Monologue2002-36 (2002.8.1〜2002.8.5)
 「2002.8.5(月)」晴・痴漢日記にドラえまん

 以前WOWWOWでVシネマ系の映画「痴漢日記」というのをやっていたのを見たけど、あれは良かったな。
 ま、ぶっちゃけて言うとエロ映画で、しかも題名からして不謹慎な感じに捉えられがちだけど、僕個人的には「傷だらけの天使」に匹敵する、都会の哀愁を見事に描いた傑作では無いかと思う。
 劇中歌のフオーククルセーダーズの名曲をyanagiya-Vがカヴァーした「悲しくてやりきれない」が実にハマっていたし、最近はさんまちゃんの番組でもお馴染みの温水洋一氏扮する”ガム男”も良かったな。
 あれを見ると欲情するというよりも、一編の叙情詩を読んだように切なくなる、文学的な作品なのだ。
 そういう意味ではエロ映画の枠を越え、もはや「寅さん」の世界に近いのでは無いかとすら思う。

 僕は最近この「痴漢日記」シリーズがDVDで出て無いか探しているくらいだ。
 エロ系の作品でも十分質のある名作もあるのだ。

 ちなみにこの間エロビデオでドラエモンのパロディ「ドラえまん」ての見たけど、笑えたね。こっちはモロエロなので、敢えてコメント控えますデス、ハイ。

 「2002.8.4(日)」曇・都会

 そういえば、昨日床屋の帰りにブラブラ街を歩いていたら近くにあった、世間では愛的宿泊施設、いわゆるラ○ホ○ルと称される建築物より、いと可愛げなる茶髪・・・ほとんど金髪、のコギャル二人が出てくるのに遭遇した。
 時間は午後4時くらいだっただろうか、普通に考えて日常的に女性二人で、こうした場所を使用しているとは考えにくい。明らかに従業員ではなさそうだし、何かわけありの家出少女達か、でも一番思い当たるのは、もしかしたら「お仕事」なのかもしれなかった。そう言えばこの辺は確かそういう感じのエリアだというのを、以前何かの雑誌で読んだことがあった。
 「お仕事」にも種類がいろいろあるので真相はわからぬが、僕などのモテナイ独身エトランゼが常日頃お世話になっている、その手の雑誌・ビデオ等の撮影なのかもしれぬ。
 そう考えると、もしかしたらどこかでこれからお会いするか、或いは以前お会いしたか、そうしたことがあり得るかもしれぬ。
 思わず僕は走りより、妙に淫靡に見えた白い衣装の彼女達の背中越しに「あの、もしや貴女方は・・・」と声をかけた。
 ・・・と言うのは冗談であるが、どうやら駅に向かって行くらしい彼女達の、都会の雑踏に消えゆく後ろ姿を見つめつつ、このどんな素性か一切分からぬ少女達に、どこか詩情のようなものを感ずるのを禁じ得ない自分がいるのであった。

 「2002.8.3(土)」晴・床屋の女そして蝦夷

 床屋で髪を切ってもらっていると、なんと中学生か、おそらく高校生くらいの女の子が、客として散髪に来たので、思わず注意がそっちにいってしまった。
 今時のコギャル風ではなく、あくまでも普通の、ちょっと垢抜けない、どちらかと言えば文化部にいそうな子だった。

 しかしそうとはいえ女性が、床屋において、どんな風に髪を切り、ヘアスタイルを整えて行くかが、大変、それこそ大変興味が沸き、ぶっちゃけて言うと、「最後まで見届けてえっー!」と強烈な欲求に駆られた。

 残念ながら僕はと言えば、既にドライヤーをあてられていて、そろそろフィナーレに差しかかろうとしていた頃だったので、まさかこの忙しそうな店内、彼女を見届けたい為に居座る訳にもいかず、心残りをしながら店を出て来たのであった。

