Monologue2001-55 (2001.9.15〜2001.9.19)

「2001.9.19(水)」晴・踏んじゃった、から・・・

 朝駅に隣接した踏切の近くで、奇妙な茶色の足跡を断続的に刻みつつ歩行を続ける老婆を見かけた。
 華奢な身体に、その足取りは弱々しく小刻みなものであったが、歩行に合わせ右足裏から茶色の物体がペタペタとコンクリの道路に付着してゆく。
 当初その茶色の物体は土のようにも見えた。土であって欲しいと願いたくもあった。
 しかしその粘着性のある形状、色具合、僕に不吉な思いを抱かせずにはいられなかった。
 勿体ぶらず今回は考え得る最悪の解釈をさせていただくこととしよう。

 そう、老婆はどうやらウンコを踏んづけてしまっていたらしいのである。
 老婆の足跡刻印作業は晩期を迎えたらしく、ウンコと思われる物体の量も幾分少なめになってきており足裏にかかるウンコの抵抗感もそれ程感じられなくなっている為か、老婆も自分の足裏で起っている緊急事態には何らも気づいている様子は無かった。

 ところでそもそもウンコとは・・・、おっと、その前に・・・。
 お食事中の方々、下ネタ嫌いの方々には申し訳ないので、すみやかに他サイトへ移動していただくか、ブラウザーのウインドウをお閉じ下さるよう前もってご連絡致しておきます。遅いってか。

 ウンコというものは、なぜか子供たちには結構人気があるようである。
 かくいう僕も自らの幼児性を露呈してしまうようでお恥ずかしいがウンコネタは嫌いでは無い。
 意外に根強い人気のあるのが「ウンコ」なのである。

 ミニモニの新曲「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」では加護・辻コンビのウンコ好きが昂じたようで、冒頭部分にはウンチングスタイルを模した振りつけを導入しているそうである。
 トップアイドルも支持するほど、かようにウンコは人気が高い。

 大体「ウンコ」という語感も親しみやすく、何より言い易い。
 忌み嫌うものであれば言い難くすればいいのにとも思うが、子供でも簡単に言える程度に言い易くなっている。
 「ウン」と気張った直後、「コ・・」などとさり気なく拍子抜けするところが、いかにも愛くるしく憎めない。
 これが「ウンディックス」とか「ウンディバルドバスガイオス」みたいな言いにくい厳めしい命名をされていたら、これほど親しまれていただろうか。
 ウンコ以外でも、ウンチ、クソ、糞、便・・・などと実に簡便で言い易い。

 ちょっと脱線するが「がん」という病名を命名した人は重大な罪を犯している気もする。
 「がん」なんて実に響きが重過ぎる。
 語感というのは結構重要だと思うが、立川談志が言っていたように、これが「ポン」や「チー」だったら、どれだけ患者の心理的負担が軽減されただろうかと想像する。

 さて又ウンコに戻るが、よく女性が自ら産んだ我が子は「自分のお腹を痛めた子」「自分の身体から出て来た子」だからこそカワイく愛おしいといったことを述べているのを聞く。
 ウンコも自らの身体から出てくる。
 ウンコこそ人生の最も初期から自らの身体から出てくるものの代表である。
 更に「自分のお腹を痛め」出すことも可能である。時には自分の尻を痛め出す者もあろう。
 かようにウンコはその「出てくる」頻度たるや我が子の比では無い。
 故に親しまれるのも当然であろう。この辺論理展開シッカリしてるな・・・。

 そしてウンコの大きな武器は「笑いに持っていき易い」ということである。
 「ウンコ」という言葉自体で、既に失笑が聞えて来そうである。
 出落ち、かもしれぬが笑いは取り易い。
 従って芸人さんには禁じ手として敬遠されているようであるが、まさに天然ボケの権化ともいうべき存在、それがウンコなのである(なんか大げさになってきているな)。
 天然ボケだから実にツッコミ易い。
 「ホカホカかよっ!」「黄色かよっ!」「臭すぎだよっ!」「昨日ひじきかよっ!」「途切れ途切れかよっ!」・・・などと幾らでも出てくる(全部さまあ〜ずかよっ!)。

 昔僕の身内の誰かがコーヒーゼリーのCMの中で「うん、コーヒーゼリー」というフレーズがあったのを何を勘違いしたのか「ウンコ、ひぜり」と捉えたらしく、「ウンコひぜりって、何?」などと皆に聞いて回って失笑を買った、などという逸話もある。

