Monologue2002-53 (2002.11.20〜2002.11.25)
 「2002.11.25(月)」雨・僕等の住んでいる国

 NHKのETV2002では、海外の俳人達が芭蕉の奥の細道の軌跡を辿り、芭蕉の心を探って行く、という企画を放映しており、大変面白かった。
 最近では俳句も、かなりインターナショナルになってきているようだ。

 俳句の持つ微妙な間、ニュアンスを、自分達の感性と上手に融合させて行こうとする外人を見ていると、俳句の持つ奥深い芸術性が感じられてくる。

 今日本では、財政赤字、教育の荒廃、失業など、いろいろな社会問題が顕在化している。
 きっと古いシステムが、その役割を終え、終焉を迎える時がやって来ているのだろう。
 そして今、海外の人達が、外から、日本の持つ素晴らしさ、美しさを、我々に告げてくれはじめている。

 僕は、日本の素晴らしさだけでは無く、埋もれたり忘れられたモノ、古典や、食文化、生活習慣、などなどにも素晴らしいものが隠されていないか、探ってみたいと思っている。

 では、気分を変えて、締めの一言。
 「杉山清貴とオメガ高い!」(今日の”内村プロデュース”見た人じゃないとワカランですな、こりゃ)。

 「2002.11.24(日)」曇・I'm here!

 ホームページを持つことは、結構意義のあることかもしれないね。
 昔離れてしまった人、別れたと思っていた人、もう会えないかもと思っていた人・・・
 そういう人達が、もしパソコンを持っていて、僕の名前を覚えていてくれれば、それを入れて検索すると、いつでも好きな時に僕のページに辿りつける。望むならば、又再会できるかもしれない!。
 地球上のどこにいようとパソコンでインターネットに繋がっていれば、これは可能なんだよね。
 そして僕の状態を発信することで、今の僕は、元気なのか、落ち込んでいるのか、知らせることも可能なんだよね。
 I'm here!、僕はここにいる!。
 素晴らしいことかもね。

 「2002.11.23(土)」曇・二段階で行けば

 コタツを出そうとしたら、取り外して置いた足を取りつけるネジの一つが無い。去年取り外した時に何気なくネジを置いた”どこかの場所”をスッカリ忘却してしまった。
 何かの弾みでビデオの山の裏側にでも入ってしまっていたら、どーしよー・・・。今さらこれらをどかして探す体力も時間も気力も無い。全然無い。
 「最悪っ、今年はっ、コタツ無しーっ!、ヒヒヒっー!」、悪戯悪魔が、どこかでこう僕をあざ笑っているような気がし、本日最初の怒髪天抜状態になる。
 スポーツ紙の1面にデカデカとアップになってコチラを睨んでいる今移籍問題でバタバタ中の某野球選手のシカメ面が無性に、いや、生理的に僕の神経を逆なでたので、スポーツ紙をグチャグチャにして八つ当たりしてやった。・・・へへへ、口ほどにも無いヤツめ・・・ヘヘヘ(オイオイ、なんかおかしくなっとるぞっ!)。

 たった一つの小さなネジが無いだけで全くコタツは使い物にならないのである。しかも使い物にならないだけ無く、我が狭い部屋では、かなりの収納スペースを割き、嵩張る代物なのである。
 とりあえず、これでゲンナリ萎えた。何もかもやる気を無くす程度に萎えた。
 せっかくの休日なのに東京地方は台風の影響か、どんよりした曇り空だ。
 こんな日に限ってモテナイ独身青年、洗濯しなければいけない衣類が山のように溜まっている。通常の衣類、手洗いのセーター、シーツ、秋用の上着等等・・・。午後までかかりそうだ・・・。やれやれ・・・。
 いろいろ考えているとなぜか又腹が立って来て、めでたく本日二度目の怒髪天抜状態になる。
 まあ、しかしどうせこんな天気じゃ好きな街道散策もできぬし、今日は2件宅急便も来るし、家に居てちょうど洗濯をする頃合いか、と観念する。

 それにしてもモテナイ独身青年には洗濯は罰ゲームにも等しい。
 普段は休日にまとめてすると時間的衛生的にも厳しいので、どうしても平日中に1〜2回はしておく。そうしないと、木曜辺りでいつも困ってしまう。

 洗うのは自動だから、どうってことはない。タイマーもあるから外出中でも出来る。
 問題は干すのだ。干すのは残念ながら自動では無い。今日のような休日なら時間的・精神的にも余裕があるからまだ良い。
 平日の夜寝る前に洗濯物を干していないのに気づくと大打撃だ。そりゃもうディープブルー、深い深い、未知の深海の如くブルーになる。

