Monologue2002-38 (2002.8.14〜2002.8.21)
 「2002.8.21(水)」晴・プッチモニと蕎羅

 ゴッツァン(後藤真希)の卒業に伴って、いつの間にかプッチモニがアルバムを出したようだ。
 今度の新生プッチモニは、小川ちゃんやアヤカといったなかなか奇麗処を入れてきて僕個人的にはイイ感じだが、なんといってもヨッスイ(吉澤ひとみ)中心てのがウレピイ。

 さて、宣伝です。
 僕の学生時代の友人が勤める東京月島の蕎麦屋「蕎羅(そら)」が、今週末24日(土)のTBS「王様のブランチ」で紹介されるそうです。コーナーとしては11:05くらいから放映とのこと。興味がある方は見て下さいねー。

 「2002.8.20(火)」晴・闇の天才占い師

 今日の「さまあ〜ずと優香の怪しい廃校貸しちゃうのかよ(仮)」も面白かった。
 さまあ〜ずと優香のからみは勿論のこと、今日出演していた”闇の天才占い師”と称された、関西人の毒舌オニイサン風な占い師が大変良かった。
 手相を見てマイナスのこともズバズバ言っていき、甘えた根性の相談者をバッサバッサと切って行く様は、相談者には申し訳ないが見ていて至極痛快であった。仕事を辞めて余生を親の遺産で食って行きたいので、いつ遺産が貰えるか、と聞きに来た40過ぎの太ったオヤジを「糖尿で親より先に死ぬで」と一刀両断、そしてどうしたら運命は変わるのかとの質問に、まず働けと諭す占い師、しかし相談者は、もう散々働いたから動きたく無い、喰って寝ていたい、と言うので、最後に占い師は「お前なんか、はよ死ね!」と一喝。
 占い師とは本来こうあるべきでは無いか?とすら思ってしまったくらいであった。痛快な、しかし的を得た毒舌に何か妙に勇気づけられたのであった。

 「2002.8.19(月)」台風13号・故郷つれづれ

 お盆に休暇をとって帰省した。
 ここ数年は僕の郷里焼津市でも特に市街地の変貌が顕著になってきた。
 今までは割と郊外の東名インターに近い部分の変貌が大きかったが、港及び海辺部の工事に伴い市街地も目抜き通りの昭和通りを中心に、かなり変わりつつある。

 僕のここ数年の帰省時は、少年時代の想い出の場所に訪れ「ここはまだ変わってねえや」「わっ、ここ無くなっちゃったの!」などと一喜一憂しつつデジカメで、そこの写真を撮るのが行事のようになっている。

 しかしやはり印象として、さすがに大半の場所は僕の少年時代とは変わってしまったようだ。
 それ程変わっていないように見える場所でも、一件、新築の家があったりすれば、印象は大分変わる。
 僕はこの街に少年時代の面影を必死に探そうとしたが、友人の家でも既に引っ越して跡形も無かったり、良く行った駄菓子屋も駐車場に変わっていたり、道路が拡張されて通りが無くなっていたりで、もはや確実にどれも新しいものに置き換わっていることだけが事実として突きつけられるのみだった。
 僕の想い出の地は、明らかにココ、にあるはずなのだが、明らかにもうそこには無い。それがあるのは、ビートルズのペニーレインでは無いが、本当に”僕の瞼の中、耳の中”だけになってしまったようだ。

 そんな中、今回の帰省時に、僕の実家の近所の古い工場が取り払われ、綺麗な割と広々とした空き地になっていた。
 ここもいろいろ思い出深い場所だった。
 しかし、だだっ広い、この工場跡地を見ながら、ふと”もしかしたら、これで、僕が生まれるもっと前の時代の雰囲気に戻ったのかもな”という思いも過るのであった。

 モテナイ独身中年オジサンは、方言を喋る若い女性に弱い。
 実家の近くの郵便局で、実家で取得していた口座の名義変更などの手続きをした。
 それで変更の書類を書く際に、窓口の女性職員が、方言で対応してくれて、思わぬ感銘を受けたのであった。
 例えば標準語では”〜するので、これにも住所氏名を記入して下さい”というのを方言だと”〜するもんで、これにも住所氏名を記入して下さい”もしくは”〜だもんで、これにも住所氏名を記入して下さい”などとなるのである。
 僕は自分も同郷人であるのを忘れ、思わず身体を乗り出し”ハイハイ、フンフン、そうですか、そうですかー”と一生懸命お話しを聞いてやりますよ状態に成らざるを得なかった。面倒な事務手続きも、何でもやりますよ状態に成らざるを得なかった。

 東京にいるからといって、女性は方言を喋っちゃいけない、ということは全然無いと僕は思う。
 今モー娘の高橋愛ちゃんも方言をウリにしたりしてるから、東京に出て来ている地方出身のOLさん受付嬢さんなどは、方言で応対すれば結構ウケて大変面白いと思うのだが、これも単なるエロオヤジのセクハラドリームなのか?。

