Monologue2001-64 (2001.11.1〜2001.11.9)

「2001.11.9(金)」雨・南武線より愛を込めて

 冷たい雨が降る。
 帰宅途上のJR南武線。僕の下車する駅に着くまでには大分乗客も減ってくる。
 ドアの側に立っていると、雨で濡れた窓ガラスに車内の様子が写っている。
 爆睡している中年のサラリーマン、談笑する仲の良さそうな婦人達、携帯を持ちながら黄昏ている女性・・・。

 ここにはテロの恐怖も無ければ、明日の生活を憂う人々もいない。
 刹那的ではあるが、なんと平和な風景が展開されていることか。
 ここの人達の大部分は、これから帰るべき家があるだろうし、誰かが夕食を作って待っているかもしれない。
 雨に濡れた身体を乾かす場所もあるし、明日の休日に備えてグッスリと眠ることもできるだろう。

 僕だって・・・。
 僕だって一人暮らしだが、いろいろと楽しい趣味もあるし、生活に困らない程度の仕事も持っている。
 勿論借り家だが生活できる空間もある。

 一体これだけ恵まれた生活に、なぜ不満が起こるのだろう。
 こんなに安定して平和な生活に、これ以上何が必要なのか。

 しかし・・・自分の心には嘘は付けない。
 やはり何かが違うのだ。
 そう考えると、今の生活を不満にさせオカシクしているのは、自分の「向上心」という厄介なことになってくる。
 「向上心」を捨ててしまったら、今の生活はずっと楽になるのだろうか?、それはわからない。
 わかっているのは、それは生来的にできない、ということだけである。

 電車から降りると、ウォークマンの曲がMisiaの「恋する季節」になった。
 この曲は、メロディとアレンジが、とても明るくて僕の大好きな曲である。
 夜の肌寒く寂しげな稲城長沼駅にはチョット合わなそうにも思えるが、こういう曲は、いつどんな時聴いても良い。

 音楽には時と場合を全く選ばない曲がたまにあるが、そんな曲は相当な名曲なのだろう。
 まさしく音楽の神(ミューズ)に魅入られた・・・。

「2001.11.7(水)」晴・もう来年が

 21世紀になったのが、ついこの間だと思ったら、2001年も、あと2ヶ月ほどになってしまった。
こうして次第に20世紀から21世紀に変わった新鮮さも薄れ、21世紀であることが「当たり前」になっていくのであろう。
 だから、どうということも無いのだが、単に数字がカウントされただけの問題だ、ということもできるし、数字が重要な意味を持つのだ、ということもできるのだろう。
 今は、そうした両面的な考え方の可能な自由な時代だと言うことに感謝したい。

「2001.11.6(火)」雨後晴・今日もテレビの日

 フジの「傷だらけのラヴソング」は5回目を迎え、いい感じにコジれて来たようである。
 裏では「タモリのジャングルTV」なので、どちらかを録画し続けて見ると言うことをしているので、寝る前に目が冴えがちである。

 そう言えばフジの「笑っていいとも」では昨日から異常事態が発生している。
 司会のタモリ氏がゴルフ中のケガで今週はお休みとのことである。
 今日のテレホンショッキングはマチャミ(久本雅美)と中居君が代行していたが、なかなか面白かった。
 マチャミは女性のお笑いだが、もう尊敬に値する。素晴らしいですな。

 テレビTOKYOの「爆笑問題の三者面談」では、僕等にはお馴染みのAV界のカリスマ男優加藤鷹氏が出演していた。
 加藤氏がAVを辞めたら、という話をしている時に、大田氏が将棋の棋士のイメージがあるということを言った後、それに同意し更に、それを受け「林葉直子と全裸対決とかね・・」などと言った時には思わず拍手してしまった。

「2001.11.5(月)」曇後雨・Only Yesterday

 今日のNHKの夜の番組「夢伝説」ではカーペンターズが取り上げられていた。
 この1970年代を駆け抜けた兄妹デュオグループの影には、僕等では図り知れない苦悩やトラブルがあったようだ。
 しかしコメンテーターとして出演していた石田あゆみ氏が言っていたのに全く同感だったのであるが、カーペンターズの音楽は、そんなものを全く感じさせない。
 彼らの残してくれた音楽は、僕等の小さな余計な詮索など吹き飛ばしてしまうくらいの、瑞々しい輝きを未だに放ち続けている。
 それくらい神々しく、不思議な力、響きがある。
 もしかしたら、もう2度とは出てこない、まさにワン&オンリー、希有なグループだったのかもしれない。

