Monologue2002-56 (2002.12.8〜2002.12.14)
 「2002.12.14(土)」晴・レジの女王様

 僕の家の近所だけかもしれぬが、コンビニのレジのオネエチャンは優しいのに、スーパーのレジのオネチャンは恐い、というイメージが前々からある。
 スーパーのレジのオネチャンは、もしかしたら僕のようなモテナイ独身中年の類いを忌み嫌っているのでは無かろうか、などといった強迫観念に囚われてしまい、夜も眠れぬ日々を過ごしている(んな、大げさな!)。

 確かに、コンビニというもの自体、独身男性には優しい。
 客はモテナイ独身男性が多いし、商品も独り者に向けた仕様のものを陳列してくれている上、エロ雑誌などすら豊富に常備してくれてある。
 「コ、コンビニを支えているのは、オ、オレ達モテナイ独身男性、そ、そ、そ、そーだよなっ!」などと控えめではあるが、ちょっとだけ胸を張って威張りたい気もする。

 スーパーは、ちと違う。
 スーパーの客は圧倒的に主婦層が多い。時にモテナイ独身男性を度外視した品揃えすら見かける。当然ながら、エロ雑誌など置いていない。
 そんなパワー絶大主婦層をターゲットにした環境においての、モテナイ独身中年の肩身は当然ながら狭い。非常に狭い。一回の挿入において精子が卵子に辿りつく確率より狭い。んなこたーない。
 そんなモテナイ独身中年には排他的なスーパー環境ゆえ、そこで勤務するオネエチャンが、僕等モテナイ独身中年を毛嫌いするのは至極当然と言えば当然だ。

 以前も僕がレジで支払いをしようとした時に、小銭を財布から出すのに戸惑って、オネエチャンにお金を渡すのが遅れた時があった。そして僕が最後に千円札を渡そうとすると、オネエチャンは憤然とした面持ちで、僕の目を見ようともせず、僕から千円札をヒッタクルようにしてもぎとった。

 これだけでもモテナイ独身中年、相当恐かった。
 しかしこの後の、まるで怒りの感情が入っていない、非常にクールで事務的かつ機械的な「ありがとうございました。又お越しくださいませ。」の方が、モテナイ独身中年をして戦慄させたことは言うまでも無い。

 つい先日は、レジで支払いをしようとしたら、なんとお金が足りないことに気づいてしまった。
 慌てた僕は、オドオドビビリながら「あ、あ、あの、お、お金足りナインですけど、ああ、後で、しし、し支払いに来ますけど、、い、いいすか?、それとも一旦、もも、戻した方が、い、い、いいすか?」
 この「オドオドモタモタ」がいけなかったようだ。
 この「オドオドモタモタ」がオネエチャンの癇に見事に障ってしまったようだ。

 オネエチャンは最初”何言い出すんだ、このオッサンは?”といった冷ややかな面持ちで僕を見ていたが、その内半切れ状態で「あの、戻さなくてもいいんだけど、ここ(レジ)には置いておけないんでー、サービスカウンターで預かって貰ってくれます?」。
 おそらく僕の子供であってもオカシクナイ年齢の、まだ高校生と思われるオネエチャンに、モテナイ独身中年は、まるでSM女王様に叱責されるように促されスゴスゴとサービスカウンターに向かって行くのであった。
 かように僕のような、いかにもモテナイ独身中年といった風体の輩が「オドオドモタモタ」している様など、常に戦場のように忙しいスーパーのレジのオネエチャンは、殊のほかお気には召されないようだ。

 普段の僕なら、こんな恐い店二度とは行かないのであるが、夜遅い時間に野菜が安価で入手できる店が、ここしか無いのである。
 仕方ないが当分通い続けなければならない。
 やれやれ、モテナイ独身中年の女性不遇の時代はまだまだ続くようなのであった。
 こうしてモテナイ独身中年は、今日も女王様にどんな風に怒られるかという「スーパーレジプレイ」を密かに期待しつつ待ちわびる奴隷のような心持ちで、かのスーパーに足取りも軽く向かって行くのであった、とさ(オイオイ、そんなんで終わっちゃってええんかいっ!)。

 「2002.12.13(金)」晴・ボロ市かあ

 東京は相変わらず寒みいやね〜。
 毎年12月の15〜16、1月の15〜16日の四日間、世田谷でボロ市というのが開かれるそうだ。
 今年はあさっての日曜からだね。僕はまだ行ったことが無いんだけど機会があれば覗いてみたいね。
 これ、歴史やった人は知ってるかもしれないけど、戦国時代の楽市からの名残だって。
 田舎で高校時代に信長なんかが開いたとか言って、楽市楽座っていう言葉は聞き知ってたけど、そういうのが面々と続いていたって思うと感慨深いよ。
 ちなみにボロ市は、その名も”ボロ市通り”で開かれるみたい。東急世田谷線の世田谷が最寄り駅だよ。
 そうそう、世田谷は大山街道の宿場町で街の歴史は古いんだよね。

