Monologue2003-19 (2003.4.26〜2003.4.30)

 「2003.4.30(水)」曇・夢の跡

  昔住んでたところを、時折フラっと歩くことがある。
 結構むやみ矢鱈にウロウロと歩く。たまにふと、なぜオレは今ここを歩いてんだろ?と急に疑念が湧いたりする。
 よく、前世住んでた場所は、理由もなく訪れたくなる、なんてことを聞く。
 今世住んでたところでさえ懐かしいんだから、前世で住んでたところなんてメチャクチャ懐かしいだろな。ん?、古すぎて記憶に無い?。

 そうそう、ちょっと前世っていうことで、いつも思ってたことがあるんだけどね。ま、僕の全く個人的な意見。
 芭蕉の有名な句に「夏草やつわものどもが夢の跡」って句がある。
 僕は、これ読むとどこか、こう前世の匂いを感じるんだよね。
 え?、何言ってるかわからないって?。
 この句はさ、平泉で義経達なんかの戦いの跡を偲んでる句なんだけどね。でも僕はこの句では芭蕉が第三者になってる気が全然しないんだよね。義経達を思いながら、実は同時に自分の昔(前世?)を思ってる気がしてならないんだよね。
 つまり芭蕉が何か自分の潜在意識の中にあるかもしれない何か戦いの記憶、戦いで無くても何か悲惨な体験の記憶、それは前世からの遠い記憶・・・、そんなものを平泉に佇みながら同時に感じてたのかな?って思った。全く空想だけどね。

 僕は東京の大塚に住んでいたことがある。
 大塚は、今も良く歩く街なんだよね。
 昔はここで新聞配達をやっていて、学業との両立がうまくいかなくて毎日七転八倒の日々だった。当時は毎日が苦痛で、良く憂鬱になったりしていたもんだよ。
 だから大塚時代というのは、僕の中では辛い記憶ばかりの時代なはずなんだよね。
 ところが今はなぜか、そんな気持ちは全く無い。嫌なことを忘れているだけかもしれない。
 でもあれほど嫌だった日々なのに今は只々懐かしく、只々愛おしい。この時代全体が既に許せているんだよね。

 大塚からは池袋のサンシャインの裏側が見える。裏側ってのは僕が勝手に決めただけだけどね。
 ほら、表富士・裏富士とか言うでしょ。あれに準えると、新宿側から見たサンシャインは表で、大塚や板橋から見たサンシャインは裏っていうわけ。
 サンシャインの裏側なんてさ、なんか陰気くさくて、すすけた都会の裏世界みたいなもんで普通はイメージ良くなさそうだよね。
 でも僕は結構好きだった。
 新聞配ってると、もうそろそろ配達も終わりに近づくって頃に、このサンシャインの裏側が良く見える所まで行くんだよね。
 あのビルを見てるとさ、「あの上のほうまで登ると故郷が見えるかな?」、そんな風に思ってた。ちょっとセンチメンタルすぎるけどね。なんかサンシャインが故郷と繋がってるような気がしてさ。少しだけだけどそれで元気になれたもんだよ。やっぱりホームシックになってたんだろうね。

 それからこの場所は山の手線が通ってる。
 時間がくれば、電車が動きだしてるんだよね。それで特に所謂「外回り」の電車が来ると、それでも勇気づけられた。
 なぜかっていうと「あれに乗ると東京まですぐだな」って思った。つまり東京駅ってのは、僕らにとっては故郷へ帰るための玄関口なんだよね。すなわちここでも「故郷と繋がってる電車」っているイメージが、それだけで僕を元気づけてくれたんだよね。
 こんなちょっとしたことで揺れ動いていたなんて昔は随分脆弱な精神状態だったなってお恥ずかしいけどね。

 当時のこんな悶々とした、他愛もない日々が、今はもう痛みが消えてしまって、只懐かしく思える。

 戦いの記憶って、辛いもんだよね。
 でも自分が成長すること、それから時間の経過によって、その嫌な記憶が自分の中で消化されはじめてくるんだよね。
 芭蕉の句は、芭蕉自身がその戦いの記憶を自分の中で消化し始めたから生まれたんじゃないかな?って想像してみるんだよね。
 その思い出が、許され消化され、いつしか只懐かしくなった時に「夢の跡」なんていう言葉が生まれてくるんじゃないかな?とも思うんだよね。

 僕が街を歩く時の思いの中にも「夏草やつわものどもが夢の跡」の気持ちに似たものがある、と言えそうだよ。


 「2003.4.29(火)」晴・ルミネザ日記

  例によって、ルミネ・ザ・吉本にて”4じ6じ”観覧。
 ラインナップ前半は、ルート33、 野性爆弾、ダイノジ、ロバート、サカイスト、海原はるか・かなた 。
 後半は新喜劇(石田靖  大山英雄 島田珠代 リットン調査団 星田英利 宮川大輔 2丁拳銃 ライセンス 森三中 武内由紀子 山根木夏花 他  )。

 今日の中ではロバートのネタが良かった。過去見た彼らのネタの中では一番良かった。
 海原はるか・かなた は大阪の大ベテラン。新宿ルミネは若い女性が多いので最初はやりづらそうだったけど、次第に受けをとっていた。特に持ちネタの得意(?)の1:9分けから落ち武者のハゲ頭に髪を下ろす技で、喝采を浴びていた。

 新喜劇は3月8日のネタに同じ。
 悪徳社長(宮川)に会社をのっとられた社員4人組(石田・大山・星田・2丁拳銃小堀)が、宮川社長の妻(武内)を誘拐して身代金を奪い、積年の恨みを晴らそうと企む。ところがアジトに使おうとした無人だと思っていた空き家には、既に変な住人が住みついていたから大変。ここで例によって一騒動・・・というもの。
 宮川大輔のノリツッコミが又見られて良かった。前回とは少しネタを変えていたようで、アドリブなのか、観客にも大受けしていた。


 「2003.4.27(日)」晴・大宮ギャル

  埼玉の大宮駅の西口は今や若い娘が一杯いるな。まるで渋谷的。僕がいた1986年頃は、こんなじゃなかったなあ。女子高生はいたような記憶もあるが。
 当時の若い娘は、どこに出てたのか?。やっぱ都内かなあ?。
 今はもしかしたら大宮ギャル(ちと古イスカ?)の都内出没率は、昔と比べ大分減ってるかもな。すなわち都内ギャルの埼玉占有率は過去に比べ大幅に減少している可能性があるとでも言おうか。大宮ギャル地元定着率が過去に比べ上昇したとも言えようか。
 えっ?、今忙しくて、それどこじゃないって?。ははは、確かにどうでもいいすね、こんなこと。失礼しました。


 「2003.4.26(土)」晴・痛み

  痛みって大事だなって最近思うよ。
 痛みがあることで、人はそこがオカシイ箇所だと気づいて、そこにエネルギーを集中できるんだよね。
 気をつけなくちゃならないのは、痛みが無い、つまり麻痺して痛みを感じなくなってる時だよね。
 もし痛みが無かったら、そこがオカシイって気づかない。
 痛みはシグナルだね。


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