 老婆がウンコを踏んづけた話から、つい拡がってしまったがウンコネタにより、このHPもこうして助かることがある。
 有り難いことである。おそらくウンコの神の賜物であろう。

 ここで締めの一句。
 このたびは、ネタもとりあへず、たむけやま、昨日のひじき、くそのまにまに。
 お後は・・・それほどよろしくもないようで・・・。

「2001.9.18(火)」晴・FF中

 金が無かった為発売当日には買えなかったが、ようやくファイナルファンタジー10を手に入れ着手することができ嬉々とした日々である。
 ファイナルファンタジーのようなRPGは終わるまでに一ヶ月以上かかる。
 普通の人でもそれくらいはかかる。
 僕は特に主人公を充分成長させてから前に進むタイプなので、もっとかかる。
 人生に関しては石橋を叩かぬのに、ファイナルファンタジーに関しては石橋を叩き壊して前に進めなくなるくらいまで叩いてしまっている。
 前回のファイナルファンタジー9では、全キャラクターを限界までレベルアップさせ有終の美を飾った。
 キャラクター諸君には、かなり苦労をかけたことと思い、遅まきながらここでその謝辞を述べつつ労を労いたい。

 ま、こんな感じなのでファイナルファンタジーをやっている間は、なんかその後から振り返ると「時代」というか、南北朝時代、室町時代みたいな「ファイナルファンタジー時代」みたいな一つの時期として思い出されたりする。
 もしくは、ちょうど女性のアノ期間、○○中、みたいな、そんな感じである(違うか)。
 コギャル風に言えば「あたしー、いまー、アレの最中でー、なんかー、FF中?、みたいなー。」

 FF中(Final・Fantasy略してFFです)は時間が拘束されるので、ついHPの書き込みも手抜きになる、などという弊害も出てくる。
 仕事に行っている時もつい「あれ?、もしかしたら、あのスフィアあそこじゃないかしん?(すみません。静岡弁です。「あそこではないだろうか?」の意。)」などとゲームのことが思い浮かび、気も漫ろになりがちである。

 ゲームが思い通りにいかず、変な化け物に思わぬ所で殲滅されたりすると、ついプチンと切れて、部屋の床にパンチをぶつけなどし、イライラがたまりストレスが溜まったりする。こんなとこなど殊に女性のアノ期間に似ているかもしれぬ。

 イライラすると、つい絶叫したりもする。
 ゲームの画面に出現した化け物に向かって「てめ、今出てくんじゃネエヨッ!!」などと悲鳴にも近い甲高い声で罵りまくったりする。
 こんな声を隣近所に聞かれるのは些かマズイ。
 従って声が洩れないようカーテンを締め、サッシも締め密閉した空間でゲームに勤しむことになる。
 まあ、言わば「モレナイガード」をする。こんなとこも女性のアノ期間に似ているかもしれぬ。

 女性がアノ期間が終えると、安全日などと称して解放感にまかせ享楽の一時に励む方もいると聞くが、私モテナイ独身エトランゼも、今までゲームで占有されていたテレビ画面が解放されるので、エロビデオなどをセットし享楽の一時に励む。こんなとこも女性のアノ期間に似ているかもしれぬ。ん?違うってか?。

「2001.9.17(月)」晴・DVDへ移行したい

 お恥ずかしながら先日パラパラのDVDを購入してしまった。VHSビデオが出ていたのは知っていたのであるが、どうせならDVDでと思っていたので、ようやくそれが出回って来始めた為早速入手した。
 別に自分がやるという訳では無いが、僕はなぜかこのパラパラという踊りを女の子が踊っているのを見るのが好きなのである。

 ところでプレステ2でDVDを見ることができる為、所有するDVDソフトの数も次第に増えて来た。
 これから購入予定のあるソフトは、なるべくDVD版にしたいとも思っている。
 その為か最近VHSのブランクテープを仕入れる気持ちが鈍って来つつある。
 資金に余裕があれば、いっそのことテレビの録画もDVDに切り替えてしまいたい、という気分にもなってきた。
 僕の録画機器の主流がDVDに取って代わる日も、そう遠くは無くなってきそうである。
 しかしこれももう何十年もすると、もっと小さいコンパクトなメディアが出てきてたりするのだろうなあ・・・。

「2001.9.16(日)」晴一時雨・キッカケに

 ここ数日は米国の同時多発テロの話題がマスコミなどを賑わせているが、確かにこの事件は僕も非常に興味深い。
 というのも今までの人類の意識の進化にとって、この事件の持つ意味は非常に大きいと感じるからである。