 実はこの店で以前も女性の客を見かけた。
 女性がムサクルシイオッサンばかりの、こんな店でも敢えてここに来る理由として考えられるのは、まずは何を置いてもその「安さ」からかもしれない。
 ここは所謂”ディスカウント床屋”で、髭剃りシャンプー付きは1500円、カットだけなら980円である。
 僕は地元で行き慣れた床屋が昨年廃業してしまったので、場所は家と大分離れているが、電車賃出しても普通の床屋より安い、ここに昨年から通っている。
 カリスマ美容師などのいる昨今流行の美容室などの値段とは、桁が違う。勿論低い方にだが。まるで日本とインドの物価くらいの違いである。
 難点は「安かろう悪かろう」がたまに無いことも無いと言う点だ。でも僕はそれを差し引いても総合的に判断して満足度を計った場合及第点である為、ここを利用しているのである。

 女の子も、1万払って最高級に美しくするより、どうせ一週間もすりゃ伸びるから、その分美容室代をを浮かして何か別のものに使おう、などという心づもりもあるのかもしれない。ともあれ僕は大歓迎ですけれど。

   *   *   *

 話は全然変わるが、8月5日から新橋演舞場で、市川染五郎・堤真一共演の芝居「アテルイ」が上演される。
  僕もお気に入りの堤真一氏が出演するキャスティングもいいのだが、更に僕が惹かれたのは、この「アテルイ」という名前である。
 「アテルイ」は古代蝦夷(エミシ)の数少ない”有名人(?)”の一人で、「悪路王」とも呼ばれた蝦夷の英雄である。
 この上演、残念ながら知るのが遅すぎ、僕がいける日のチケットは既に完売しているらしい。大変残念である。

 実はこの「古代蝦夷」、今僕の中でも静かなマイブームなのである。
 蝦夷はアメリカのインディアンの如く、かつての日本に先住していたと言われる民族なのに、日本史の表舞台にはほとんど出てこず、謎が多い。歴史で勉強するのは、日本の大和朝廷に討伐を受け、国を追われ北進していったというようなことくらいだ。
 蝦夷は国を追われた非業の民族で、その歴史は大和朝廷によって都合よく抹殺されてしまったのでは無いか。

 蝦夷は、かつては「鬼」などとも呼ばれたことがあるらしい。
 おとぎ話に出てくる「鬼」という存在と、この蝦夷に何か深い繋がりがあるかもしれない。そうだとしたら、とても知りたい。
 日本人の中にある、どこかエキゾチックな感じ、そのルーツは蝦夷にあるのではないか?。
 日本の神々、信仰と蝦夷との関連。
 出雲で見た、まるで北海道のような地名、いわゆる今の蝦夷(エゾ)と言われる「アイヌ」と、エミシは繋がりがあるのか?、出雲の大国主命と蝦夷の関係はあるのか?・・・、等々、知りたいことは山ほどある。
 蝦夷は古代日本の未解決の謎を解く鍵なのである。

 今度の舞台「アテルイ」では、アテルイを通して「蝦夷側」から見た視点で歴史を掘り下げるようだ。
 蝦夷の英雄アテルイには市川染五郎、アテルイと戦った大和朝廷側の、これまた興味深い人物「坂上田村麻呂」には堤真一が扮する。

 芭蕉は奥の細道の旅で、蝦夷征伐の拠点「多賀城」跡を見、感慨を覚えたようだ。
 もしかしたら遠い蝦夷へのロマンにも思いを馳せていたのかもしれない。
 実は僕が東北へ行く”奥の細道の旅”に惹かれるのも、この「蝦夷」への思いが基本にあるからなのである。

 やれやれ、又とりとめなくなりそうだ。
 蝦夷について語り出すと、長くなりそうなので、今日はこの辺で。

 「2002.8.2(金)」晴一時雷雨・などなど

 又雷雨かよっ!。

 さて、天気にひと突っ込みしたあとは、何を書こうかな・・・。眠くて考えがまとまらないので、今日はダラダラ書かせてもらいます(じゃ、いつもはダラダラじゃないんだ)。

 えーと、最近日テレの「マネーの虎」がよく話題になるね。キャスティングが意外に成功!、て感じ。

 そう言えば今度松阪慶子、岡本夏生がヌード写真を出し、8月後半には久保恵子、矢部美穂のやっぱりヌード系の写真集に準じたDVDが発売されたりと、僕の中でちょっとしたヌードものラッシュなのだ。

