Monologue2002-19 (2002.4.10〜2002.4.15)
 「2002.4.15(月)」晴・鯖街道

 「週刊 日本の街道」を買った。
 創刊号は京都の若狭街道である。通称「鯖街道」と呼ばれていて、その名の通り日本海の鯖を京都に運ぶ為の道だったそうだ。

 勿論行ったことは無いけれど、ペラペラとめくっているだけで、何か旅情が込み上げてくる。
 ああ、旅がしたいね。
 そこに何も無くても、ゆっくり時間をかけて歩いてみたいもんだね。

 僕が「街道」に対して抱く思いは、そうだな・・・小さい頃田舎の踏切で、電車が通っていない時に、線路の上に立って、茶色い石の上に敷かれた青い空の中に次第に細く消えて行く線路を見ながら、それがずっと遠くまで続いている、日本の果てまで続いてる、そう考えた時の、何か果てしないような、期待と不安が入り交じったような気持ち・・・そんなのに似た思いだね・・・。

 街道もそう。
 街道も僕等の知らない街へと続いていって、そこから更に又新しい街道が続いて行く。
 こうして僕等を未知の世界へと導いていってくれる。

 日本には嬉しいことに、まだまだ僕の知らない街道が沢山ある。
 もう人生も半分過ぎたかもしれない今となっては、これから全部を見て回ったって、きっと一生のうちには回り切れないだろう。
 でもその余饒感が逆に、これといった財産も無い自分にも楽しみが有り余っているようで僕には嬉しい。

 「2002.4.14(日)」晴・取り憑きやがって

 2、3日前から喉が痛いと思っていたら、どうやら風邪にやられてしまったようだ。
 オシッコも、ぬわんじゃあこりゃあーー!・・・くらい人工着色したような黄色さである。
 「取り憑かれる」という言い方があるが、風邪などまさに何かが取り憑いたとしか思えないように、鬱になり生活の調子も狂うから困ったもんである。

 今日は平田裕香チャンが出演する貴重な番組がテレビ東京であり、何日も前から予約録画の設定をしビデオテープも用意して待っていたのであるが、あろうことかその時間帯に、ビデオのスイッチを付けたままにして寝てしまった。普通予約録画はスイッチを切っておかないと自動的に録画がスタートしない。それをあろうことかビデオのスイッチを入れッぱなしにしたままだったのである。

 自分のウッカリミスとは絶対思いたく無い。普通だったら絶対忘れない。なのに風邪に神経がいってしまったのである。
 きっときっと何かが取り憑いて、風邪に注意を向かせて、僕の生活をジワジワ狂わそうとしているに違いないのである。チキショー!、グヤジイ!。
 ともあれ憂鬱な日曜の夜、これで直る風邪の直りも大分遅くなったことは確かである。

 「2002.4.12(金)」曇・見上げたヤツ

 電車内というのは、本当にいろいろな人がいて、僕も随分ネタを提供してもらっている。
 勿論面白いばかりでは無く感心することもある。

 とある日のこと。
 帰りの電車で僕はドアの付近に立っていた。車内は混雑と言う程でも無かったが座席は100%埋まっていた。
 僕のすぐ前では老婆が、やはりドアの脇の手すりに持たれ掛かって立っていた。
 すると座席の真ん中辺りに座っていた3〜40代と思われる女性が不意に座席を立ち、ツカツカと老婆の方に歩み寄って来た。
 そして老婆の手を取り”自分は貴方の為に着席場所を確保した。よって貴方に是非とも、かの場所へ着席願いたい”との意の旨を自分が座っていた場所を指しつつ老婆に告げた。
 老婆は恐縮しつつ”わざわざご足労願ってしまったが、貴女は一体いずこまで行かるるや”との意の旨を問うた。
 すると女性は”小生の下車駅は目前に有。然るに全く御心配無用に付、当方貴方の着席を強く願い度”との意の旨を老婆に告げた。
 老婆は今度は何も言わず、かの席の方を眺め、しばらく考えた後申し分けなさそうに一礼すると、その席へと向かって行き無事着席を果たした。

