Monologue2001-48 (2001.8.6〜2001.8.11)

「2001.8.11(土)」曇後雨・ナイス、キャー

 「笑っていいとも」の金曜日で「キャー」のコーナーというのがあり、素人から寄せられたハプニングをランクづけするというものなのであるが、その中に「授乳途中だったことを忘れ郵便屋が書留を配達に来た際に片パイはみ出したまま印鑑を持って玄関に出てしまったという人妻」のエピソードなどが紹介されていた。
 私モテナイ独身エトランゼなぞ「いいにゃあ〜」などと非常に羨ましく思いつつ見ていた。

 只こんな私めでも思い起こせば、かつて数回ほどチョットおいしい思いをしたことも無いでは無かった。
 もう大分前の話であるが、僕が学生時代に新聞配達のバイトをしていた頃であった。
 仕事は大変だったが、このオイシサは、きっとその代わりのご褒美だったくらいに今では解釈している。

 仕事には配達の他に「集金」もあったのであるが、その集金時に、とあるマンションの一般家庭に集金にいった際、夜の7時か8時くらいであったが、応対に出て来てくれた、その家の奥さんがスケスケのネグリジェか何かを着て出て来て、その下はパンティーしか履いておらず、いわゆるオッパイが透けてモロ見えてしまっていた、などということがあった。ちなみに胸はそれ程大きくも無く小ぶりであったが、やけに乳首の色が濃かったような記憶がある。

 それからこれは朝の配達時のことであるが、やはりとあるマンションの一般家庭で、その家はなぜかいつも玄関を全開にしており、家の中に新聞を放り込んでいた。
 その日も僕は普通に新聞を放り込んだのであるが、ふと家の奥に大きな鏡があるのが見えた。なんとその鏡にはその家の婦人の半裸の姿が映っていたのである。もう少し詳しく言うと、真っ黒のパンティー一ちょうで上半身は何も身につけていない状態であった。
 この奥さんの胸は実に良い形の大きな胸で今で言えばDカップくらいはあろうか、それが全然垂れておらず張りのある形状を見せていたのが非常に印象的であった。ちなみにその奥さんは容姿はコシノジュンコと樹木希林を足して2で割ったような方であった。

 他にも数例あるが、又機会があれば別途お話ししよう。いつになるかわからぬが。

「2001.8.10(金)」曇・誰が使うんだよ!えっ俺?

 僕はパソコンの日本語変換ソフトにWX3というのを使っているのであるが、このソフト、例えば「東校(ひがしこう)」と入力したい時に、「こう」の字の変換選択肢で一番最初に出てくるのが、なぜか「府中」という字なのである。
 これで当初非常にイライラを募らせたものだった。
 「府中」とうのは元来「国府」の意から来たものらしい。
 「国府」は「こくふ」−>「こう(ふ)」と読む。
 ちなみに武蔵国の国府は府中であった。
 そこから転じたのであろう。

 「校」で無いのはいいとしても、「こう」なら他に「公」でも「行」でも幾らでもあるだろう。
 それが「なんで府中なんて難しいのが真っ先にくんだよっ!、一体誰が使うんだよこんな字っ!!」などと憤っていた。

 ところが、である。
 最近旧鎌倉街道に凝っていて、その旧鎌倉街道を扱った「旧鎌倉街道探索の旅」を眺めていたら意外な記述が出て来た。

 この本は旧鎌倉街道の支道に関しても言及が有るのであるが、その中で昔府中と品川を結んでいた古街道「いききの道」についても記述があった。
 この「いききの道」は「品川街道」とも呼ばれ、多摩川を下る船頭達が行き来するのに使用されていたようである。
 部分的には現在の甲州街道の元になった道もあるようで、かつては重要なルートでもあったようである。

 僕は旧鎌倉街道に興味を持つ以前から、この「いききの道」には興味があり、東府中の自動車教習所に通っていた頃などには良く自転車で通っていた。
 このルートは狛江辺りから品川の部分は消えていてしまっているらしく良く分からないが、府中近辺は本当に古い道が残っていて、これも言わば幻の街道とも言える、僕にとっては心惹かれる道なのである。

 さて話は戻るが「旧鎌倉街道探索の旅」の中で、この「いききの道」のことを「国府路(こうじ)」と呼んでいたのでは無いか?という記述に出くわした。

 僕は行く行くいろんな街道の散策記などを書きたいと思っており、当然この「いききの道・品川街道」についてもいずれ触手を伸ばしていきたいと考えている。
 そうなると「国府(こう)」「府中(こう)」という単語を使用する機会が発生する可能性は高い。

 つまり、「府中(こう)」なんていう字一体誰が使うのか?などと思っていたが、実は他でも無い、このオレが使うんだ・・・ということなりそうなのである。
 これが人生、ってやつなのであろうか。

「2001.8.9(木)」晴・挿入衝動?

