Monologue2001-65 (2001.11.10〜2001.11.16)

「2001.11.16(金)」晴・タクシー帰り

 昨日いわゆるオネエチャンのいる店で、オネエチャンと好きなミュージシャンの話をしていた際に、日本の兄弟デュオ、キリンジの名を出したら、なんと極普通に知っていらっしゃった。
 最近ではキリンジはカラオケにもあるし、深夜やローカルでもTV出演もあるし、徐々に浸透しているのだろうか。

 オネエチャンの店から退出後、終電に間に合うかと思っていたら、途上で電車が終わってしまった。
 仕方なくそこからタクシーを拾った。

 以前は仕事や飲み会終わりで頻繁にタクシーを利用したものだった。7〜8年前までくらいだろうか。その頃は運転手さんと会話をかわしたりということが良くあった。
 こちらも酔っぱらっていたり、深夜作業後の解放感などで気分がハイになっていて、運チャンが話しかけて来ても、ドンと来い!みたいなところがあり、料金が2万円くらいかかるような距離の間でも、終始話がはずんだりしたこともあったものだ。

 しかし最近は心なしか、タクシーに乗っても運転手さんと世間話をすることがメッキリ少なくなったように思う。最近の僕の乗るタクシー内は静かなもんである。
 僕自身は昔から自分のスタンスとして、自分からは話しかけないようにしている。
 あくまでも運チャンが語りかけて来たら、こっちも受けて立つ、というようにしている。
 つまりは、最近は運転手さんから喋りかけてくることが、少なくなったような気もするのである。
 最近は運転手さんも客に気兼ねして喋らなくなったのか、或いは元々寡黙な人達が運転手さんになることが増えたのか、理由は良くわからぬが、車内の会話が減ったことは事実である。

 昨日も、こちらは酔っぱらっていたので運チャンが喋って来ても、ドンと来い!状態であったが、その日の運転手さんも、どうやら喋らない人らしかったので、僕は車窓の夜景を眺める作業に切り替えたのであった。

 車内はカーラジオの音以外はいたって静かであった。
 チャンネルはNHKなのだろうか、淡々とした穏やかな語り口のアナウンサーの声だけが聞えてくる。
 そう言えばここんところ、運チャンの会話に変わって、このNHKラジオをタクシー内で聴く機会が多くなった気もする。
 深夜の運転手さん達には、この静かでCMも無く落ち着いたNHKラジオは概ね好評の様だ。
 その日のラジオでは、「今日は、グレン・キャンベルの・・・」などという、今の若い人にはちょっとピンとこなくなってしまったような懐かしい大御所アーチストの名前が出し抜けに出て来たりして、いかにもオジサマ世代をターゲットにしたかのような趣も感じられ、成る程と思うのであった。きっと今風のバイリンガルDJだったら「OK!HereComes!、グウレ〜〜イン、キャンボウーッ!」みたいな紹介になることであろうが、このNHKでは思いっきり日本語ナイズされた発音でハッキリと「グ・レ・ン・キャン・ベ・ル」と紹介されていた。

 さてタクシーも目的地に着き、料金が二千八百〜円だったので、僕は三千円を出し、釣りはイラネエヨ的なことを言って出ようとした。
 今までだったらすぐに「あっ、どーもー、ありがとうございまーす」と運チャンの軽やかな謝辞と共に、平和裏に行程は終了して行くのであったが、その日はなぜか僕の発言と、運チャンの「ありがとうございました」の間に、大分間が合ったので僕は降りた後に、ちょっと考え込んでしまった。
 いつもだったらお金を渡してすぐ降りがけに「ありがとうございました」と言われるのに、僕にはその運チャンの「ありがとうございました」は、僕が降りて、もう既に歩き出した後に背後から小さく事務的に聞こえてきたのであった。ややもすればこの運チャン、礼も言わねえのか状態になるところであった。実際駆け出していればそうなっていたところであった。