 モテナイ独身青年、勿論平日は外に洗濯物など干せない。今日のような曇天も然り。そこで室内に干すのであるが、モテナイ独身青年の部屋、只でさえ狭いのに、洗濯ものを干す余裕などあるわきゃ無い。
 しかしそれでも無理矢理干す。今は玄関の空間を利用して干す場所を捻出している。
 以前友人が遊びに来た時に、玄関に所狭しと干してある僕の下着を、まるで暖簾のように、大層困惑した表情で掻い潜ってくるのを見、僕はなんともヤルセナイ気分になってきたもんだ。

 この洗濯干し、一体何が僕をブルーにさせるのか考えてみた。
 おそらく干す時に場所が無いので、洗濯物や自分の体が、いろんな所にぶつかり、何かが、例えば新聞の積み上げたのとか、まあそんなこんなのいろいろの物が倒壊・落下する、などといった、付加作業が発生してしまうということ、これがかなり大きく面倒で僕を滅入らせる問題であるようだ。

 洗濯機から洗濯物を取り出すのも、意外と手間取る。
 洗濯後の洗濯物は脱水後に付、それぞれ複雑に絡み合っている。これをほぐすのが意外に面倒なのである。
 無理矢理衣類を引っ張って破いてしまったこともある。引っ張った手が水分で滑り、近くにおいてあった、それこそ嵩張るコタツの角にブツかって大変な痛い思いをしたことがある。ツライ過去ばかりである。
 僕にとって洗濯干しに良い想い出など無いのである。

 しかしいつまでもウジウジと洗濯ごときでメゲテいてはいけない。
 そこで僕は考えた。
 嫌なものは急激に行なわず段階を踏むのだ!、と。
 そう、訓練の精神だ。宇宙飛行や登山などでも事前に段階を踏んで慣らすというでは無いか。洗濯干しも徐々に慣らして行くのだ!。

 宇宙飛行と洗濯では甚だしく次元が違う気がしないでも無いが、かくして僕が考えついた方法はこれだ!。名付けて「二段階で干すよ作戦」。
 ん?勢い込んだ割には命名が単純だって?。いいのっ!、他に思い付かなかったのっ!。

 それでは「二段階で干すよ作戦」について、詳しく御説明しよう。
 まず洗濯が終わった衣類は、ほぐさずに丸ごと別なカゴに入れて、風呂場などの空間のある広い場所に一先ず置いておく。そして後で気が向いた時に、もっと広い場所で、ほぐしてから、それらを干すのである。以上。
 ん?、”詳しい御説明”はそれで終わりなのかって?。”詳しくねえじゃん!”だって?。どこが、どう”作戦”なのかって?。いいのっ!、もう言うことなかったのっ!。そうよ、そうよ!、言うに事欠いたのよっ!。
 それにしても、たかが洗濯干すのに二段階・・・、たったこれだけに大げさな、と思われるだろう。
 いいさ。笑うがよいさ。そうさ、滑稽さ。モテナイ独身青年、そんだけ洗濯干しが憂鬱で嫌だったのっ!(今日は切れ易いな)。

 ともあれ、これで実際、かなり楽になった。
 洗濯機から衣類をほぐしながら取り出す動作を廃止しただけで、かなり気分が楽になったのである。
 どうやら洗濯機付近の物の立込み様が、作業の進捗を疎外していた主要因だったようだ。

 いずれにしろ洗濯ごときで、こうも精神状態をグラつかせてるようじゃあ、まだまだ修行は足りぬようだな・・・。

   *   *   *

 話は変わって、ニッサン自動車のCMで、ボブ・ディランの「ライクアローリングストーン」のカヴァーらしき曲が流れてくるのがあるが、あれを見るといつも居心地の悪い思いをしてしまうのである。
 あの歌に無垢そうな子供のコーラスが入ってるのも違和感を感じる上に、CMでアウトドア生活に勤しむ、いかにも充実した様子の家族の姿が映っているのも、どうも具合が悪い。ついでに言うと、あのサビの部分をシッカリ、メロディアスに歌っているのも気にくわん。あそこはディランのように辛辣に吐き捨てるようにハズして歌うのがカッコイイのに・・・。
 僕の知っているディランの「ライクアローリングストーン」のイメージで行くと、あのCMの後家族は必ず崩壊し全てを失うことになる。まあ言ってみりゃ結婚式で葬式の歌を歌うくらい違和感があるのである。
 ま、もっともこの不景気、失業、財政赤字、などなど先行き不安な世の中、いっそのこと一回全てを失って丸裸になって、誰にも気にも止められない石ころのようになってみようじゃか無いか、というメッセージが仮にあのCMにあると言うのであれば、それはそれで時代に合っていていいかもしれんな。

