Monologue2002-34 (2002.7.23〜2002.7.27)
 「2002.7.27(土)」晴・水曜日の午後

 大学時代住込みで新聞配達のバイトをやっていた。

 新聞配達は一般的には朝早く起きるのが大変だと思われている。
 それも確かに大変なのだが、次第に慣れてくる。

 一番大変なのは悪天候、すなわち雪と雨であった。
 雪が最悪であったが、まあそんなに滅多に降るもんでも無い。
 しかし雨は良く降った。
 雨は嫌だった。今でも雨になると、新聞屋は大変だな、と思う時がある。
 こんな感じであるから当時学業とバイトの両立は大変で、このままだとこの都会生活も、いずれ挫折してしまうような思いにも駆られていた。

 こんな七転八倒の日々、いろいろなものに僕は助けられた。
 その中でも音楽には、良く助けられた。
 いろんな歌が僕を助けてくれたもんだ。
 そんな中の一つがオフコースの「水曜日の午後(収録:”僕の贈り物”)」。小田さん(小田和正)の歌である。
 曲調は希望に溢れるように明るく温かく、どこか力強い。

 歌詞はこんなようだ。

 ”もう少し早く気がつけば
  誇りと自信を無くして どんなに小さくなった自分でも
  夢さえあれば なんとか生きてゆける 

  あたたかい雨の降る水曜日 少しだけ心も落ち着いた
  夕方には晴れるかな・・・”

 雨の日、配達から帰ってくると全身はビチョビチョだ。時には不着などと行って、配り忘れをもう一回出かけて置いてくるなどという時もある。集金に出なくてはいけない夜もある。

 全てが終わり、ようやく落ちついてきて部屋に戻ると、そこで「水曜日の午後」を聴くのである。
 まるでその当時の自分の為に作られた歌では無いかとすら思ったものだ。

 今「水曜日の午後」を聴いてみると、上京した当時の東京大塚の街の情景が浮かび上がって来て、とても切ない。
 あれ程辛かった日々なのに、今は無性に懐かしい。

 「2002.7.26(金)」晴・A long time ago・・・

 今日は天気良かったなあ。
 休暇を取って、普段できない雑用を済ませた後、埼玉の大宮に向かった。
 大宮のハタボールのところにあるハタプラザという映画館。
 何しに行ったか?。無論、映画を見にいったのであります。
 では何の映画か?。これからその映画を観た感想を述べるので、題名は内容から推察してみよ。それを400字詰原稿用紙100枚にまとめよ(100枚って!、短編小説できちゃうよっ!)。
 正解者には・・・僕から愛の吐息をプレゼントいたします・・・ん?、勿論いらねえよっ!、ですか。

 最近の洋画上映は字幕版と吹き替え版と二種類揃えているんですな。僕はとりあえず字幕版の方に入った。
 ハタプラザは結構古い映画館のようだ。案の定空いてて、頑張れば相当良い席が取れたけど、あまり人が密集しているのは抵抗があったので館内の右寄りの、前方に障害物の無い広々した席に座った。

 今回のはCGが多用されているということで映像的な部分でいろいろ言われているようだったが、僕としては全然問題なく見れた。むしろファイナルファンタジーを彷彿させるようなファンタジー感が出ていて程良いのでは無いかとも思った。

 今回のポイントの一つは、ジェダイがいかにダークサイドに落ちて行くか(ああ・・・、もうわかる人はわかっちゃったか)、という点で、あの前シリーズでは最後でやっと「父」に戻れたアナキンが、ある意味「必然性」を持って「悪に落ちて行く」過程が描かれていた。

 ジェダイともあろうものが、「怒り・憎しみ」を持ちダークサイドに落ちて行く。それが視聴者には共感できるような展開になる。すなわちそれはアナキンが「肉親を奪われた悲しみ」を経験してしまうことになるのからなのである。
 このテーマは意外に深い。
 今世界中にある、どうしても無くならない争いの多くの原因は、この「肉親を奪われた悲しみ」から起こる「怒り・憎しみ」だ。
 ジェダイにとっては、これすらも克服しなければならない感情であるが、情緒的なアナキンには、それができない。しかしそこに我々も同じような人間性を感じ共感する。
 前シリーズでは「悪の権化」ですらあったアナキンが、恋もし若者らしい性急さも見せる、実は最も「人間らしいキャラクター」であったことがわかる。しかしその人間らしさが徒となり悪に落ちて行くと言う矛盾。たぶん人類も、いつかはこの「怒り・憎しみ」は、克服しなければならない大きな大きな「壁」なのであろう。

 結局ダークサイドに囚われたアナキンが、どうなっていくかは前シリーズで我々にはお馴染みであるが、そこでは最後の最後で、アナキンもようやくこれを克服する。すなわち「愛」に至るのである。

 この壮大なシリーズについては、いろんな人が沢山述べているので、ここではもう止めとく。ズルズル語りたくなっちゃうんだよねえ。
 只ちょっと付け加えとくと、これから初めてこのシリーズを見る人は、ビデオなんかで第一作から全部見て置いた方がいいかもね。僕だって人物や環境設定を一通り把握するのに結構手間取ったくらいだからね。まあいきなりこの作品から見ても映像的には楽しめるかもしれないけど。

 もう少しだけ言っとくと(まだかよ)、今までのファンの方々には、ラスト近くの”ヨーダVSドゥークー伯爵”の一騎討ちシーンは、見物かも。
 それからクリストファー・リーのドゥークー伯爵のちょっとした無気味さ、あとユアン・マクレガーのオビワン・ケノービが意外に、後のオビワンのアレックギネスを彷彿させて良かったな。
 そう言えばルーカス監督がテレビで「音楽が大事」って言ってたな。

