Monologue2001-36 (2001.6.12〜2001.6.17)

「2001.6.17(日)」曇後晴・恒例行事

 今年のNBAはロサンゼルス・レイカーズの二連覇で幕を閉じた。
 毎年この時期NHKのBSで生中継される、このNBAファイナル(決勝)の全試合の模様を録画するのが、僕のちょっとした恒例行事になっている。

 大体一試合180分テープ一本、すなわち3時間くらいかかる。当然標準モードである。
 従って180分テープを最低4本、最大7本用意しておく。
 180分テープは買い過ぎても勿体無いので、ファイナル開始当初は一先ず4本だけ用意しておき、その後の試合の動向によって5本にするか6本にするか7本にするか決めていく。

 たまに延長になったり試合時間が伸びて、放送時間が3時間を越えてしまい、帰宅して録画された内容を見たら一番肝心なラスト数分の攻防が全く抜けていたりすることがある。
 これが最も悔しい。
 この場合は仕方ないので、ほぼ必ず放映される再放送を待って、終わりの部分だけを3倍モードにして、途中から継ぎ足すように上書きする、というちょっと手がかかった編集をする。
 このタイミングが難しい。
 接続部分が変になってしまうのは仕方ないとして、とにかくラスト部分が完全におさまるようにする。
 従って接続部分は、タイムアウトの時間などを狙って、そこから再録画をスタートさせる。

 全試合終わったら、テープラベルをパソコンで出力し奇麗に貼る。
 ここまで来て、ようやく僕のNBAの今シーズンも終了ということになる。

 今年は長引いた試合の日は偶々僕が休日で試合をリアルタイムに見ることができた為、標準モードで入り切らなそうな最後の部分だけを、その場で3倍モードに切り替えることができ、事なきを得た。
 こうして今年の恒例行事も無事終わりそうである。

「2001.6.15(金)」雨・お告げよりも先立つ物

  モーニング娘。のHPでコンサートツアーのスケジュールを見ていたら、今年の9月9日には、なんと島根県の出雲ドームでもやるらしい。
 「モーニング娘。」「出雲」、どちらも僕が強烈に興味引かれる単語である。その吸引力は「かき揚げ」「丼」コンビにも匹敵する(なんのこっちゃ)。
 こんな2大単語の並んだイベントならば、何か行かなければいけなんじゃないか?とすら思える。神が呼んでるのでは無いか?お告げでは無いか?とすら思える。
 しかしこの年になって、歌の合間に定型の相槌を入れ絶叫できるような真正モーニングファンの方々に混ざって燃焼する気力は無い。全く無い。
 しかし出雲と言う神秘の地に立つ、あの空気の中で歌っている、生ヨッスイ(吉澤ひとみ)や生チャーミー(石川梨華)は見てみたい。かなり、見てみたい。出雲にも行きたい・・・。
 かなりの葛藤に苦しむ。
 しかしこんな葛藤に簡単に終止符を打ってくれたのは、貯金通帳の残高なのでありました、とさ。チャンチャン。

 ところでお知らせですが、、僕の高校時代の友人がカメラを担当した番組が放送されるので興味のある人は見てやって下さいね。 

   TBS 「世界うるるん滞在記『ロシア猫の劇団に青木こうが‥出会った。』」
   日時:6月17日(日) 22:00〜

「2001.6.14(木)」雨・紫陽花

 今日は仕事が休みであったが、生憎の雨であった。

 久しぶりに徒歩にて食料の買い出しに出かける。
 少し肌寒さすら感じる山沿いの道を、ゆっくりと噛み締めるように歩いていくと、近所のあちらこちらで紫陽花(あじさい)の咲いている光景を目にすることができた。

 僕は植物に関しては全く疎いのであるが、そんな数少ない名前と映像の一致するものの中でも、紫陽花・朝顔・沈丁花・金木犀の4種は、何か非常に惹かれる植物である。

 紫陽花が立派だと思う所は、僕など雨になると途端に意気消沈してしまうが、紫陽花は雨の中でも生き生きと咲き誇っているところである。むしろ雨の中でこそ紫陽花は映える。
 雨の滴が滴る円やかな感じを持った花びらの群れと艶やかな美しさを持った葉が醸し出す柔らかなその全体像は、まさに僕などにとっては水辺に微睡む女神の如く神々しいまでの女性の肢体を彷彿させるような、魅力的な姿にすら映る。
 まるで逆境の時だって光はある、と優しく語りかけてくれているかのようでもある。

 それからあと紫陽花が好きな理由は、今は無くなってしまったが、かつて実家の裏のお宅に紫陽花が咲いており、結局紫陽花を見ると、その当時の印象と共に郷愁を呼び起こすのだということが、かなり大きい。

「2001.6.13(水)」曇後雨・落下点

 ビデオデッキは、ビデオを停止している時はテレビの画像が見られるようになっている、或いはそうせットしてある方が大半であろう。
 すなわちビデオを見た際に、それが終了、もしくは停止させた時点で、すぐテレビ画像に切り替わる、ということになる。

 ところでいきなり下品な話になって申し訳ないが、男性諸氏には覚えも多かろうと思うが、エロビデオというのはエンディングまで見るよりも、大方はクライマックスシーンで止めてしまう、というのが多いのでは無かろうか。

