Monologue2002-45 (2002.10.1〜2002.10.6)
 「2002.10.6(日)」曇・チェロの聖典

 「無」というのは割合否定的な言葉に使用されることが多い。
 無礼・無案内・無意味・無情・無差別・皆無・・・。
 それから無常、虚無、などと哲学的に使用されることもある。

 概して「無」が付くと、ちょっと堅苦しいような雰囲気になる。
 これが曲の題名に付いたらどうだろう。
 昔さだまさし、のいたグレープのヒット曲に「無縁坂」というのがあった。
 これは場所名であり固有名詞であるが、やはり題名から受ける印象と、それ程は遠くない曲調である。

 明るさが売りのモー娘。だったら、よもや「無」など付けないだろう。
 「無恋愛、レボリューション21」もしくは「恋愛、無レボリューション21」
 「無LOVEMACHINE」もしくは「LOVE無MACHINE」
 「無サマーナイトタウン」もしくは「サマーナイト無タウン」
 「ミニモニ。無、ひな祭り」もしくは「無ミニモニ。ひな祭り」(ミニモニ自体ネエのかよっ!)・・・。
 些かおかしい。”なにか、必ずねえのかよっ!!”と突っ込みたくなる。

 しかしながら、この「無」が実にカッコよく、題名と内容にハマッた音楽がある。
 バッハの”無伴奏チェロ組曲”。
 勿論これは邦題で、直訳すれば”チェロ独奏のための6つの組曲”というそうだ。邦題の妙だ。

 題名からくる印象は堅苦しくて、チェロ独奏という形式も一般的には敬遠されそうだ。
 しかしここには純粋な”音楽”があり、そして音楽を通じて語りかけてくる高次の何かの息吹を感ずることができる。
 ”無伴奏チェロ組曲”を聴く時、チェロの音と、その後ろの見えないオーケストラの奏でる音楽を聴き瞑想する。音楽を聴き、そして高次の存在との対話をする。
 こうして”無伴奏チェロ組曲”の「無」は、「無私」の「無」を包含しているのだ、と感ずるのである。

 「2002.10.5(土)」晴・ムーミン間奏部

 携帯の着メロサイトで、ツーカーのfunstyle対応の「最強64」というサイトから、昔放映していたムーミンのアニメ版主題歌「ムーミン谷のうた」をダウンロードした。
 それで「ムーミン谷のうた」の後半部というか、間奏部を切り取り着メロにした。
 この間奏部、大変短いが良く聴くと結構名曲だ。
 主部はキーがヘ長調(F)の、「ねえ、ムーミン、こっちむいて」でお馴染みの、いかにもアニメソングらしい、ほのぼのホンワカした曲調である。
 これが間奏部になると、和声はGmで始まり、ロマン派の如き陰影を見せつつ、流麗な管弦楽はクライマックスに達する。メンデルスゾーン辺りが作りそうなとてもメロディアスな旋律だ。アニメソングとは思えないようなトーンである。が、このロマンティックな感じがムーミンの幻想性とピッタリ合っている。

 「2002.10.4(金)」晴・釈お酌

 ヤフーのニュースページを見ていたら、今日ツーカーで一部地域の通信障害があったそうだ。これドコモだったらもっと大騒ぎになるのだろう。ツーカーに加入している僕ですら気づかなかった通信障害。ふと侘しくもあり、侘しくも無し。
 それから10月23日に釈ちゃん(釈由美子)が「釈お酌」なる新曲を出すようだ。これは先行してバンダイから発売されているお酌ロボット「釈お酌」のイメージソングなのだそうだ。今まではロボットの売り場にだけ流されていたのを今回CD化するらしい。作詞は釈ちゃん本人で、いかにも釈らしく面白可愛らしそうだ。是非ともCD買うことにしたい。

 「2002.10.2(水)」快晴・ステテコ

 小さい頃オッサンのステテコ姿を見ていても、自分がそれを履くなんて夢にも思わなかった。
 しかし現在。
 結構、夏の終わり頃、秋へと向かう過渡期など、在宅時の服装としてステテコが重宝していたのである。
 パンツ一丁じゃチト寒い、かといってジャージまでいくと暑苦しい、なんて時にステテコが一番フィットするのである。
 ステテコは、この風土に合った実に合理的な衣装なのである。ちなみに僕のは麻の混じった少しパリっとしたヤツだ。

 しかし、どうもステテコは今ひとつ、ダサイという印象が無くも無い。
 「ステテコ」と言う命名が良く無い。
 「ステ」などというと、もうそこで「捨て」という単語が想起される。
 「テコ」などというと、次の瞬間”コテ”などとコケそうである。
 本当「ステコテ」じゃ無くて、つくづく良かったと思う。辛うじて「ステテコ」で留めて置いて良かった、とつくづく思う。

