Monologue2002-40 (2002.9.1〜2002.9.7)
 「2002.9.7(土)」雨・「笑い」的には大オッケー

 先日帰宅途上の電車に乗った時のこと、ドア付近に立った僕の後ろの方から奇妙な音がしてくることに気づいた。
 その音は「ウイーーン、ウイーーン」と、モーターの回転音、あるいは中古ビルの前時代的なエレベーターのドアの開閉音の如き機械的な音で、時折「ヒュルルルル」などという「ウイーーン」よりは、やや高音の、やはり何かの回転音のような音も聞こえてくる。
 僕はウォークマンで音楽を聴いており、その音楽の合間や強弱がピアニッシモになった時などに、その奇妙な機械音は耳に入ってくる。

 たぶん電車の車輪の回転時に発生する雑音では無かろうか?と思った。
 無機的な人工機械は、時に我々の及びもつかぬような音を発するもんである。
 この路線の車両に有りがちな現象なのだろうと、しばらく放っておいた。
 しかし、車輪の音にしては割合近くから聞こえてくるような気がしないでも無い。

 下車駅の2駅ほど手前になり、僕は下車駅で開く側のドアに移動した。

 この時思いがけなく、この奇妙な機械音の謎が解けた。
 この奇妙な音の音源は、振り向いた僕のちょうど目の前にあった。
 この奇妙な機械音を発していたのは「無機的な人工機械」などでは無かった。
 歴とした有機生命体、我々も良く知っている生命体、ホモサピエンス、ヒューマンビーイング、すなわちヒト、すなわち人間、その人間の中の「老人男性」と呼ばれるカテゴリーに属する有機生命体なのであった。

 その有機生命体は、ドア脇の手摺りに持たれ掛かり、手には小型カセットテープのような物を持っている。そしてそこから耳にイアフォンが繋がっていた。
 どうやらこの「老人男性」と呼ばれるカテゴリーに属する有機生命体は、このイアフォンから流れてくる音楽に和しつつ何かを口ずさんでいるらしかった。
 奇妙な機械音は、この有機生命体の口から発生していた。

 この老人、目を半開きにしながら、時に首を小刻みに震わせ恍惚の表情で先程からの奇妙な機械音を断続的に発している。
 ちなみに顔が真っ赤である。どうやら文字通り精神的にも生理的にも「陶酔」しているらしかった。

 僕は、この有機生命体の発する機械音の断片から、この機械音のルーツとなった音源を推理することができた。
 どうやら「詩吟」らしい。

 僕の両親が詩吟をしているので、幼い頃から聞き覚えのあるフレーズに酷似したものが、わずかではあるが、この有機生命体の発する機械音の断片から感知することができ、すぐそれとわかったのである。
 「ウイーーン、ウイーーン」という音声は詩吟の主旋律と思われる部分、「ヒュルルルル」という音声は演歌で言うところの「コブシ」に相当する部分であるらしい、ということなどが、この段階において少しづつ明らかになりつつあった。

 この有機生命体、僕がこちらを向いたことで、更に出力を上げ音量を大きくしたようにも思われた。「ウイーーン、ウイーーン」も更に強力になり各フレーズ間のインターバルが狭まり速度を増し「ウイッ、ウイッ、ウイッ、ウイッ、」などと、それこそ未来型ロボットの駆動音の如きメカニカルなサウンドに変貌を遂げていた。当人おそらくビブラートという歌唱技法を駆使しようとしたかったらしいのだが、聞いている我々が、そこに「音楽的・芸術的」な何か、を見いだすことは非常に困難なのであった。そんなサウンドの非芸術感をいや増すかの如く、この機械音は「ウイーーン、ウイーーン、ウイッ、ウイッ、ウイッ、ウイッ、ヒュルルルル」と次第に何かを期待するかのように激しさを増して来るのであった。
 他の乗客の中にはこの異音に気づき笑いをこらえているかに見えるものもいた。
 僕は普段は忌避するこの類いの種であるが、その日は学究的な興味から我慢しつつ更に、この奇妙な機械音の語らんとする深層的な意味を探り当てんと、自らの感性を最大限に研ぎ澄ませ新たな発見を期待し準備しようとしたところが、残念なことに、この有機生命体は次の駅で下車してしまった。

