Monologue2003-14 (2003.3.25〜2003.3.28)
 「2003.3.28(金)」晴後曇・ニャー

 狭くて散らかった、しがない独身中年の部屋は、2Lのペットボトル2本も置くと、かなり窮屈な感じがしてくる・・・。
 ・・・本当、どうもこれ居心地悪いなあ〜。居づれえなあ〜、ここ。
 ああ、本当居ても立ってもいられんっ!。
 オレ、ちと出かけてくるわっ!、んじゃ、ニャーオっ!。

 くっくっくっ・・・。
 あれ・・・?。つまんない?。
 意味わかんなかった人は”猫かよっ!”もしくは”猫かいなっ!”って突っ込んでね。
 ん?、その風習ももはや廃れたって?、まじでっ?!。なんだよ、オレ世間とずれてきたのかよ・・・。

 えっ?!、スピードって、もう解散したのっ!?、まじでっ?!。
 えっ?!、イチローって、大リーグ行ったのっ!?、まじでっ?!。
 えっ?!、オールナイターズの後に、オニャンコクラブってのが出来たっ!?、まじでっ?!。ニャーオっ!。
 えっ?!、ペリーが、浦賀に来港したっ!?、まじでっ?!。で・じ・まっ!、ま・じ・で・じ・まっ!。もっ、ええちゅうねんっ、どーも、ありがとございました〜。

 「2003.3.27(木)」晴・今何処へ?

 桜はまだかね。

 しばらくぶりに見たコンビニのオネエチャンが、急にカワイクなっていたので、ちょっと心打たれた。
 以前は、いかにも垢抜けない高校生風のオネエチャンだと思ってたのに、急に華が出てきた感じ。
 僕の如きスケベエロ中年に至っては、若い娘が急に奇麗に、特に艶めいてきたりなんぞすると、すぐに「うっ、さてはこやつ、ヤリおったな・・・」などと勘繰り、どうしても妄想半島春の旅方面に赴きがちである。今ちょうど卒業シーズンかなんかで、最後だからあげちゃう!、みたいな、やってんじゃないすか?そういうの?、コンちくしょーっ!(やれやれ、欲求不満ですな。みっともない)。
 でもまさか「弁当温めて。箸はいらないッス。ところで、あの・・・出来たんスカ?・・オトコ」などとほとんど面識も無いのにいきなり無礼な質問するわけにもいかないので、真相は闇の内。でも聞きてえっ!。
 ま、とりあえずカワイコちゃんの絶対数が増えればいいか、と微妙に賛否交々の昨今のコンビニ事情なのでありました。

 この日記で、たまにコンビニのオネエチャンのことを書いたことがあったけど、あの頃のオネエチャン達は、ほとんど辞めてしまったようで、もう見かけないんだよね。
 中には潰れて無くなっちゃったコンビニもあるし。今頃あのオネエチャン達どうしてんのかな・・・。

 時々、今住んでる所を将来引っ越した後、この地での様々な出来事が懐かしく感じられたりすんのかな、って想像してみるんだよね。
 特にカワイイコンビニオネエチャン達のこと(それメインかよっ!)。
 そう思うと、せめて日記にいろいろ残しとくのは、後からになって必要なことかもな、などと思う今日この頃でした、とさ。

 「2003.3.26(水)」晴・続いて”二つの塔”

 先週テレビで「ロード・オブ・ザ・リング〜旅の仲間」を観たのに勢いがついて、今週は「ロード・オブ・ザ・リング〜二つの塔」を観に行ったぞい。
 場所は埼玉県の旧大宮市・現さいたま市の日進にあるSATYの「ワーナーマイカルシネマズ大宮」まではるばる行ってきた。

 埼京線の日進の駅から、僕の前後を女子高生3人組がヒタヒタとついてきた。こりゃ幸先ええわい、としばらく抜きつ抜かれつしてたんだけど、道の途中、寺と庚申塔を発見してしまい、つい僕の中の街道散策オタク人格が出てきて、この楽しいお遊びを中断してしまった。
 ところがなんとあとで映画館に入ったら、さっきの3人娘がいて、ああ、やっぱり彼女達は道先案内の天使だったのだ、などと感慨にふけるのであった、めでたしめでたし。
 ん?、映画の話はどーしたって?。
 こりゃ、失敬。

 「ワーナーマイカルシネマズ大宮」は奇麗で本当にいいとこだった。
 座席は指定席。平日だったこともあってか、ガラガラ。50人くらいだったかな。
 勿論僕はいい席だったよ。

 「二つの塔」は期待通り面白かった。映像なんか凄いね。迫力はスターウォーズ以上かも。
 3時間はすぐだった。映画が終わってエンドロールも終わった後、客席が何か異常にシーンと静まり返ってたのが無気味というか、面白かったよ。
 3部作最後の「王の帰還」が楽しみだね。この映画はもう撮ってあるらしいよね。元々9時間の映画を3分割したようなイメージらしいよ。
 そういえば監督のピータージャクソンは1961年生まれで、僕と一つしか違わないんだよね。ちょっと自己嫌悪。

 僕は原作を読んでないんだけど、実は「王の帰還」の原作と角川文庫の「指輪物語・ロード・オブ・ザ・リング〜完全読本」ってのも、後ですぐ買っちゃった。
 この完全読本読んだら、案の定、原作者のJ・R・R・トールキンは、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指輪」からもモチーフを取ってたようだね。
 僕はこの映画の音楽の、実にワーグナーチックなサウンドに浸りつつ、ふと”ワーグナーは、こういうこと(=ロード・オブ・ザ・リングのような映画)をやりたかったんではなかろうか?”と思っちゃったよ。
 ワーグナーの時代には、今みたいな映画技術なんか無いし、時代背景やセンスも今と違うけど、要するに今だったら、この映画みたいなことをイメージしたかったんじゃないかな?、なんて思った。勿論ワーグナー本人に聞いたわけじゃないから、僕個人の勝手な悪趣味的空想に過ぎないけどね。

