Monologue2002-16 (2002.3.29〜2002.3.31)
「2002.3.31(日)」曇後雨・えー・・・、集めてます。

 3月も最終日。年度末ということで、今日は懺悔・・・では無いな・・・カミングアウト・・・というほどでも無いか・・・、ま、ちょっとお恥ずかしい告白をしておこう。
 それもこれも、先々週だったか、日曜夜の日テレ「おしゃれカンケイ」に小池栄子嬢が出演していた時、ゲストで出た小池の大ファンだというラサール石井氏が、小池嬢のトレカ(トレーディングカード)も集めている、というのを聞き、僕も勇気づけられたのである。

 トレカというのは、定期大程の大きさで、アイドルやスポーツ選手などの写真が写っており、種類が沢山あり、コレクターは、お気に入りの人物のものをできるだけ多く収集するのである。ま、昔あった仮面ライダーのカードみたいなもんであろうか。

 モー娘。のトレカが出た時、一応遊びで何枚か買ってみた。
 しかし僕個人のポリシーとして「トレカ集め出しちゃ、お終いだ」と思っていた。
 もう不惑の40を迎えんとするイイ年こいたオッサンがアイドルのトレカ集めちゃお終いだ、と思っていた。
 だからモー娘のトレカは、それ程持ってはいない(でも、持ってんのかよっ!)。

 ラサール石井氏は、確か妻子もあるし、年も僕よりは大分上のはずだ。その石井氏が巨乳イエローキャブアイドルのトレカを収集していると聞き、大変勇気づけられた。
 そんな訳で僕も告白してしまおう。

 えー、私、平田裕香チャンのトレカ集めてますっ!。
 言っちゃった。
 僕の部屋には彼女が女子高生姿で写っている専用バインダーまである。
 枚数も究極のファンの方々には遠く及ばないが、なにせBOX単位で購入したので割とある。
 ”初回特典”の言葉に、まんまと乗ってしまった、というのもあるが、自分でも無意識の内に注文してしまっていた。面目ない。

 只このトレカがカワイクて美しくて、思ったよりずっと良いのである。バインダーに整理し並べてみると、その美しさも一層引き立つ。
 普通の写真集とは違って、ミニ平田が一杯いて、時には水着姿などもあり、実に可愛らしいのである(皆さん、呆れ始めてきたぞ)。
 カードの持ってる、特有のツヤツヤ感や質感が、ヴィジュアル的に程良い心地よさを生み、結構癒されるものがある。

 実は今日、平田裕香チャンの2nd写真集発売記念握手会が新宿であった。
 僕は行こうかどうしようか最後まで悩んでいた。何しろ昨日など整理券を配布しているイベント会場の新宿の福家書店の前まで行って、整理券を貰おうか貰うまいか店の前を行ったり来たりして悩んだ挙げ句、結局そのまま帰って来てしまったくらいである。
 結局行かなかったが、今のところ僕にはまだ確固たるポリシーがある。
 「握手会行っちゃ、お終いだ」。
 しかし、この確固たるポリシーも、有名オッサン芸能人が、アイドルの握手会に行った、なんて話してくれればなあ、崩れるのになあ(全然確固じゃねえよっ!)。
 でも芸能人なら、仕事で直接会って握手できるだろうしな、こりゃ無さそうだな・・・。
 あっ、そうか、オレも芸能人になればいいんだ、そうだよな!、よし、なろう!(なんでそうなるわけ?。つーか、悩むんだったら握手会行ってやりゃいいじゃん)。

 以上今年度末の決算(?)御報告でした。
 え?。あっ、ちなみに2nd写真集は買っちゃいました(結局最後もアイドルがらみね・・・)。

「2002.3.30(土)」曇後晴・どーでもいいこと

 世の中にはハタから見れば「どうでも良いこと」と思われることも多々あるが、一人で外食することが多いと、その「どうでも良いこと」が、どうもやけに気にかかってしまうものである。
 例えば冬の時期「立ち食い蕎麦屋でコートを脱ぐか否か?」という非常に由々しき問題などがある。
 普段は脱がない。
 普通だったら食事中にコートを着ているなど非常に失礼なことである。
 ところが立ち食い蕎麦屋なら、それが許されるのである。
 むしろコートを着たまま背中を丸め日本人のリーマン(最近の女性が使う用語でサラリーマンのことらしい)の哀愁丸出しで、慌ただしく、ある種世を恨むがごとく掻き込む姿こそ正統派立ち食いスタイルと呼べる。
 そもそも「立ち喰う」ことからして、大変失礼なのである。それを基本から許し、そのスタイルの大前提としている立ち食い蕎麦屋では「コート着用」など、赤子の小便ほどの失礼度にしかならぬであろう。