 ま、こんなところで悪態ついても、どうにもなりゃせんが。どうにもならんことをグチグチ言ってるようじゃあ、まだまだ修行は足りぬようだな。

 昨日はバスケスーパーリーグを録画し損ねた。BS1放送なのにチャンネル設定はBS2になっていた。代わりにヒッチコックの「北北西に進路を取れ」が録画されていたので不幸中の幸い!、と思っていたら、時間の関係で途中で切れてやがる。やれやれ、こんなことだったら裏の日テレぐるナイ撮っときゃヨカッタ。
 ともあれバスケの方は、田臥君の活躍などもありトヨタは5連勝になったそうだ。

 夜のスポーツニュースではJリーグ・ジュビロ優勝の模様を放映していた。日本人中心での1・2ステージ完全優勝は立派なもんだ。それからやっぱり静岡のチームが勝つのは同郷人として悪いものでは無い。

 今日は天気のせいか、今一つパッとせんな。
 ま、総じて、まだまだ修行は足りぬようだな。

 「2002.11.22(金)」曇・闇が深い程光は鮮やかに

 僕はお笑い番組が好きだ。
 今の生活を振り返ってみると、自分の身の回りで、思わず爆笑してしまうような楽しい出来事なんて、ほとんどありゃし無いことに気づいて愕然とする。
 人生は、今の僕にとっては、どちらかといえば”修行の場”だ。そうでも思わなければ続けて行けないくらいである。

 だから、お笑い番組が好きなんだな、と納得である。
 せめてテレビくらい笑わせてよ、である。
 もしかしたら僕の毎日が、いつも楽しいものだったら、お笑い番組も必要無いのかもしれない。

 それで昔の僕だったら、お笑い番組が無くても毎日の生活が楽しくなるようになることを望んだだろう。
 今はちょっと違う。
 「毎日が苦行でも、それゆえにむしろ”笑い”について深く考えるようになる生活」・・・こっちを取るかもしれない自分が芽生え始めて来たのに、最近気づき始めた。
 いや、芽生えた、のでは無く、実は最初から、そう望んでいたのかもしれないな。

 「2002.11.21(木)」晴・バスケバスケ

 今年のNBAはダラス・マーベリックスというチームが開幕11連勝を続けている。
 何年か前は、全然勝てないお荷物的なチームだったのだ。すごいすごい。
 同じような弱小チームだったニューヨークネッツが昨年はファイナルまで進出した。ここ数年は勢力図が変わってきて、マイケルジョーダンの復帰の影に隠れているが、この下克上的弱小チーム台頭は個人的には面白いと思う。
 そう言えばハワイの留学から帰った田臥勇太君がトヨタ自動車入りし、なかなかの活躍をしたそうだ。
 金曜にはBSで、そのトヨタの試合の放送がある。いずれは生でも見に行きたいもんだ。
 田臥君についてはNBAで活躍してもらいたいと思っていたが、松井やイチローなどとは逆に日本へ戻ってバスケット界の底上げをしてもらえたら、その方がいいかもしれないな。

 「2002.11.20(水)」晴・多大な影響

 若い頃に出会った本や音楽は一生の付き合いになる、ということを、それこそ若い頃に聞き、当時はそうなのか?と半信半疑であった。
 しかし今振り返ってみると当たっている。実に当たっている。
 意識しなくても、そうなっていたのだ。
 たぶん人生というものが、そうなるようになっているのだろう。

 僕の場合音楽で言うと、未だに1970年代の音楽を聴くし、新しい音楽でも70年代テイストのものには、無条件で耳が反応する。

 文学の影響に至っては多大だ。
 こんなホームページでも文を書くようになってから、自分は若い頃に出会った先達の影響を知らず知らず受けていたのだと、今更ながら実感するようになった。
 お一人は、以前もこの欄で書いたが、漫画家の東海林さだお氏。
 もう一人は、かつて第三の新人と呼ばれていた安岡章太郎氏である。
 高校時代、このお二人のエッセイを愛読していた。
 東海林さだお氏については他でも書いたので割愛するが、安岡章太郎氏の場合、氏の作品の一つ「なまけものの思想」という題名に、当時「なまけもの」に憧れていた僕は、それこそ運命的に惹かれ、氏のエッセイの虜になってしまったもんだ。

 お二人の素晴らしいエッセイに共通しているのは「ユーモア」だ。
 僕はこのお二人に図らずも影響を受けてしまったことを、今では極めてラッキーだったと思っている。

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