 あの間は一体何だったのだろうか?。
 「こんな端た金で、生意気にも釣り銭イランなんてほざくなよ」という意味だったのか?
 「ん?何これ、(オレこういうの受け取らない主義だから)どういう意味?」という意味だったのか?
 「ちょっと待って、釣りは絶対返すから、あっ・・・もう出ちゃったか、チェッ、んじゃいいや。」という意味だったのか?
 「これっぽっち貰っても全然嬉しく無いし・・・、返っていろいろ面倒になるし迷惑だし・・・」という意味だったのか?
 まさか無いとは思うが「えっ!ウソ!、こんなのボクチャン初めて!、ヒロシ感激!(ヒロシなんだ・・・)」という意味だったのか?
 まさか・・・「あれ?これ万札だ・・・シメシメ・・・黙ってよっと・・」という意味だったのか?・・・んなこたないって。

 いずれにせよ今までとは違ったケースだったので少し面食い思わず「あの何か・・・こちらの不手際でも?・・・」と戻って確認してしまいそうになった。
 しかしながら、まあタクシーそれぞれ、こういうケースもあるんだなと、一応自分の引き出しにしまっておき、それより明日も出勤だ早く寝なくちゃ、キツウーッ!、とややチャンポンでグラグラする頭でフラフラと帰途に着くのでありました、とさ。

「2001.11.14(水)」晴・本当の原因は

 月曜にちょっと述べた溝口の店は「焼きたて工房スイートオーブン」というシュークリームの店だった。
 チェーン店なのか他にもいろんな所にあるらしい。有名な店なのか不勉強で良くはわからぬが、兎に角帰宅時はいつも混んでるのでここは流行ってるようだ。相変わらず私モテナイ独身エトランゼがカワイコちゃんの並んでいる中に踏み込んでいくのは多少気が引けるので、しばらくして開店騒ぎが一段落したら、ゆっくりシュークリームなぞを買ってみたい。

 オリコンのウイークリーチャートを見たら、フジの「傷だらけのラヴソング」の挿入歌で中島美嘉嬢の歌う「STARS」が3位にチャートインしていた。今10万枚くらいだそうだが、これは結構なヒットである。これから番組終了まで、しばらくあるが何十万枚くらいいくのだろうか。
 この曲、確かに女の子がカラオケで歌ったりするを聴いてみたいような曲である。

 ところで今日はいつになく腹が立っている。
 今日満員電車の中で、自分が本を読む為に自分のアタッシュケースを床に置いて壁のようにして、回りの人間を力づくで押しのけ、自分の回りにユッタリとスペースを作っているオヤジがいた。
 押しのけられた僕等は本当に窮屈になっているのにオヤジのところだけは悠々なのである。
 あまり怒るとみっともないので恥ずかしいが、思わず久々に激ムカツイた。
 オヤジは自分の背中側の背の高いサラリーマンに思いっきり寄りかかっているのであるが、そのサラリーマンは全然気づかないようである。良く何とも思わないな、麻痺しちゃってんじゃねえかと、と実に不思議であった。僕は普段余り乗らない路線だったので余計奇妙に思ったのかもしれないが。
 オヤジの読んでたのは、お約束通りの「経営がナンチャラカンチャラ」といった類いのビジネス本であった。

 な〜にが経営だッ!
 きっと車内暴力事件は、こうして発生するのだろうな、と思いつつ、勿論実行はしたりはしないが、オヤジの顔面に今直接ストレートでパンチを入れたら、どんなにスッキリするだろう、などと不謹慎にも思ってしまった。
 オヤジの読んでる本が「オペラと18世紀大衆芸術」だとか「古代日本とシルクロード」などといった文化の香高そうなものだったら、僕の怒りも多少おさまったのかもしれぬが、なんだよ経営かよ・・・やっぱ金かよ・・・ベタすぎんだよ・・・クソオヤジよお・・・(あ〜あ、壊れかけてますな・・・)。

 途中の駅で大分客が降り電車が空いたので事態は改善されたが、あんなオヤジには絶〜対ッ!!なりたくないッ!!、と固く誓うのであった。

 それにしても今思い出してもムカツクッ!!
 こんな時は一句読まなきゃやってられん!!(なんやそれ?)。
 ”電車にて女子高生が寄り添えば、間に割入るクソオヤジかな”
 (ああ・・それが怒りの真の原因なわけね・・・納得)。

