるようじゃあ自滅じゃあないの?。そんたらもんに日本とる資格いうたらありゃあせんです。ここはこのワシが先行かしてもらいますけのおっ!」
 15号:「ちょと待ていやあああっ!、21号っ!」
 こうして太平洋上では台風同士の激しい抗争が勃発。台風の渦を右やら左やら上下やらに巻き乱し凄惨な戦いが繰り広げられ、台風の同士討ちで消滅していく台風が続出。皆日本に来る前に若い命を太平洋上に散らしていくのであった。
 結局この実り無き戦いは冬の訪れとともに自然に終わりを告げ、日本は何事も無かったように台風無き秋を終えるのであった。じゃんじゃん。

 んな馬鹿な。
 「2003.9.18(木)」晴・溜池で

 9月になったいうのに、まだゴキブリがうろちょろしよる。マン糞悪いで、歌でも歌とうて気分転換じゃっ!。
 ♪あ〜あ〜、流の川れのよ〜に〜〜♪
 ♪ドイラはオラマ〜、ドクザなヤラマ〜♪
 ♪もンタにゃ、アのたりない、ホタシャ、アント、バイスナディナディナディ♪(なんだかわからんぞ)
 ふうっ。
 落ち着いた所で、本日の見かけましたネタ。
 今月の初旬から東京の溜池に仕事で行っている。仕事帰りに溜池の東芝EMIのビルの裏を歩いていたら、EMIの裏から背の高い一人の青年がギターを背負って出てきた。僕の記憶に間違い無ければ、たぶん日本の兄弟デュオ・キリンジの兄だったようだ。
 兄はそのまま近くの入り口から地下鉄に乗っていった。以上です。
 「2003.9.17(水)」晴・ぼやき

 昨日はやけに留守電が入っていた。無言で切ってたのもある中、明らかな間違い留守電が3件も入ってた。全部別なところからだ。
 至急連絡欲しいとのものもあれば、僕に向かって至急畳を張り替えろ、などと甚だ無理な注文をふっかけてきているのもあった。こっちが至急荒んだハートを張り替えてもらいたいわっちゅうねん。たまには若い女性の声の間違い電話でも至急入れとけっちゅうねん。至急至急て、たまにゃ子宮でも拝ませろちゅうねん。ベタなんじゃ。
 ま、今日はこんなとこですかな。
 「2003.9.16(火)」晴・ギターを抱えた御大登場

 いいともに浅田美代子が出てた。浅田美代子昔は確かに可愛かった。今で言うと優香みたいな位置じゃないかと思う。
 いいとも火曜日で、ゲストを呼んでその人が飼ってるペット当てさせるというコーナーがある。
 いつも3匹の中から選択させる。その3匹が出てくると客が口々に”カワイイーッ!”と声を出す。僕に言わせると、それを抱えて出てくるフジの中野美奈子アナの方がカワイイ。

 ま、それはともかく昨日はブラジル音楽界の重鎮ジョアン・ジルベルトのコンサートに行ってきた。
 これだけの大物がキャリアの晩期になって、ようやく来日するのは本当に珍しいことだろう。
 場所はパシフィコ横浜の国立大ホール。横浜の桜木町の駅を降り、ランドマークタワーを抜け、ずっと奥に進んでいったところにある。駅からはかなり遠い。この辺はこの都心近郊でもここ10何年で最も変わった地域の一つだろう。

 開演は17:00ということだったのであるが、定刻になっても始まらない。なんと”今アーチストはこちらに向かっている”とのアナウンスが場内に流れる。”いいとも”のテレホンゲストかよっ!(正解:片桐はいり)。これで10ポイント加算。
 場内がやけに生暖かい。アーチストの意向でエアコンは切っているのだそうだ。ハイ、又10ポイント。

 僕は前日の酒で二日酔いが抜けず、これ幸いと、この時間を利用し自席でしばし仮眠する。
 しばらくすると”アーチストが今着いた。今公演の準備している”とのアナウンスがある。NTTの工事かよっ!。ハイ、又10ポイント。
 日本のアーチストだったら何時間も前から会場入りしリハーサルを重ね・・・となるのだろうが、さすがジョアン、かけつけ3杯ならぬかけつけコンサート。まあジョアンにしてみりゃ、コンサートも宴会も似たようなものなのであろう。

 この大ホール思ったよりも大きい。ほぼ満席で、やはりジョアンの偉大さが感じられる。
 1時間もしただろうか、ついに御大ギターを抱えてヒョッコリ登場。軽く聴衆に会釈をすると、すぐに弾き語りを始めた。この辺いかにもジョアン流。MCはゼロ。曲の紹介も無し。照明は舞台のみ、非常灯も消してある。

 曲はブラジルのスタンダード曲など、所謂ジョアンの有名なレパートリーが目白押し。やってほしい曲はほぼやったくらいで、ファンにはたまらないものであったろう。内容は勿論終始ギター一本での弾き語り。
 最初の頃は曲の度にギターのチューニングをしていた。曲の始まりに必ず和音をかきならし徐に曲に入る。
 ミスタッチとかほとんど無い。
 歌もかなり自由に歌っているようで、まずギターを鳴らして、それに1番合うような音の歌を入れていく、まるでそんな感じがするような歌い方で歌っているのが、とても印象的だった。

