Monologue2001-34 (2001.6.1〜2001.6.7)

「2001.6.7(木)」雨・産みの苦しみ?

 今日ニュースで一流大学を出てフリーターになる若者たちを特集していた。
 僕が立派だと思ったのは、彼らは学生時代から自分の本当の人生を見つめていて自分なりの生き方を貫こうとしていることだった。
 よく考えれば至極当たり前のことであるが、僕などは時代の風潮もあったが単に生き長らえること、すなわち経済的なことにのみに重点を置いてしまい、本当に流されて生きて来てしまったので、自分の生き方を見つめようとし始めたのは、極最近のことなのである。
 こういう意識の若者がいるということは、まだまだ大丈夫だという気がした。
 僕自身は、自分を見つめ直し自分らしい生き方を始めるということは、時には辛く収入も減ったりして、そうした様々な産みの苦しみがあるかもしれないが、結果的にはそちらの方が自分にとっても他人にとっても良い、と信じるようにしている。まだ結論は出て無いけど。

「2001.6.6(水)」雨・凄まじき創造力

 クラシック音楽と言われているジャンルの中で、ベートーヴェンが好きというと、何か今さらながら恥ずかしいような照れ臭いような気もするが、確かにやはり良いものは良いと認めざるを得ない。

 そんなベートーヴェンの作品の中でも重要なジャンルがピアノソナタである。
 例えばその中でも面白いのが、ピアノソナタ第29番俗に「ハンマークラヴィーア」と呼ばれている曲なぞ、なかなかに凄まじく刺激的である。

 時に静かなものを瞑想的に聴きたい時などは鬱陶しい時もあるが、その力強いサウンドは比類無きものという気がする。きっと現代に生きたらロックンローラーになっていたであろうことも想像できたりする。
 特に僕が驚くのは終楽章である。
 ここはフーガの楽章になっているが、バッハのような均整感のあるドッシリしたフーガとは違って、現代音楽の予感すら感じさせる近代的な、ともすれば「フーガなんて壊しちゃえ」みたいな爆発感あり、そうかと思えば静かになったり、ある種の狂気さへ感じられるのである。
 まさに「狂気のフーガ」と俗に言われているのもわかるのである。

 当時日本では江戸時代だったのであるが、そのような昔において、なんという凄まじいまでの創造力の発露なのであろうか。
 当時の慎ましやかな音楽家達は、エルヴィスの登場のようにど肝を抜かれたに違いない。まさにクレージー、狂ったフーガなのである。
 「ハンマークラヴィーア」1曲とったって、これくらいのパワーがあるのだから、ましてや当時第九や弦楽四重奏などを聴いた後進の作曲家達が多大な影響をベートーヴェンから受けたであろう事も良くわかるのである。

「2001.6.5(火)」曇・商店街を思う

 今地方都市などでは市街地の空洞化が深刻な問題としてあがっているところが多いらしい。
 消費者は駐車場などの少ない古くからの商店街を敬遠し、郊外の大規模な売場面積や駐車場を持つ、廉価で品揃えも多い量販店に足を向けてしまっているそうだ。

 確かに消費者からすれば、その辺の事情は仕方のないことであろう。
 古い市街地は集客力が弱まっているにも関らず、地価下がらない為家賃も高く、新店舗も出店しにくいという悪循環にも陥っているらしい。
 かく言う僕の故郷でも同じような事情があるようだ。

 こうした状況は街道や商店街好きの僕の心を少なからず痛めている。
 街に人が戻ってくる為には、どんな街であったらいいのだろうか?
 僕が小さい頃賑わっていた商店街は、どこに魅力があって、どんな雰囲気だったのだろうか?
 最近街を歩きながら、そんなことも考えてみる。

「2001.6.4(月)」晴・起きたら・・・

 朝起きて鏡を見たら髪の毛が爆発していた。
 上方部の毛は上方を向き逆立ち、側面の毛は左右それぞれの方向に飛びだしていた。
 寝ぼけ眼の自分の顔を見つつ、ふと、このシルエットどこかで見たような気がする、と思った。

 目を閉じ黙想すると、それに該当するアニメキャラクターの顔が浮かんでくる。
 サザエさんだ・・・。

 サザエさんと若干相違する点は、かなりの不精髭が口周辺部を装飾していることであろうか。
 こんなサザエさんへの扮装に失敗した指名手配中の犯人のような人物が、今のご時世、お魚加えたドラ猫を裸足で追走したら確かに皆の笑い物になる、いやその前に、いくら陽気で今日も良い天気であったとしても、一体何事が発生したのか?と奇異の目で見られるに違いない、などと確信するのであった。

「2001.6.3(日)」晴・鎌倉街道、長くて曲がって

 今年は徳川家康が五街道を整備して400年になるそうだ。
 その為か街の書店などにも東海道関連の書物などが出回ったりしているので、今年は旧街道に一般人の目が向いていく年になるかもしれない。

 そんな流れに乗じてしまうわけでも無いが、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)も、最近探求を始めた幻の旧街道「旧鎌倉街道」を散策した記録を、独立コーナーにすることにした。
 暇な方は御覧になってね。まだ序章しか無いけど。

「2001.6.2(土)」曇後雨後晴・改札にて

 首都圏近郊の私鉄や営団にそのまま乗り継いでいける「パスネット」というプリペイドカードがあるが、良くしたもんで、最近電車に乗る時は大抵これを使用するようになった。
 僕は良く気分で下車駅を突然決定したりするので、そういう人間には最初から行く先を決めなければいけない切符と比べ、このカードは大変都合が良いのである。
 こういう人間だから結婚生活などが全く向いてないんでしょうな。