 「2002.8.15(木)」晴・難解な悪夢

 僕は折りに触れ、自分が見た夢が実際の生活に、どう即しているか解釈をしてみる。
 しかし、しばしば非常に難解な夢に出くわしてしまう。
 見たことも無い人物、有り得ないシチュエーション、起ってはいけないハプニング・・・。
 それが結構リアルに展開される。
 これが更に悪夢だったら最悪だ。
 起きた時は、まるで運動したのかと思うほど疲労していて、嫌な汗が滲み出ている。
 こんなこと起っちゃったら最悪だなと思う。

 こんな時は、この難解な夢が何を意味していたのか?、と非常に気になってしまい一日中落ち着かない。ひどい時は夢のおかげで鬱状態に陥ってしまう。
 しかし結局この悪夢が何を象徴していたのかサッパリわからぬまま時は過ぎる。難解だからだ。
 こんな時夢が難解でヨカッタ、と安心するものだ。もし難解な悪夢のとおりに人生が展開していたら、きっと生きてはいけないだろう。夢は夢でヨカッタ、と思う。
 勿論悪夢が、あとからになって「あの事だ」とわかるのもある。随分遠まわしに表現したもんだ、と笑ってしまう時もある。夢の表現のまどろっこしさには悩まされる時があるが、まどろっこしさゆえに心理的負担を軽減している部分も、もしかしたらあるのかもしれない。

 夢の働きには様々なものがあるようだ。
 僕が今考えているのは、夢は予知的なものの他に、ちょっと表現しにくいが、過去の出来事の清算というか、脳の整理、みたいなことをしているのもある気がする。
 それから予知的なものの一つとして、現実に起こる「出来事」では無く、自分がこれから先に抱く「想念」を視覚化したもの、もあるように思える。実際に何かが夢の通りに起こるというのでないにしろ、何かに対して非常な怒り、悲しみ、失望、落胆、葛藤などを抱く時、それが悪夢になって出てくる時があるような気がする。

 いずれにしろ、どのパターンの夢も今の自分にとって、重要な、必要な心理的事象に関っていることには違いないようだ。

 「2002.8.14(水)」晴・詐称

 最近は日本ハムの例のように製品を詐称して販売していた、などというのが次々と暴露されて来ている。
 「なんて、おいしい松坂牛なんざんしょ!」などと言ってたら全然別の牛だったなんて、迂闊に物も言えない状況である。

 こんな情勢だから企業の発信する情報も鵜呑みにはできないもんだ。ラベルの詐称なぞほんの氷山の一角であろう。

 牛乳も実は山羊の乳だった、なんてこともあるやもしれない(それは、すぐわかりそうだけどね)。
 牛乳が実は人間の母乳だったなんてこともあるやもしれない(ま、ある意味全然おかしくないんだけど・・・。マニアには結構受けたりして)。
 売れっ子の作家が実は全然別の人だったなんてこともあるやもしれない(ま、あるかもな)。

 松阪慶子写真集が、実は荻野目慶子写真集だった、なんてこともあるやもしれない(そりゃ、ねえっ!、ま、悪く無いけど)。
 松阪慶子写真集が、実は松坂牛写真集だった、なんてこともあるやもしれない(絶対、ねえっ!)。
 岡本夏生ヌード写真集が、実は岡本太郎ヌード写真集だった、なんてこともあるやもしれない(それも、ねえっ!)。
 小泉首相の写真集が実は岡本太郎ヌード写真集だった、なんてこともあるやもしれない(更に、ねえっ!)。パイオツ、ダシモロー、アーヘー、チリバツーッ!、みたいな(全然、見たくねえっ!)。
 「千と千尋の神隠し」が、実は「千と千尋のキン隠し」だった、みたいな(オヤジギャグかよっ!)。
 浜崎あゆみが、実はアユじゃ無くてシャケだった、みたいな(意味わかんねえっ!)。
 ちびまるこちゃんが、実はちびしかくこちゃんだった、みたいな(詐称なのかよっ!)。
 SMAPが、実はSMAQだった、みたいな、オバQと同類ー、みたいなー(もうイイっ!)。

 僕等も日常において、ほんの小さな詐称はゴマンとしている。個人が詐称をするなら近年疲弊しつつある日本の大企業が詐称をしても何ら不思議は無い。
 企業の詐称は確かにいけないことではあるが、これだけ怪しい、しかもメジャーな企業が跋扈しているとなると、まず僕等自身が目を肥やす方が得策かもしれん。なんでも今回の発覚も目の肥えた消費者からの指摘らしいじゃん(実際は内部告発だったそうな:追記)。

 東京ローカルのMXテレビ「5時の魔法使い」のMCを、今は大変残念ながら解散してしまった吉本の元ジャリズムの片割れ山下しげのり氏が担当していた。懐かしいようなホッとしたような安心したような気持ちであった。
 吉本の近い世代である雨上がり決死隊が最近ようやく売れて来ただけに、ジャリズムの解散はとても惜しいことだ。
 ちなみにMXでは土曜10:00の「テレバイダー」など、面白ヘンテコ番組もあり、いい感じだ。

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