Monologue2001-50 (2001.8.15〜2001.8.19)

「2001.8.19(日)」晴・倦怠記

 昨日渋谷へ飲みに行き本日は朝帰り、と言う最近また少しづつ出始めてきたパターン。
 勿体ないような天気ではあったが、家についてからはパンツ一丁になりすぐ布団の上に横になった。
 朝の涼しい内に冷房を付けず窓から自然な風を入れると、布団も心持ち温度は低く、素肌に心地好く感じるもんである。
 結構呑んだようであるが、今日は頭が痛くなるほどでは無い。
 しばらく興奮していたのか天井を見上げながら昨日の出来事なぞを反芻している内に、中原中也の「朝の歌」の一節などが浮かんできたりする。

 ”天井に あかきいろいで 戸の隙を 洩れいる光、
  鄙びたる軍楽の憶い(おもひ) 手にてなす なにごともなし。

  小鳥らの うたはきこえず 空は今日 はなだ色らし、
  倦(う)んじてし 人のこころを 諌(いさ)めする なにものもなし
  ・・・ ”

 その内いつ記憶が無くなったのかわからぬが起きたら昼になっていた。
 予約録画していた「笑っていいとも増刊号」を見、カップラーメンを喰い、その後又ウトウトし始めたので横になったが、次に起きたらもう夕方の6時前であった。

 ちょうどいいから「ちびまるこちゃん」でも見るか・・・。
 今日は夏休みになっても、いつも勉強ばかりしている丸尾君が母親に、遊びも勉強のうちだから、たまには遊んできなさいと諭され、それになぜかまる子が一日付き合わされてしまうというもの。
 話の筋とは関係無いが、その中に昼近くまでまる子が寝ている場面が出て来た。

 それを見て自分もふと小学生の夏休みの頃を思い出す。
 自慢では無いが、僕は小学生の頃は夏休みでも昼近くまでゆっくり寝ていた記憶は無い。
 これは自分が活動的だったからとか、心がけが良かったから、ということで全く無い。
 遅くまで寝ていると親に怒られるから、というのが正解である。
 もしくは僕は兄弟が多かったので、遅くまで寝ていると朝飯にありつけなくなる、というのも正解としよう。

 夏休みの標準的な生活スケジュールは、まずラジオ体操に合わせて起床し、ラジオ体操後に朝食を取る。
 その後は自由時間であるが、大抵は友人などがやって来て遊んでいたから、あの頃は随分早い時間から活動していたもんだと思う。
 ラジオ体操が終わって朝食後と言えば大体7時半くらいだから、今の僕が起きるくらいの時間である。
 今もしラジオ体操をやれと言われても到底無理だろうが、仮にやったところで「終わったらもう一寝入り・・・」などと、どうしてもぐうたら方面への引力に負けてしまうことであろう。
 どうも随分生活時間帯が後ろにズレてしまったようである。

 「ちびまるこちゃん」が終わりモー娘。を見る為「24時間テレビ」にチャンネルを回す。 
 ところでこの「24時間テレビ」で、一日で2億円以上の募金が集まったそうである。
 それだけ集められるパワーも凄いが、ふとこんなことも感じた。
 一日で2億円以上も集められる力があるのだから、人間今いろいろ言われている問題、環境問題、福祉問題、教育問題、その他いろいろ・・・、こうした問題を解決できる力は充分にあるんじゃないか?。
 今はただ皆が真剣に問題へベクトルを向けていないだけで、本当に皆が真剣に少しでもいいから力を合わせていけば問題は解決するのでは無いか?
 今は、しきりと難しい、絶望だ、どんどん悪くなっている、・・・そうした「気分」に皆が同調していて、そうしたポーズを取る事で、前向きに取り組み努力しないことに言い訳をしているだけなのではないか?
 そんな気もした。