 カッコイイ芸能人などにはステテコのイメージは無い、せいぜいコントで使用されるのが関の山だ。
 「ステテコ」と言えば、やはり「オッサン」だ。
 「オッサン」と言えば「ステテコ」、「ステテコ」と言えば「オッサン」。もう激しく愛しあう恋人のように切っても切ってもどうにも切り離せない。ツーと言えばカー、海と言えば山、豚と言えば真珠(ん?、なんか違うぞ)。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」などという厳めしい四字熟語も、実は「オッサン」と「ステテコ」の為にあるのでは無いか、とすら思ってしまう程だ。

 そんな「ステテコ」が妙に愛おしい年齢になってきてしまった。

 話は変わるが、フジの「ごきげんよう」に昨日から柳沢慎吾氏が出演している。慎吾ちゃん最高!。
 明日は藤井君のマシューTVのスペシャルと、今週は結構忙しいわい。

 「2002.10.1(火)」台風・転倒イライラ

 今朝家を出る時に可燃ゴミの袋を手に持ち自転車に乗り、いつものようにアパートから公道へ出た。
 その途端、スッテーーーン!。いきなり横にスライドしながら、転倒ッーーッ!。
 アパートから公道に出る箇所は坂になっている。そして公道自体も坂。それで今朝の雨。ちょっと自転車に勢いがつけば転倒必至、まさにどうぞご自由に転んで下さいよ状態なのであった。
 実際今日に限らず過去何度か、ここで滑って転倒したことがある、非常にですねえ、デンジャラスポイントなのであった。

 自転車は、と見ると前のカゴを固定した金具がヒン曲がり、カゴの接着部分が折れてしまった。
 ハンドルが前輪と垂直では無く、並行に近い状態にまで捻ってしまってある。

 どうやら肘を擦りむいたらしく痛いのであるが、そんなことに構っている場合では無い。一刻の猶予も無い。遅刻ギリギリで出て来ているからだ。

 僕は小雨の降る中、転倒した自転車を起こし、自転車の捻りだけは直そうと起き上がった。
 それにしてもイイ年こいたオッサンが、雨の中転んで起き上がる姿は、大変哀しい。
 擦りむいた肘の苦痛に顔を歪めながら、それでも遅刻すまいと焦せった表情など、殊に哀しい。
 その哀しさたるや、ウンコ途中の野良犬の哀しげに潤んだ瞳に匹敵する程に哀しい。

 路面がそれほど濡れていなかったのが、せめてもの救いであった。
 それと近所の住人に見られていなかった、というのもせめてもの救いであった。でもこの一連の三文芝居が全くの一人で演じられていたことも哀しいと言えば哀しい。

 幸い前輪の捻りは直った。しかしカゴが左側に傾いてしまって重心が取りずらい。それでも通勤に支障は無かった為、なんとか電車には間に合うことが出来たわけである。

 昨日から仕事でミスをしたりと、何かとついていない。しかも台風までやって来やがった。
 こんな時は何かとイライラしてしまうものだ。

 ところで「怒り」は溜めないに越したことは無い。
 できれば小まめに発散させていきたいものだ。
 発散の方法はいろいろあるが、結構僕が有効だと思っているのが「声を出す」ことである。
 まあやたら声を出して「怒り」を他人にぶちまけていては他人に迷惑がかかったりするから、他の方法を取った方が良いだろう。
 カラオケに行ったりするのも一つの手だろう。

 僕が良くやるのは、自動車の通りが激しく人通りの少ない幹線道路を自転車で通り、横で車がガンガン走っている時に、大声で、ありとあらゆる暴言を夜空に向かって吐くのである。こうすると大型トラックなどの騒音に掻き消されて暴言も夜の露と消えて行くのである。
 ”コンノヤロー、ザケンナヨっ!、テメーブッコロス!、ナメテンジャネエヨッ!、”などと考えつく限りの最低級の罵詈雑言を吐きまくる。只実際は出来れば具体的に怒りの内容がイメージ出来る方が良い気はする。
 何に対して、どういうことで怒ったのか具体的に言った方が良いかもしれない。
 ”ナンダヨ、あの野郎、こんな狭いとこに侵入して来て道塞ぐんじゃねえよっ!”などというように。

 一頻り声をあげると落ち着くが、それでも怒りが収まらなかったら往復して何度でも大声を上げる。
 その内「ちょっと言い過ぎちゃったカナ。」などと若干の後悔の念が芽生えて来たりするが、ここまでくれば上等だろう。
 時に虚空に拳を振り上げる、など挙動を付加してみるのも良いだろう。
 たまに大声を出していると普段は誰もいないと思っていた場所に、突然人が立っていたりするから、そんな時せっかく気持ちよく大声出していたのが「フザケンナヨ!、あの野こんな・・・狭いとこに・・・#&%{`|〜=}’%_?><・・・」と尻切れトンボになってしまうので、発声前の前後左右の方向確認は忘れずにしたいもんだ。

back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top