「2001.11.13(火)」晴・プチ自慢

 プチ自慢。
 今度の連休に大阪で吉本を見ようとチケットを予約した。
 そのチケットが早速届いたのであるが、席番号を見たら1階A−5となっていた。
 なんば花月のHPで座席の位置を確認したところ、やっぱり一番前の左から5番めであった。
 思わず関西風に「1階A−5てっ!」と一人突っ込みした。
 脱線するが関西の人が良く「〜てっ!」という言い方をするが、あれはやはり「〜てっ」の後に何かが省略されているのだろうが、一体何が略されているのだろうか?。「〜てっ!、どないなっとんねん?」なのか?、「〜てっ!、どういうこっちゃ?」なのか?。まさか「〜てっ!、イヒ=breakthrough」・・・じゃねえよな・・・、んなこたないって。
 今日はこれでおしまい。なんや!脱線したままで終わりかいっ!。

「2001.11.12(月)」雨後晴・溝口でイイ匂い

 東急田園都市線の溝口駅のホームに最近洋菓子屋?(パン屋?)が出来た。有名な店なのかどうか、僕はこういうのには疎いので細かいことは良くわからぬが、どうやらシュークリームを販売しているようなのだが(じゃシュークリーム屋?)、兎に角いつも行列が出来ている。確かに帰宅時に乗り換える時ここへ近づくと何か甘やかな物凄くいい匂いがしてくるのである。これには自然に引きつけられてしまう。
 シュークリームは、何を隠そう僕も大好物だ。最近甘いものは量を控えているのだが、いつか僕も買ってみたい。

「2001.11.11(日)」快晴・プチハッピー

 小さな幸せを感ずる時。
 たまたま乗った路線バスで、スタートから終点まで、女性客しか乗ってこず、男性客は僕だけだった時。
 たまたま入った激安ディスカウント床屋で、男性スタッフの多い中、オバサンだが女性の理容師に当たった時。

「2001.11.10(土)」雨・理解していくこと

 改めて言うほどのことでも無いが、やはり言葉と言うのはコミュニケーションの中ではやはり有効なものである。
 言葉に出して言ったり、文章として記録に残っていたりすれば、人の意志というのは伝わり易い。
 しかし、それでも言葉のやりとりのコミュニケーションには難しい部分もある。

 人は本当に深い傷を負っている部分と言うのは、なかなかハッキリと言葉に出しては語らないものである。
 時には人の事情を知らなくて良い場合もあるが、特に相手がちょっと引っかかるような振舞いをしている場合には、理解してあげた方が良い場合もある。

 饒舌に見えてお互い理解しあえたように見えても、実は傷を隠す為に饒舌になっている場合もある。
 それから本人は自分を率直に表現しているのだと思っていても相手側には、その表現や、表現の真意が理解できない場合だってある。
 つまり本人すら自分を語っていないということに気がついていない、という困った場合すらある。

 傷を隠す為に無口になったりすれば、割合わかりやすい。
 つまり、極端に無口になったり極端に饒舌になれば案外わかりやすいが、人間は平静を装うという高等な技術も駆使できるのである。
 只、こうした無理や負担は「病気」として本人を蝕み出す。これが回りにわかるのは、事態が手遅れになってから、ということも多い。

 こうなると、本人と密に一生懸命コミュニケートするより、周囲の人間の客観的な言動の方がその本人の真実を多く語っている場合だってある。
 本人がストレートに語った言動より、それ以外での言わばオフ的な場面で何気なく語った事象や、本人の活動の背後の法則、部屋の中の様子や、回りの環境に真実が秘められていたりする。

 このように、人を理解するには、よほど注意深く観察しなければ難しい局面もあるが、できればこうしたことが、ちょっとした符牒だけで直感的にわかるようになれたら良いと思う。

 それから僕自身は、なるべく人が理解することに困難を感じないよう適切な表現を心がけて行きたい。
 ん?、できてないって?・・・、ははは、ま、まだ発展途上、ということで、ヨロシコっ!。・・・早速わからん表現だな。これはその、TBS火曜10:00からの「タモリのジャングルTV」でナイナイの岡村君と吉本の若手コンビCowCOwがやっているギャグで、ヨロシクをヨロシコに変えて、なんとなればその・・・、はあ〜、人に理解してもらうのも結構面倒臭いな〜。
 あっ、そうだ!。「ヨロシコッ!」がわからない人は「タモリのジャングルTV」見てね。これで良し、と。

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