 ワーナーマイカルから出ると、なんか異次元の世界から出てきたような感じ。
 日進なんてとこは夜になれば人通りがめっきり少なくなるよ。東京だったら映画館を出ると雑踏に紛れていく、って感じでしょ。日進は違うんだな。
 でもこの郊外的な閑散具合が、妙に心地よい。

 帰りは歩いて懐かしい大宮の地をブラブラしたよ。僕が大宮に居たのは、もう17年前。
 なんかせつないね。こういう懐かしい場所を歩くと。
 この切なさは、なぜだろう?って自問自答するけど、やっぱり何かの喪失感なのかな?。でも僕は何かを喪失したんだろうか?。大宮という街には現にこうして来られたし、あの頃とあまり変わらぬ様子を見せてくれるし。
 じゃあ失われた時間?。でもこうして思い出は僕の脳裏にシッカリ残っているし。
 喪失感というよりも、帰巣感かもしれないな。故郷と同じように。それが証拠に、その時僕は今の住処に帰りたくなかったからね。できるものなら、そのまま大宮に留まりたかったくらいだよ。

 繁華街へ近づくにつれ、どうも下界へ降りていくような気がして、一抹の寂しさを覚える。これ、旅から帰ってくる時の感覚と同じ。
 ま、とても素敵な時間を過ごさせてもらったよ。

 「2003.3.25(火)」雨・仁義なき戦い

 イラク戦争も混迷の度合を増してきたみたいだね。
 今日のフジの「とくダネ発GOガイ!緊急検証・イラク戦争 あなたの運命握る3人」は、フセイン・ブッシュ・小泉の3者の生い立ちなど取り上げていて、なかなか興味深く見られたよ。

 番組で当事者たちの誕生日が出てたから、ちょっと興味本位で占ってみたけど、フセイン大統領は宿曜占星術でいくと、狩人的・武人的な星のようだね。
 この星は無口で働き者で、庶民的で地味な感じ、根は親切だけど気性が激しく、昔気質の職人肌だそう。
 だから一つのことへの執念はすさまじく狙った獲物は逃さない。頑固だけどそれは自分の仕事への自負心がそうさせる。策略家で闘争を好む者もあるそうだ。社交ベタで復讐心がある、なんてのは当たってるかもしれない。
 同じ星を持つ過去の有名人で、やはり指導者的な位置にいた人には、井伊直弼や山本五十六、上杉謙信など。

 一方ブッシュ大統領は統領的で弁舌もたち、自分の主義ををあくまでも押しとおす頑固さがある。真面目で曲がったことが大嫌い。権威や既成のものに抵抗する星だそうだ。
 同じ星を持つ過去の有名人は、平清盛や三島由紀夫なんかもそうらしい。
 そしてなんと!。
 小泉純一郎総理が、ブッシュと同じ星なんだよね。

 占星学的に言うと、フセインとブッシュの星は、全く異質の星で、双方一目おいたライバルという感じらしい。だから感情的に憎みあう感じでもなさそうなんだよね。
 ちなみに言うと、武田信玄と上杉謙信も、同じこの関係だったらしい。この二人は「敵に塩を送る」という美談まで残ってるから、フセインとブッシュの間も、できる限り後味の悪くないように収まってほしいと思うよ。

 小泉総理に関しては、ちょっと同情も無くもない。自分の国がほとんど沈没しそうなのに、隣国では不穏な動きがあるし、信頼していたご主人は中東にご執心で、もし同じ立場だったら僕なら逃げだしたくなるよ。

 ところで最近思いを強くするのは、どんな時でも人類が戦うべき相手は、やっぱり自分の心に潜むダークサイドな部分だと、つくづく思うよ。
 戦争自体は、イイか悪いで言えば、悪いに決まってるけど、まあ言ってみれば 結果だから、後でどうこう言っても仕方が無い。戦争支持の態度をとろうが、戦争反対の態度をとろうが、その時点での一般人の力など、ほとんど通用しないよ。戦争反対を叫べば夢想者として抑圧されて、戦争支持すれば一部の権力者にいいように利用されるのが関の山だよね。

 それよりもこの世の問題を形作る道の多くが、人間の誰しもが持ってるダークサイドから発すると意識して、自分に沸き上がる悪感情を一人一人が見つめ直すことが大切だと思うね。
 まず自分が変わっていくことが全ての始まり。別に格好つけてるわけじゃないけど、敵が外にいる、という思念がある限りは、この世から戦争は無くならないだろうね。

 戦争に纏わる状況って、あの菅原文太主演の実録映画「仁義なき戦い」と同じだね。
 「仁義なき戦い」は、個人レベルでも国レベルも全く同じように起こりうるよ。でもそれは時代背景や環境を考えると全く共感出来うるものなんだよね。そこにあるのは怒りと打算と血であり、問題を解決できる手段が暴力しか無い状況なんだからね。
 でも、皆が自分自身のダークサイドと戦い始めたら状況は変わっていく、と考えたら、少しでもそうなるように、そうなっていくようにしたいと思うよ。
 そう言えば「仁義なき戦い」の土壌を育んでしまった大きな要因は、第二次大戦の為に荒廃してしまった日本だったのも留めておきたい事実だよ。戦いが戦いを生んだ歴史だよ。

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