 ところが、である。
 たまに立ち食い蕎麦屋で椅子が設置されているところがある。
 しかも空いている場合、椅子に座って、かなりリラックスした状態で、蕎麦をすすれる状況になる時がある。
 こんな時、ふと思うのである。”何も急いで喰うことは無いのでは無いか?”。
 まるで初期の猿人が、自ら二本足歩行が可能なことに気づいたように、ふと目覚める時がある。
 「人間性」「ゆとり」「楽しみ」などと言った単語が浮かんでくる。
 そして思うのである。
 「なんで、こんな暖房の効いた店内で、俺はコートを着ているのだ・・・?」。
 隣のカウンターでは、コートを着たリーマンが、慌ただしくソバを掻き込み、そして寂しげな後ろ姿で去って行く。僕には急ぐ理由は無い。この後は只一人の自宅に帰るだけなのである。
 僕はようやく真の人間性に目覚め、自らのコートを徐に脱いだ。
 そして気づくのである。
 ”置くとこが無い・・・”。

   *   *   *

 その他挙げられるのが「ごっそさん、言うか言わぬか問題」である。
 立ち食い蕎麦屋のように、食料の直接供給者と需要者、ま、僕なんだけど、そのニ者の距離が比較的近い場合は、あまり問題無い。
 立ち食い蕎麦屋は大抵セルフサービスのところが多いので、僕は膳を下げる時に、それを言うことにしている。

 先日珍しく立ち食い蕎麦屋で若い女性を見かけたので、この「ごっそさん、言うか言わぬか問題」を、かの女史は如何に対処せらるるやと観察していた所、無言のまま膳を下げ、無言で出て行った。やはり女性が、むさ苦しい立ち食い蕎麦屋において、か弱き美声(?)を発声すること自体照れ臭いのであろう。もしかしたら「アタシ、ごっそさん、言うか言わぬか問題に関しては、キッパリ沈黙します」と断固たる態度を貫いているのかもしれない。

 「ごっそさん、言うか言わぬか問題」が、問題として顕在化してくるのが、少し大きめの定食系の店である。
 吉野家、松屋、C&Cなどのカレーショップなども微妙に難しい。
 普通のレストラン・食堂だと、「勘定払い」という「ごっそさん」問題に関して絶好の儀式が、全行程終了後という恰好のタイミングになされるので、あまり問題は発生しない。
 「ごっそさん、言うか言わぬか問題」は、上記松屋などのように最初に食券を買う店、すなわち食事出したらとりあえずほとんどお役御免よ的な店で発生し易い。

 こういう店でも狭い店内だったり、そうでなくても空いている時などは、極めて言い易い雰囲気なのであるが、広い店内だったり混んでいて店員が一人一人に構っていられない状況だと途端に難しくなってくる。
 まともに言うと、無視される、というか聞いていない場合が多い。
 こんな時、この哀れな姿を隣の客に見られるのが嫌なのである。これが若い女性だったりすると事態は更に哀しい。

 黙って出て行くと、僕の店を出る自動ドアの音で、ようやく店員が僕の退出に気づき、後ればせながらの「ありがとうございました」をかけてくる。これは必ずかけてくれる。だからこのタイミングで振り返って、「ごっそさん」でも問題無さそうなのであるが、松家などで、ドアを出る去り際にわざわざ振り返って「ごっそさん」を言うのは、非常に奇妙なのである。
 まずこういうタイミングに挨拶をするのは、大抵オネエチャンのいるスナックみたいな店でのことが多い。
 帰り際オネエチャンがわざわざドアまで見送りに出て来てくれて「また遊ぼうね−」などと言ってくれる時こそ、振り返り「身体洗って待ってろよ」くらいのセクハラオヤジギャグなどを、とばしつつ去って行くのが、「出口振り返り挨拶」の使用されるスタンダードな状況なのである。
 であるからこれが寅さんの映画に出てくるシチュエーションのように、旅先の鄙びた飯処みたいなとこならいざ知らず、たかが、といっては松家に失礼であるが、松家の去り際に名残惜しそうに振り返り「ごっそさん」は、どうも映画じみた非日常性を醸し出してしまい、些か浮いてしまうのである。

 結局僕は、どうしているかというと、退出時、半径1m以内に店員がいる場合に限り、軽く聞えるか聞こえないかくらいの曖昧な感じ、要するに無視されても「オレ何も言って無いよと誤魔化せるレベル」くらいの感じで、「ごっそさん」を言うことにしている。それ以外の場合は沈黙退出、ということとさせていただいている。

