Monologue2001-49 (2001.8.12〜2001.8.14)

「2001.8.14(火)」曇後晴・今週の悟り

 若い頃「悟る」ということは、何かある日突然啓示を受け、それ以降はスーパーマンのように絶対的な揺るぎ無いかのような強い人格を持った人間に生まれ変わることなのだというイメージを持っていた。
 しかし僕の場合どうも「悟り」というのは、そうした宝クジで一攫千金みたいな悟りでは無く、小さな悟りを地道にコツコツ貯蓄し、やがて大きな悟りに成長させていくものなのかな、と最近感じるようになった。
 「悟り」に貯蓄型も掛け捨て型もクソもなかろうが、「悟り」も確かに貯蓄みたいなところも無くは無い。

 僕は今までどのような小さい悟りがあったか、通帳に未記入だった為「おまとめ」され合算でしか金額が、いや失礼、悟りが把握できなくなってしまったようであるが、貯蓄と明らかに違うことは「決して減らない」ことである。
 悟り銀行から悟りを引きだしても残高が減ることは、まず無い。
 もし減ってしまうような悟り残高なら、それは「偽悟り貯蓄」の疑いがある。
 吸収合併で減ってしまうような残高なら、単なるあぶく銭の貯蓄やもしれぬ。

 残高は減らないが、その代わり利子も無い。
 ・・・いや、まてよ?、あるかもしれん。
 悟りも数を重ねていけば、15悟りに2悟り位の割合で悟り利子がつくやもしれぬ。
 50悟り以上になると、年間2.5悟り程度の利子がついているやもしれぬ。
 悟りを小数点表現したり、演算したりしてしまっていいものかどうかわからぬが、まあ、そんなこともあるやもしれぬ。
 ややもすれば満期になるとドカーンと利子が付くものやもしれぬ
 それにある限度まで悟り貯蓄すれば非課税になってリスクが減るものやもしれぬ

 更に「悟り銀行」は年中無休である。
 いつでも引き出せるし、休日に振り込むと翌営業日にならないと残高更新されない、などということは無い。
 ・・・いや、まてよ?、あるかもしれん。
 誰かが良い話やアドバイスをして、せっかく悟れるチャンスが来たのに、受ける方が心の口座を開いていなかったばかりに、その悟りが実際に振り込まれるのは、10年もしくは20年先になってしまったりすることが往々にしてある。こんなのは実に長〜い翌営業日明けにようやく振り込まれるから本当の銀行より、まどろっこしいことになる。

 まあ悟り銀行の安心できる点は、強盗などが来たって盗まれることは無いことである。
 個人の口座は個人しか扱うことができないから、誰にも盗めやしない。
 盗めないが分け与えることができるから、優れものである。

   *   *   *

 さて、無駄話はこれくらいにして、そんな近頃の僕であるが、今日は僕の「今週の悟り」をご紹介しよう。
 悟りをこんな風に日替わり定食のように扱っていいものなのか多少疑問も残らないでも無いが、「今週の悟り」は「不本意な職業」に関してである。
 不景気の昨今、ありつけた職業にあーだこーだ言うのは非常にオコガマシイとお叱りを受けそうであるが、これは職業を便宜的に扱った悟りとして聞いていただきたい。

 不本意な職業に就いていると、正直なところイライラが募るケースも多く、時には予期せぬ出来事が業務遂行を妨害したりして、遂行意欲を甚だしく減退させたりすることが非常に多かったりするもんである。
 こんな不本意な職業に就いてしまった時に大事なことは、いかにその職業をうまくこなすか、とか、いかにその職業から逃れるか、とか、いかに本当に合った職業を見つけるか、などでは無い、ということである。

 それよりも大事なのは、その職業に従事している時に自分が「どんな風に感じているか」「どんな感情が沸き起こっているのか」「どんな風に感じているか」「どんな思いを抱いているのか」、そうしたことを客観的に把握すること、そちらの方がずっと大事なのでは無いか?、そう思えて来たのである。

 更に不本意な職業のようにプレッシャーのかかる、ある意味「逆境」に置かれた時に「自分がどんなリアクションをとる人なのか?」「自分がどういう態度をとる人なのか?」、そうしたことを「知る」事の方がよほど大事なのでは無いか?そう思えて来た。
 プレッシャーを与えた時に、怒っちゃう人なのか?笑っちゃう人なのか?耐えちゃう人なのか?泣いちゃう人なのか?緊張しちゃう人なのか?堂々としちゃう人なのか?・・・。
 どういう感情を抱いたら良い、こういう反応をしたら良い、という優劣はこの際関係無い。又次のステップである。
 まずはどんな風に自分が感じるのか、反応するのか「知る」ことが大事なのである。
 つまり不本意な職業を通じて、いや、不本意な職業を通じてで無ければ明らかにできない「深奥の己を知る」ことが最優先の課題なのでは無いか?、そう思えてきたわけである。

