Monologue2001-66 (2001.11.17〜2001.11.25)

「2001.11.25(日)」晴・してやられた

 今日「笑っていいとも増刊号」を見ていたら、普段滅多に聞えてくることは無い玄関のチャイムを鳴らす音が聞えた。
 どうせ宗教か如何わしい勧誘だろうと鬱陶しく思いつつもドアの覗き窓を見ると老婆が立っている。勧誘とは違った雰囲気だったので、とりあえず誰なのか問うたら市役所からの使いだと言う。
 ドアを開け話を聞くと、市役所から僕に贈呈品があるという。
 今年一年保険証を一回も使用しなかった者に、商品券を贈呈しているとのことであった。

 勿論こんなことは、この市に住み始めて初めてのことである。
 なんの風の吹き回しかと訝しくも思ったが、とりあえず貰える物なら貰って置こうと貧乏根性を出す。

 健康保険料は馬鹿高い。
 しかも商品券を貰ったことが証拠であるように、僕はほとんど保険を利用しない。
 保険料払うのは良いが、それが昨今言われているように無駄に使用されているのでは、たまったものじゃないし、根っからの政治不信も加わり、毎月ほとんど生活を圧迫し続けている保険料や税金の徴収には次第に怒りが蓄積して来ていたところであった。

 しかしながら市が何を意図しているのか良くわからぬし、たかだか数千円の商品券ではあるが、給料日前にこの計らいは正直結構助かったことは否めない。
 しかも僕の近隣で良く利用する大抵の店で使用できるようである。
 とりあえずこれで確かに行政に対する僕の怒りも多少静まったことは事実ではあった。
 昔から日本では政治的な意図で金品を贈呈する慣習があるが、それが無くならない訳の一端を垣間見た気がした。

「2001.11.24(土)」晴・とりあえずこんなことで

 僕は東京でも、私鉄沿線の商店街なぞを何とはなしに歩くのが好きなのであるが、今回初めて大阪に行き、大阪にはほとんど無数に、と言って良いくらい商店街があり、まさに僕にとってはファンタスティックな街であった。
 詳しいことは大分後日に、また別欄にてお話ししたいと思う。
 それにしても最近ようやく11月らしい快晴の日が続き、嬉しい限りである。

「2001.11.20(火)」晴・旅にキリンジ

 約一年半ぶりの旅行が目前に迫り、かなり気も漫ろになってきた。
 そんな中、今日は旅行のBGM用にする為、明日付で発売されるキリンジのニューアルバム「Fine」を購入しに新宿のタワーレコードに出向いた。
 折しも店内では、そのキリンジのニューアルバムがかかっていて、まさに何かグッドタイミング。
 店内の売り場にはコーナーが設けられていたが、いかにもR&B系といった感じの女の子がCDを手に取ってシゲシゲと眺めていたので、背中からコッソリ心の中でだが「買っちゃえ。買っちゃえ。」と念を送って置く。
 随分長い間眺めており、僕が立ち去った後も居たようなのであるが、そういうことで結局買ったかどうかはわからなかった。もしかしたら既に買った子でサクラだったりして。

 ま、ともかく内容についてだが、今回も昔の洋楽をベースにした感じの音作りには変わりはないが、楽曲の充実度も増し、もしかしたら今までの最高傑作的な位置づけになる作品になるかもしれない。
 「フェイバリット」や「Drifter」のようなスローなナンバーが光るが「太陽とヴィーナス」のようなアップテンポのシングルチューンも良い。これは知ってる人は思わずニヤっとしてしまいそうなドナルドフェイゲンタッチのブラスセクションがバックのイカス(古いですか)ナンバー。

 余談だがキリンジの属する事務所ナチュラルファウンデーションのHPを見たら、今回のアルバムはスコア(楽譜)も一緒に発売されるらしいので、そちらもいずれ手に入れたい。

「2001.11.19(月)」晴・夢の続きを・・・

 Folderは最初、しょうもないガキンチョのグループだと思っていたら、なんかいつの間にかFolder5などと称してカワイコチャンのグループになっちゃってるじゃないか。

 この間自宅のパソコンにウインドウズ98入れて新しくしたと思ってたら、もう今やXPの時代だそうだ。

 そう言えば僕が学生の頃隆盛を誇っていて安定しているなんて言われていた企業は今やもう軒並み赤字で、中にはもう無くなってしまった企業すらある。

 全くこんな風に世の中絶えず移り変わっていくもんなんだと最近身に沁みてわかってきた。
 若い頃「諸行無常」という言葉を授業で習ったが、今や「釈迦さんよ、アンタは正しッ!」と言いたいくらいである。

 カラオケも今や日本を代表する文化にまでなったが、僕がカラオケを始めた頃は、スナックや小料理屋に8トラックテープが置いてあるようなほどでしか無かった。カラオケはオジサン達のものだったのである。歌う時は歌詞の書かれた歌本を見ながらカウンターに座って歌うのである。
 本当にこれ程目覚ましく変貌を遂げた現代文化も最近では、そうは多く無いであろう。

