Monologue2001-59 (2001.10.7〜2001.10.10)

「2001.10.10(水)」雨・引きずり、そして美化

 男はいつまでも失恋を引きずり易いなどと言われる。
 確かに恋愛中に良く聴いていた曲は、失恋後は二度と聴くものか、などと言う風に完全に封印したりする。
 しかしそういう曲こそ本当に良く聴いていたので、無意識にも自分の中では大きな比重を占めて居たりするのである。

 何年も経過した後、ふと何かのキッカケで、その曲を聴いたり思い出したりする。
 とても懐かしく、時には当時の感慨を呼び起こし、目頭を滲ませるなどということもある。
 改めてイイ曲だ・・・などと思ったりする。
 封印した曲と共に封印した過去も蘇ってくる。
 そしてその過去は曲と共に思いっきり美化されていく。美化も男の得意分野である。
 封印した部分の意外な大きさに驚かされ、自分を語る上では、はずせなかった部分であることに気づいたりする。

 こうして当時が美化され、当時の曲を懐かしく聴けるようになると、ようやく当時の傷痕も風化し癒されたのだと確信する。
 この作業に長い時間をかけたりする。

「2001.10.9(火)」晴・レシートは大事に

 散策や旅行先で何気なくその場所のコンビニやスーパーや量販店に入った時に、その時のレシートを取っておくと結構面白い。
 レシートには、その時買ったものは勿論、その店の住所・日付・時間などが銘記されているので、レシートを後で見返した時に当時の情景が良く思い出せたりする。
 時には店員の名前まで印刷されている時もある。
 「ああ、あのオネエチャン山本さんて言う人だったんだ・・・」などと、思いがけない感慨に浸ることができる。
 レシートは、もう立派な旅の記録である。

「2001.10.8(月)」雨・母体を大事に

 何も無い新しい星に生命が生まれてくると想像してみると、生命はまずその星を母体として、もしかしたら太陽のような存在の星のエネルギーを受けたりして、その命を育んでいく・・・などと考えられる。
 つまりその生命の母体は、生命の存在している星自身ということになる。

 もし地球もそうだとしたら、我々のような人間も、元々は地球と言う星を母体にして、最初は菌みたいなものかもしれぬが、それが更に新しい母体を産み、長い年月をかけ、次第に様々な生命を育んで来る中で生まれてきた。

 要するに、僕等もモー娘も植物もゴキブリも皆大元は地球だった、ということになる。
 僕等は地球無しでは存在し得ない、地球と言う大きな木の幹に生い茂る枝葉や花であるのだろう。

 近年環境汚染問題が取沙汰されるが、環境を汚染する、ということは、僕等の外的環境を単に汚染している、というのでは無く、大元の母体を汚染している、ということになる。
 自分自身で、自分の生えている大きな木を汚していることになる。
 僕等が地球だとして、そこに存在している人間をチ○チンに例えてみると、環境汚染とはチ○チンが僕等の顔や身体に好き放題に小便を振りかけている、ということと同じになる。チ○チンが、元々僕等と言う母体があってこそ存在しているというのに気づかず、己の好きなように勝手気ままに暴走している、ということと同じになる。チ○チンは小便を自分の外にバラ撒いていると思っているが、実は自分の母体を単に汚しているだけ、ということと同じになる。
 ちとオカシナ比喩でしたかな。

 チ○チンとキン○マが戦い争い仮にチ○チンが勝ち、キン○マが傷つけられたとして、チ○チンが喜んでいても実は傷つけられたのは母体なのである。母体が蝕まれたらチ○チンとキン○マに未来は無い。

 こうして考えていくと、仮に他者を傷つけなかったとしても、自分自身を傷つけていたらどうなるか?。
 チ○チンが自分自身を傷つけ他人に迷惑がかからないから良い、などと思っていたら大間違いで、実は蝕まれているのは母体なのである。無論母体が蝕まれてしまったら、チ○チンだろうがキン○マだろうが未来は無い。

「2001.10.7(日)」曇・魚春

 休日に時間のある時は旧街道の散策に出かけたりするが、今日は趣向を変えた散策である。
 フジテレビの月9ドラマ「やまとなでしこ」は昨年の10月9日から放送され好評を博したが、ちょうど一周年記念というわけでも無いが、ロケ地を幾つか巡って来た。まあ言わば、やまとなでしこ詣でごときと言ったとこか。

 左上の写真は、桜子(松嶋奈々子)と欧介(堤真一)が二度目のデートの日に道草と称して侵入し、誤って落ちてしまった池の中でキスをした二人にとっては思い出深き公園「代官山ながれぼし公園(劇中名)」の表門の舞台となった、都内のとある公園の門である。

 右上が欧介の学生時代からの親友佐久間(西村雅彦)達が勤めている「慶明大学付属病院(劇中名)」の外観の舞台となった、都内のとある病院の正面から撮ったもの。

 左下は欧介の実家「魚春(劇中名)」、その横は桜子と欧介が幾度と無く印象的なシーンを繰り広げた魚春の前の通りである。

 この魚屋の前を通った時、全く当たり前のことを言って申し訳ないが、魚の匂いがプ〜ンと立ち込めていて、ドラマからは中々感じ取れない生臭さ感が感じられ、ある意味収穫であった。
 ちなみに猫が数匹いた。
 近所の子連れオバチャン達もそこで井戸端会議をしており、言っては申し訳ないが邪魔だったので、オバチャン達が撤収するのを待ち写真を撮った。その為夕方近くなり暗めなのはご了承お願い申し上げます。

 ドラマではここから大きな観覧車が見えていたが、実際にはそんなものは無いので、どうやら合成だということがわかった。

 「魚春」と「慶明大学付属病院」の舞台は、僕も良く行く巣鴨・大塚からも比較的近いところにあったので、割合親しみを感ずるものがある。
 ちなみにここを訪れる前に新大塚のマックで休憩していたのであるが、休日とは言え空いており雰囲気は良かった。
 大体新宿・渋谷など大きなところのマックは休日なぞ混んでいてとても近づき難いが、大塚・巣鴨・駒込といった地域の、こうしたファーストフードショップや、その他の飲食店は比較的空いていて落ち着けるので、散策の際の休憩スポットには打ってつけであるので、それがこの地域の良さとも言える。

 今日はこんなところであるが、今度機会があれば桜子のアパート「代官山ハウス(劇中名)」、それから僕の住んでいるところに近いらしい「東十条一郎病院(劇中名)」にも足を伸ばしてみたい。
 

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