「2001.8.13(月)」曇・哀しいライブ

 生理現象は、こちらの望む望まざるに関らず、得てして突然やってきたりするもんである。
 咳は通常風邪などを患った際に発生する場合が多いが、健康な状態の時に突然起こる場合もある。
 いわゆる「むせる」というやつである。
 下方排泄系生理現象は、ある程度は我慢できる。その爆発状態までの時間を意志によって遅延させることができる。
 しかしこのむせる咳の場合、全く自分の意志ではコントロールできない場合が多い。
 この融通の効かなさ頑固さには、ほとほと手を焼いている。
 この尋常では無い肉体反応の速さを見れば、肉体的緊急度はきっと高いのだろうと思われるが、あまりの突然さにこちらもややもすればついて行けない場合も多い。

 僕は電車内でガムなどを噛んでいた際、その咀嚼時に少しづつ口内奥に蓄積していた唾液群が、何かの弾みで突然どっと気管支方面に流れ込んでしまい、激しくむせかえす、ということをしばしばやらかしてしまう。

 こんな時の咳は、全く自分では止められない。

 自分の身体は全く外的侵入に素直に生真面目に反応し、自分達の仕事を清々とコナシているだけのようであるが、外側では大変なことになっちゃっているのである。

 突然何が始まったんだというような激しい咳の連打が「ウエッホン!ウエッホン!」などと始まる。
 特に第一発目なぞ、時には唾液の飛沫が花火のように舞い上がりさえする時がある。
 スローで再生したら霧のような細かい美しい唾液の紋様が見えそうである。

 こんな時は吊り革なんぞに捉まっていたら最悪である。
 特に前に綺麗なオネエチャンなぞが座っていたら最悪である。
 咳はしてもしても出て来る。中々止まない。
 下手すると「ウオエーッ」などと、えずいちゃったりする場合もある。
 かなり苦しく、正直ノタウチ回って悶えたいくらいであるが電車内ではそうはいかない。
 えずいたりする時の顔など一番見られたく無いが、下手すると正面の美女の面前でえずかねばならぬ場合すらある。
 こんな時は本当に一人にして欲しい。
 こんな時こそ一人でヒッソリとえずいていたい。
 今まさに自分に生理現象が発生している状態の時に、人に注視してもらいたいと願う者は、そう多くはいないであろう。

 しかし運命はそれを許さないのである。
 こんな時に限って電車が割と空いてて車内がシーンとしていたりする。
 こうなると僕のむせかえりえずく苦しげな音だけが断続的に車内に響くこととなり、車内は僕の単独ゲリラライブ状態となる。
 しかしこの哀しい単独ゲリラライブには観衆の熱狂は無く、あるのは戸惑いと憐れみのみである。
 他人の生理現象は、快か不快かということになれば大方不快であろう。
 (只下方系の排泄系に限っては一部マニアの絶大な愛好を受けているとかいないとか聞くが)。
 ともあれ例えばクシャミ・咳を目の前でされたら、不快極まりない。特に咳などはクシャミ程のユーモラス感も無く、唯ひたすら不快なはずである。
 周りの人は、まさか手で僕の気管に入った唾液を掻き出すわけにもいかないから、この哀しいライブが終演するまで「お気の毒に」と見守るしかないのである。

 更に悪いことに、この「むせかえり+えずき」は、何だか異常に体力を消耗する。
 運良く治まった後は、一体何をそんなに激しく行なったんだと思われるくらい顔面が紅潮し荒く息づいていたりする。まさにライブ終了後の状態である。

   *   *   *

 電車内に限らず会社の中などでも突然「ウエッホン!ウエッホン!」などと、中々鳴りやまない咳と共に誰かの哀しげな単独ゲリラライブが始まってしまうのを良く耳にする。
 こんな時は、この同志達(?)の哀しいライブが終演するまで「お気の毒に」と見守るしかないのである。

「2001.8.12(日)」曇・冷蔵庫無くとも

 冷蔵庫が壊れ、はや二ヶ月近くが過ぎようとしている。
 新しいのが買えないまま、そのままずっと来てしまったが、結局何とかなってしまった。
 昨今の猛暑、何は無くとも一番必要と思われる電化製品であるはずが、ついにここまで来てしまった。
 なんかこのまま9月まで行ってしまいそうな気もする。
 今時冷蔵庫を持っていない歴とした社会人などどこ探しても見当たらぬかもしれが、これも独身ならではの利点(?)なのだろうか。ま、冷蔵庫が無いからって威張れるもんじゃ全くありませんが。

 ここで一句。
 モー娘。の、DVDを買う為に、又後回しの冷蔵庫かな。

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