Monologue2002-08 (2002.2.21〜2002.2.24)
「2002.2.24(日)」晴・つーかー

 僕の携帯電話はブッチャケていうとツーカーなのであるが、先日携帯用のサイト情報誌を見た所、ツーカーではアクセスできないサイトがメチャ多いのに今頃気づいた。
 つーかー(”てゆーか”の意)、ほとんどiモード用じゃん、みたいな。
 自分独自の規格で 突っ走る、という製品業界ではタブー的な事をやってますな、ツーカーは。
 ああ・・・ちょっと後悔・・・。
 つーかー(”てゆーか”の意)今後どんな機種でも見れるグローバルな規格が登場してほしいですな・・・。
 つーかー(”てゆーか”の意)、ま、どっちにしろ、今あんま使って無いからいいだけんどね。
 つーかーつーかーつーかーつーかーつーかー・つーかーつーかーつーかーつーかー(ドップラー効果でフェイドアウトして下さい)。

「2002.2.23(土)」晴後曇・史上最大の?作戦

 僕が初めて自分の小遣いで買ったアルバム(LP)はビートルズの「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」であった。
 普通ならこれだけで話は終わるのであるが、これを買った当時、情況的に一筋縄ではいかぬものがあり、購入に結構苦労した想い出がある。

 当時の他の家でもそういうところは多かったかもしれぬが、我が家でもまだまだ「ロックは御法度」の雰囲気があった。
 部活やクラスなどを通じての友人は可であるが、ロックを通じた友人は不可、みたいな雰囲気すらあった。
 やはりロックよりも勉強、なのであった。

 こんな雰囲気であるからビートルズのレコード、ましてやLPなど買うなんて、タブーですらあった。
 実際の所、保管にそんなに場所を取らないシングルレコードは一応隠れてコソコソ集めたりしていた。
 しかしLPとなると大きさも嵩張り、家で大っぴらに置いておくわけにもいかず、なかなか入手には手をこまねいていた。
 だが当時僕の「サージェントペパーズ〜」入手の意志は相当強固なものがあった。
 今でも最高傑作とされる「サージェントペパーズ〜」を聞かずしてビートルズファンは名乗れない。
 僕はその”ビートルズファン”になりたくて、僕の中では証とも言うべきアルバムを手に入れて置きたかった。であるから「サージェントペパーズ〜」の入手資金も今までコツコツ溜めたビートルズやその他の洋楽のシングルレコードをほとんど友人に売りさばいてまで捻出したくらいである。今思えば大変勿体ないことをしてしまったが。

 ともあれ、そんなこんなで一応2500円という当時の僕には大金であるが1枚のLPを購入できる軍資金が確保できた。
 後は入手のタイミングである。
 普通に買物に外出してしまうと後で、どこ行ってたっ!!、などと追求されバレてしまう恐れがある。かくして昼間の購入に関しては、非常に危険が高く不可能に近い。誰かに見つかりパクられる可能性も高く身動きが取りにくい。
 当時僕は中学で野球部に入っており、学校から帰宅後や夜などに家の前でキャッチボールやバットの素振りなどをイッチョ前に形式上はすることもあった。
 この夜に行なう「素振りの時間」のタイミングのみが唯一外出しても追求をされず怪しまれない時間なのであった。
 「やるのはこの時しか無いっ!!」
 ほとんどノリはハリウッドのアクション映画じみてきたのである(ここでミッションインポシブルのテーマかかる)。

 僕は夕飯を早めに済ませ、”いつものように”を装い、バットを用意する仕草を大げさに行い、時にバットを大げさに倒し、わざと音を立てたりして、家の人に、”オレこれから食後の素振り行ってくっからネエー”、という空気を目一杯出すように細工した。
 一応コレで僕は、素振りの為に家を出た、というアリバイを作った訳である。
 ちなみに僕は食べるのが人と比べ速いのであるが、それは当時五人兄弟という状況下において必然的に身についた技であった。これが後に今日の作戦遂行に多いに役立ったわけであるが、それは後に述べることとする。

 家を出て、ほんの2〜3回お約束程度にバット振り回した僕は、その後家の脇にバットをソッと置き、次の瞬間猛スピードでダッシュしていた。
 今でもそうかもしれぬが、地方の商店街は閉店が早い。
 僕はレコード店が閉まらぬ内に、と急いだ。
 家の人達は、まだ何も知らずにメシなんぞを食っているはずである。

 僕は走って走って、辛うじてまだ開いていた地元の商店街”昭和通り”のレコード店に駆け込んだ。
 それからは無我夢中で、気づいたら「サージェントペパーズ〜」抱えて家に向かってダッシュしていた。

 家の近くの曲がり角まで到達し、そこでダッシュをストップした。
 そおっと家の辺りの気配を伺う。ここで家の誰かが出て来てしまうと、せっかくの苦労も水の泡である。
 どうやら誰の気配もなさそうだ。急いで僕は先程家の脇に置いたバットとレコードを持ち替え、又ほんの2〜3回お約束程度にバット振り回す。今度は気休めである。

 兎にも角にも急いでレコードを自分の部屋に持って行く作戦に取り掛かることにした。
 これも緊急を要する作業である。何しろ家の者が食事をしている最中に全てを完了させねばいけない。各々が食事を終えバラケ出し、あまつさえ母親が台所に出て来て片づけをし始めてしまったら、もうタイミングは無い。こんな時僕の食事時間の短いのが功を奏するのである。短ければ短いほど作戦遂行に余裕が取れるのである。

