「2002.5.25(土)」晴・デキナイ男とモテナイ男
銀座ママが書いた「できる男できない男の見分け方:ますいさくら著(PHP研究所)」という本が結構売れたようだ。
「できる男:できない男」すなわち「モテル男:モテナイ男」と言って過言では無かろう。
今まで「できる男:できない男」の見分けは困難であった。
ともあれ銀座ママが、いかにして我々モテナイ男性軍団を成敗しようとしているのか、調査して置くに越したことは無かろうと、僕は恐々書店に赴いた。 書店に行くとその書はすぐに目立つ場所に置かれていた。
そして徐に開いてみる。
気を取り直し、もう一度そのページの内容を把握してみた。
せっかくなので、僕はその本をコソコソと懐に抱えそのままレジに行き、銀座ママ帝国のスパイが監視しているか否かを(んなのあるわけねえだろ)、ライオンやハイエナの恐怖に脅える小動物の如く辺りを確認した後に、チャッカリ購入してしまった。 やはりモテナイ独身エトランゼの薄汚いモテタイ本能が働いたのであろう。モテナイ独身エトランゼは姑息なのである。こうして他のモテナイ男子軍団がモテずに喘ぐのを差し置いて自分は禁断の書を入手し、この期に及んで自分だけモテようと企んでいるのである。 スッカリ”我が身我が身”の心地になったモテナイ独身エトランゼは帰宅し、早速その禁断の書を紐解いた。
少しづつ読み進めて行く内に、モテナイ独身エトランゼのベンツの覚悟は次第に拍子抜けして行った。
一通り目を通してみると、銀座ママは、それ程無理難題を言っているわけでは無いことがわかった。
そうなると「モテナイ=思いやりが無い=愛が無い」ことになる。”我が身我が身”は以ての外なのである。モテナイ独身エトランゼは基本姿勢から既に間違っているのであった。
|
「2002.5.23(木)」晴・宇宙はいつも・・・
僕のようなモテナイ独身エトランゼが、大それて宇宙のことを語る資格は全く無かろうが、考えるのは自由だから述べさせてもらうと、宇宙にはもしかしたら「+(プラス)」と「−(マイナス)」の2種類の力しか無いのでは無いかと思う時がある。
この「+」と「−」の力が地球にダウンロードされてくると、いろいろに形を変えて、それを人間が善と悪と呼んだり、様々な名称を与えているのでは無いかな、と思ったりする。 「+」だから良いとか、「−」だから悪い、ということも無い・・・、そうした次元を越えて、宇宙には「+」と「−」が存在する、ただそれだけ。
久しぶりに夜空に月を見、ふとそんなことを考えてみる今日この頃なのでありました、とさ。 |
「2002.5.22(水)」曇後晴・空色のくれよん
日本の往年の名バンド、はっぴいえんどのトリビュートアルバム「HAPPY END PARADE」が今日発売になったようだ。
はっぴいえんどの曲の中では大瀧詠一作「空色のくれよん」が僕個人的には好きな歌だ。
そう言えばもうすぐ椎名林檎のカヴァーアルバムも出るし、なんかミュージックシーン、カヴァーづいてますな。 |
「2002.5.21(火)」曇後晴・一旦捨てよう
静岡県藤枝市のスポーツ振興課長が自殺したというニュースが報道された。
「疲れた」との言葉が遺書にはあったようだ。
通常「死」のイメージというのは相も変わらず、恐く嫌なものだ。
もし「死」がセックスのように甘美で安楽なものだったら、どうなっていただろう。
愛する人を失った人、借金やリストラなど自分で背負い切れないトラブルを抱え人生の重圧に耐え切れなくなった人、社会から疎外され自分の存在意義を見失った人、戦乱や飢えや病気など生地獄のような状況に日常暮らす人、難病で長らく闘病生活を続けている人、・・・。
そういう人にとって今だって「死」は、究極の選択では無く、もっと身近な選択肢の一つになっているはずだ。それがもし更に甘美で安楽で簡便な選択肢だったとしたら・・・。
人生を全うし自然に安楽に死ねる人は幸いだろう。きっとそれが神の願いなのだろうから。
僕も普通に不可解なハードワークに囚われる時がある。
|