 僕は仕方なく、先程の奇妙な機械音発生に至るまでの過程を推理しイメージすることにした。
 おそらくこのようなことになると思われた。
 かの老人は詩吟教室に通っており、本日その練習もしくは発表会があった。そこで自分もしくは発表者・師などの吟詠を録音した。その後打ち上げのような酒宴が催され、しこたま呑んだ後帰宅、そして僕の乗った電車で僕に遭遇した・・・。

 老人の発する吟詠はお世辞にも上手いとは言え無かった。何しろ機械音と同等に聞こえてくるくらいの代物である。
 詩吟では中国的な5音音階、演歌やブルースのような音階を用いるが、そうした詩吟では有り得ぬような現代音楽的な不協和的な音階が多発しており、ある種前衛音楽の方がカテゴリー的に近いのでは、という意見すら思い浮かんだほどだ。
 現在名の通ったミュージシャン・歌手などの中には、その声を聞くと心癒されるものがある者が多々いる。
 老人の吟詠は、そのように世の人々に対して癒しを与えよう、という意図から出たものでは、どうも無いようであった。「人に聴かせる」レベルのものでは無かったようだ。
 しかし相当大きな音量の吟詠であった為、兎にも角にも電車内の乗客に聞かせようと言う意図はあったようだ。
 そして老人的には自分の吟詠を僕も含めた乗客に賛美、もしくは注目してもらいたかったのかもしれぬが、注目はともかく、音楽的においては「賛美」というレベルからは、どう考えても程遠いものであった。

 ここで僕は一つだけ、老人の吟詠が賛美できるポイントがあることに気づき、「ハタ!」と言いながら膝を打った。

 老人の吟詠が賛美できるポイントがあるとすれば、すなわちそれは「笑い」という視点から見た場合、賛美は十分可能、いや、大絶賛すら得られる、そう確信したのであった、とさ。

 「2002.9.6(金)」雨・カタルシス?

 外出先や他人の家でゴキブリを見かけても全然恐怖感を感じない。
 どうせ、すぐ引っ込むんだろ、などと変な自信に満ち満ちている。
 たとえゴキブリの最上恐怖形態「飛翔」、に形態が変化したとて、ちょっと鬱陶しい程度で「ま、頑張ってよ」などと変な余裕に満ち満ちている。

 ところが、これが自分の部屋に出現、となると形勢は一気に逆転する。
 なんでだろーお、なんでだろー、な、な、な、なんでだろー。

 我が家でのヤツの不意の出現は、常に最悪のカタルシスとなってしまうのだっ!(カタストロフィーだろが・・・なんで清められちゃうんだよ)。

 結局僕がゴキブリに対し不快感を抱くのは、ゴキブリ自体の不快さ、というよりもヤツらの「プライバシーの侵害」に対する憎悪・怒り、が基盤になっているからだ、ということになりそうだ。

 しかし毎度の事ながら「プライバシーの侵害」という言い方は、我々ホモ・サイエンスの側の概念だ(サピエンスでしょうが)。
 ヤツらには、きっとヤツらの言い分、というのがあるはずだ。
 そこら辺一度ヤツらとジックリと話合ってみたいものだ。ヤツらと膝を突き合わせながら、できればユックリと酒などを飲みつつ・・・ん?、ちゃうちゃうちゃうっ!。んなことしたいわけねえじゃんっ!。いかんいかん。言うに事欠いて、とんでもねえことを口走ってしまっただべさ。
 女にモテねえのに、ゴキブリにモテテどうすんだよっ!全く・・・ん?、そのゴキブリがメスだったら、どうするかって?。あーー、そーかー、それは、ちょっと考えちゃうよなあああ。ゴキブリのリサちゃん、メグミちゃんでしょ、それからアリサちゃんに・・・ってオイッ!。んなわけねえだろっ!。
 ・・・と、相変わらず自宅でゴキブリと過ごす時間の方が、女性と過ごす時間より格段に長い(つーか女性と過ごす時間なんてZERO、無でしょ)私モテナイ独身エトランゼでした、とさ。