 ところで東京に長いこと住んでいたおかげで、駅の乗り降りでは、まず迷うことは無くなった。
 大手町の巨大な地下通路も自在に行き来できるようになったし、新宿に新たに別路線の穴が掘られようとも一向に動じなくなった。
 まさに都下鉄道は我が支配下に有り、などと奢れる貴族の如く思い込んでいた感すらあった。

 その代わりと言っちゃなんだが昨日、とある私鉄の小さな駅で自動精算機が無かった為、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)はパスネットの盲点にはまり込み、思わぬ足をすくわれてしまった。
 奢れるものは久しからず、鉄道侮るべからず、改札侮るべからず。

 さてその、とある私鉄の改札を抜けようとした時、入札した1枚目のパスネットの金額が足りず2枚目を使って清算しようとしたのであるが、そこには精算機が無かった為僕は仕方なく清算窓口で清算することにした。
 折しも僕が誰もいなかった清算口に並ぼうとした直前、どこからともなくいきなり小学生くらいの少女達3人が脱兎の如く駆け込んできて、定期を落としたと駅員に泣きついてきた。
 この為清算口は一時渋滞。少女達は狼狽えている為か、はたまた幼い為か、状況をなかなか具体的に報告することができず駅員が何度も繰り返し丁寧に質問を繰り返していた。
 僕は長引きそうな気配にウンザリしつつも、まあこんな所でイライラし醜態を晒しても仕方有るまいとポーカーフェイスでその後ろに並んでいた。
 小さな駅なので改札を抜ける乗客の波は、とっくに一段落しており清算口だけが賑わっている。

 僕のすぐ後ろには老婆一人がついていたが、少女達の訴えが長引きそうな気配を察するや否や、あろうことか僕の横をすり抜け半ば強引に駅員に清算金を渡し、チャッカリ改札を抜け出ていった。
 なんとまあ図々しく浅ましい老婆だとは思ったが、きっとこの人を押しのけてまで自分を貫く図々しさが彼女をして今まで生かしめてきたエネルギー他ならないんだな、と有る意味深く納得してしまうのであった。
 僕もできれば真似をしてみようと思ったが、入札をパスネットでしてある為、清算もパスネットでしなければならず、どうしても一旦カードを機械に通さなければいけない。そうなると順番を待ち駅員の処理を頼むしか無い。

 その後、後ろで手持ち無沙汰そうにしている僕を、ようやく駅員が発見してくれ、僕が手に持っていたパスネット2枚を見て、それは自動改札に2枚同時に放り込めば自動的に清算してくれるのでやってみなされという旨を教えてくれた。

 僕も、なんだそうであったか、と了解し、言われた通りに改めて改札を通過。
 ところがこれが手を替え品を替え何度やっても、ピンポーンの連続でなかなか通過することができないのである。
 小さい駅だったから良かったようなものの、新宿などの巨大駅であったらかなりこっ恥ずかしい事態であった。

 僕が醜態を演じていた改札の外をふと見ると、2〜3m先の小さなロータリーに人待ちをしている様子の若い美女がちょうど正面辺りに座ってこちらを見ているのが見えた。ちょうど、こちらの三文醜態劇を観覧するにはちょうど良い席のような状態で、どうやら事の一部始終を見られていたようである。
 きっとこうした機械には不案内な不器用オヤジと見られていたことは間違い無い。
 僕はヤケクソになり最後の方はピンポン鳴るのはわかっていながらワザと何回もパスネットを入れ直したりしていた。

 結局僕がピンポンピンポンしている間に少女達の手続きが終わったようなので、結局僕はそのまま窓口で清算し、三文芝居を終わらせ、ようやく駅の外に出ることができる。
 僕が、試みは徒労に終わった旨を駅員に告げたら駅員は「あっ、やっぱダメか・・・」などと言っていたので、どうやら駅員も、この新システムに関しては熟知しておらず指導に自信は無かったようであった。
 パスネットを2枚同時に自動改札に入れれば自動清算してくれるという話は、確かに僕も聞いていたのであるが、実際それをやって今まで成功した例は無い。まだ機械に不備があるやも知れず、この一件に関しては鉄道側の一考・改善を強く要望する次第である。

 それにしても大手町自由自在などと奢っていたら、こんな改札の一つしか無いような小さな駅で引っかかってしまうとは・・・。
 弘法も筆の誤りでは無いが、これでは老人や地方出身者などが自動改札で狼狽えるのも無理は無いと改めて思い知るのであった。
 あな恐ろしや東京の鉄道。
 ここで一句。
 改札で、人待つ美女の眼差しに、弘法思わず筆を誤る。季語無し、みたいな。

「2001.6.1(金)」曇後晴・日本史

 僕が高校時代、日本史という教科は文系入試に有利故に選択するもの、というイメージがあった。
 取っかかりがこんな状態であるから当然勉強を始めたって、覚えることが多く厄介な科目という印象は拭うことができなかった。

 しかしあれから20年程の歳月を経て、最近ようやくかつて詰め込んだ日本史の勉強が役に立ち始めて来ているような気がする。

 こんなんだと、今不必要だと思って、とても厄介に思っているもの、例えば「食べる為の仕事」なども、20年くらいしたら、その意義が見えてくるのだろうか?
 20年か・・・結構遠いですな・・・。

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