Monologue2001-60 (2001.10.11〜2001.10.13)

「2001.10.13(土)」晴・新・不惑?

 論語にはこんな有名なフレーズが出てくる。
 「四十而不惑(四十にして惑わず)」。 
 孔子は四十で、あれこれと惑うことは無くなった、と言っているのである。 
 若い頃はいろいろ気の迷いもあったが四十にして世の中のおおよその動きが分かり分別もつき、惑うことは無くなった・・・、こんなことを子(し=孔子)は宣っている。 
 これを受けてわが国でも四十歳を「不惑の年」などと言う。 
 確かに男子たるもの四十にもなれば、会社などではそれなりの責任ある地位を任され、家庭などでは、そろそろ難しい年頃の子供を抱えなどし、一家の大黒柱としての役割も一層その重要性を増し、社会的にもプライベートも安定した状況を築き挙げてくる年頃である。 
 つまり不惑じゃなきゃいけない年にもなってくる。 
 ちなみに、かつて今の僕と同じ年(38)ではベートーヴェンは、あの革命的名曲交響曲第5番を作曲し、源頼朝は壇ノ浦で平氏を滅ぼし、織田信長は武田勝頼を破った。 

 そんな中私モテナイ独身エトランゼに、又しても不惑への道を揺るがすかのような不測の事態が発生した。

 さて、牛乳をシコタマ飲むと、かなり腹が下った状態になる。
 まあ僕など何もしないと便秘状態になりがちなので、牛乳を飲んで腹を下すくらいの方が、お通じが良くなってスッキリするくらいである。

 先日、牛乳を飲み腹が下ったことにより、めでたく大量のお通じがつつがなく厳粛に執り行われた。
 その後ゴロリと寝転がって呑気にテレビを見ていると、いつしか放屁衝動が芽生えて来た。
 ただし、ついさっきまで下っていた腹なので、ウッカリそのまま無検閲で屁をブッ放ってしまうと、まだまだ暴れたい盛りの「実(み)」諸氏がソレっいてまえーっとばかりに一斉にご登場いたして来やしないか、という恐れがあった為、最初の一発めは、お奉行様に恐る恐るお伺いを立てるが如く、お役人様のご機嫌を伺うかの如く、ソ〜ッと慎重に放ってみた。

 ぷすう〜っ・・・。
 乾燥した放屁音である。
 どうやら実では無いようだ。
 ホッと一安心。
 ここで僕は和平を確信し、安心して続けて順番待ちをしていた次からの発屁諸氏を続けて外世界へと解放してやることにした。

 ぷすっ、ぷすぷすぷすぷすぷす、ブチュ・・・んっ?!

 ・・・なっ!、何だ何だ?おかしいぞ、今の7発目のサウンドは?
 むさ苦しいモテナイ独身エトランゼの部屋に非常に違和感のあるおかしなサウンドが鳴り響いた。
 僕は慌てて、尻の筋肉に力を入れ、放屁作業の停止をかけた。
 どうも通常屁系の音とは次元を異にする鈍い音であった。
 これは先程僕をして安心さしめた気体系の渇いた放屁音では無い。何か大変具合の悪げな、変な質量感のある液体系の放屁音であった。

 まっ、まっ、まさかっ?!!
 僕は恐る恐るパンツをずり下げて中を確認した。
 そこには黄土色のシミが、ともすれば軽やかに僕をあざ笑うかのような感じで付着していた。
 「あっ、なあんだ、カレーじゃん。昨日食ったカレーがこんなとこに・・・。いやっ、ちゃうちゃう、食っとらん、食っとらんっ!!。」
 次の刹那僕の身体を不吉な戦慄が貫いた・・・。

 「実だ・・・」
 ここで呆然と立ち尽くす僕の脳裡でBGM、バッハの「トッカータとフーガニ短調BWV565」の冒頭の劇的な戦慄が奏でられた。
 更にそれに合わせ「ゲリピーッーー、パンツにベッチョーっー」などと勝手に作詞し口ずさんでみたりした(歌っている場合では無いと思うが)。
 これが現実では無いという有り得ない可能性を祈りつつも、恐る恐るもう一度覗いてみる。
 しかしこの惨状はまぎれもない・・・、この色、そして匂い、・・・まぎれもない実であった。

