「2001.6.26(火)」晴・バニラアイス4個
今日ひょんなことから、とあるところよりバニラアイスクリームを貰った。
僕は甘いものが嫌いでは無い。
まあしかしながらせっかく頂いたのだから、たまにはのびのび食べてみようと一箱はおいしく頂かせていただいた。 しかしさすがのモテナイ独身エトランゼも4個はきつい。
あと3箱のアイスクリームどーしよー・・・。
冷蔵庫にいれておけばいいじゃん、と思った貴方、貴方はまだモテナイ独身エトランゼ世界を甘く見ておりますな。
その冷蔵庫にはちゃんと冷凍庫もついていたのであるが、あまり有効活用されていなかった。
さて4個のアイスクリームのその後であるが、2個までは何とか普通に頂けた。
今僕は4個目の味の濃いミルクセーキを前にし、これをシタタメテいる。
それにしてもアイスで、なぜこうも心労せなばならんのだ・・・
ここで一句。
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「2001.6.25(月)」晴・神を聴く
昔は音楽を聞く時は、心地良かったり楽しかったり刺激的な音楽であればそれで良かった。
ところで少しづつ年を重ね、人生の荒波にも飲まれてきだしたりするようになると、今までとは違った更に新しい局面を音楽に見いだすようになった。
人生に不合理を感じるようになると、何か異次元に見えない法則があり、そちらのほうとしてはちゃんと合理的に動いているから、これでいいのだ、と考えたくなるようになってきた。
そして地上のレヴェルで混乱に陥った時、ふと不変の美しさで、あるべき姿を提示してくれる。 そういったような、言ってみれば神の御業とでも言うべき如きものを感じさせてくれる音楽に、いつしか心を奪われるようになったのである。 どんな音楽ならば、そういうものになるのかを言葉で定義づけをするのは難しいが、僕の場合作曲家でいうと、まず最初はバッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの御三家の音楽の中に、そういったものを聴くようになった。 具体的にはいろいろあるが、その中では、やはりバッハの「平均律クラヴィーア曲集(全2巻)」をまず挙げたい(演奏は、やはりいろんな面でスヴャトスラフ・リヒテルのが最良のような気はする)。 地球は太陽の回りを規則正しく回っている。
例えばバッハの「平均律」は、ある整然とした規則の上に、時には軽快なものや、時にはロマン的なものや、時には豪快なもの、悲しいもの、そうしたいろんなドラマが乗っかっていて、まるでそれは地球上の営みの象徴的な姿を音に変えているかのように聴こえてくる。僕らの人生のように短調になり長調になる。
更に感動的なのは、その音楽は取りも直さず「心地良かったり楽しかったり刺激的な音楽」であることなのである。 更に感動的で素晴らしいことは、それらの音楽に神を見いだそうと聴く習慣をつけさせてもらったおかげで、今度はどんな音楽にも神が宿っているのを見いだそうという習慣がつくようになったことである。 こんなような、ある種音楽の試金石でもあり、それでいてエンターテイメント性も充分あるような音楽が僕の中では音楽として最上の部類に位置づけされてくるのは、当然のこととなる。 |
「2001.6.24(日)」曇時々晴・母なる大地の子
ビートルズの隠れた名曲として、真っ先に挙げたいのが通称「ホワイトアルバム」に収録されている「マザー・ネイチャーズ・サン」である。
詩が更に良い。
僕はふと、もしモーツアルトが現代に生きていたら、こんな曲を作ったのでは無いか?そんな気もした。 |
「2001.6.23(土)」曇時々晴・出雲の巨大神殿
今日のNHKスペシャルではかつて日本一の高さを誇る巨大神殿があったとされる出雲大社から昨年発掘された、その遺構についての特集を放映していた。
出雲は昔から神の集まる地と言われてきたが、そんな伝承や巨大神殿のあった地なのだから、それに相応しい何か大都市の遺構みたいものが発見されたりしたら面白いのに、とも思う。 そうなると日本の中心地が奈良京都だった時代とは、又違った文化圏が日本の別の場所にあったということにもなり、又歴史のイメージも変わる。 まあ、これはあくまでも空論にすぎないが、とにかくこうした日本に纏わる古い概念・固定観念がドンドン壊されていくのは結構心地好い。 |