「2001.6.11(月)」晴後曇・幻想阿波踊り
昨日ショパンの「幻想ポロネーズ」について言及した際冗談で、日本ならさしずめ「幻想阿波踊り」みたいなことだ、などということを述べた。
それは英国の往年のスーパーハードロックバンド、レッド・ツエッペリンの曲で「フレンズ」という曲なのである。
きっと阿波踊りを幻想風にしろ、といったらこうなるという良い見本であろう。
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「2001.6.10(日)」曇一時雨・幻想的舞曲
クラシック音楽と言われているジャンルの中で、ショパンが好きというと、何か今さらながら恥ずかしいような照れ臭いような気もするが、確かにやはり良いものは良いと認めざるを得ない。 そんなショパンの作品の中でも代表的なジャンルがポロネーズである。
ポロネーズとはポーランドの代表的な舞曲の形式であるが、それが「幻想」なところが僕としては良い。
和風で「幻想ポロネーズ」的なことをやるとすれば、差し詰め「幻想阿波踊り」みたいことになり、何か非常に不具合なことになりかねない気もする。
ともあれ、かように「幻想+阿波踊り」では、どうもいろいろと心配になってきてしまうが、これが「幻想+ポロネーズ」になると、一気に芸術作品まで高まってしまうのだから大したもんである。 ポロネーズとは元来「行列舞曲」なのだそうだが、このショパンの「幻想ポロネーズ」は、全く行列には向いていない
僕にはこの曲の自由で幻想的な間合いが非常に心地好い。
ここには既に現世的舞曲を越えて、何か異次元に誘われていくかのような芸術家の姿が垣間見える。
・・・などと独断で勝手に解釈してしまったが、そんなように僕の想像力を喚起するところが、この曲の魅力なのである。 |
「2001.6.9(土)」曇後晴・どうしたいわけ?
モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)などに対して、見えないバリアのあるお洒落な店などは是非ともバリアフリーにしてほしいなどと常日頃思っているのであるが、それとは逆にモテナイ独身エトランゼ的世界側から、是非カワイイ女性に対しバリアをフリーにしたいのだが、どうにも頑強なモテナイバリアのかかってしまっていてカワイイ女性が寄りついてくれないような場所が幾つかある。 その代表的なスポットの一つが「駅の立ち食いそば屋」である。
同類のスポットとしてかつて牛丼の「吉野家」があったが最近なぜか彼らは我々モテナイ界から縁を切ろうとしている気がある。
ともあれ、最初からイメージの良い、カレーのスタンドショップなどは、そんなの当たり前じゃんという感じで最初から女性の誘致に成功している。
僕としては僕もこよなく愛用している「駅の立ち食いそば屋」にも是非ともカワイイ女性を誘致したい。いやカワイクなくてもいい。ある程度適齢の女性なら積極的に誘致してみたい。 現状「駅の立ち食いそば屋」ではかなり強烈な「バリア」が張られていることと思われる。
女性が好むものは何か?
そういえば最近京王線で女性専用車両が導入されたが、いっそのこと立ち食い蕎麦にも女性専用時間、女性専用席などを設けてみてはどうか?という、ちょっと本気と書いてマジな策も無いでも無い。 ・・・こう書いて来て、僕は重大なことに気づいてしまった・・・。
つまりである。
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「2001.6.8(金)」曇時々晴・洗濯への苛立ち
休日洗濯をしたが、その他の雑事などをする内に干すのを忘れ、そのまま就寝時間を迎える。
この時の衝撃・落胆・絶望・ストレスといったら無い。
かような際、下記のような2種類の選択肢が目前に提示される。
2を選択した場合は、精神衛生上は比較的良いものがある。
1.を選択した場合は、精神衛生上非常に宜しく無い。
なぜそんなに嫌なのか?
こうしてともすれば苛立ちで爆発寸前になる己をなだめなだめ、ようやく他の衣類から引き抜き出したワイシャツなどを、半分涙目になりつつも干す作業に着手しようとする。
当然衣類は全て狭い室内の限られたスペースに干す。
そうこうしている内に、少しでも睡眠時間が欲しい折り、なんでこんな夜更けに家事に時間を費やさなければいけないのか?という無念・怒りがフツフツと込み上げてくる。
しかしながら自分で薄々気づいてはいるが、この怒りは実は「洗濯」自体への怒りでは無い。
ここで一句。
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