 何てことだ・・・。
 不惑を目前にして、全く不覚であった。
 これ幼稚園的用語を当てはめさせていただくと、どうやら「おもらし」という語が適切かと思われる状況が現出してしまったようである。
 それもこともあろうに「大」の方を、である・・・来年不惑の年を迎えんとする大人がである・・・。
 この期に及んで言い訳するつもりは勿論無いが、こちらは重々注意していた。・・・つもりであった。・・・が、もうこれで大丈夫とウッカリ油断した僕の不意を、「実」諸氏らがあざとく突いてきたのだ。

 くしゃみしておならが出ちゃった、などと言うのはカワイゲがあるが、屁をして実が出ちゃったというのは些か洒落の域を越えているような気もしないでも無い。
 幼稚園などでオモラシすれば、美人先生に優しく「マア、ヨシオ君我慢できなかったのネー、今パンツ替えてあげるからね。」などと言われつつパンツを取り替えてもらえるのであろうが、このモテナイ独身エトランゼに、そんな恵まれた環境は無く、全てを自分自身で処理しなければいけない。
 とりあえず仕方なしにウンコのついたパンツは風呂場で「待っててねー、今替えまちゅからねー」(なんで赤ちゃん言葉なんだよ・・・)などと先生役を一人で演じつつ一先ず洗い流し、その後は他のものと一緒にまとめて洗濯行きにする。
 不惑を目前にしている独身男が風呂場でウンコを洗い流す後ろ姿なぞは、かなり哀愁感漂うものがある。
 今まで築いて来たプライド等全てガタガタと音を立てて総崩れである。
 常日頃偉そうに説教を垂れていても、ウンコもらしてちゃあ、全て終わりである。説教垂れたら次はウンコ垂れかいっ!と言われても致仕方ない。
 たとえ仮に昨日までキザなセリフで女性を口説いていたとしても(勿論この私めにはそんなものは無いが)、ウンコもらしてちゃあ、全て終わりである。女口説く前にまずパンツ洗えよ、などと言われても致仕方ない。
 ああ!、もう何もかもお終いだ・・・、僕の頭の中で「不惑」という字の書かれた看板が、どんどんウンコにまみれていく映像が鮮明に映し出されていった・・・。

 孔子は確かに「四十而不脱糞(四十にしてウンコ漏らさず)」とは言ってはいない。
 が、しかし古の偉人が不朽の名作の発表、歴史的な大事件への関与をした年齢、それから現在に目を向ければ僕と同世代の同胞達が不惑の年を前に、それぞれの家庭を抱えたり、昇進したりなぞ、社会でも活躍している年齢になっていく中、この私四十を前にしたモテナイ独身エトランゼオジサンは呑気にウンコなどもらしていていいものなのかどうか甚だ疑問が沸いてくる。
 これぞ不惑どころか、惑も惑、大惑である。超大惑である。 
 僕は現在辛うじてまだ38歳なので、なんで孔子が論語に「三十八而脱糞(三十八にしてウンコ漏らす)」という項目を付け加えておいてくれなかったか!と恨んだ。

 待てよ?・・・そうかあ・・・、よく考えたら、オレまだ四十にはなってないんだよなあ・・・。
 そうだそうだ、じゃあまだ少なくとも四十には一年はあるから、とりあえずもう一年はウンコ漏らしててもいいんだ、そうだそうだ、やったね!
 ・・・などとこの期に及んで恐れ多くも論語の甚だしい曲解によって、自らを正当化しようとするモテナイ独身エトランゼでありました、とさ。
 (又々ウンコネタに付御免候)。

「2001.10.12(金)」晴・不惑?

 論語にはこんな有名なフレーズが出てくる。
 「四十にして惑わず」。
 孔子は四十で、あれこれと惑うことは無くなった、と言っているのである。
 若い頃はいろいろ気の迷いもあったが四十にして世の中のおおよその動きが分かり分別もつき、惑うことは無くなった・・・、こんなことを子(し=孔子)は宣っている。

