「2002.9.7(土)」雨・「笑い」的には大オッケー
先日帰宅途上の電車に乗った時のこと、ドア付近に立った僕の後ろの方から奇妙な音がしてくることに気づいた。
たぶん電車の車輪の回転時に発生する雑音では無かろうか?と思った。
下車駅の2駅ほど手前になり、僕は下車駅で開く側のドアに移動した。 この時思いがけなく、この奇妙な機械音の謎が解けた。
その有機生命体は、ドア脇の手摺りに持たれ掛かり、手には小型カセットテープのような物を持っている。そしてそこから耳にイアフォンが繋がっていた。
この老人、目を半開きにしながら、時に首を小刻みに震わせ恍惚の表情で先程からの奇妙な機械音を断続的に発している。
僕は、この有機生命体の発する機械音の断片から、この機械音のルーツとなった音源を推理することができた。
僕の両親が詩吟をしているので、幼い頃から聞き覚えのあるフレーズに酷似したものが、わずかではあるが、この有機生命体の発する機械音の断片から感知することができ、すぐそれとわかったのである。
この有機生命体、僕がこちらを向いたことで、更に出力を上げ音量を大きくしたようにも思われた。「ウイーーン、ウイーーン」も更に強力になり各フレーズ間のインターバルが狭まり速度を増し「ウイッ、ウイッ、ウイッ、ウイッ、」などと、それこそ未来型ロボットの駆動音の如きメカニカルなサウンドに変貌を遂げていた。当人おそらくビブラートという歌唱技法を駆使しようとしたかったらしいのだが、聞いている我々が、そこに「音楽的・芸術的」な何か、を見いだすことは非常に困難なのであった。そんなサウンドの非芸術感をいや増すかの如く、この機械音は「ウイーーン、ウイーーン、ウイッ、ウイッ、ウイッ、ウイッ、ヒュルルルル」と次第に何かを期待するかのように激しさを増して来るのであった。
僕は仕方なく、先程の奇妙な機械音発生に至るまでの過程を推理しイメージすることにした。
老人の発する吟詠はお世辞にも上手いとは言え無かった。何しろ機械音と同等に聞こえてくるくらいの代物である。
ここで僕は一つだけ、老人の吟詠が賛美できるポイントがあることに気づき、「ハタ!」と言いながら膝を打った。 老人の吟詠が賛美できるポイントがあるとすれば、すなわちそれは「笑い」という視点から見た場合、賛美は十分可能、いや、大絶賛すら得られる、そう確信したのであった、とさ。 |
「2002.9.6(金)」雨・カタルシス?
外出先や他人の家でゴキブリを見かけても全然恐怖感を感じない。
ところが、これが自分の部屋に出現、となると形勢は一気に逆転する。
我が家でのヤツの不意の出現は、常に最悪のカタルシスとなってしまうのだっ!(カタストロフィーだろが・・・なんで清められちゃうんだよ)。 結局僕がゴキブリに対し不快感を抱くのは、ゴキブリ自体の不快さ、というよりもヤツらの「プライバシーの侵害」に対する憎悪・怒り、が基盤になっているからだ、ということになりそうだ。 しかし毎度の事ながら「プライバシーの侵害」という言い方は、我々ホモ・サイエンスの側の概念だ(サピエンスでしょうが)。
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「2002.9.5(木)」曇・整形美人
今日の”笑っていいとも”に出ていた整形美人は、結構可愛かった。
女性にとって整形で大事なのは当たり前かもしれぬが、奇麗になるかどうか、ということだろう。
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「2002.9.4(水)」晴・濡れ衣もいいとこ
今日混んでいる電車の中で不快な男性が二人ほどいて、両方こちらを向いて来たので駅に着く度に彼らを避けようと立ち位置を変え逃げ回っていたら、偶然最初僕の隣にいた老婆の後を追いかけるような形になってしまった。
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「2002.9.2(月)」晴・オオーッ!
今日”笑っていいとも”のテレフォンショッキングに、俳優の小日向文世氏が出ていた。
よく女性が、男性アイドルなどが出てくるとキャーッ!などと黄色い悲鳴を上げるが、あの気持ちが良くわかった。
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「2002.9.1(日)」晴・荒川線のDVD![]() 都電荒川線の「さよなら一休さん号(カラーテック)」というDVDを買って来た。
街の姿というのは、刻一刻変わっていってしまうものだ。殊にその街を離れてしまうと尚更激しく変わってしまうようにすら思えるものだ。
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都電荒川線「飛鳥山」でした。