 女性の方は、やり遂げたというような風に、老婆の着席を確認した後クルリと向きを変え、僕の目の前の手すりに持たれ掛かかった後、徐に携帯電話を取り出し何やら忙しそうに打ち始めた。
 こうして老婆と女性の位置換え作業が、僕の目前で短時間の間に筒が無く執り行われた。
 老婆も最初遠慮はしていたが、座ってから落ち着いたところをみると、やはり助かったに違いない。
 ちなみにこの席を譲った女性は数駅先の僕と同じ下車駅で降りた。同じ地元人だったようである。

 普段僕等は席を譲るにしても、せいぜい自分の目の前に来た老人にしか譲ることしかしないであろう。
 ちょっと距離が離れていると、もう自分の範疇外と決めてしまいがちだ。
 しかしこの女性は、自分とは結構距離のあった老婆を目ざとく発見し、わざわざ赴き、説得し、半ば強引とさえ思われる断固たる態度で老婆に席を譲渡した。

 これは男にでもなかなかできる行動では無い。
 女性の行動に勇気と力強さを感ずるとともに、その見習うべき行動を称え「見上げた女(ヤツ)」との称号を与えることとしたい。

 「2002.4.11(木)」曇後雨・涙のエピローグ

 日本のポップグループ、スターダストレビューに「涙のエピローグ」という歌がある。「THANK you」というアルバムに入っている。彼らの代表曲というと 「夢伝説」「今夜だけきっと」あたりだろうか。勿論僕も好きだ。しかし一番好きなのは、ということになると、この「涙のエピローグ」をどうしても挙げたい。
 若い頃慣れ親しんだ曲は大抵客観的な判断ができなくなっているものだ。この「涙のエピローグ」も、僕にとっては、そんな歌の一つかもしれない。

 これはおそらく失恋の歌だ。
 この年になって今はもう、失恋して何かに縋ったり慰めを請うことなんて、それこそおとぎ話の世界の出来事であるかのように、遠い世界の話になってしまった。
 しかし昔は、この「涙のエピローグ」のような失恋の歌に随分と慰められたものであった。

 失恋、ということを抜きにしても、この歌には、どこか人を慰めてくれるような雰囲気が漂っている。
 ”心変わりさへも、気づかなかった・・・”、切ない心情を吐露した、根本要氏の一種女性的な艶っぽいボーカルで始まる。これはビートルズも得意だった、冒頭からいきなりボーカルで始まるパターンである(余談だがボーカルで始まる曲には癒し系名曲が多い。「ヘイジュード」「TSUNAMI」そしてこの「涙のエピローグ」など)。
 おそらく客観的な判断ができなくなっているのは多分にあるが、15年以上聞き続けて、未だに愛せる曲だから、きっと名曲に違いないとは思っている。
 名曲は憂鬱な時でも、そっと手を差し伸べてくれるものだ。
 「涙のエピローグ」は今日みたいな雨の日でもやさしい調べを奏でてくれる。いや今日のような雨の日にこそ映える、まさにアジサイのような曲である。

 「2002.4.10(水)」曇・予期せぬ接触

 先日友人が遊びに来たので、普段は滅多にいかない地元のやきとり屋で、独身中年二人飲んでいた。
 そこは小奇麗な居酒屋風で、40代か50代くらいと思われる夫婦がやっている。
 僕等はカウンターでチビチビやっていた。
 常連客が大半らしく、座敷のほうには子供連れもいる。

 僕は生ビールの後、レモンサワーを注文した。
 おかみさんが、サワーを持って来てくれた。
 僕がサワーを受け取った後、おかみさんは僕の前にあった空いた小皿を僕の肩ごしに取リ上げて、下げようとした。

 その時、である。
 僕の背中にプニョッ、と柔らかな、僕にとっては非日常的な感覚があった。
 もう少し言うと”丸みを帯びた何かが伸し掛かってきた”ような感じであった。

 どうやら、おかみさんのオッパイだったようである。
 男の性(さが)というか、男というものは哀しきものかな、と思ったのは、この後おかみさんが急に色っぽく魅力的に見え始めて来てしまったことであった。
 おかみさんは、40代、もしかしたら僕と同じくらいかという感じで、色白でポッチャリしていて、ピンクの口紅が非常に艶っぽく光っている。
 ああ、オッパイの力はかくも大きいものかな!。僕はオッパイ星人では無いが、ほんの一触れのオッパイが、こうも世界を変えてしまうなんて!・・・、ちょっと大げさか。
 ま、ともあれ、女性にゃあ伊達にオッパイはついちゃねえな、と返す返す感心した次第であった。

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