 話題と言えばゴッツアン(後藤真希)、圭ちゃん(保田圭)のモー娘卒業ですな。
 ゴッツアンはモー娘の一時代を築いた、言わば昔のジャイアンツの王・長嶋のような存在。
 圭ちゃんの後半の壊れぶりは大変良かった。ある意味僕の中では、モー娘中最も化けた、最大のブレイクパーソンである。
 ユニットとしてのモー娘自体は全盛を過ぎたかもしれないけど、残った各メンバー、卒業したメンバーなどの真価が問われるのは、これからだろうね。ヨッスイ&チャーミーは、どんどん前に出て来て欲しい。

 土曜には本上まなみ嬢出演の特番がテレ朝で放送される。録画しなくちゃ。

 NHKで放送している「ふだん着の温泉(毎週日曜日 午前5:40〜5:50 BS教育等で再放送有)」という10分ものの番組を時々見る。
 ここで出てくるのは地元の人しか知らないような小さな温泉が多い。秘湯と言う訳では無いが、これが実に風情がある。地元の人の素朴な生活感が旅情を醸し出しているのである。
 今度ここで放映されたところに是非とも訪れてみたいもんである。

 とりあえず今日はこんなとこかな。とりとめなくて申し訳ない。では又明日。

 「2002.8.1(木)」晴後雷雨・落ちてはいかん、学ぶのじゃ

 どんな集団でも、一人くらいは”変な人”がいるもんだ。
 自分を棚に上げといて申し訳ないが、”この人さえいなければ、ここは平和なのになあ”と思ってしまう人が、いるもんだ。
 事実その人が休暇をとって、いなかったりした時の、その集団の平和な空気といったらない。
 皆この時が永遠に続けばいいのに、とさえ思う。あの人のいないこの体勢なら何もかもうまくいくのに、と思う。
 悪いことが起るのは、あの人のせいだ、誰しもが思う。
 あの人さえいなければ・・・。

 しかし、この人は別の次元から見ると「いなくてはいけない人」なのである。

 この人を見て、我々は思う・・・「こうはなりたくない」。
 一般的にはこんな人を「反面教師」などとも言う。
 集団が、良いか悪いか、何か実績をあげるかどうか、とかいう表面的なことは、もしかしたらそんなに重要なのではないかもしれない。
 「変な人」を見て、僕等が向上心を発露し、学び、考え、それを何かに生かして行くことの方が大事なのかもしれない。
 すなわち、この「変な人」を中心に、集団が、魂的に向上すること、が重要なのだ。

 この「変な人」、ある意味スターウォーズで言う所の「ダークサイド(暗黒面)」的な人は、もしかしたら天使かもしれないのである。天使が言いすぎなら「堕天使」か。
 なぜなら、この人達は普段、自分では気づかない「醜態」を回りに晒しまくっている、すなわち自分の「身を削って」まで僕等にアピールしてくれているのである。天が使わした反面教師かもしれないのである。ちなみに「醜態」を、わかってて尚且つ意識して皆の為に晒している人がいたら、その人は超人だね。まず滅多に、いないだろうけどな。

 ともあれ、こんな人達との付き合いは、確かに難しく疲労困憊することであろう。しかしうまく学べば精神的に得るものは意外に大きい。
 お笑いで、自分にハプニングが起こると、笑い的に「オイシイ」などというが、こんな”変な人”が身の回りにいればいるほど、精神科学的な意味での”霊的”には「オイシイ」というのであろう。

 たぶん、ジェダイ・マスター・ヨーダなら、こう言うことだろう(あらあら、また出ましたな、スターウォーズかぶれ)。
 ”ルークよ。ダークサイドに落ちてはいかん。そこから只学ぶのじゃ・・・”。

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