「2002.7.27(土)」晴・水曜日の午後
大学時代住込みで新聞配達のバイトをやっていた。 新聞配達は一般的には朝早く起きるのが大変だと思われている。
一番大変なのは悪天候、すなわち雪と雨であった。
こんな七転八倒の日々、いろいろなものに僕は助けられた。
歌詞はこんなようだ。 ”もう少し早く気がつけば
あたたかい雨の降る水曜日 少しだけ心も落ち着いた
雨の日、配達から帰ってくると全身はビチョビチョだ。時には不着などと行って、配り忘れをもう一回出かけて置いてくるなどという時もある。集金に出なくてはいけない夜もある。 全てが終わり、ようやく落ちついてきて部屋に戻ると、そこで「水曜日の午後」を聴くのである。
今「水曜日の午後」を聴いてみると、上京した当時の東京大塚の街の情景が浮かび上がって来て、とても切ない。
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「2002.7.26(金)」晴・A
long time ago・・・
今日は天気良かったなあ。
最近の洋画上映は字幕版と吹き替え版と二種類揃えているんですな。僕はとりあえず字幕版の方に入った。
今回のはCGが多用されているということで映像的な部分でいろいろ言われているようだったが、僕としては全然問題なく見れた。むしろファイナルファンタジーを彷彿させるようなファンタジー感が出ていて程良いのでは無いかとも思った。 今回のポイントの一つは、ジェダイがいかにダークサイドに落ちて行くか(ああ・・・、もうわかる人はわかっちゃったか)、という点で、あの前シリーズでは最後でやっと「父」に戻れたアナキンが、ある意味「必然性」を持って「悪に落ちて行く」過程が描かれていた。 ジェダイともあろうものが、「怒り・憎しみ」を持ちダークサイドに落ちて行く。それが視聴者には共感できるような展開になる。すなわちそれはアナキンが「肉親を奪われた悲しみ」を経験してしまうことになるのからなのである。
結局ダークサイドに囚われたアナキンが、どうなっていくかは前シリーズで我々にはお馴染みであるが、そこでは最後の最後で、アナキンもようやくこれを克服する。すなわち「愛」に至るのである。 この壮大なシリーズについては、いろんな人が沢山述べているので、ここではもう止めとく。ズルズル語りたくなっちゃうんだよねえ。
もう少しだけ言っとくと(まだかよ)、今までのファンの方々には、ラスト近くの”ヨーダVSドゥークー伯爵”の一騎討ちシーンは、見物かも。
次回は、ルークが生まれるのかな?。勿論わからんけど、いずれにしろ次も楽しみだね。
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「2002.7.25(木)」雨・コードもつれて
僕の家には電化製品が沢山あり、部屋が狭い上に、それらに付属するコードが複雑に絡み合い、たまに奇麗にほどいてやらないとグチャグチャになる。 実に見事に絡まるもんである。どうするとこうなる?というくらい絡まる。
人生でもたまにコードがもつれてグチャグチャになってしまう時がある。
元々コンセントが絡まるのは部屋が狭いからだ。
コードでウンザリしていると、人生もっとシンプルにならないかな?と時々思う。
上記のことを今まで風な言い方にすると”愛の実践と精神修行”、てなことになるだろうか。 こうして考えてみると問題の「答え」というのは新しく出てくるものでは無く、もう長い人間の歴史の中で、沢山の人が既に発見していて、地球のどこかに転がっていたり、風に舞っていたりする。 その再発見の旅こそが”人生”なのだ!・・・(あれまあ、言い切っちゃったけど、本当に?・・・ん?、「プロジェクトX」田口トモロヲ風に読むと、言い切りが強くなっちゃうから、バカボンのパパ風に読んでくれって?、はいはい、では・・・・。「その再発見の旅こそが”人生”な〜のだあ〜」・・・・人生真面目に考えてるとは思えんね全く)。 |
「2002.7.24(水)」晴・ADSL
我が家にも遂に大事マンブラザーズバンド・・・、ありゃ、違った、ブロードバンド時代が到来した。
今まではH画像を見る時に、上のほうから徐々に画像が現れて来て、一体この娘は履いてるのか履いて無いのか、などとドキドキワクワクしながら待っていた、なんてのが昔話になりそうですな(アンタいつも何見てんだよ)。 それにしても、今までのダイヤルアップ接続ではプロバイダーに電話をかけにいく、という方式だったのが、ADSLだと、もうそれも無くなり、自分のとこも大きなネットワークの一部として組み込まれて、接続したい時にインターネットに接続する、というイメージになって、更に接続の速さもコレくらいで普通になると、いよいよ本当に生活にインターネットが浸透してきた実感がするもんである。 |
「2002.7.23(火)」晴・母が教えてくれた歌
子供の頃テレビで時代劇などを見ていると、横で祖母が同じようにテレビを見ながら泣いている光景を良く目にした。
そして今。
祖母はとうの昔に他界してしまっているが、今さらになって、あの時の祖母の気持ちがわかったりするのである。 こんなとりとめのない事を思い出したのも、ある歌を聴いたからだ。
原曲はゆったりとした、どこか切なげな哀愁のある美しい歌曲である。
” 昔、母が僕に歌を教えてくれた時、なぜかいつも涙を流していたのが不思議だった。 そして今は・・・。
自分の親達と同じように、図らずも大人になった僕等にとっては、時に涙無くしては聴けない歌である。 |