Monologue2002-28 (2002.6.19〜2002.6.24)

 「2002.6.24(月)」曇・触覚?

 僕は人間を眉毛が濃いか薄いかで分けたら、間違いなく濃い組に入ってしまう。
 東欧系もしくは中東系と言われる由縁である。
 元来不精なので眉毛の手入れなどほとんどしない。
 時折眉毛が伸び切って、日本のかつての某首相の如きになってしまう時がある。
 幸い某首相ほど白くなってはいないが、黒くて長い眉毛が1本ニョッキリ伸びている様は、なんだかゴキブリの触覚に酷似しており、鏡を見た際に自分の眉毛に一瞬ギョッとなってしまうことすらある。
 ま、そんなどうでもいいようなことが続く、つゆのあとさきの1ページなのであった、とさ。

 ところで第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で日本人の上原彩子さんという女性が優勝したそうだ。ピアノでの日本人の優勝は初めて、女性の優勝は史上初らしい。文化後進国などと言われがちだった日本も徐々に力を発揮し出したのかも。

 「2002.6.23(日)」曇一時雨・タイムマシンがあったら

 タイムマシンがあったら過去に行くか未来に行くか、良く話題になる。
 僕は過去である。
 未来については、もし輪廻転生という現象が事実だとすれば、嫌でもこれから見ることができる可能性があるからである。

 過去に行きたい。

 空を飛べる小さなカプセルみたいなのに乗って行く。向こうからはこちらが見えない。優れた望遠カメラなども備えてある。
 まずはヨーロッパに行き、クラシックの天才達が出た時代を見てみたい。

 若き日のベートーヴェンがモーツアルトに会うとことか、バッハの未完の傑作「フーガの技法」が”未完”になった瞬間、なんてのも見てみたい。
 ついでにシューベルトの未完成交響曲の”未完”になっちゃったったとこも見てみたい。
 「あっ、シューベルト筆置いちゃったよっ!。あーあ。このあとコレ手つかずになんだよねえ。」みたいな解説付けながら見てみたい。

 日本の昔も見所満載である。
 芭蕉にくっついていって日本海まで行くと、芭蕉が何やら書いている。
 「なになに・・・?、あらうみや・・・さどによことう、あまのがわ・・・荒海や佐渡に横たふ天の河!、オオッーッ!。」みたいな。一同どよめく、みたいな。
 小野妹子見学ツアーを組み、実際の小野妹子を見て「小野妹子って、結構ハンサムじゃん」みたいな感想洩らす、みたいな。
 聖徳太子が7人の話を聞いている所にコッソリ行って、自分も横から話をして8人目が聞えるか試す、みたいな。ちなみに話題は新作エロビデオの話題、みたいな。
 源頼朝のところへ行って、鎌倉幕府を作るのを横からチョコチョコ邪魔したりして、重要書類に墨こぼしたりして、結局1年遅れで1193年に作らせちゃったりして。

 それから曖昧なところをハッキリさせたい。日本人のルーツも見てみたいし、古代の天皇もハッキリさせたい。
 邪馬台国は誰が統治していたのか?。蝦夷とは何か?
 もしかしたら日本の歴史の重要な人物に、まだ全然知られて無かった人物がいるかもしれない。
 「人民にこんなに影響力あんだけど、アンタ誰?」みたいな。
 神話に登場する神々が実在していたのを見ることができるかもしれない。「天照大神って、この人かあ!」、みたいなね。

 そう言えば以前UFOって、もしかしたら未来の人間が過去を見に来たタイムマシンでは無いか?という説があったけど、それがもしそうだったら、メチャ楽しいねっ!。

 正直なところ今現在の僕は、来世があっても地球に生まれ変わるのはウンザリな気分だけど、もしタイムマシンがあって過去に自由に行き来できる未来の地球だったら生まれ変わってもいいかな、なんてチョッピリ思う今日この頃である。

 「2002.6.22(土)」曇・消えた憂愁の美女

 秋田県にある象潟(きさかた)町。
 芭蕉は「おくのほそ道」の中で象潟の風景を、宮城県の松島に準(なぞら)えて見、次のように記す。
 ”俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
 ・・・象潟や雨に西施(せいし:中国の美女)がねぶの花・・・”。

 松島も象潟も共に海に小島が点在する名勝で、松島は笑うように開放的だが、象潟は寂しさに憂う美女のようであり、お互いは似ているようで異なっている。
 こんな太平洋側と日本海側に位置する地形を芭蕉は見事に対比し表現した。

