Monologue2001-68 (2001.12.1〜2001.12.6)

「2001.12.6(木)」雨後曇・色にいでけり我が恋は

 カワイコちゃんが通りかかると、思わずジイっと見入ってしまう時があるが、今日はそんな瞬間の僕の姿を偶々近くに居た第三者の野郎に見られてしまった。
 あっ、カワイコちゃんだ、と思ってそちらを見た際に別な視線を感じたので視界をずらすと、その野郎と目が合ってしまった。
 実に不覚であった。情けない。今思い出すだけでも相当無念である。
 僕の間抜けなデレッとした表情の変化の一部始終を見られていたに違いない。
 さぞかし鼻の下が伸びていたことであろうよ。いとくちをし。
 これは僕にとってかなり屈辱的な失態である。

 なぜこんなに憤るかと言うと以前こんなことがあったからである。
 とあるオフィスに勤務していたある日、僕の居たフロアで外部からの来客が有り、内部の人間と打ち合わせをしていたことがあった。
 そのフロアは元々人が余りおらず、従って女っ気も全く無い。
 打ち合わせのメンバーも男ばかりで、勿論そちらも女っ気が無い。
 打ち合わせは、何かしかつめらしい深刻そうな雰囲気で静かに行われていた。

 と、その時、庶務の女性が打ち合わせの連中にお茶を出す為に、そこに入って来た。
 すると面白い現象が起った。
 外来客に一人の青年がおり、彼が庶務の女性のお茶を差し出す姿を見た瞬間、その彼の周囲がパッと明るく活気づいて輝いたのである。
 今までと打って変わって華やいで明るくなったので、ちょっと遠目に居た僕でもあからさまにわかるくらい、雰囲気がガラッと変わってしまったのである。
 あまりの歴然とした変わりように、僕は思わず吹き出してしまったくらいである。

 その輝きは仕事による活力に満ちた輝き、などという恰好いいものでは無く、どう見ても全然別種の、ぶっちゃけて言えば、メスを見たオスが色気づいちゃった時の輝きとしか言い様が無かった。
 その男性が庶務の女性を見る視線も、いかにも嘗め回すような「なんだよ、イイのいるじゃねえか」的視線としか言い様がなかった。ハッキリと「出し渋りやがって、どこに隠しておいたんだよ、コノヤロー」的光線をランランと出しまくっていた。
 彼の「女いるじゃん良かったよー」的喜びが、こちらの方まで伝わって来そうであった。
 僕は苦笑しつつ、なんだみっともネエナー、などと軽蔑に近い思いで、この顛末を見ていた。

 ・・・と、まあ、以前こんなことがあった為、人前で女性をジロジロ見るのはやめようと思っていたのであるが、これが男の性というか、ついやっぱり見てしまうのである。

 ああ、きっと今日僕のデレっとした姿を見ていた野郎は、僕が急に華やいだ感じに輝いたのでそれに気づいてこっち見たんだろーなー、それで、なんだみっともネエナー、などと軽蔑に近い思いで、この顛末を見ていたのだろうーなー・・・、ちっ!忌々しいっ!。

 それにしてもこうした色気づく様というのは、隠そうと思っても隠しとおせるもんじゃなさそうである。
 何しろ自然に輝いちゃうのだから。
 そう言えば昔の和歌で「〜なんちゃらかんちゃら、色にいでけり我が恋は」なんてのがあったと記憶するが、時として確かに自分の秘めた思いは顔の表情や言動だけでは無く、その人の周りのオーラみたいなもの、すなわち「雰囲気=色」になって出てしまうことがある。
 昔から歌になってるくらいだから、これはなかなか変えられない人間の習性なのだろう。

 それなのに、なんで女性が僕を好きかどうか、女性の色づく様を見分けられないのかなあー?それが腑に落ちんのだな。
 ん?。誰もアンタにラブラブ光線は送って無いって?。
 だから見分けるも何も無い、元々無いからって?。
 ちちち、ちくしよお・・。

「2001.12.5(水)」曇・いつの間にか平和に

 今朝駅のホームで二人の男性が言い合いをしていた。良くある満員電車での小競り合いのようであった。
 ま、正確には言い合い、という感じでは無く片方が一方的に圧倒していたような感じではあった。
 一人の男性は身長が180cm以上はある大柄な男性で横幅もあり、昔柔道かラグビーかそうしたスポーツをやっていたかのような頑強そうな身体で、今でもいかにも力を使う仕事をやっていますとも的雰囲気であった。
 もう一人は背丈は大男ほどは大きく無く色白でポッチャリした感じであるが、頭はパーマをかけていて、何か気の強そうな青年であった。

 当初は言い合いのような雰囲気で一触即発かとも思われたが、大男の方が断然迫力が有り、ザケンジャネエヨ系の威嚇言語をふるい有無を言わさぬ迫力で、ポッチャリ男は次第に圧倒されていき、両者電車に乗り発車する頃には、ポッチャリ男は不服そうな表情をしつつも、(だったら)すいません、みたいな詫びを連発し辛うじて応戦していたようであった。
 電車が発車してからも、大男の攻撃は止まず圧倒的優勢を誇っていたようであった。
 しかしながら回りの乗客はこんな不意の厄介事の発生で、相当対応に困っているような感じであった。

 しばらくは攻撃が続いており、僕も成行きが心配だったのであるが、実は僕の隣に密接して来たオネエチャンがベリー・キュートだった為、ついそちらに気を取られ、電車が混んでることもあいまって事の成行きを確認する作業をウッカリ忘れてしまうという体たらくであった。
 オネエチャンは、僕の前にいた。
 それで電車が揺れた際に彼女の方へ力がかかってしまった時、こちらを振り返った彼女の目が、なんとも言い難い何かを訴えかけるような、取りようによっては物欲しげな切なげな実に誘惑的な眼差しだったので、こちとらもう野郎の小競り合いドコじゃねえ状態になってしまっていたのであった。
 何しろ普段女性に縁の無い僕は、このようにかなりの至近距離で美女のキュートなつぶらな瞳を見ると、それはもう数十年分くらい若返ったようなパワーが沸き上がってくるのである。
 ん?。そんな話はどーでもいいって?。
 失礼。

