Monologue2001-71 (2001.12.20〜2001.12.25)

「2001.12.25(火)」曇・歩きながら感じ取る

 街道を歩くことは基本的に楽しいのであるが、勿論その過程においては好ましい事態ばかりが発生するするわけでは無く、混迷・焦燥の時を過ごす時もある。
 そんな時は、ふといろいろと考えさせられるもんである。

 道を歩いていて川べりに出てくる。自分としては向こう岸に渡りたいのであるが、近くに橋が無い。
 しばらく橋を探して川岸を歩くが橋がなかなか出てこない。
 実に1kmにわたって橋が無い、なんてこともある。
 渡りたい先が、ほんの数十メートル先に見えているのに、大幅な遠まわりを余儀なくされるのである。
 身近にいるのに手が出ない通勤途上の美女の如きもんである。
 間を隔てている川はその実際の幅以上に深い溝を双方に与えているのである。
 こんな時は痛切に橋の必要性を感ずる。

 普段、川に懸かる橋なんて極当たり前のように思ってしまう。
 しかしそれがそこに出来上がるまでには、例え小さな橋だって、人々の痛切な願いと数多の人の尽力が有り、奇跡的に出現してきたのであろう。

 郊外を歩いていると、人気の無い雑木林に囲まれた道などが有り、昼間はとても良い気分である。
 しかし夜になったら恐い。
 そんな時に街の明かりが見えるとホッとする。
 街に行けばコンビニだってあるし、交番だってある。
 そこに街があるということは、長い年月を賭けて人がその場所を選び集まって来たのである。
 一朝一夕にできることでは無い。
 もっと遡れば街道があるということだって大変なことである。
 もともと原野だったところに遥か昔に道を切り開いた人達がいて、僕は今そこを通らせてもらっている。なんと奇跡的なことだろうか。

 街道を歩いていて空腹感を覚えた時に、さあ食事をとろう、と思っても店が無い。
 30分ほど歩いてようやくスーパーを見つけ、そこで惣菜やパンを買ったりしてどうにか食料にありつける。

 テレビなどでは健康に注意し、食事は3度3度キチンと取り、栄養価の高いものを食べて云々・・・と細かな注意を与える。
 確かに現代の整備された食事環境ではそれが理想だし、そうすべきなのだろう。
 しかしそれは恵まれた現代の日本だからこそできるのである。
 決まった時間に食べたくても食べるものが無いことだってある。
 僕等は健康的な食事の選択ができるが、選択の余地の無いことだってある。
 世界中には、いや日本にだって選択すらできない人達が一杯いる。
 こんな恵まれた環境になるまでには、今まで人々の痛切な願いと数多の人の尽力が有り、それはようやく実現されたものだろう。
 そしてそうした環境に僕が生まれてこれたことは、地球からみれば実に奇跡的なことではないのか。

 僕は、何も昔の質素な生活に戻るべきだとは言わないし、きっとそれは現代では難しいだろう。
 今とりあえず僕にできることは、日常に埋もれている数多くの、奇跡や、人々の願いや、尽力や、努力や、血と汗と涙と・・・、そうしたものを、もう一度良く噛み締めて、味わって、道を歩く時のように体全体で感じとってみる、ことなのである。

「2001.12.24(月)」晴・赤山詣でて

 今日は埼玉県川口市にある赤山城址に行ってきた。赤山街道と言う街道の起点でもある場所である。
 ちょっとした小さな公園の体裁になっていたが、本当にとても静かなところで人が全然いなかった。
 街道の興味からここまで来たのだが、快晴の下、雑木林に囲まれた堀跡などを眺めていると、ふと、オレなぜここにいるんだろう?、と改めて考えたくなってきたりした。
 結局そこから東武伊勢崎線竹の塚駅までテクテク歩いて来た。また改めて赤山街道については何かレポートしたいが、今日歩いていて気がついたことを記述しておく。

