Monologue2003-24 (2003.6.4〜2003.6.10)
 「2003.6.10(火)」曇後雨・自然 miss you

 東京では台地が川に侵食されて谷が出来たり、それらが一見無作為とも思えるような人知の及ばぬ秩序を持って配置されたかの如き複雑な起伏を成す地形が沢山ある。
 最近明治神宮の付近を歩いてわかったことだが、明治神宮の森は台地の上にある。
 台地上の自然というのは、上昇する大地の気を受け一層その力を増幅させ、神妙な場を形作っているような気がする。それが僕らに一時の安らぎを与えてくれるのではなかろうか。

 この近辺の鬱蒼とした緑と新宿副都心の高層ビル群との奇妙なコントラストは、大都市東京を象徴するような奇観だ。
 神宮の森は、悠久の昔江戸が有していたと思われる大自然の遺品の如きイメージがあるが、実は神宮造営の際に人工的に植林されたもののようだ。

 神宮の近辺にもかつて自然が造形した坂が多くある。しかし神宮の森を除けば、そこはすでにアスファルトの道路と住宅で被われ、今はこの全く形骸化した天然の造形なるフォルムだけを辿りながら、亡き緑の群生に思いを馳せるのみである。

 ところで、僕は街道や古い道が好きだ。
 できればそれが自然と融和した景観を呈してくれていれば尚良い。
 考えてみれば「道」というのは、人間が手を加えて作るもの、いわば最も原初的なる「人工物」と言っても良い。
 神宮は人工と自然の至妙なバランスの上にある。そして街道はやはり行き過ぎた人工がなければ無い程良い。
 都市を造る上での「人工」は常に自然と対話しながらなされるべきだと思う。

 「2003.6.8(日)」晴・「さん」づけ

 人を敬称で呼ぶ場合、一般的なのは「さん」づけすることだ。
 石川さん、加護さん、辻さん、吉澤さん、等等。
 鉄道でそれにあたるのは、何だろうか?。
 僕は「線」かな?って思った。
 鉄道名を言う時に「〜線」と付けるのは、一応丁寧な言い方になるのだろう。
 普段は「池袋から山手で10分くらい・・・」というように言い、丁寧な時は「池袋から山手線に乗って10分くらい・・・」などとなる。
 京王線や小田急線も、京王、小田急、と略称されることも多いだろう。きっとそれらは大衆に広く受け入れられている路線だという証拠なのだろう。

 ここでぼくはフト困ったことに気づいた。
 僕の地元のJR「南武線」。
 これ略して「南武」などと言っているのを聞いたことが無い。
 「府中本町で南武に乗ればさあ・・・」などと言ったら、「何?南武って?」などと問い返されそうだ。
 「南武線」はいつでも「南武線」だ。
 つまり常に「さん」づけで呼ばれてるのだ。呼び捨てにするとオカシイ線なのだ。
 「さん」づけしないとオカシイし、そうしないと誰かわからない。
 これってもしかして皆に煙たがられてるってことだったりするような気もしないでもない。

 僕はさすがに地元民だから、良く呼び捨てにする。いかに「南武線」と親しいかがわかる。いかに僕が「南武線」を広く受け入れているかがわかる。
 例えば、もう終電近い遅い時間、せっかく少しでも早く帰ろうとしていたのに、南武線の乗り換えで次の電車まで20分待ち、なんて時「このクソ南武っ!」などと言ったりする。やっぱり遅い時間に疲れている時に、酔っぱらいの野郎で満員になってる時も「だからウゼエんだよっ、このクソ南武っ!」などというように呼んだりする。
 いかに僕と南武線が近しい間柄かわかっていただけると思う。

 「2003.6.7(土)」曇後晴・たとえ手話でも

 電車の中でオバサン二人が会話していた。手話で会話をしていた。
 いや、会話というよりは、一人のオバサンの一方的な喋りといってよかった。
 手話とはいえ普通の良く喋るオバサンの話と、ボルテージは全く同じだった。
 音が静かなだけで手振りは、その動きの速さと激しさを極めていた。
 その激しさは、もはや壮絶とさえ言えた。
 ちなみに動きは手話だけに、ほとんど手と顔の表情くらいに限定されてた。下半身は至って静かであった。
 手がオバチャンの顔の周りの半径30cm周辺をやたら激しく行き交っていた。超ハイテンションのテツ&トモの”なんでだろう”辺りであってさえも、そんなものなど軽く凌駕してしまうのではないかと思えるほどの手の動きであった。
 よほど喋りたかったのであろう。普通に声が出ていたなら、かなりのお喋りオバサンになっていたことだろう。
 僕は手話には明るくないが、あんなに手振りの激しく速い手話は、手話を駆使できる人達にも理解可能なのだろうか?、とふと疑問を抱かされなくもなかった。
 