 次回は、ルークが生まれるのかな?。勿論わからんけど、いずれにしろ次も楽しみだね。
 ”オビワン、これは勝利では無い。悪のとばりが降りたのじゃ・・・”

 「2002.7.25(木)」雨・コードもつれて

 僕の家には電化製品が沢山あり、部屋が狭い上に、それらに付属するコードが複雑に絡み合い、たまに奇麗にほどいてやらないとグチャグチャになる。

 実に見事に絡まるもんである。どうするとこうなる?というくらい絡まる。
 わざとでしょ?くらい絡まる

 人生でもたまにコードがもつれてグチャグチャになってしまう時がある。
 あまりにグチャグチャになりすぎて、コンセントを全部抜いて奇麗にしたい時がある。
 時にはコンセントを抜いてみることも、きっと必要なのだろう。

 元々コンセントが絡まるのは部屋が狭いからだ。
 部屋が広ければ問題は無い。
 だから心は広く持つに限る。

 コードでウンザリしていると、人生もっとシンプルにならないかな?と時々思う。
 最近心がけているのは、「人生2コース」すなわち「好調コースと不調コース説」。
 人生では、いろいろ考えずに2つのコースだけを考える。
 まず好調時、つまり自分が調子良く積極的な時は、そのパワーをいかに周りの人に与えてあげられるかだけを考える。
 低迷時、調子が悪く、消極的な時は、自分の目の前に起ってくる現象が、なぜ今自分に降りかかったのか?、それが起こると自分はどうなり、それによって何を学ぶのか、それだけを考える。但し不調時はできるだけジックリ時間をとって考える。

 上記のことを今まで風な言い方にすると”愛の実践と精神修行”、てなことになるだろうか。

 こうして考えてみると問題の「答え」というのは新しく出てくるものでは無く、もう長い人間の歴史の中で、沢山の人が既に発見していて、地球のどこかに転がっていたり、風に舞っていたりする。

 その再発見の旅こそが”人生”なのだ!・・・(あれまあ、言い切っちゃったけど、本当に?・・・ん?、「プロジェクトX」田口トモロヲ風に読むと、言い切りが強くなっちゃうから、バカボンのパパ風に読んでくれって?、はいはい、では・・・・。「その再発見の旅こそが”人生”な〜のだあ〜」・・・・人生真面目に考えてるとは思えんね全く)。

 「2002.7.24(水)」晴・ADSL

 我が家にも遂に大事マンブラザーズバンド・・・、ありゃ、違った、ブロードバンド時代が到来した。
 速いもんですな。
 1〜2メガの容量のファイルなら、ふふふ〜ん、などと言ってる間にダウンロードできてしまうんですから。
 試しに平田裕香ちゃんのHPにある、イベントなどのご挨拶ムービーをダウンロードしてみたところ、いつもは数分待つのに、今はアッと言う間に裕香ちゃん登場ー!、みたいな。

 今まではH画像を見る時に、上のほうから徐々に画像が現れて来て、一体この娘は履いてるのか履いて無いのか、などとドキドキワクワクしながら待っていた、なんてのが昔話になりそうですな(アンタいつも何見てんだよ)。

 それにしても、今までのダイヤルアップ接続ではプロバイダーに電話をかけにいく、という方式だったのが、ADSLだと、もうそれも無くなり、自分のとこも大きなネットワークの一部として組み込まれて、接続したい時にインターネットに接続する、というイメージになって、更に接続の速さもコレくらいで普通になると、いよいよ本当に生活にインターネットが浸透してきた実感がするもんである。

 「2002.7.23(火)」晴・母が教えてくれた歌

 子供の頃テレビで時代劇などを見ていると、横で祖母が同じようにテレビを見ながら泣いている光景を良く目にした。
 僕なぞはテレビ如きで泣くような祖母の心情が全く理解できず、泣き上戸なのかよ、などと思っていた。

 そして今。
 テレビの何でもないシーンで、目頭を熱くする自分がいる。映画、アニメやドラマ、時にはニュースで泣いている自分がいる。

 祖母はとうの昔に他界してしまっているが、今さらになって、あの時の祖母の気持ちがわかったりするのである。

 こんなとりとめのない事を思い出したのも、ある歌を聴いたからだ。
 昨年の今くらいだったろうか。NHKの「みんなのうた」で、ドヴォルザークの歌曲「母が教えたまいし歌(歌曲集「ジプシーの歌」作品55より)」を現代風にアレンジしたものを流していた。ルクプルが歌っていたと記憶する。
 心温まる綺麗なメロディで、原曲を聴いてみたいと思って早速CDを買って来た。

 原曲はゆったりとした、どこか切なげな哀愁のある美しい歌曲である。
 
 歌詞はこんな詩だ。(CDの日本盤が見つからず輸入盤で入手したので、英訳詩を僕が訳してみました。悪しからず。短いけど全文です)。

 ” 昔、母が僕に歌を教えてくれた時、なぜかいつも涙を流していたのが不思議だった。

   そして今は・・・。
   僕も母と同じように、自分の子供に遊びや歌を教えていると、茶色い髭が涙で濡れてしまうのが、
   とても 切ない。 ”

 自分の親達と同じように、図らずも大人になった僕等にとっては、時に涙無くしては聴けない歌である。

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