 まず、日暮里と足立区の舎人(とねり)を結ぶ鉄道が計画されていることを立て看板で発見した。大体尾久橋通りに沿って鉄道は通るらしい。ゆりかもめみたいなモノレール形式のようである。
 楽しみにしていいのかどうかはわからないのだが、とりあえずこれが出来てくれると僕も確かに街道散策においてかなり助かる。

 それから東武伊勢崎線竹の塚駅の西口に「伊興(いこう)」という地名があった。
 中学の時の先輩に、伊興さんという人がいたのを思い出した。
 僕の故郷は静岡県焼津であるが、当時は全然意識しなくて何とも思わなかったが、今考えてみると、この「伊興」という名字、僕の田舎では、それからは後にも先にもこの中学時代の先輩しか見たことない珍しい名字だったように思う。そう言えば上京してからも見たことが無い。
 もしかしたら中学時代の先輩の出は、こちらの竹の塚近辺だった可能性も有り得る。

 全然話は変わるが、フジのドラマ「アンティーク」で流れていた、とても印象的だった(一番良かったかも)、ミスチルの「君が好き」という曲が元旦にリリースされるらしい。

「2001.12.23(日)」晴・日本人の起源

 昨日・今日とモー娘。の特番があり、僕としても大変嬉しい限りであったが、番組制作サイドは、きっと僕のようなモテナイ独身モー娘贔屓が、この連休予定が無くて家でゴロゴロしているのだろうと踏んで、このスケジュールに特番をブツケて来たんじゃないかと勘繰りたくなり、それを考えると悔しいような、まいいかみたいな諦観のような複雑な思いの今日この頃である。

 そんな中ーっ、今日の夜から、NHKスペシャル「日本人はるかな旅」の再放送が始まった。
 第一回目はシベリアから日本に流れてきた人々についての話である。
 縄文人のDNAと同じDNAを持つ、そのシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人の顔を見たが、まあ日本人とソックリなこと・・・。中国人などより全然似ている。
 おそらく最も初期に日本列島に流れ込んで来た人種である可能性は高そうである。

「2001.12.22(土)」晴・お約束

 今年も無事モテナイ独身エトランゼには、あまり縁の無いクリスマスの時期がやってきた。
 確かにこの時期というのは天皇陛下のおかげで休日もできたし、もう少しで年末年始だということで気分的にも緩やかになっているから人々も何かこうシッポリしたいような気分になるのだろう。
 もしキリストが梅雨のジメジメした時期などに誕生していたら、きっとクリスマスはこんな感じにはならなかったであろう。釈迦の誕生日が良い例である。

 キリストの誕生日は時期的にもかなりイメージが良い。
 釈尊はかなり損をしている。学校などが始まって間もないドタバタした時期で、一般人民も相当古代の1ネパール人の誕生日なぞ祝ってるどこじゃネエ、という状態なのであろう。

 終わり良ければ全て良し等というが、確かに例えばやはりクリスマスの時期に何か良いことがあれば、今年はヨカッタ・・・という印象で年を締めくくれるのであろう。
 これが梅雨のジメジメした時期にクリスマスがあったら、そこで良いことがあっても、まだまだ何が起こるかワガンネベサ、などと起った出来事もちょっと格下げ、みたいな印象になってしまい兼ねない。
 偶々年末年始が近かった為、こんなところもクリスマスは得しているのである。キリスト、計算したな?・・・などという感じである。

 この時期モテナイ独身エトランゼ群が、自分の誕生日すらロクに祝ってないのに、なんで人の誕生日祝うんじゃ!、みたいな愚痴をわめきたてたり、もしくは自分は平気さ達観したさ、みたいな未練がましいことを毎年喚きたてる時期でもある。
 近年では喚いとかないとモテナイ独身エトランゼとしてのアイデンティティが失われるのでは無かんべなと言う思いすら沸き起こってくるくらいである。だからここは一つ喚いとけ、みたいな、ここに挟んどけ、みたいな、んな感じのノリですらある。一種のモテナイ独身エトランゼ的儀式でもある(何が目的なんだよ)。

