Monologue2001-72 (2001.12.26〜2001.12.30)

「2001.12.30(日)」晴・来年も愛で

 一昨日は東京での飲み納めで最後は渋谷のオネエチャンの店からカラオケで朝までパターンであった。
 夕方近くに起きて高校時代の先輩がヘルプで出演した舞台を中野のウエストエンドスタジオに見に行った。
 JAM BAL JAN JAN パイレートの「Sentimental  Beggars Night 2001」というコメディタッチの芝居で笑えたが、なんと出演者が全部女性だったので、そこが僕には大変グッドであった。

 今年はアメリカの同時多発テロや企業の倒産なども顕著になり、いろいろ考えさせられる出来事が多かった。
 僕も不況の煽りを受けたクチで表面的な状況は必ずしも順調ともいえなかったかもしれない。
 只、どんな深刻な事態や絶望的な状態でも、その中に必ず次のステップの創造への鍵が隠されていると思う。
 人間の不幸とは、その鍵を見つけられないこと、それで最も憂うべきことは、それを見つけようとしないことだと最近つくづく感ずるようになった。

 又大言壮語的になったが、来年も益々大言壮語でいきたい・・・ん?、じゃないよな。
 今日から帰省の為、この日記も今年の掻き納め・・・じゃない、書き納めになる。
 締めの言葉はやっぱりアルファベットでHだね、H最高!・・・ん?失礼・・・一文字間違えた・・・。
 Iです。I。
 アイ、すなわち愛。やっぱ何でも基本に愛がなくちゃね。

「2001.12.27(木)」晴・理想としては

 いつも文を書く時思っているのであるが、できれば全体的な調子を面白おかしくしていきたい。
 僕の理想としては全部の文という訳では勿論無いが、できれば読んでる人に兎に角笑ってもらいたい、というのがある。
 しかし普通のことなどを面白おかしく書くのは結構大変なのである。

 一応いろんなネタが思い浮かんでは消えて行くのだが、大方はどうも愚痴っぽいような理屈っぽいようなものばかりで到底笑いには程遠い。
 それでもとりあえず書いてみる。
 そこからそれを笑いにまで持っていくのは、相当難しいのである。
 普通の笑いでもなかなか思い浮かばないところに、更に誰もが納得するような慈愛に満ちた普遍的な笑いにするとなると、もうかなり精度の高く且つ芸術的な努力が必要となる。チャップリンや東海林さだお氏は偉大なのである。

 それでもやはり面白おかしく書けたら幸いである。
 僕がそれにこだわる、もう一つ裏の理由として、これは個人的な不思議な発見なのであるが、粋がって真面目に書いた文は後で読んで、ちとやりすぎかな、と思うくらい赤面してしまうのであるが、面白おかしく書こうとした文は後で読んでも、なぜかそれほど恥ずかしくはないのである。
 たぶん真面目に書いたものは明らかに大言壮語になっているのだが、一方笑いを軸にした場合、大げさであればあるほど、笑いとしてはオイシイから逆に上手くハマッてくれるからなのだと言う気がする。従って面白おかしく書いといた方が後々自分も振り返って読み易いのである。

 テレビなどでお笑いの人などは同じ苦労話でも、さらっとユーモラスに話が出来たりして、さすがだと思う。
 得てして苦労話はネタ自体が重たいし、その上語り口調までが重たいと、聞いている方も心配になってきて同調し沈鬱になってしまう。
 でもそれがユーモアを持って語られると、聞いている方も笑えるし、何より勇気づけられる。

 苦労話を笑いにするには、それを笑い話にしてしまえるだけのキャパが自分に必要だろう。
 それからネタを公表する時節というのも大事だし、その為の熟成期間というのも必要であろう。

 難しい、ということはそれだけ価値があることだろうし、つくづく笑いはグレートだと感ずる今日この頃である。ありゃりゃ、この文自体も笑いどころありませんでしたな。まだまだですな。

「2001.12.26(水)」晴・きよしこの夜

 クリスマスが終わってからクリスマス関連の話題もなんなのであるが、「きよしこの夜」という歌、知らぬ人も少ないと思うが、この歌のコード(和音)進行が、演奏によってたまに違う場合がある。
 まあ、音楽のアレンジというものは多種多様なので当然コード進行は違っても別段おかしくは無いが、顕著に違って聞える大きな二種類のタイプが、この曲にはある。

 それは歌詞で言うと、曲が一番盛り上がる「眠りたもう」のところである。
 音楽に興味ない人には、ちょっと退屈になってしまうかもしれぬが以下に説明する。

 普通のケースはキーがハ長調(C)の場合「(G7)ねーむーりーたー(C)もーおー」(()内がコード。)、とG7とCという2つのコードで構成される。子供向けの楽譜などは、大抵こうなっている。

 もう一種類は同じくキーがハ長調の場合以下のようになる。
 「(G7)ねーむー(G#dim7)りーたー(Am6)もー(F#m7b5)おー」と、いと物々しげな4種のコードで構成される。
 「眠りたもう」は八分の六拍子で2小節あるが、半小節毎(八分音符♪が3つ分、タ・タ・タ)にコードが変わって行く。
 こちらはポップスのアーチストがカバーしたりする時なぞに使われる。

 機会があれば聴いてもらえば違いは明らかなのであるが、前者が割合に平板で清々しい明るさに満ちた響きになるのに対し、後者は陰影に富んだ深みのあるロマン派的な響きになる。

 ちなみに僕は、やはり後者の響きの方が好きである。
 後者は「もーおー」の箇所で短調系のコードが出てくるので、そこで一瞬暗くなり印象が沈下するが、その分次の「夢やすく」の箇所が長調なので、そこで一気に緊張が緩和され、一種のカタルシスが起こる。従ってこちらの方が一層清浄感が際だってくるのである。

 ちと難しくなってしまったが「きよしこの夜」に限らず、いろんな歌でこの手のコード進行の変化をつけることができる。
 これは音楽の多大な楽しみでもある。

back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top