 僕など、これはジョアンの名誉の為に言っとくが、退屈などからでは無く、二日酔いと楽曲のあまりの心地よさに、思わず睡魔に襲われる瞬間もあったくらいだ。
 ところがである。
 肝心の本人も寝ちゃうというハプニング。主役がダウン。披露宴の三次会かよっ!。ハイ、又10ポイント。最後のほうで、演奏が済み、休めのポージングをした後、そのまんまの姿勢で固まってしまうシーンが二度ほどあった。燃えつきた明日のジョーかよっ!。
 二度めは、あまりに長すぎた為、スタッフが起こしにきた。10分くらいは中断しただろうか。
 その間聴衆はブーイングもせず拍手を止めなかったのが、まあさすがジョアンの威光といったところであろうか。
 この中断、本当に疲れていたのか、意図的なものなのか、いつものくせかわからぬが、このハプニングに聴衆は、もうハプニングの発生はあらかじめ覚悟していたと見え、なぜか大方は非常に満足気だったようだ。ジョアンの固まった図を撮影禁止にも関らず写真をバシャバシャ撮っていたのも大勢いた。上野動物園のパンダだよっ!。

 2時間半くらい、タップリジョアンの演奏を堪能した。その弾き語るさまは、いかにも匠といった感じだった。これで演奏もハプニングも含め、計100ポイント。合格。
 最後は又軽く会釈をしてヒョッコリ去っていった。
 何か、僕らを軽く翻弄してからかいに来た妖怪がヒョッコリ現れたようだった。妖怪で言葉が悪ければ、スターウォーズのヨーダ、とでも言おうか。暗いステージはさながら惑星ダゴバの森だ。ライトセーバーの代わりにギターを持ったヨーダが、若きジェダイには及びもつかぬような至芸を披露しつつ、翻弄して去っていった。そんな感じだ。
 「2003.9.13(土)」晴・美容院の看板

 知らない街を歩いていると、ふと僕の気を引くものを目にする時がある。
 それは、ここに挙げた写真の右側にあるようなもの。

 実家が小さい頃美容院をやっていた時期があった。叔母が結婚前にやっており叔母が結婚して実家を出たのと同時に店は閉めてしまった。
 しばらく店の中はそのままで、僕が自分の部屋にしていた時期もあった。看板は勿論すぐに取り外てしまった記憶がある。
 ともあれ僕の幼年時代の中では、この美容室=「お店」・・・実家ではこの空間に対しこの呼称を使っていた・・・は、非常にノスタルジーを喚起するアイテムなのである。

 美容室時代は、僕の中では30年以上も前のことで、歴史的な追憶の範疇だと思っていた。
 でもこうして今でも、この・・・あの頃の美容院が皆掲げていた赤い看板・・・モニュメントがリアルタイムで息づき存在している現場に遭遇すると、それこそタイムスリップしたような懐かしい感覚・嬉しさと同時に、僕の実家と比べたら、果てしなく長い時間存続していたということに対する畏敬の念、を覚えずにはいられない。

 このようなモニュメントに遭遇すれば、僕は知らない街で、しばし過去への追想に向かい、古い映画のように立ち尽くすワンシーンが度々状況設定される。散策は歩行のみにおいて構成されているわけでは無い。実はこれこそ僕の散策の重要な一要素でもある。
 今まで来たことも無かった知らない街で、思いがけなく昔に出会うひととき。僕が散策に惹き付けられている大きな理由もこれにある。
 「2003.9.12(金)」晴・やっぱ好きやねん

 お恥ずかしながら、今まで女性のヌード写真集を、いろいろ集めた。
 当たり外れは確かにある。
 勿論素晴らしいのもあって、僕が持ってる中では、中村みづほの「mizuho」とか、女子プロの納見佳容の写真集などはお気に入りの写真集の代表格だ。
 もう古くなったけど、昔かなりハマってたのが、AV女優の美里真理が出した、その名も新生美里真理の「モナリスティック」というやつ。これは表紙に一目惚れした。
 意外に結構お気に入りなのは、絵やイラストを勉強する人達がデッサンの為に使用する、ヌードポーズコレクション。これは結構いい。何冊か違う出版社で出てて、僕も幾つか入手した。別にデッサンするわけじゃないけどね。今でも良く見る。

 ヌード写真集を本屋で買うのって勇気いるよね。大きい書店で写真集のコーナーがあってレジも専用のがある所ならいいけど、そうでない所は他の客に見られるからな。
 最近は通販が出てきたから写真集も大分買いやすくなった。
 昔に比べれば、ヘアが解禁になって、通販も充実して、写真集マニアには楽園のような環境になったよね。
 只やっぱりDVDがあると、写真集とタイで出してもDVDだけしか買わない、なんてことになって写真集は二の次。写真集なんて元来嵩張るもんだから、DVDがあるなら、そっちがいいよね。ま、これが写真集の売り上げが減ってる原因かもな。
 でも小森未来は写真集とDVD両方買ったけど。

 昔の芸術家が、裸婦の絵を描いたりしているけど、あれはもしかしたら写真が無かったからじゃねえか?って思う時あるよ。もしカメラを持ってたら、一々絵にしないで、写真取りまくってたんじゃねえかってね。
 芸術といっても、つまりは・・・スケベ心だ。でも全然おかしくないよ。スケベ心は昇華して芸術のパワーになるからな。
back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top