 この事件での対応が、人類が今まで延々と繰り返して来たカルマに対して、どれだけ進歩したかと言う、ある種の試金石的役割を担うのでは無いかという気がするのである。
 この事件が精神世界科学の分野でも進んでいるアメリカで起きたことも実に意義深い。

 今回アメリカ側が武力行使をするという報道もあったが、暴力に対し暴力で抗しても、最終的には問題は解決しないということは歴史が嫌と言うほど証明しているはずである。
 下手をすれば又無関係で無力な人々が、数多く犠牲になり兼ねない。
 ブッシュ大統領は「善と悪」との戦いだと言っていたが、ある意味それは違っていて、ある意味当たっていると思う。僕は抗すべきは「人類の心の中の悪」であると感じる。

 もし仮に善と悪があったと仮定しても、悪を徹底的に武力で殲滅しようとしても無くならないと思う。
 語弊があるかもしれないが、悪は最終的には、どこかで癒されなければ無くなることにはならないと思う。
 もちろん癒す、というのは悪の望み通りに何でもする、というのでは無く、悪が留まっている意識状態、留まり続けている意識状態から解放されなければいけないということである。
 もっと言えば、悪とは、進化を放棄してしまった人類の意識状態のことだ、と思える。
 もちろん進化というのは物質的な進化では無く、いかに人類として広く優れ愛に溢れた意識を持っているかということである。
 悪が善に再生する為には、又再び進化を始めるスイッチをどこかで付けることが必要だと思う。

 今回被災者その関係の方々には実に気の毒な事件であり、感情的な遺恨も多く残ってしまったことと思う。
 それは実に嘆かわしいことであり、同情に値する。
 であるからこそ、今後同じことが又繰り返されないよう、慎重な対応を望みたい。
 対応の誤りの多くは、双方がお互いを知らなすぎる、ということにあるとも思う。
 最悪今回実際問題として武力行使が止む終えなかったとしても、双方が少しでも歩み寄りを見せていくには、どうすれば良いのか?何を解決していけば良いのか?何がネックでどこにつまづいているのか?ということを、人類が考え始めるキッカケにでもなってくれれば、という願いもある。

「2001.9.15(土)」曇時々晴・小さな旅

 僕は旧街道沿いの街などを散策したりするのが好きなのであるが、記憶を辿ってその興味の意識のルーツを探っていくと、やはりどうやら幼少時代の体験に端を発しているようである。

 小学生の頃自転車でどこかへ出かけるのが、とても大好きで、気のあった友人と休日には良くアチコチへ行っていた記憶がある。
 中でも当時は学校からは父兄同伴でないといけない、というような決まりがあった「隣の市や町」に行ったりしたことが、とても楽しい思い出として印象深く残っている。
 今考えてみると、これらも一種の「小さな旅」だったと言える。

 隣の市へ出かけるのは当時小学生だった僕等には大変な難事業であったが、苦労して市境に辿りつき、隣の市の看板が見えて来た時の感激・熱狂は未だ忘れられない。
 市と市の境は市街地から離れている為か、割と家も少ないような田園地帯的な場所が多い。
 そんな場所にポツンと存在している菓子屋の類いは、まさに道中ようやく辿りついた宿屋のようなものである。そんな子供的宿屋で買った駄菓子やジュースのおいしかったこと・・・。
 普通の近所の店であったらすぐ立ち去るのを、時を忘れその店に長い時間居座っていたような記憶がある。

 それから市境を過ぎ、ようやく繁華街が近くなり街並みが見えて来た時の喜び・・・。
 全く見知らなかった隣町の別世界的情景の与えてくれる、新鮮な驚きと感動。
 例えば隣の市の藤枝市は、街の中に小さな山があるのであるが、海の街で育った当時の僕には「街中に山がある」ということだけで、もうカルチャーショックであった。
 帰りがけには別ルートを通ったりして、やはりその道にも宿屋のような菓子屋がある。
 小遣いも底を突いて来るが最後にそれを振り絞って30円くらいのアイスキャンディをそこで買ったりするのである。こうしてその店の前などで今日の出来事を語らい合ったりするのが、今ならば居酒屋で打ち上げをやるようなものなのだろう。
 こうして楽しかった旅のフィナーレがやってくる。
 僕等は西日を受けながら自転車レースさながらの全力疾走で、夕飯の待つ我が家へと帰っていくのであった・・・。

 僕はたぶんきっとこの隣町を尋ねた小さな旅の時の熱狂を、未だに味わいたがっているのだろう。
 だから今でも僕の行く旅は、得てして子供時代を再発見するような、ごく普通の日本の街の情景を探す旅になりやすい。

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