 加えて僕は芭蕉の優れた面は、このような文才だけに止まらないのだとつくづく感心してしまったことがある。

 確かに芭蕉が訪れた当時の象潟は松島に似ていた。
 しかし現代の象潟は、小島の点在する情景では無い。

 なんと芭蕉が訪れてから百年以上の後の1804年、眼前の鳥海山の爆発により土地が隆起し、芭蕉当時とはその様相をすっかり変えてしまったのだそうだ。
 今の象潟は、隆起した部分が田園風景になってしまっているようで、芭蕉が見た憂いを秘めた美女の面影は無くなっているようだ。

 芭蕉の見た松島は未だ健在している。
 しかし象潟は既に無い。

 確かに芭蕉が見た象潟の風景は哀愁の漂う入り江であったことだろう。
 しかしもう少し邪推してみると芭蕉はもしかしたら、後に姿を消すこととなる憂愁の美女「象潟」の”消え行く恨み”を、潜在意識に感じ取っていたのではなかろうか?、と思ってしまった。
 でなければわざわざ”地勢魂をなやますに似たり”という表現をするだろうか、と考えてしまうのである。予言、とまではいかずともその2つの景勝の数百年後の対照的な姿を、さり気なく暗示していたのでは無いかと思った途端、一種空恐ろしいものすら感じてしまうのであった。

 只芭蕉のような研ぎ澄まされた感性を持った旅人ならば、歩きながら大地の語る気のようなものを感じ取ることは別段特別なことではないのかもしれないな、とも思う。

 以上全くの独断、私見、乱文にて御免候。

 「2002.6.21(金)」晴・経過利息

 今の職場では業中イライラしながら仕事をしていることが多い。
 業務は期日も迫り、回りもピリピリしている。

 今日もイライラしつつ資料を作成していた。
 株式関連の用語で「経過利息(けいかりそく)」という単語をワープロで打ち込もうとした。

 ”けいかりそく”(ローマ字変換で”keikarisoku”)。
 ・・・と自分では打ち込んだつもりであった。
 しかしイライラしていたのであろう。
 変換キーをバチンと押したと同時くらいのタイミングで、画面に表示された”けいかりそく”が実は”けいかりそきゅ”、になっていたのに気づいたが、時既に遅しであった。

 ”経過利租きゅ”。
 無事変換された単語は上記のようになっていた。
 ”けいかりそく”の”く”は”ku”だが、”u”が”y”の隣にあるので、ついつい”kyu”と押してしまったようだ。

 その時はイライラしていたので笑いもせず、「ナンダヨッ、”経過利租きゅ”って、馬鹿にしやがって!、”きゅ”だけ未変換かよっ!、どんな経過で、何が”きゅ”なんだよっ!」てな具合にパソコンに八つ当たりしていた。

 帰る頃になって落ち着いて来て、ふとこの”経過利租きゅ”が頭に浮かんだ。
 ちょっと吹き出してしまった。

 「2002.6.20(木)」曇後雨・歩くのは・・・

 歩くのはいいやね。
 普段電車で通り過ぎてしまう街も、歩いてみると実に様々な表情を見せてくれるし、歩いているとそんな街や大地と対話できるような気になってくる。街の空気、自然の空気は僕等が今まで知らなかった事、気づかなかった事を沢山語ってくれる。
 そしていつしか僕等の意識を変えてくれる。
 1駅3分の間にはもしかしたら人生を変えてくれるかもしれないような出会いが埋もれている。

 「2002.6.19(水)」晴・又見たいのが・・・

 書店に出ていたTV情報誌を見たら、6月15日の当日記でお話ししたロケは、どうやら7月4日夜10:00スタートのフジのドラマだったようだ。4話完結の3部作をを放映するという一風変わった形式で、僕が見たのは第一章のシリーズのものだったようだ。
 N嬢扮するヒロインがハウスメーカーに勤務しているという設定で、モデルハウスでのシーンに、最近タケノコのようにポコポコ出て来たうちの近所の家の一つが使用されていたようだ(全くの想像だけど。見たら違ってたりして)。
 僕は、ちょうどN嬢がロケ車から現場に行く所で遭遇したが、その時はなんかすごく感じの良い印象を受けて、実際の本人の性格も何も全くわからないが、思わず一瞬好きになってしまったくらいであった。これが女優と言うものか。
 ともあれ、これは見ずばなるまい。
 フジの月9では堤真一氏が出るようで、これも見たい。只時間があるかなあ・・・。

 ワールドカップサッカーも、これからより熾烈な戦いになりそうだが、ブラジルVSドイツなんてのは、出来れば見てみたいもんである。

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