Monologue2001-63 (2001.10.28〜2001.10.31)

「2001.10.31(水)」晴・愛しの東京駅

 僕は外出した時に別にこれといった用事は無いのだが、ブラリと東京駅を訪れるてみることがある。
 僕にとって東京駅は、「旅」を感じさせてくれるスポットだからである。
 八重洲口の高速バス乗り場の近辺をうろつき、「〜行き夜行バス」などと書かれた看板やバス待ちをしている人々を眺めつつ「な、行くんか?これから行くんか?いいなあ〜」などと酔っぱらいのオヤジの如く心の中で独り言を呟きつつ、ため息をつきながら行ったり来たりする。
 駅構内の旅行センターの前を通って、今の京都・奈良だとどんな催しがあるのだろうか・・・などと眺めて回る。
 新幹線の発車時刻を見て、次は博多行きかあ〜、などと意味も無く頷いたりする。
 八重洲口にある本屋が意外にコアな鉄道マニア向けのビデオが置いてあったりするので、普段滅多に見かけない山陰線の特急のビデオのパッケージなどを手に取りつつ「うわっ!メチャ欲しい!!、でもDVD版だったら良かったのにナア〜」などと何度も何度も手にとっては戻し、戻しては手に取って見たりする。

 ついでに八重洲口の地下街をブラブラしたりして、食べ物屋のショーウインドーを見ながら「喰いてえー!、でも減量中〜!」などと、餌の食べさせてもらえない犬のように、見るだけで通り過ぎたりする。

 そうこうしていると瞬く間に時間が過ぎる。
 東京駅の良い所は、さて次はどこ行くか?となった時に、路線バスもあれば勿論JRもあるし、地下鉄も大手町を含めればほとんど、どこへでも向けて発進できる。それに歩いても銀座や日本橋も近いし、多様な選択肢が用意されている点である。

 何より改札を旅行姿で行く人達を見ていると、ああ、オレも又あんな風に切符を持ってアノ改札を颯爽と入って行く旅人になるぞーっ!・・・と、何か妙にやる気が沸いてくる。

「2001.10.30(火)」曇・今頃になって

 小学生の頃クラスに、ガキ大将というほどでも無いが、ちょっと目立つ感じの友人がいて、僕などは彼に誘われ(半ば強引に)、休日は毎週のように彼の家に遊びに行っていた。
 当時は「え〜?、また行くの〜っ」などとシブって行っていた節もあったが、今思うといろいろと楽しかった思い出になっていて感謝している。

 ところで今日フジテレビの「ごきげんよう」で、桂三枝氏が、小さい頃は片親で、しかも母親が勤めに出ていたので随分寂しい思いをした、と語っていた。それから友人が遊びに来ると何とかして帰さないようにあの手この手で引き止めていた、それが今の自分の芸にも生かされている、などとも語っていた。

 僕はこの話を聞いて、ふと先述の小学生の頃の友人のことを思い出した。
 彼も、そう言えば僕等が小学生の在学中にお父上が亡くなっている。僕等も彼に連れられて生前の父上のお見舞いに行かせてもらったりもしたもんであった。
 それから彼の母上はスナックを経営していて、店は実家とは別にあるので、いつもそちらに居たようなのである。

 そう、僕等が彼の家に遊びに行くと、いつも誰もいなくてガランとしていたのである。
 ちなみに彼は一人っ子で、欲しいものは割と与えてもらえるような裕福な家庭だったようだ。
 貧しく子沢山でいつもガチャガチャ騒々しい家に生まれた僕などは、新築で奇麗で庭つきで広々として、お菓子や惣菜、新種のオモチャなどが常備してあり、応接室などいろんな部屋を自由にノビノビ使えるような、僕とは正反対の環境の彼の家をいつも羨ましく思っていたもんであった。

 当時は、そんなだったから僕は彼が「寂しかった」などとは、微塵も気づかなかったのである。
 物質的には彼が満たされていた、親御さんがそうしてやらざるを得なかったのは、成行き上当然のことだったのである。
 勿論彼自身はプライドがあって、そんなことは僕等の前で決して口に出すことは無かったし、きっと僕等にそれを指摘されることなぞ絶対に嫌だっただろう。
 彼がなぜ僕等を呼びつけるのか、当時は好かれているから位にしか思っていなかったが、本当に大きな部分は「寂しかった」のでは無かったのか、などと30年近くも経ってようやく気づき始めた自分の呑気さに、今更ながら苦笑してしまうのである。

「2001.10.28(日)」雨・背ラベルダイエット

 今日は雨で何となくジメッとした気の日であった。
 こんな日は外出できないので今まで敬遠して、やらず終いだった事務作業をするに限る。
 そんな訳で未整理だった保存版録画テープの背ラベルを作成し貼付していく作業を本日は行なった。