 僕はバットとレコードを持ち、ソロソロと家の中に入った。そしてレコードが右側に来るように持ち替えた。これは玄関から見て茶の間が左側にある為、緊急時にレコードをどこかに隠すことができるようにとの配慮である。
 僕の部屋は二階に有り、そこまで辿りつく為には、どうしても家族が食事をしている茶の間の前を通らなければならなかったのである。
 バットを左、レコードを右、と自由の女神では無いが、フル装備になった僕は、わざとバットを辺りに打ちつけ、音をさせ、いかにも素振りから只今戻ってまいりました臭をアリアリと匂わせつつ、内心は超ビビリながら恐る恐る茶の間へと近づいて行った。
 ここで茶の間の障子が閉まっているかどうかを確認。

 ところがここで異常事態が発生、なんと障子が開いているのである。
 ほんの30cm程度であるが、そこから辛うじてまだ食事中の家族の姿が見えている。
 次の刹那、「お兄ちゃんかいっ!」(注:長男なのでこう呼ばれていた)
 ドッキーーンンンン!

 しまったーっ!。僕は目一杯テンションを落とし「う、あーっ」などと曖昧な返事を返す。
 やばいっ、と思ったが、母の追求は幸いそれだけで終了したようであった。

 ふうっーーー。冷や汗を拭いつつも、急いで又バットの音を鳴らし、咳払いなども交えつつ”只今素振りから帰って来てバットの保管作業に取り掛かっている最中でございます臭”をアリアリと醸し出しながら、仕切り直しの緊急作戦会議を一人で執り行った。
 ”レコード右手じゃマズイな・・・”
 先程の障子の開き具合だと、右手に持っているとバレそうだが、左手ならちょうど死角に入りバレなそうである。

 この決議決定以降の僕の行動は素早かった。人生今までに無かったような俊敏な動きを見せた。
 バットを置き、レコードを左手に持ち替えると、僕は家族に姿を見られぬよう壁を伝うように階段まで行き、後は一気に階段側にターンするや否や、脱兎の如く駆け登って行った。
 僕が食事を終了してからおそらく20分間位の出来事だったと思うが、あの時ほど家の玄関から自分の部屋までが長く感じられたことは無かった。

 かくして僕の自分音楽史史上最大の作戦(?)は無事成功裏に終わった。
 こうしてようやく手に入れたアルバムが、僕にとって想い出の一枚になっていないわけが無い。

「2002.2.22(金)」晴・ズバリ静電気

 冬場意外に鬱陶しいのが静電気である。
 ドアノブに手を掛けた時にビチ〜ン、と、一体何が起きたんだよ感覚の鈍く不快な衝撃感が手の先に走る。
 以降そのトラウマで、一切のドアノブに触れるのに抵抗が出始め、それからはドアノブを一二度程殴ってから手に取る、などと第三者が見たら、まず不審な輩にしか見えないような行動パターンが身について来てしまう始末である。

 静電気はドアノブだけでは無い。
 意外なものに静電気攻撃をされ、大変なダメージを受ける時がある。
 例えば銀行のキャシュディスペンサーなどがそうである。

 僕等は銀行には金をおろしたり預けに行ったりする。銀行とは生真面目でキチッとしたところだとばかり思っている。

 僕は以前キャシュディスペンサーで金をおろし、いざ札を取り出そうと、払い出し口に手を突っ込んだ瞬間、ビ〜〜イ〜ン、と鈍く重い衝撃が掌を通じて身体に走ったことがあった。
 一瞬何かと思った。
 どうやらあの憎っくき静電気から奇襲攻撃を受けたらしい。僕はあまりのことに金を取り出すこともできず思わず手を引っ込めながら、ウオッホホッ!、などと熱帯雨林に生息する珍種のサルの類いでは無かろうかと間違えられそうな素っ頓狂な声を発してしまい、周囲の客の面前で恥ずかしい姿を晒してしまったことがあった。

 静電気が走った瞬間は一種の脱力感と、意外さからのショックでしばらく意気消沈していたが、店を出ると次第に怒りが込み上げて来た。
 ナンだよアレッ!。罰ゲームかよッ!。
 もしかしてこれは銀行側の陰謀で、顧客に何とか金を降ろさせないよう、ワザと一般用キャシュディスペンサーに、ほのかに電流を流してんじゃねえかと、勘繰りたくもなった。
 銀行は真面目でキチンとしてると思ったのに、静電気で姑息に意地悪かよっ!。

 それにしても昔はこんなに跳梁跋扈するが如く静電気が蔓延っていただろうか?
 確かに子供の頃は住んでいた実家も木造だったから、回りの環境からは静電気が発生しにくく、姑息な意地悪に遭遇するような状況は、ほとんど無かった。
 現在はと言うと、狭い部屋に電化製品も一杯、衣類も化学繊維が多く、これでは静電気を招かない方が不思議なくらいである。

 そういえば、一度夜中に起きて布団を剥いだら中に敷いてあった毛布の上を、まるでエクトプラズムか蜘蛛の化け物かと見紛うような、小さく走る白い網目のような光が、暗い部屋の中で鮮やかに且つ物凄い速さで走っていくのが見えた。
 ここまで来やがったか・・・、とその横暴に勢力を拡大する静電気達に、半ば呆れ返ると同時に、感嘆すらしてしまったものであった。

 これだけの静電気があれば自家発電も夢じゃなかろうて、などと思いたくなる今日この頃であった。

「2002.2.21(木)」晴・笑いの方へ

 今日の日本テレビ「モーたいへんでした」で、テリー伊藤氏が「人生迷ったら、笑える方(後で笑いになる、笑い飛ばせるの意)へ行け」と言っていたのが大変印象に残った。

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