 これを受けてわが国でも四十歳を「不惑の年」などと言う。
 確かに男子たるもの四十にもなれば、会社などではそれなりの責任ある地位を任され、家庭などでは、そろそろ難しい年頃の子供を抱えなどし、一家の大黒柱としての役割も一層その重要性を増し、社会的にもプライベートも安定した状況を築き挙げてくる年頃である。
 つまり不惑じゃなきゃいけない年にもなってくる。
 ちなみに、かつて今の僕と同じ年(38)ではベートーヴェンは、あの革命的名曲交響曲第5番を作曲し、源頼朝は壇ノ浦で平氏を滅ぼし、織田信長は武田勝頼を破った。

 さて、そんな中、この私モテナイ独身エトランゼも来年はいよいよこの不惑の年を迎えんとしている。
 しかし己に、もう不惑に対する万全の準備はできているのか?不惑への決意はできているのか?と問うと、否、と答えざるを得ない。
 未だに惑っている。
 かなり惑っている。

 先日も2冊のアイドル写真集を入手するかどうかで、かなり惑った。
 古の偉人が不朽の名作の発表、歴史的な大事件への関与をした年齢、それから現在に目を向ければ僕と同世代の同胞達が不惑の年を前に、それぞれの家庭を抱えたり、昇進したりなぞ、社会でも活躍している年齢になっていく中、この私四十を前にしたモテナイ独身エトランゼオジサンは呑気にアイドル写真集などを入手していて良いものなのか?と非常に情けなく且つ甚だ自己嫌悪にも陥り兼ねない状態であるが、一応それ故入手までには相当の惑いがあった。
 それにしても、こんなことで惑うなぞ不惑どころか、それこそ惑も惑、大惑である。超大惑である。

 結論から申しますと惑った挙げ句、結局写真集はチャッカリ入手してしまった。
 一冊はモー娘。の吉澤ひとみ嬢が出したソロ写真集「よっすー。」。
 もう一冊は平田裕香嬢のファースト写真集「Flying」。

 ちょっと言い訳がましくなるがモー娘。については、彼女達は今までいろいろ写真集を出しているが、僕は最初の福田明日香嬢がいた時の写真集だけ辛うじて入手しているのみで、後はヒタスラ買わずに我慢して来た。
 ナッチのソロ写真集も我慢し、チャーミー(石川梨華)のソロ写真集も我慢し、無論ヨッスーの属するプッチモニ写真集ですら我慢してきたのである。
 しかし「ヨッスーのソロ写真集」となっては、さすがに不惑といえども我慢ができなかった。
 この写真集の入手は日本人が正月に初詣に行ったり餅を食ったりするのと同じくらい、僕にとっては必然性のある自明の理なのであった。

 吉澤ひとみ嬢・平田裕香嬢は、僕の数あるお気に入り芸能人の中でも、ちょっと他に抜きんでた、言わば二大巨頭とでも言うべき位置づけの二人である。サッカー的に言うとツートップ、ビートルズ的に言うとファブトゥー、えーと、それから・・・・、もういいか・・・。
 二人とも10代、もし仮に僕に娘がいたらこれくらいの年であってもおかしくない。
 現に吉澤嬢の親御さんは僕と同じくらいだとか。
 二人は全然違うタイプであるが、その放つ光という点では僕の中では一応共通しているのである。

 ちなみに「よっすー。」もカワイクて良かったのであるが、平田裕香嬢の「Flying」の方は、思いの外水着のカットが多く、過半数がビキニのカットで、この私四十を前にしたモテナイ独身エトランゼオジサンにとっては、かなり想像力を逞しくしてしまう刺激的なものであった。
 こんなことでは図らずも「惑」がいつの間にか「ワクワク」に変貌をしてきてしまうのであった。

 こうなると「不惑」ではさして困らぬが、「不ワクワク」では、いささか困るなあ・・・などと、思考は相変わらず思いっきり「惑次元」のモテナイ独身エトランゼでした、とさ。

「2001.10.11(木)」晴・7−11

 セヴンイレヴンが好調な売り上げを上げているようであるが、確かに僕もやはりコンビニではセヴンイレヴンを利用する機会が多い。
 惣菜・弁当の類いは個人的にはセヴンイレヴンのが一番おいしいというかしっかりしている気がする。
 難を言うと売れ線商品しか置かないので、僕がかつて愛用していたトマトジュースのペットボトル版などは、売れないのか最近置かなくなってしまったりということがあるので、そこが多少残念である。
 今日は眠いのでこの辺で失礼します。ドロン。

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