 夕食は又々インスタント麺。
 昨日は店で煙草を吸いすぎて朝は胸がムカツイテいたが、夕方にはスッカリ又一服したい気分に戻っていた。
 倦怠的な一日であったが、それ程憂鬱でも無い。
 それは明日も又休日だからという余裕があるからである。

 今日の締めはブラジルのアーチスト、カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルのコラボレーションアルバム「トロピカリア2」より「伝統」それから「サンバがサンバであった時から」を聴く。
 この曲は以前奈良へ行った時に持っていったので、これを聴くとその時歩いた景色などが浮かんでくる。
 ミディアムなテンポが飲み過ぎた翌日のマッタリした気分には、ちょうど心地好い。
 奈良の薬師寺辺りののどかな風景を思い浮かべつつ、明日の天気はどうなるのだろう、などと考える。

「2001.8.17(金)」晴・応援します埼玉高速線

 現在埼玉高速線の駅は赤羽岩淵を除いて7つあるが、その内、実に4つの駅が四文字漢字の名をもった駅なのである。
 七分の四、なんと57%の確率なのである!・・・ちと、大げさすぎましたかな。
 浦和美園(ウラワミソノ)・戸塚安行(トヅカアンギョウ)・南鳩ヶ谷(ミナミハトガヤ)・川口元郷(カワグチモトゴウ)。
 まるで四字熟語のような厳格な響きである。
 元来四字熟語自体厳かで、使用した際は文章も引き締まる。
 「焼肉定食が半額だ」(お約束ですか・・・。どこが厳かなんだよ・・・)。
 元来四字熟語自体語呂が良く、語感も心地好い。
 四面楚歌、五里霧中、百鬼夜行、魑魅魍魎・・・(なんで否定的な単語ばっかなんだよ・・・)。
 この埼玉高速線の駅も「俺、今日川口元郷から戸塚安行まで寝過ごしちゃってヨオ・・・」などと言うと、お粗末な出来事も、何か重大な響きを伴って聞えてきはしまいか?・・・、しないか・・・。

 片や東京の超メジャー線、山手線は、その駅の名も簡潔な2文字が多い。
 渋谷、新宿、原宿・・・。
 京浜東北線も同様である。
 横浜、川口、大宮・・・。

 埼玉高速線も美園、元郷、安行・・・ではいけなかったのだろうか。
 もしかして、これではインパクトが無い、と判断されたのだろうか。
 かといって、じゃあわかりやすくメジャーな名前を、ということで挙げられるメジャーな浦和や川口は、もう既に他線で使用されている。
 山手線や京浜東北線には歴史があるが、埼玉高速線は今年の3月に開通したばかりの超新人線である。
 「新人は真似すんじゃねえよっ!!」と浦和に怒られてしまったとか、しないとか。
 新しい路線の駅は、とかく四字熟語的な駅名が多いような気もするが、かようにわかりやすい駅名が既にメジャー線に使われちゃっているから、もしくは逆にメジャー駅さんの七光を仰きたかった、などという哀しい事情などが、もしかしたらこの合体四字熟語命名の裏にはあるのかもしれない。
 
 結果この埼玉高速線も「浦和+美園」「川口+元郷」という逃手を取った、と言えなくも無いかもしれない。

 戸塚安行なども、どういう事情があったのか、「戸塚+安行」が合体してしまっている。
 山手線で言えば、「巣鴨大塚」「目黒五反田」「新大久保高田馬場」「西日暮里日暮里」みたいなもんである。
 当然、日本屈指の超メジャー線東海道線の「戸塚」があるから、「戸塚」だけではいけないだろうが、駅自体は安行にあるから「安行」だけではいけなかったのだろうか、という疑問も残る。
 まあ僕などにはわからない裏事情が有り「戸塚安行」になったのであろう。