 「2002.9.5(木)」曇・整形美人

 今日の”笑っていいとも”に出ていた整形美人は、結構可愛かった。
 今まで整形した写真などを見ると、どこか違和感があるような感じがあったが、今日の女性は整形前より格段に良くなっていたようで(しかも費用が意外に安いのにもビックリ)、これなら整形大有りじゃん、と思った。
 技術が進歩したというのもあるだろう。あと人間の意識として、肉体に対しての意識が変わってきつつあるのかもしれませんな。

 女性にとって整形で大事なのは当たり前かもしれぬが、奇麗になるかどうか、ということだろう。
 僕自身が考えるには「整形」はしなければしないに越したことはないとは思う。
 しかし整形が結果的に成功しようが失敗しようが、それとは別に「整形」という行為により、それについて考えをめぐらせ、あれこれと思考することで、最終的に、人間の、そして宇宙の神秘の内奥に、当事者・関係者の意識が一歩でも近づき、ひいては魂の成長に繋がる、というならば、それは有意義といえるだろうから、あながち否定はできない、というスタンスである。
 でも今日の子みたいにカワイくなれば全賛成だぴよ〜ん(偉そうなこと言って、やっぱりそうかよ!)。

 「2002.9.4(水)」晴・濡れ衣もいいとこ

 今日混んでいる電車の中で不快な男性が二人ほどいて、両方こちらを向いて来たので駅に着く度に彼らを避けようと立ち位置を変え逃げ回っていたら、偶然最初僕の隣にいた老婆の後を追いかけるような形になってしまった。
 それで老婆は自分の後についてくる僕を、痴漢か何かと思ったようで、老婆も慌てて位置を変え僕から逃げ回っていた。
 いくらモテナイ僕でも、これだけ若い美女が回りに一杯いるのに、なにも敢えて貴女には・・・、と言いたかった。

 「2002.9.2(月)」晴・オオーッ!

 今日”笑っていいとも”のテレフォンショッキングに、俳優の小日向文世氏が出ていた。
 その小日向氏宛てに来た電報の差出人の名前を、電報の最後にタモリ氏が読んだ時、それを聞いていて思わず「オオーッ!」と声を出して叫んでしまった。

 よく女性が、男性アイドルなどが出てくるとキャーッ!などと黄色い悲鳴を上げるが、あの気持ちが良くわかった。
 僕の場合黄色では無く、どちらかというと黄土色(ウンコかよっ!)って感じだが、全く自然に声が出て来てしまったのには、我ながら大人げないというか、リアクション大王というか、寂しい独身中年、てとこである。
 え?。差出人は誰だったのかって?。
 本上まなみ嬢であった。

 「2002.9.1(日)」晴・荒川線のDVD

 都電荒川線の「さよなら一休さん号(カラーテック)」というDVDを買って来た。
 現役引退した”一休さん号”こと都電の6152号の映像を中心に、沿線の街並みや運転士のインタビューなどを収録したものである。
 僕にとって現在の都電沿線は馴染み深い地域である。なぜなら昔そこに住んでいたからだ。
 こんな僕にとって、この映像は大変懐かしくもあり、同時に貴重だ。

 街の姿というのは、刻一刻変わっていってしまうものだ。殊にその街を離れてしまうと尚更激しく変わってしまうようにすら思えるものだ。
 この映像は、そんな変わり行く街の、ある1ページだけでも、貴重なそして哀愁ある映像に収めてもらって、都電ファン、というよりも、都電沿線ファン、として有り難い作品なのである。
 (ちなみに右写真は私自身の撮影であります。どこの駅でしょう?。正解はずっと下の方に。遠くに出っぱっている影は池袋のサンシャイン60です)。

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都電荒川線「飛鳥山」でした。