 ほどなく乗客がドット降り、残念ながらオネエチャンも降りてしまったので、先程の二人がどうなったか探したら、なんと驚いたことに二人は談笑していたのである。
 ま、正確には談笑、という感じでは無く、やはり大男の方が一方的に談笑し、ポッチャリ男は若干ビビりながらも大男の話を聞きながら頷いていたので、一応戦闘状態は回避され通常のコミニュケ−ションレベルで平和裏に会話が交わされていたようである。

 僕がオネエチャンの色香に惑わされている内に一体どんな奇跡的な和平交渉が遂行されたのかは今となってはわからぬが、この短い時間に結構劇的な変貌を目の当たりにしてしまったのであった。
 昨今マスコミを賑わせている各種の暗い事件も、今日の一件のように、こちらがオネエチャンにウツツをぬかしている間に、いつの間にか解決しちゃってくれている・・・なんてことになればイイのにね。んなこたないって。

 やがて僕が降りた駅で大男も降り、この一件はどうやら落着したようであった。
 めでたし、めでたし・・・だったのかな・・・?。

「2001.12.3(月)」晴・オトボケ日

 今日は昨日着た私服に定期を入れっぱなしにしておいたので、朝駅の改札で定期を忘れたことに気づき、わざわざ切符を買って通勤しなければならない目に会った。
 それから今日自分のHPを見たら昨日更新したと思っていた分(12月2日分)が更新されていない。
 どうやら書いたまでは良かったが、データのアップデートの送信をスッカリ忘れていて、自分では更新したつもりになっていたらしい。今日は合わせて二日分の更新。
 どうもスットボケタ日であった。ちょっと気になったのは、昨日の地震、今朝の埼京線車両故障、夜の目黒区停電、と何か世の中も多少荒れ気味の気だったような気もするが。

 さて、平日に洗濯する場合は日中外出している間に洗濯機をタイマーで運転しておいて、帰宅したら干す、という風にしているが、この干す作業が結構辛い。できればやらずに済ませたい。やらないで良いならば、即やめたいくらいである。
 そんな中、洗濯機のタイマーをウッカリ入れ忘れて外出してしまった。
 こういう時は帰ってきてから全く洗濯されていない洗濯槽の中を見つつ、なぜかホッとしたりする。

「2001.12.2(日)」晴・赤山街道

 以前旧日光街道を散策した際、東武線の竹の塚駅付近の道路に「赤山街道」という標識を見つけた。
 「赤山(あかやま)」とは当時聞き慣れない地名であったが、後日調べた所、埼玉県川口市の赤山城のあった付近の地名であることが判明した。
 元々旧街道が好きな僕であるが、この「赤山街道」も当然気になり、いつか行ってみたいものだと思っていた。

 さて、今日又旧鎌倉街道・日光御成街道を散策の為鳩ヶ谷に赴き、その後東の方面にちょっと気になった道があり、それをブラブラと歩いていった。

 しばらく行くと、なんと「赤山陣屋跡」の教育委員会作の道標が・・・。
 知らぬ間にどうやら赤山城跡地まで歩いて来ていたらしいのである。
 「ここが、赤山街道の発端かあ・・・。これで点と点が線で結ばれたましたな・・・。」
 赤山街道に関しては、竹の塚の時もそうであったが、特に赤山街道と意識していたわけでは無いのだが、あれよあれよと導かれるままに辿りついてしまった。
 まさに今までバラけていた竹の塚での出来事と、今日この偶然の巡り合わせが結びついて、一つのストーリーになった。
 これは次なる散策ターゲットだとの、神のお告げか?。

「2001.12.1(土)」晴・ここにも一人

 今日はテレビなどでは皇太子妃出産の特番で大賑わいのようであたあった。
 僕は個人的にはテレビの録画予定を大幅に狂わされ正直、ちょっとハタ迷惑な所が無いといえば嘘になるが、これで昨今暗いニュースばかりの世間で、年の瀬に向けて少しでも救われる人がいるならば、それはそれで良し、というとこだろうか。

 そんな中「チェッ、今日はめちゃ×2イケだったのにい・・・」などとフジテレビにチャンネルを合わせていたところ、件の皇太子妃出産特番の中で、ふと懐かしい歌が聞こえてきた。
 それはさだまさしが出産に際して捧げた歌と称して歌っていた「夢一匁」という歌であった。

 この歌は、もう15年以上前のことになるが僕が大学を留年し、大宮に引きこもって生活していた時代に非常に良く聴いていた曲で当時は随分力を与えられたものである。
 「自分症候群」というアルバムに入っているが、僕はカセットテープでしか持っていない。
 最近はCDやMDを聴くことがほとんどになってしまい、このアルバムのようにカセットテープでしか持って無いようなものは、わざわざ聴くような機会が随分と減ってきてしまっているところであった。

 今夜改めて聴いたのは、たぶん本当に15年ぶりくらいだったろうが、皇太子妃出産のお蔭で、思いがけなく又懐かしいメロディーに触れることができた。
 何か昔のピュアな自分を思い出せたような感じで、正直あの頃のように、とても暖かく癒された気分になった。

 何のことは無い。
 皇太子妃出産の影響で「世間にいる年の瀬に向けて少しでも救われる人」の一人は、僕だったりするのであった。

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