 最近都内でも増えて来た、定食屋系チェーン店「大戸屋」での対応も難しいことこの上ない。
 ここは調理場と客席は隔離されている。
 つまり本来最も「ごっそさん」を言ってあげるべき「調理人」は、僕等には姿が見えないのである。
 この時点で既に「ごっそさん、言うか言わぬか問題」は相当なハンディが付き、暗雲が垂れ込めてくる。
 「ごっそさん」を言う対象がレジの人か、ホールの人に限定される。
 ここで僕は、「こうなると、ごちそうさま、ではおかしいのでは無いか?」などと新たな懸案に気づいてしまうのである。
 「あの人達は調理人では無いから、もし謝辞の意で何か述べて帰るとしたら、”ごちそうさま”では無く、”お疲れさま”が妥当なのでは無いか?。もし仮に彼らに”ごちそうさま”を言ってしまったら、”えっ?、オレ作ってないんスけど・・・”などとカチンとこられてしまうのでは無いか?。かといって彼らに”お疲れさま”と言っている客はいないよーだし・・・。」などと言ったどうでもいいような思考が僕の頭の中をグルグルと駆け巡っていく。
 更に続く・・・「最も完璧なのは、まず調理場に赴いて、そこにいる調理人の方々に、まず”ごちそうさま”を述べてだな・・・、そして次に、ホールの方々に”お疲れさま”を述べる。うん、これなら完璧だろう。只果たして、そこまで僕に求められているか?、という懸念もあるしな・・・。皆がこれをやったらどうなるか?という懸念もあるしな・・。混んでると”調理場にごっそさん言い待ち”の行列が出来てしまう、という事態の発生も考えられ得るな。うん、十分有り得る。確かに。」

 結局「大戸屋」においては食べた後は、忙しく動き回るオニイサン・オネエサンにコソコソ隠れるようにして、無言で立ち去る、という方式を採用している・・・んだ、とさ。

「2002.3.29(金)」雨・マー、ベーベ・・・

 「M〜y Baby Does The HANKEY PANKY♪〜・・・」
 どこかヒシャゲタような歌い出しで始まる、このフレーズ、日本のテレビ好きなら、一度は耳にしている曲だろう。
 この「ハンキーパンキー( HANKEY PANKY)」1966年に、トミー・ジェイムスとションデルズという、日本人が聞いたらチビってしまいそうなふざけたネイミングのグループが出した大ヒット曲である。2週間全米1位に輝いている。

 日本人の僕等には、今や「踊るさんま御殿」のオープニングの曲として、シッカリ定着した感がある。
 ”小便出るぞ、だかなんだかは知らねげんど、さんま御殿の歌さなら、知ってるベ!(何弁だよ・・・)”などと言うお年寄も少なくは無かろう(?)。

 元々はアメリカンポップスのゴールデンソングライティングコンビである、ジェフ・バリーとエリー・グリニッジ(代表作は「Da Doo Ron Ron」「Be My Baby」など。二人は一時結婚もした)のコンビが、エリーの妹と3人で結成した「レインドロップス」の曲として発表した曲だったそうだ。
 それをトミー・ジェイムスが、レコーディングレパートリーが無くて急遽思いつきで取り上げて録音したという曲なのである。

 当初地方では、そこそこ売れたがそれ止まりだった。
 それが2年後ピッツバーグのDJが番組で使用したことから(今のさんま御殿みたいだね)、あれよあれよという間に話が展開して行き、結局は全米NO1にまで上りつめる。

 歌ったトミーもビックリだが、作者のジェフ・バリーもビックリだったようで”あの歌はまともに書いた歌じゃなかった・・・”とコメントしているように、作者本人もヒットするような歌じゃ無いと思っていたようである。

 ヒット曲には不思議な因縁めいたものがあるもんである。
 更に30年以上経て、今度は日本の、今やバラエティ番組としても最も人気の高い高視聴率番組のテーマソングになっているなんて、トミーもジェフも考えもつかなかったべさ、てなとこだろう。

 オマケに少し豆知識を。
 この「ハンキーパンキー」の前週のNO1は、フランク・シナトラの「夜のストレンジャー(Strangers in the night)」という名曲(”モテナイ独身エトランゼ”とはちょっと格が違うね)。これは一度は聴いた方が良いアメリカンポップスの名曲だろう。
 それから更にその前週が「ペーパーバックライター」という曲。ま「流行作家」みたいなもんだろうか。
 この”何とか自分をライターとして売り出したい”と願う男のことを歌った、なかなかイケてるロックンロールナンバーをヒットさせたバンドは、御存じザ・ビートルズ。
 序でに言っておくと、この「ペーパーバックライター」の前の1位は、「黒くぬれ(Paint it black)」でローリング・ストーンズ。僕が最初にストーンズに開眼した歌。
 これの前のNO1が、バラードの名曲、パーシー・スレッジの「男と女が愛する時(WHEN A MAN LOVES WOMAN)」。曲名とアーチストにピンとこなくても、この曲の冒頭の「WHEN A MA〜N,LOVES A WOMAN!」という切ない叫びのフレーズは、どこかで耳にしたことのある人も多かろう。
 そして、その前が・・・、もうこの辺でやめとくか。月曜・月曜・・・。

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