 当時歌える曲はほとんど演歌であったが唯一、当時若者と呼ばれていた僕等でも歌える歌で、テープに収録されていたのが、今は解散してしまったが安全地帯の「ワインレッドの心」なのであった。
 確かにこの曲は、若者向けのムード歌謡的なイメージが無いでも無いが、やはり当時の僕等にとっては新鮮な楽曲であった。
 安全地帯は、かつてのカラオケ若者不毛時代を支えてくれた大恩人なのである。

 安全地帯の中で僕が大好きな歌は「夢の続き」というやつで「安全地帯4」の冒頭に入っている。
 最初聴いた時は、甘美なメロディとそれまでとは若干明るくなった曲調に「何これスッゲえイイ曲じゃん!」と思ったものであった。安全地帯ファンなら衆知の名曲なのだろうが、今となってはもうこれも隠れた名曲になるのかもしれない。

 この曲個人的事情で一時封印していた時期もあったが、改めて聴くと確かに良い曲である。
 そう言えば昔は、この曲のようにアルバムにしか無い曲はカラオケには無かったが、今や「夢の続き」すらもカラオケにあるだろうか?。あったら是非歌ってみたい。もう一度夢の続きを見る為に・・・なんちゃってね。

「2001.11.18(日)」曇時々晴・山手線沿いを歩く

 僕が上京して来た1980年代前半頃は、僕の住んでいた大塚・巣鴨を含めた山手線北部は、新宿や渋谷などの他の区域に比較して、なんとなく「ダサイ」というレッテルが貼られていたように思う。今でもそういうイメージが世間的にあるかもしれない。

 僕自身も当時はそうしたことを気にする年頃だったので、そんなイメージのある当時の自分の居住区を後ろめたく思う時もあった。
 しかしいつの頃からか、僕のこの価値観は逆転し、今ではこの付近は山の手沿線の中では最もお気に入りの場所になっている。

 この辺りは多少のアップダウンと、北か南側によって断続部分はあるが山手線に沿って、ちょっとした高台をしばらく歩いて行くことができる。
 こうした静かな住宅地と高台と山手線のアンサンブルは、山手線北部域ならではのものである。

 僕は良く大塚の江戸橋付近から田端の高台辺りまでをブラリと歩いたりする。できればこの経路順が良い。すなわち西から東へ向かって行く方向である。
 なぜかというと田端で締めたい、というのがあるからである。
 田端まで来ると、高台も最高位に達し沿線ではかなりの高さになる。
 そしてふと後ろを振り返ると、池袋のサンシャインが西日を受けて、どこか異様な感じで聳え立つのが見える。これがそこはかとない哀愁感を漂わす。近くには富士見橋というのがあり、今は建物で見えにくくなったが昔はさぞかし良い富士が見られただろう、という思いを残す。
 一方、進行方向前方では、山手線を切り開く谷あいから、荒川区方面の鄙びた雑居ビル群や鉄道の高架などが見え、奥の東の空が青くバックにあり、こちらもそこはかとない哀愁感を漂わせている。
 この哀愁感の色濃い田端方面への、ちょっとした高台へ向かっての登頂感が、大げさかもしれぬが、どこか登山にも通ずる達成感を、極小ではあるが、味あわせてくれるのである。
 
 こんな風にここまで歩いて来ると、たかだか1〜2Km程度ではあるが、歩いたな、などという実感も沸いてくる。
 こうして僕は散策の証として、山手線沿線の哀愁の情景を脳裡に焼きつけるのであった。

「2001.11.17(土)」曇時々晴・市街化区域にトキメク

 地図を見ると市街化区域には良くピンク色などで配色がなされているのを御存じであろうか。
 ひょっとしたら私だけ・・・?、という程でも無いかもしれないが、僕はあの市街化区域の印を見るとヤケにトキメキを覚えるのである。
 これは最近に始まったことでは無く、ずっと辿って行くと発端は少年時代にまで遡る。
 その頃は地図といっても縮尺の小さい、大まかなものしか無かったが、それでも各県の県庁所在地や、世界の首都の市街化区域の印を見ていてトキメイていた記憶がある。静岡県の中ではやはり静岡市が大きく、2位は浜松か・・焼津チッチェーッ!・・・、などと各都市の市街化区域の大きさに一喜一憂していたものであった。

 現在は勿論各都市の大きさに一喜一憂することは無くなったが、市街化区域があると実際にそこに行ってみたい、という欲求に駆られる。しかしながらまだ行ったことが無く、他よりも細いが長めの市街化区域が地図上にあると、「こ、これは、も、も、も、もしや商店街では・・・?」などと、やはり相変わらず市街化区域の長さには一喜一憂しているしている自分に気づくのであった。

back to ●Monologue Index
back to●others
back to the top