 定期が昨日で切れていて、朝駅に行く前に気づいたのであるが、切れたすぐ翌日だと何か朝の朦朧とした気分の中では「もしかしたらまだ改札通過できるんじゃないか?」などという甚だしい錯覚が起って来てしまうもんである。
 一応朝は切符を買ってやり過ごしたが、どうも一回自動改札に突っ込んでみないと気が済まなくなって来てしまった。

 帰宅時になって、又々どうも一回突っ込んでみたいという衝動が沸き起こって来た。
 自動改札に定期を突っ込んで、ピンポン鳴るまでは、どうにも実感が沸かないのであった。
 「まだ使えるんじゃ無いか?、いや使えちゃうぞ、きっと。」
 僕はシステム開発の経験もあるので、こうした自動改札みたいなシステムでは絶対そんなことは有り得ないとわかってはいるのであるが、どうしても一回あの自動改札に突っ込んでみたいと思ってしまうのであった。

 一応切符は買ってみたものの、昨日で切れた定期を片手に握り締め、改札の前まで進んだ。
 回りに乗降客が沢山居たが、僕は、エエイとばかり定期を入れてしまった。
 ピンポーン!
 自動改札には赤い字で「期限切れ」の表示がシッカリ出ていた。
 やれやれ、もういいか。
 僕はすぐさま反対の手に持っていた切符を入れ直し、何で最初から切符入れないの?と言わんばかりの奇異の目で見つめる回りの乗降客を尻目に、そそくさとその場を辞した。

 思うにたぶん定期を期限切れでも使ってしまおうという気持ちよりも、むしろ「穴があったら突っ込んでみたい」という、ある種「男の性(さが)」が、僕をして、この妙な行動に駆り立てたような気がしてならない。
 ちなみに突っ込んでみた後は、空しいような、ホッとしたような、照れ臭いような変な気分であった。

「2001.8.8(水)」曇・ヨッスイ賛

 モテナイ独身エトランゼオジサン(僕のこと)に一発で効く目の保養は美少女である。
 TBS「エクスプレス」の1コーナー「ザ☆プチモビクス」のDVDがようやく発売された。

 プッチモニがエクスサイズを行なう、この映像は主として女性の美と健康を意図としているらしいが、モテナイ独身エトランゼオジサンも、そのおこぼれにあずかりチャッカリ目の保養をさせてもらっている。

 特にヨッスイ(吉澤ひとみ)が素晴らしい。
 このプチモビクスでは堂々センターを任されているが、実に絵になっているのだな、これが。
 色眼鏡であるが、カワイイ・美しいを通り越して、もう素晴らしい、という言葉しか出てこない。
 誰かが言っていたが、神々しくすらある。
 確か英語に「tremendous(とてつもなく素晴らしい)」という言葉があったと記憶するが、まさにそれがピッタリとしか言いようが無い。

 決めのポーズでの16歳とは思えない完成されたフィギア、豊かな表情、まるで魔法使い系のアニメから飛び出してきたヒロインのようである。

 このDVDはテレビのものをそのまま集めただけだが、ヨッスイの完成された美の聖典として、ヨッスイファン必携のディスクであろう。

 いやはや、もう、ちと誉めすぎましたかな。

 ちなみに今日のフジの「ファイティングガール」で久々にカッコイイ、ショーケンを見た。もちろん深キョンもいいけどね。

「2001.8.6(月)」曇・東京を想う

 私冴えないモテナイ独身エトランゼも、かつて一度だけ海外旅行に行ったことがあるのであるが、その時は香港に行った。
 もう15年以上前のことになるが、香港と言えば夜景だが、まあその素晴らしさは本当に感無量で、特にビクトリアハーバーの船の中から見た夜景が実に素敵な夢のような情景だったことを今でも覚えている。

 さて当時香港から帰国したのが、日本時間では夜であった。
 折しも東京上空をその夜通過したのであるが、その時飛行機の中から目にすることのできた東京の夜景が、これが又意外に奇麗だったことも、記憶に残っている。
 香港とは違って華やかな感じでは無いが、割合に広範囲に渡って静かに輝いている東京の街の夜景の集合体は、ワビサビでは無いが、香港とは違った何とも言えない織物のような美しさを醸し出していて、旅のエピローグを実に印象的に彩ってくれたものである。

 こんなことを考えつつ、ふと今東京に面影を残す古街道、旧鎌倉街道に凝っていることなども考え合わせ、東京というのは僕にとってなぜか惹かれる不思議な場所なんだと改めて思う。

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