 今日の「はるちゃん6」で、ま〜た泣いちゃったよ。
 タモリ倶楽部の空耳アワー、ビートルズの超メジャーヒット”抱きしめたい”のサビ”I wanna hold your hand〜”が、”アホな放尿犯”だって。そう来たかあ・・・。やられた。ジャンパー貰ったよ、これ。

 「2002.12.11(水)」晴・寒いじゃん

 東京は寒みいやね〜。
 「タレコミ」のジャージトリオが来週は衣装変え・・・って知ってる人じゃねえとワカランよね。
 そうそう、そういや正月の前にクリスマスじゃん。
 僕みたいなモテナイ独身青年は今年も一人寂しく・・・となる予定だったけど妹夫妻がチケットを取ってくれたおかげで、ヤイコ(矢井田瞳)のコンサートに行けることになりそうだよ。今年はヤイコのキュートな姿を見て締めくくれそうかな。
 そうそう、年明けに”いつもここから”や”テツ&トモ”などが出るお笑いライブのチケットが取れたよ。
 来年も吉本をはじめとして、お笑いライブには精力的にイクつもりだよ。いつも生活に笑いを。
 って、来年の抱負、まだ早えか。んなこともねえか(どっちだよっ!)。

 「2002.12.10(火)」晴・100弱?

 どうでもいいことを時々真剣に考えちゃうことって、あるよねー。
 あの「〜弱」って言い方あるじゃん。
 あの「弱」の範囲って決まってんのかな?なんて思ったりしてさ。
 いや、決まって無いから「〜弱」なんだけどさ、広辞苑では「切り上げてその数になったことを示す語。実際はその数値よりもすこし少ないこと。」て書いてある。じゃあ例えば10を基本にすると、6は切り上げれば10になるから、6を「10弱」って言えるのかなあ?、なんてね。
 6才の子が年齢を聞かれて「ボク10才弱」って答えたらいいのかなあ?、なんてことだよね。

 100を基本にすると、97辺りだと、まあ割と胸張って「100弱!」って言えそうだよね。
 98、99なら、もうそれこそ堂々と「まさにオレ達こそが100弱!」って何の躊躇いも無く言えるよね。
 でも95を切った94位から微妙になってくるよね。
 90になっちゃうと「え?、100弱って言ってイイのかよ?!」ってなっちゃうよね。
 80台じゃあ「100弱とは言わんだろ」くらいになっちゃう。

 でも1000を基本にすれば980は、堂々たる「1000弱」。
 100000位が基本になっちゃうと、今度は99999を「10万弱って言ってイイのかな?」って考えちゃう。

 こう考えてくると、「弱」の基準は実際の数では無くて「パーセンテージ」なのかなあ?。
 99、98%だと、もうそれこそ堂々と「まさにオレ達こそが100弱!」って何の躊躇いも無く言えるよね。
 でもなあ・・・95を切った94位から微妙になってくるよね。
 90になっちゃうと「え?、100弱って言ってイイのかよ?!」ってなっちゃうよね。
 80台じゃあ「100弱とは言わんだろ」くらいになっちゃう。

 ありゃ?、堂々巡っちゃった!。イエーイッ!(・・・イエイッじゃねえよっ!)。

 「2002.12.9(月)」雪・星降る夜に・・・

 正月かあ・・・。正月の出勤日程が決まっちゃったよ〜・・・。勤務の無い日もトラブルに備えて自宅待機だってさ。
 ま、学生時代に新聞配達やってた頃から正月に働くのは慣れてるけどね。
 あの頃は1日だけの休みでも、とっても嬉しかったんだけどな。今はスッカリ土日の休みに慣れちゃって、3連休は、せめて欲しいな、なんて思っちゃうよ。

 ま、ともあれ正月は、せいぜい溜まった案件の旅行記とか書いて、何も無いことを祈りつつノンビリ東京で過ごそうかと思ってるよ。

 そういえばジョン・レノンの命日だったんだな。
 今年は全く趣向を変えてジョンの曲じゃなくて、別な曲を聴くよ。
 近藤名奈ちゃんていう女の子がいたんだけど、その子が1994年に出した「最高の笑顔を花束にして」っていうアルバムの「星降る夜に君に会えたら」。
 このアルバム、今はもう出て無いのかな・・・。でもとってもイイアルバム。
 元気でカワイクて明るくて軽快で、ちょっぴり切ない。隠れた名盤だよ。
 このアルバムの最後が「星降る夜に君に会えたら」。
 所謂普通のラブソングで、ジョンに捧げるには、ちょっと方向違いな感じもするかもしれないけど、今日みたいな、曇り空が明日は晴れて星空が見えますように、みたいな願いを込めて。そしてキザだけど、星空を通じてジョンの魂に会えますように。そんな願いを込めて、・・・みたいなね。ははは、能天気だやーね。
 只、この歌は本当に天に届きそうにイイ曲だよ。

 「2002.12.8(日)」雨・天気のせい?