 まず結果として、僕はこの作業にどれ程の時間を要したか、ということをお話しして、この作業がどんなものであったか、なぜ雨の日くらいにしかやる気が起らないのか、ということを思い描いていただきたい。
 作業は10:30からスタートし、終わった時に時計を見たら16:30であった。
 間に食事や洗濯などを挟んでいるので、まあ1時間のロスがあるとすると、正味大体5時間かかったことになる。
 念の為述べて置くと、今回のビデオで最も録画日付の早いものは2001年の6月1日になっていた。本数は24本あったので、5ヶ月で24本だと一ヶ月で大体5本分録画している計算になる。1年で60本か・・・、こりゃ部屋も狭くなるわ(意外な多さに今書いててマジへこみしたりして)。
 また別の角度から見ると5ヶ月作業を放って置いたとも言える。

 今日のケースでいくと、1時間に5本のラベルしか作成していないことになる。
 随分遅かろう、と思われるだろうが、これにはテープの中味の確認作業、などという重要な作業なども含まれていての時間だということをご理解いただきたい。
 それから意外に時間をとってしまうのが、ラベルに記述する表題の案出なのである。

 ところで当初ラベルは手書きで行なっていたが、数年前からパソコンで作成するようになった。
 僕は字が下手なので、パソコンのラベルの方が見栄えがずっと良く気持ち良く、後からビデオを調べる場合の精神的な印象もグッと良くなるからである。背ラベルが奇麗になっているとビデオが雑然と置かれていても手書きの場合と比べて手に取ってみる気持ちに大分違いが出てくるのである。
 これで今では数百を数えんとするまでに溜まったビデオを検索する作業も大分負担が減った。

 さて、ビデオに録画する際、映画やNBAやライブ映像など標準モードにして1本を使い切る場合もあるが、多くは3倍モードにして録画する。
 3倍モードにした場合、120分テープだと、大体6〜10番組程度録画できる。
 背ラベルには、これらに録画された全番組名を、できるだけ分かるように記述して行くのである。
 そうしないと録画したことを永遠に忘れられてしまう番組が出てくる恐れがある。
 しかも番組名だけでは無い。
 内容もわかるようにしておかないと、後で何がなんだかワケがわかんなくなってしまうのである。
 以前は中の代表的な番組名だけを表記していたが、これをやると、もう後で見たいと思った番組を探す場合にビデオ樹海地獄を見ることになるので、今では必ず全番組がわかるよう表記するようになった。
 しかし、あの狭い背ラベルのスペースに、録画された6〜10本位の番組の情報を全て洩れなくわかりやすく盛り込むのは結構困難の伴う作業である。
 かくしてここに僕の、スポーツ紙の求人広告並みの極限まで簡略化された緻密かつ精密かつ綿密かつ親密かつ内密かつ・・・ん?、もういいか。
 とにかく、こうした労力のかかる銘記作業が遂行されていくのである。

 例えば良く録画するモーニング娘。の番組、「ハローモーニング」は簡略化すると「ハロモニ」、となる。
 しかしこれでは、後で見た時どの「ハロモニ」かわからなくなってしまうので、パッと見て内容のわかるものにしなければいけないのである。
 例えば「さま〜ず」がゲスト出演したならば、「ハロモニ(さま〜ず)」としておく。
 しかし3週にわたってゲスト出演したりする場合もあるから、1週めだったら「ハロモニ(さま〜ず1)」などとするのである。
 ところが、録画する番組がビデオ1本辺り10番組を越えると、こんな記述でもまだ甘く長すぎる場合が出てくる。
 その場合は「ハロモニ」を削って「ハロモ」などとする。時には「ハモ」になる場合もある。
 当然「さま〜ず」も削る。すると「さま」になる。
 こうして結果的に「ハモ(さま1)」などとなる。
 どうも魚屋の店先の値札の如き趣が無いでも無いが、こうなってくると、たぶんこのラベルの暗号めいた言葉は僕にしかわからないだろう。
 もしかしたら冗談だろう、と思われている方もあるかもしれぬが、結構頻繁に出てくるケースなのである。
 「ハローモーニング」は比較的頻繁に録画しているので「ハモ」でも結構わかるのである。
 「さま」の独立体では一見何のことなのやらわからぬし、「明石屋さんま」との誤解も生じそうだが、「ハモ」との連携で「ハモ(さま)」で「あっ!さま〜ずね。」と、すぐ判別できるのである。