「2001.11.3(土)」雨・NBAまにあ2

 今度のTBSのNBA情報番組「NBAまにあ」は、エエわ〜。
 僕はNBAも勿論好きだが、お笑いも好きなので、Dondokodonのぐっつあん(山口智充)が出てくれていることで、番組がエンターテイメント性を増し、面白くなった。
 しかも今回は酒井若菜ちゃんまでゲスト出演していて「マイケルジョーダンの好きなとこはどこか?」と聞かれ、「全部!」とお答えになった時は、思わずテレビ画面を抱きしめてしまいたくなったほどであった。

 NBAの情報をもっと知りたい人には脱線しすぎの向きもあるかもしれぬが、まあそれは他の手段でも可能だし、テレビを通じてのNBA普及には、これくらいが適当なのでは無いかとも思う。
 願わくばもっと早い時間に放送を。

「2001.11.2(金)」晴・八雲の愛した街

 テレビTOKYO夜の「芸術に恋して!」で小泉八雲が特集されていた。
 小泉八雲は僕のような静岡県焼津出身者にとっては、ヤマトタケルに次いで馴染みの深い偉人である。
 小泉八雲は生前焼津を好み、晩年近くは毎年のように訪問していたようである。

 ところで小泉八雲の「霊の日本」という作品集の中に、その名も「焼津」という文章がある。
 小泉八雲の独特な日本の描写には定評があるが、焼津と言う一見平凡な港街を、これ程劇的に神秘的に、そして感動的に描いてくれた人物は、そうはいないであろう。
 これを読むと、八雲は僕等などよりもずっと多くのものを焼津から感じ受け取っていたようである。
 僕にとって、更に奇跡的に触発されるところは、八雲がこの文章の締めくくりとして「音楽」を語り「神」を「人間」を語っているところである。
 それが「焼津」という僕にとって退っ引きならぬ縁をもった地を通じて成されたことが、何か不思議な感慨を呼び起こす。

 勿論こうした形而上的な論調ばかりでは無く、そこには八雲の焼津を見る暖かい眼差しを感ずる描写もある。

 ”だいたい、焼津の町の生活そのものからしてが、そもそも、幾世紀も前の、大時代の生活なのである。そこに住んでいる人達も、これまた、大昔の日本人なのだ。まるで三つ児のように無邪気で、物事があけっぱなしで、柔順で、すなおで、それが玉に瑕(きず)というくらい無類の正直者で、これから先の世の中のことなどは、いっさい御存じ無しの、ただもう、昔からあるしきたりと、昔からある神仏(かみほとけ)を、後生だいじに守っている−焼津の人達は、そういう人達である。(訳:平井呈一)”

 八雲の頃とは焼津の人達の生活様式も風景も大分変わった。
 しかしこのくだりを読みながら、ふと僕は、故郷に置いて来た両親や家族、親戚、知人、その他の焼津の人達の顔が自然に浮かんで来るのを禁じ得なかった。
 八雲が感じた「そういう人達」は、どうやら今も相も変わらず「そういう人達」らしい。

「2001.11.1(木)」晴・いざ大阪へ

 僕はまだ一度も大阪に降り立ったことが無いので常日頃行ってみたいとは思っていた。
 それで11月の連休近辺にチョット休みが取れそうなので、早速大阪行きを今検討している。
 今日は善は急げとばかり性急ではあったが、いつものように時間が出来ても金が無い、なんてことの無いように、自分を鼓舞するべく既成事実を作成してみたりした。
 大阪と言えば「吉本興業」、ということでチケットぴあで「なんば花月」での公演チケットを予約したら運良く取れたので、これでもう行かなくてはいけなくなって来た。まずは作戦成功。
 これで初めて吉本新喜劇が生で見れる!、結構嬉しい。

 11月の20日には、お気に入りのバンド「キリンジ」がニューアルバムを出すので、今回の旅行のBGMはこれでもう決定である。
 こうして回りから着々と旅行の準備が固まりつつある。
 今回はついでに秋の飛鳥にも足を伸ばしたいと思っている(本当はコッチが当初の目的だったが)。
 これでまた旅行記ネタも新しくできるな。
 ん?、今回も勿論一人ですよ。悪かったね。一人が好きなのッ!(あらら、また切れたか)。

 ところで話は全然変わるが、今日はフジの「スタアの恋」も見てしまった。昨日は日テレの「レッツゴー永田町」、その前は「傷だらけのラブソング」、その前は「アンティーク」と結局4夜連続でドラマを見る上に、更に「笑っていいとも」「ごきげんよう」は毎回録画して見るし、それからNBAも開幕してしまい、勿論モー娘出演番組はチェックするし、夜は何だか気が抜けなくなってきてしまった。
 とりあえずドラマのクールが終わる12月までは、こんな感じで慌ただしく行きそうである。
 こんなに忙しくちゃ彼女ができる暇も無いよな・・・、そういう問題じゃないって?・・・正解っ!。

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