 モテナイ独身エトランゼ種にとっては世のモテル男女とは逆で、クリスマスは世を儚む時期にあたる。
 クリスマスとバレンタインという二大疎遠イベントに挟まれた冬の時期、世を儚む作業はクリスマスに始まりバレンタインで一通り終わる。
 これが終わるとモテナイ独身エトランゼにも春の気配がようやく訪れる。但し純粋に自然科学上の春である。じゃあ誰にでも訪れますな・・・ははは。
 以上、この時期お約束のモテナイ独身エトランゼの戯言でしたー。

「2001.12.21(金)」曇一時雨・僕はまだわかってない

 テレビTOKYOの「芸術に恋して!」で黒澤明監督が取り上げられていた。
 その中で監督が80歳になり、もう既に大成し大御所になってから授賞した、アカデミー賞特別名誉賞授賞の席でのコメントを述べていたVTRが流れていたが、あまりのカッコヨサに背筋がゾクッとなった。
 「僕はまだ、あんまり映画と言うものがわかってない・・・」
 うわーっ!、スゲーッ!、言ってみてえーッ!、オレもっ!。
 こんなセリフは、いくらお金を積んだところで誰にでも言えるセリフでは無い。きっと神に選ばれた世界の数人だけが言えるセリフだろう。深いね。
 こんなセリフがアカデミー賞みたいな席で言えたら、きっと美女100人にモテルより全然気持ちいいだろうなあー・・・。
 ・・・でも101人だとわかんねえな・・・ん?そーゆー問題じゃないって?。

 ま、ともあれ僕はお恥ずかしながら黒澤作品は未だ数本しか見ていないのであるが、その数本でもどれも素晴らしかった。
 「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「羅生門」。
 「用心棒」や「椿三十郎」では、その主人公の、現代のサラリーマンとは違う、あまりに自由で力強い生き方に、本来泣き所では無いのだが、思わず目頭が滲ん で来てしまうほどであった・・・。

 おっといけない。この件で語り出すと長くなるからやめとこ。
 全く黒澤作品についてまだ全然わかっちゃあいないのに、どうもいろいろと語りたくなってしまうもんである。
 要するに良い作品と言うのは、いつの時代でも人を饒舌にさせてしまうものなのだろう。
 僕はまだ、あんまり映画と言うものがわかってない・・・こっちは本当。

「2001.12.20(木)」晴・街道を歩くと

 今日は休みだったので、旧鎌倉街道を歩いた。
 コースは世田谷区の上野毛から目黒区の中目黒で、詳細は別途別なところに書く予定では、ある(なんだ?その微妙な間は・・・)。
 今日意外に歩けちゃうもんだな、などと我ながら妙に感心してしまったのは、このコース歩いて正味3時間程で歩けてしまったことであった。
 当初もっとかかるようなイメージがあり、この半分くらいの距離で終了しようかと思っていたが、実際歩いてみると天気もよかったし、「あれ?もう都立大?」みたいな感じで、ズンズン行けた。

 確かに地図を見ると、この距離は大体渋谷〜池袋くらいの距離で、池袋〜新宿プラス新宿〜渋谷、と考えると、まあ大体そんなもんかな、それくらいで妥当かなという感じではある。

 あと感じたことを、もう一点述べて置くが、やはり昔の道の出来方は地形に非常に密接していて、その現場の地理的状況とは切っても切り離せない。今の道の作り方のように、障害物があったら砕いちまえ!てなことはしていない。
 街道を歩いていると歴史的な事物にも興味が行くが、同時にこうした地理的状況にも非常に興味がいくのである。
 特に今日歩いたコースは、川と台地が入り組んだ地形を作っていて結構複雑なのである。
 今は道路と住宅でノッペリしてしまっているが、昔の自然のままの状態を一度見てみたいもんである。

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