 「ハモ(さま1)」でも、まあ良いのだが、さま〜ずの出たコーナーが番組の1部分だと、その他にはどんなコーナーがあったのかわからなくなる。そこで他のコーナーに、例えばDr.コパが出ていたならば、「ハモ(さま1コパ)」などとするのである。これで大分オリジナリティが出て後から判別がつき易くなる。
 この時注意することは、「コパ」と「さま」の順序を逆にしてはいけない、ということなのである。
 これはコーナーの順番が、そうなっていたから、というのでは無く、「コパさま」だと、「コパ」という非常にお偉い方のみが御出演なされたかのように、勘違いしてしまうからである。
 それから細かいが「(」も忘れてはいけない。
 「ハモさま」だと、新しく始まった、非常に貴重で高価な鱧(はも)が御出演なされるアニメ番組かなどと、勘違いしてしまうからである。
 ん?、んなこたないって、そりゃ作っただろって?・・・、ははは、ミエミエでしたかな。

 それから例えばモーニング娘。が他の番組に出演、例えばTBSの「うたばん」などに出演していたとしよう。
 この時の他のゲストがSMAPだった場合、ラベルは「うたばん(モー娘・SMAP)」などとなる。
 これでも長い場合は、「うたばん(モー・スマ)」、或いは「うたばん(モ娘・スマ)」などとする。
 モーニング娘。ならば僕は今や「モー」でも充分判別できる。
 ラベルに余裕が無い場合は時には「モ」もしくは「娘」だけになる場合すらある。
 しかしSMAPを「ス」や「S」だけにしてしまうと僕ではもはや、わからなくなってしまう。
 従ってこうした僕にとってそれ程定番では無い芸能人に関しては多少ラベルのスペースを割く余裕を見て置かねばいけない。
 しかし「うたばん」のような番組だと出演者がモー娘やSMAPだけでは無いから、他の出演者はどうなるのだ?という指摘がありそうだが、これはこれでも限界までスリム化を図っているので、もう余裕は無い。辛うじて「モー・スマ」で何とか判別できるから他の出演者には涙を呑んでもらうしか無いのである。
 とりあえず背ラベルでは省略の憂き目に合うが、上面のインデックスラベルには手書きで且つ小さい文字でシッカリ銘記してあげるので御心配は無い。その代わり忘却の彼方に置かれる可能性は大だが。

 ともあれ頻繁に録画する番組は、ある程度の暗号化でもわかるが、たまにしか録画しないものだと、その省略化には、かなりの苦心をする。
 例えば「国宝探訪」という番組があったとする。あったとする・・・では無いか。実際あったのだが、これを「国宝」や「探訪」にしてしまうと、類似した名称の番組が他にもあるので、どの「国宝」だか何の「探訪」だかわからなくなってしまう。
 結局これは「国宝探訪」にするしか無いのである。
 ちなみにこの「国宝探訪」では出雲大社を特集していた。
 これも省略できない。
 「出雲」だけでは出雲でも広い範囲の史跡があるし、「大社」だけでも確かに出雲大社ということがわかるのだが、僕の場合「出雲」という単語に敏感に反応するので「出雲」は残して置いた方が、あとあと検索には便利なのである。
 他に「出大」や「出社」なども考えられるが、「出社」など「どこの会社にだよっ!」となってしまうからNGである。
 かくして散々考えた結果「国宝探訪(出雲大社)」とそれ程略さない形で正式登録されることとなる。これでも実際の内容部分は「出雲大社のナンチャラカンチャラ」の「ナンチャラカンチャラ」の部分を全く略したりしているのである。
 ちなみに「うたばん」なども結構録画の機会は多いが、それ自体は省略しない。まさか「うた」や「ばん」では、NHKの「みんなのうた」や「料理バンザイ」かと間違えそうだし、「うば」、「たば」、ましてや「うん」などでもこの場合甚だ不適切かと思われる。ここは「うたばん」とするか、せいぜい「うたば」止まりになろう。
 こうなると結局「ハロモニ」など僕にとっての定番番組は皺寄せで「ハモ」になったりせざるを得ないのである。

 ちなみに今日の「ASAYAN」では「吉澤ひとみセンターヴォーカルへの道」という企画の2回めを放送していたが、これを僕的にラベル化すると「ASA(吉CV2)」などとなる。
 確かに他人が見たら全く意味がわからないこととお察しする。
 まあせいぜい朝日新聞の吉祥寺販売店か?などと取られるのがオチであろう。
 でも僕には大変良くわかるのである。
 自分の横っ腹の贅肉を削ぎ落とすのには大変苦労するが、表題のスリム化には成功したゾ、などと密かにほくそ笑んだりする。
 しかし贅肉を削ぎ落とせば、あわよくばモテルようになるかもしれないのに、表題をスリム化したところで何らモテることには繋がりやしないことに気づき、ガクッと肩を落とす、私モテナイ独身エトランゼでありました、とさ。

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