 或いは埼玉は最近「さいたま市」のように合併づいてるから、埼玉高速線でも合併名を使用したのかもしれない。

 まあ実情は当事者に聞かなければわからぬが、ともあれこうして見てみると、何か必死に健気に頑張っている埼玉高速線の涙ぐましい努力がヒシヒシと伝わってくる。

 埼玉高速線は開業し早数ヶ月が過ぎたが、利用客が少なくて困っているらしい。
 開業間も無く、まだ運賃が高いという苦しい事情もある。
 浦和美園駅から埼玉スタジアムは激遠いという苦しい事情もある。
 願わくば、埼玉高速線は旧鎌倉街道・岩槻街道をなぞるように通っているから、街道に興味のある人などは是非利用してもらいたいもんである。
 せっかく旧鎌倉街道散策に便利なこの線が赤字になっていくのは悲しい。
 只実のところ本心を言えば、僕が乗る時はいつも空いていて欲しい、というのはある。

 蛇足であるが、今僕は平日はいつも東急目黒線を利用している。
 何を隠そう、この東急目黒線は南北線を経由して埼玉高速線に乗り入れているのである。
 つまり車両だけは埼玉高速線の車両を、ほぼ利用しているとは言える。
 「ほぼ」と言ったのは、この東急目黒線、実は都営三田線も乗り入れているので、三田線の車両も入って来てしまうから、そっちに乗ると埼玉高速線の車両は使用しなくなってしまうのである。
 ま、こんなややインチキ利用であるが、僕も及ばずながらいつも(?)利用している、この埼玉高速線、これからもヨロシクお願いしたいもんである・・・。あれ?いつから俺宣伝屋なったっけ?。

「2001.8.16(木)」晴・諺合体

 「類は友を呼ぶ」という言い回しがあるが、確かに同じような性格・特性を持った人間が集まってくる、ということは多々ある。

 優れた特性を持った人間が集まれば、相乗効果を産んで素晴らしいものを産み出せる、ということもあるかもしれないが、多くは嫌な性格の人間が集まったりしてお互い摩擦を生んで問題を生じたりするなんてことがある。
 しかし、それはそれで良いのである。

 僕は、この「類は友を呼ぶ」は、ある種なかなか優れたシステムであると思う。
 人間には多少の差はあれど、天の邪鬼的な性質がある。
 自分の嫌な性格と似た人間が集まると、回りの人間の欠点を見ながら、本当は自分にその欠点があるにも関らず「自分はこうでは無い」、或いは「自分はこうありたくない」と思いたくなるもんである。
 すなわち、この時点で既に人間の向上心の発芽があるのである。
 このシステムは、このような人間の相対的向上心にうまく火をつけてくれる時がある。

 ここで諺合体が生まれる。
 すなわち「類は友を呼ぶ、ので、人の振り見て我が振り直せ」と。

「2001.8.15(水)」曇時々晴・最初は抵抗

 若い頃は歴史には、かなり抵抗があった。
 日本史も含め、学校で勉強する歴史、現代まで影響を与えている歴史の多くは、血塗られたものが多いからである。

 そんな、ともすれば暗い歴史に、なぜ又一々踏み込もうとしてしまうのか?
 それはやはりひとえに社会人になって、自分で言うのもおこがましいかもしれぬが、ある種戦争とまではいかないまでも戦争じみた修羅場を潜り抜けさせてもらったことにより、歴史のような過ちの繰り返しの連続のようなものを客観的に見つめ、その中に光明を見いだしてみようと言う気分が自分の中に作られてきたからでは無いか?という気がするからである。

 逆に言うと、人生波風立たぬように今まで来ていたら歴史には興味が沸かなかったかもしれないとも言える。
 そう考えると、自分を見失っていた灰色の日々も、それなりに大きく意味があった、と自分を納得させることはできる。

 それから最初は過ちに光明を見いだしてみようと探り出した歴史が思いの外、自分が予想していたもの以上のものを見せてくれることがわかってきた。
 今は素直に好奇心から歴史を紐解き始めている。

 蛇足であるが、僕の手相は何かと過去に執着し易い相らしい。
 つまり手相的にも歴史方面にベクトルが向いているらしい。

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