 まあ、別にどこで止めても良いのだが、問題は止めた時点で切り替わったテレビ画像にある。
 これが民放の深夜番組などなら、そんなに問題は無かろう。
 うまく行けば、水着の女性が何か訳のわからんゲームをしている画像などに切り替わったりして、こんな場合は、まあエロビデオからの移行は、比較的スムーズに遂行されたと言って良かろう。

 NHK系統は恐い。
 うっかりNHK系列局にセットされていたりしたら実に恐い。
 BS2、教育などが特に危険ゾーンである。
 エロビデオの絶頂シーンから、いきなり何か荘厳な雰囲気のバロック建築のような建物の中に、初老の紳士が一人佇んでいて、道徳的な趣で実に味わい深い語り口調で淡々とキリストの慈悲などについて語っているシーンなどに切り替わってしまったりした日にゃあ、百年の恋も一瞬の内にして醒めるが如く、下手すれば自分への底知れぬ嫌悪感すら抱かざるを得なくなったりする。

 それゆえエロビデオ鑑賞の際は、停止時のチャンネルとその時に放映されている番組には、殊に神経を遣い、注意を傾けねばならない。
 民放だって要注意である。民放だと思ってノホホンとしていると、木村太郎氏がアップになって深刻な事件の原稿を読んでいるシーンにブチ当たってしまうなどということも有り得るから、こんなのも重々注意しなくてはならない。

 僕はこの停止時のチャンネルと番組を称して「落下点」などと名づけているが、このエロビデオの落下点にはくれぐれも要注意である。この件に関しては充分注意して注意しすぎるということは無い。
 特にクライマックスシーンから直での落下点に降下する際については、思いのほか高度差が生じてしまう恐れがある為、くれぐれも要注意である。

 しかしながら逆に家族がおられる方などは、この落下点の設定をNHK系にセットしておく方が好ましい場合もあろう。
 「人間講座」「古典への招待」その他各語学系の番組などは、万が一家族の構成員がエロビデオ鑑賞現場に出現した際の、絶好のカモフラージュになることであろう。時には「手話ニュース」などに設定して置けば、実にいろんな意味でヒューマニズムに満ちた人間と思われることであろう。

 かように落下点の設定に関しては、臨機応変に対応していきたいもんである。

 何?下らないことばかり言ってないで、もういい加減に、この世界から卒業なさいと?
 ううう・・・ぐっぐぐ。

「2001.6.12(火)」曇・大攻勢に屈す

 大分昔に「貧〜しさに〜、負けた〜、いいえ、世間に〜、負けた〜」などという歌(「昭和枯れすすき」)があったが、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)も、貧しさならず「埃」に負けそうになっている。「貧〜しさに〜、負けた〜、いいえ、ホコリに〜、負けた〜」である。

 それにしても「埃」の僕に対するパワー・精神への破壊力たるや、凄まじいものがある。
 今や、その恐るべき力・大攻勢に屈し、圧倒され、グウの音も出ない状態になりつつある。

 たまに掃除機をかけ、とりあえず目に見える部分だけは、彼らを一掃したと思っていると、2〜3日もすれば、すぐ元の状態まで復活してくる。全くもって恐るべき回復力である。
 この部屋の入居初期には、この戦いにおいても僕自身のパワーもあり抵抗を試みていたが、こう何度払いのけても、しぶとく復活してくると、途中から戦闘意欲を失ってくる。
 こんなに戦闘が長引くとは予想だにしなかったし、数回の埃除去の後は、何か平和な時代がやってくるかのように錯覚していた。

 この何度やっても終わりの無い戦いに、僕も半ば疲れ果て降参状態にある。
 埃に対して「戦う」などという言い方を持ち出してくるのも、どうかと思うが、何しろヤツラのパワーは全く衰えることを知らないし、最近は部屋の中の乱雑混迷した状況をいいことに、益々パワーを強くしている感がある。
 先日なぞ冷蔵庫が壊れたので、仕方なく点検の為どかした際に冷蔵庫のあった場所から、まるで何か寒冷地に繁殖する大型のほ乳類のウンコかと思うような大きなヤツラの固まりが、モゾッと出現してきた時には、正直ゾッとしたものであった。

 今やもう掃除機や埃クリーナーなどの応急処置では、どうにもならない状態まで追い詰められてきている。
 そしてもう今や、ヤツラのしぶとさたるや「えっ?こんなとこまでっ?!」と思うような手の届かない場所や、「えっ?こんな狭い溝に?!」と思うようなまるで職人芸のような緻密な堆積を見せ、もはや驚きを越え、賞賛の念すら湧く時すらある。
 ヤツラは敵を完全に圧倒し王者の力を存分に見せつけ、その攻勢はともすれば魂を抜かれウットリ見とれてしまうほどの芸術的なまでの冴えを見せる。
 もはやモテナイ独身エトランゼなど成す術もなく手をくわえて王者のなすがままにされるだけである。もはやモテナイ独身エトランゼの力を遥かに越えた領域にまで達している感すらあるのである。

 ここでヤツラを追い払い一掃し起死回生の逆転劇を演出するには、最後の究極の手段である完全撤退、すなわち「引越し」しかないと思い始めているのだが・・・。

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