Monologue2001-61 (2001.10.14〜2001.10.21)

「2001.10.21(日)」曇・やっとシックスセンス見ました

 日増しに寒くなって行く今日この頃ですな。
 映画に関しては最近は余裕が無いので冒険を恐れ、後評判が固まった確実なものしか観ようとしない、非常に受動的な態度に堕してしまっている私モテナイ独身エトランゼであるが、大分遅ればせながら先日WOWWOWで「シックスセンス」をやっていたので、録画していたやつを今日ようやく視聴に至る運びと相なった。
 ホラー映画のようなイメージがあったが全然そうでは無く、映画としても結構良かったと思う。
 最後の方でコール少年が母と和解する所では図らずも泣けてしまうし、いわゆる「秘密」も展開として見るものを楽しませてくれたように感じた。
 コール少年がマルコム(ブルース・ウィリス)に対して「僕を救えるのは貴方だけ」と言っていたが、実は救われた(成仏?)のはマルコムだった(あれ?、「秘密」の一端言っちゃった・・・、ま、もう時効か・・・。)というのも実に感慨深い思いを残す。

 忌憚なく言ってしまうと「タイタニック」よりも個人的には遥かに楽しめた。
 この作品で描かれていることは絵空事では無く、現実の世界では充分有り得ることで、霊に対する考えに対して、これからの我々の意識の在り方の見本を提示しているようなもんであろう。

 霊に限らず、僕等の日常の世界でも、奇異な行動をする人々は、必ず何らかの切実なメッセージを携えているもんである。そうした現実の人達に対しても「耳を傾けてやる」ことが大切なことであるということも改めて考えさせられる。

 ・・・と、まあこんな訳で、普段電車や街の中で見るオカシナ人達は、実はオレにしか見えて無かったんじゃネエカ、などと有らぬ想像すら掻き立ててくれる、今日この頃でした、とさ。

「2001.10.20(土)」晴・東川口で

 駅員というのは男性というイメージがあるが、埼玉高速線の東川口駅でパスネットを購入しようとして駅事務室に入ったら職員は若い女性しかいなかった。
 素晴らしいことである。
 鉄道というのは昔から、マニアというかオタクの世界というイメージがあったが、それに関係する職業に女性が進出してくるというのは非常に喜ばしい限りである。
 最近は京王線などでも女性の車掌などを見かけるし、どんどんこの傾向に拍車が掛ってほしい。

「2001.10.19(金)」晴・選択の妙味

 人生においては二つの道のどちらかを選ばなければならない、なんて時が往々にしてあるだろう。
 時には人生の重大な岐路に立っている時もあれば、どうでも良いことの場合もあるだろう。
 いずれにしろ何かしら選択に迷いが生じたりして多少のスリルと緊張感は味わえるものである。

 旧街道の散策においても、こうした選択の場面には良く出くわす。
 こちらの方はもう物理的にも具体的にも道が分かれていているので、白黒はハッキリしている。
 当てずっぽうに出向いた散策では知らない道を行くので、判断材料となる事前情報も無く、判断は只もう己の直感に頼るしか無い。

 勿論失敗してしまう時もある。
 同じ所をグルグル回ってしまうような迷路に迷いこんでしまうような時もある。

 しかしながら、お蔭様で最近は直感も鋭くなり失敗は少なくなって来た。
 良い道を選んだ時は不思議と、さっきまで道の選択に迷ってしまったことは忘れてしまってグングン歩いて行ける。それで帰りの電車の中で「さっきの道とても良かったけど、そう言えばこっちを選んで正解だったんだな・・・」などと、改めて成功の感慨に浸ったりするのである。

 正解の道は大抵何となく「行きたいオーラ」が漂っている。
 何か、帰りが遠くなる、とかいろいろ理屈が介入してくると失敗する。
 パッと「行きたい!」と思った方の道が正解のことが多い。

 しかしながら失敗した時は、また後で正解の道に出向いたりするが、正解、と思った場合には、失敗と思われる道には行くことが無くなってしまうので、本当に失敗だったのかという事後検証はなされず、その是非はわからず終いになる。もしかしたらその道も正解、つまり両方とも正解だったのかもしれない、のである。
 この逆、つまり両方とも失敗、ということも、あまり無いが、全然無いとは言え無い。

 ・・・と、まあこんな途中の経路選択も中々奥深く、スリルがあって面白く、結局是か非かよりも、選択それ自身、すなわちその過程が楽しいのである。
 これが僕をして散策に向かせしめる理由の一つなのであろう。

「2001.10.17(水)」雨・子供の頃のトキメキは

 子供の頃夜更かしした時、時計の針が午前零時になっただけで感激したもんだった。
 もうあの頃のようなトキメキは忘れちまいましたな。
 今日は、今は当たり前になってしまったことで昔はトキメイていたものに、どんなものがあったか、思い出しながら寝ることと致しませう。ではオヤスミナサイ。

「2001.10.16(火)」晴・街から貰う

 街を歩いていると、突然自分のエネルギーが高まる時がある。
 とても気分が良くなり、道行く人が皆好意的な視線を投げかけてくれているように感じてきて、この状態になると、この後電車に乗っても、いつもはウザイ電車の中の人ごみも全く気にならなくなる。すごく良い状態になる。
 普段の自分が、いかに低い波動を撒き散らしながら行動しているかが思い知らされ、みっともなく恥ずかしくもなってくる。
 この街を歩く時の高揚感は僕にはちょっと不思議な感覚である。
 只何となく傾向が分かって来た。
 街を歩いている時に「ああ、この街イイ街だな・・・」とか「雰囲気イイナ、今日のこの街は・・・」、というように街全体を賛美するような気持ちになっていると、途端に街の波長と自分の波長がピッタリと合って、そこから街全体のエネルギーを自分が受けられるような感じになってくるようである。
 どうやらこれが、僕をして街を歩かせしむる道理らしい。

「2001.10.15(月)」晴・平凡にこそ見いだす

 時々平凡な生活に嫌気が差し、何で自分はこんなことをしながらも生きながらえているんだろうと思ったりする。
 しかし僕が好きな音楽の世界などは、得てして平凡な題材を扱っていたりする。
 そう言えば文学だって絵画だって同じことである。
 もしかしたら自分の人生が平凡であるかどうかは問題では無いのでは無いか?。
 平凡なものの中に、平凡な生活の中に、美を、光を、そうした芸術的な側面を見いだしていくこと、−それは必ずしも形にならなくても良いけれど、なぜなら全ての人がその技術を持っている訳では無いから−・・・の方がもっと大切なことなのでは無いか?。
 最近そう思う。

「2001.10.14(日)」晴・バッハ確かに無し

 最近CMで流れているプレステ2用の「ブラボーミュージック」というゲームソフトが面白そうだったので買ってみた。
 データ保存用のメモリーカードを用意していなかったので、まだ始めていないが、確かに演奏曲リストを見たら、バッハは入れてもらってないようだった。お気の毒に。
 ま、ヘンデルだって入って無いし、ベートヴェンやワーグナー、マーラーやブルックナーだって無いようだから、そんなに落ち込むことは無かろうて、バッハ。

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