 天気予報によれば、なんでも雪が降るとのことだ。この分だと今降っている小雨が、夜更けすぎに雪へと変わるだろう、サイレンナイ、ホーリーナイ・・・以上山下達郎でした。
 こんな日は外出してもしようが無い。
 観念して家にいる。

 僕のようなモテナイ独身青年、略して「MDS=MotenaiDokusinSeinen、括弧日本語かよっ!括弧閉じ」は、自炊の習慣が身についていない。たま〜に「自炊めいたこと」をやる。

 今日は時間的な余裕、精神的な余裕があった為「納豆に大根おろしを入れる」という僕にとっては、未曽有の大事業に着手した。
 MDSワールドでは、大根をおろす、などというのも当然自炊の範疇に入ってくる。

 MDS脳内イメージでは大根おろしと言うのは、大根のサクサクした白いみぞれ状のものが、皿に奇麗に盛ってあるイメージであった。世論もこれに何ら異論は無かろう。
 ところが実際おろしてみると、MDS脳内イメージとは甚だしく相違があり、やけに水分量の多い大根おろしが眼前に出現してくる。
 当初この水分なぞ、MDS脳内イメージ企画段階においては全く考慮外の事態であった。
 従ってそれに対応した環境が全く整備されていない。

 回りくどい言い方では無く簡単に言えば、盛った皿が小さかった。
 たちまち溢れかえりである。
 仕方なく皿を大きいのに替える。

 突発懸案事項は、まだ残っていた。
 大根おろしとは、おろし初期段階においては比較的神経を使わず全力でもって、おろし作業に勤しむことが可能だ。
 ところが作業晩期、大根の寸法が次第に減少してくる。
 最後はサイコロ大の物体にまで変化してくる。
 このサイコロ状のものを、我が家の金属の刃金のついたオロシ器でオロスのは、相当な熟練度を要する。
 私MDS、オロシ技術界においては、まだ初心者も初心者、大初心者レベルであり、当然技術なぞあるわけが無い。MDS脳内イメージ企画段階においても何ら事前の通達も無かった。俗に言う「聞いてないよ」現象の勃発である。

 仕方なくオロシ器の歯に指などが当たらぬよう、脱力しつつ恐る恐る大根をなすり付けるように擦る。
 しかしこれでは全く擦れない。大根でオロシ器を磨いているようなもんである。
 思い切って一降りだけ素早く力を入れてみた。
 次の刹那、白い野菜の固まりは勢いよく僕を飛び越えて後ろに大跳躍を見せた。

 コロンコロコロコロン・・・ツツツ、と床に大根が転がった。
 セットしてあるゴキブリホイホイの入り口の前、などという微妙な位置で停止している。
 捨てるか捨てないか、ワザと逡巡を誘うかのように神経を逆なでる位置だ

 結局拾って洗って、擦らずにそのまま食べた。苦かった。

 MDSは明日のペットボトル回収に備え、ボトルについているラベルを剥がす作業に取り掛かった。
 最近のペットボトルはラベルが簡単に剥がれるよう点線の切れ込み線がラベルに入れてある。
 これは確かに有り難いのであるが、全てのペットボトル界のラベルが、この線に沿って奇麗に切れてくれる訳では無い。
 どうやらこの切れ込み線にも出来の良い孝行切れ込み線と、いつまでも往生際の悪いヒネクレ切れ込み線があるようだ。

 ヒネクレ切れ込み線は、、最初は線に沿って切れてくれるのに、途中から勉強を放棄したかのように、斜めに道草を食って行ってしまったりする。
 中には頑として切れようとしない、徹底した剥離拒否ラベルもある。

 中にははなから切れ込み線など無く、まるで「ラベルって剥がすもんなの?」みたいな、上からモノを見下すような態度のボトルもある。
 こういうボトルはMDSの逆鱗に触れる。
 MDSは当初、キーッ!などと言いつつヒステリックに歯や手でラベルを引き千切ろうとしていた。
 しかしこれは「うぜえんだよ。」と言っているかのようにラベルが伸びるだけで、暖簾に腕押しで何ら解決には成得なかった。
 せいぜいペットボトルをパンチでつぶして、怒りをブチマケルのみであった。かなり痛いブチマケでMDSに何らメリットは無かった。
 MDSは最近ハサミなる利器を用意し、事務的にこれらに対処することに方針を変更した。
 最近ラベルとMDSとのトラブル話は出ていない。

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