「2001.11.25(日)」晴・してやられた
今日「笑っていいとも増刊号」を見ていたら、普段滅多に聞えてくることは無い玄関のチャイムを鳴らす音が聞えた。
勿論こんなことは、この市に住み始めて初めてのことである。
健康保険料は馬鹿高い。
しかしながら市が何を意図しているのか良くわからぬし、たかだか数千円の商品券ではあるが、給料日前にこの計らいは正直結構助かったことは否めない。
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「2001.11.24(土)」晴・とりあえずこんなことで
僕は東京でも、私鉄沿線の商店街なぞを何とはなしに歩くのが好きなのであるが、今回初めて大阪に行き、大阪にはほとんど無数に、と言って良いくらい商店街があり、まさに僕にとってはファンタスティックな街であった。
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「2001.11.20(火)」晴・旅にキリンジ
約一年半ぶりの旅行が目前に迫り、かなり気も漫ろになってきた。
ま、ともかく内容についてだが、今回も昔の洋楽をベースにした感じの音作りには変わりはないが、楽曲の充実度も増し、もしかしたら今までの最高傑作的な位置づけになる作品になるかもしれない。
余談だがキリンジの属する事務所ナチュラルファウンデーションのHPを見たら、今回のアルバムはスコア(楽譜)も一緒に発売されるらしいので、そちらもいずれ手に入れたい。 |
「2001.11.19(月)」晴・夢の続きを・・・
Folderは最初、しょうもないガキンチョのグループだと思っていたら、なんかいつの間にかFolder5などと称してカワイコチャンのグループになっちゃってるじゃないか。 この間自宅のパソコンにウインドウズ98入れて新しくしたと思ってたら、もう今やXPの時代だそうだ。 そう言えば僕が学生の頃隆盛を誇っていて安定しているなんて言われていた企業は今やもう軒並み赤字で、中にはもう無くなってしまった企業すらある。 全くこんな風に世の中絶えず移り変わっていくもんなんだと最近身に沁みてわかってきた。
カラオケも今や日本を代表する文化にまでなったが、僕がカラオケを始めた頃は、スナックや小料理屋に8トラックテープが置いてあるようなほどでしか無かった。カラオケはオジサン達のものだったのである。歌う時は歌詞の書かれた歌本を見ながらカウンターに座って歌うのである。
当時歌える曲はほとんど演歌であったが唯一、当時若者と呼ばれていた僕等でも歌える歌で、テープに収録されていたのが、今は解散してしまったが安全地帯の「ワインレッドの心」なのであった。
安全地帯の中で僕が大好きな歌は「夢の続き」というやつで「安全地帯4」の冒頭に入っている。
この曲個人的事情で一時封印していた時期もあったが、改めて聴くと確かに良い曲である。
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「2001.11.18(日)」曇時々晴・山手線沿いを歩く
僕が上京して来た1980年代前半頃は、僕の住んでいた大塚・巣鴨を含めた山手線北部は、新宿や渋谷などの他の区域に比較して、なんとなく「ダサイ」というレッテルが貼られていたように思う。今でもそういうイメージが世間的にあるかもしれない。 僕自身も当時はそうしたことを気にする年頃だったので、そんなイメージのある当時の自分の居住区を後ろめたく思う時もあった。
この辺りは多少のアップダウンと、北か南側によって断続部分はあるが山手線に沿って、ちょっとした高台をしばらく歩いて行くことができる。
僕は良く大塚の江戸橋付近から田端の高台辺りまでをブラリと歩いたりする。できればこの経路順が良い。すなわち西から東へ向かって行く方向である。
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「2001.11.17(土)」曇時々晴・市街化区域にトキメク
地図を見ると市街化区域には良くピンク色などで配色がなされているのを御存じであろうか。
現在は勿論各都市の大きさに一喜一憂することは無くなったが、市街化区域があると実際にそこに行ってみたい、という欲求に駆られる。しかしながらまだ行ったことが無く、他よりも細いが長めの市街化区域が地図上にあると、「こ、これは、も、も、も、もしや商店街では・・・?」などと、やはり相変わらず市街化区域の長さには一喜一憂しているしている自分に気づくのであった。 |