 そのオバチャンに比べ、もう一方のオバチャン、言わば聞き役、のオバチャンはといえば、片手で吊り革を掴みつつ、ほとんどの間、頷いていただけであった。極まれにお腹の辺りで、片手のみを駆使した相槌的な手話らしきものを、ささやかに披露しているだけであった。
 全く対照的であった。

 このオバチャン達、偶然にも僕と同じ駅で降りていった。
 駅前で各々挨拶して別れていったようだ。

 僕が駐輪場に行き自転車に乗っていくと、前方に一人の婦人の歩く姿が見えた。
 先程の聞き役のオバチャンであった。
 何か下を向き肩を落として、ひどく疲れているようだった。

 「2003.6.6(金)」晴・気の変わり目

 気の変わるのを実感したことないすか?。
 季節が変わる、というのとは、ちょっと違うんだけど、例えば今まで壊れていたと思ってたものが、急に直ったり、周りの誰かが辞めていなくなったり、逆に新しい人が来たり、今までプレッシャーを与えていたものが憑物が落ちたようにスッと無くなったり、しばらくやめていたことを再開したり、何かが終わる時に一山あって、それが終わると後は嘘みたいに静かで・・・。
 今日はそんな日でした。

 「2003.6.5(木)」曇・ウッカリガッカリオジサン

 昨日お話ししたように、僕はNBAファイナルを毎年「標準モード」で録画することにしている。
 「標準モード」で。
 「標準モード」ですよ。「標準モード」。STANDARD・POTISION。

 なんじゃこりゃあああ〜っ!。
 家帰って録画したのを見たら、ばかに画像汚ねえじゃん?!。
 「3倍モード」になってたあああ〜っ!。
 「標準モード」にセットするの忘れたあああ〜っ!。
 エロビデオも「標準」と「3倍」じゃあ、興奮度が全然違うのですよ〜っ!。
 あああ!、僕って、なんてシッカリオジサンなの?!。
 シッカリオジサン、ウッカリでガッカリ・・・、ぬわああああんちゃって。Nane−chate。
 駄洒落てる場合じゃねえよ。

 「2003.6.4(水)」雨・ロンリー中年の年中行事

 今日のテレ朝のマシューTVにあやや(松浦亜弥)が出てた。マシューも言ってたけど、あややはアップのしがいがあるね。アップにしても全然見れるよ。僕なんかアップにされたら白髪の鼻毛がビロ〜ンて登場だよ。がはは。やれやれ。

 明日からNBAのファイナルが始まる。今年はサンアントニオ・スパーズVSニュージャージー・ネッツの組み合わせ。スパーズにはティム・ダンカン、ネッツにはジェイソン・キッドというヒーローがいる。
 特にダンカン率いるスパーズが今年は前年覇者のロサンゼルス・レーカーズを倒しての出場で、気合いが入ってるようだね。
 僕としてもスパーズがレーカーズの一国独裁を打破してくれてプレーオフが面白くなって有り難いよ。

 NBAのファイナルは毎年標準モードで録画して保存している。
 最近は部屋が嵩張るのとDVD切替に向けて、録画用に新しいVHSのテープを買うのは控えてるんだよね。それで昔のエロビデオなんかを潰して録画用にしてる。
 でもこのファイナルだけは、やっぱりキチンと保存しておきたいので新しいブランクのテープを買ったよ。
 僕の場合1993年のシカゴ・ブルズVSフェニックス・サンズのファイナルから撮り始めていて、今年でちょうど10年目になったよ。
 昔のNBAビデオを茶などを啜りながら見る、なんてのが乙でね。昔の試合でも今見ても結構面白いからね。
 ファイナルの録画は、モテナイロンリー独身中年の、ささやかな年中行事、そしてささやかな楽しみだよ。

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