「2001.5.17(木)」晴・目に入る季節
今年も又無事に自転車走行時に虫が目に入ってくる季節とあいなった。
それにしても虫のヤツラの中には、本当に正確に目を狙ってくるのがいるから驚く。
ヤツらは目を狙う直前ふいに眼前に姿を現す。
その後は、涙を出そうが擦ろうが何しようが目の不快感はとれず、目を開けようとするとむずがゆいような痛がゆいような奇妙な感覚でまともに開けることはできない。
帰宅して鏡を見ると、真っ赤になった目の中に、既に絶命したヤツが丸まって小動物のウンコ状態になりながらも、「どうだ、オレ様の力を思い知ったか」と今にも言わんばかりのしぶとさで付着しているのが見て取れる。 僕はお湯で何度も目を洗い流し、ようやくのことで不快感を取り払う。
ここで一句。
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「2001.5.16(水)」雨後晴・街道に長編
今週月曜からNHKBS2で「東海道400年 弥次喜多道中出会い旅(4回シリーズ)」という番組を放送している。
なぜ僕がこれ程までに街道に惹かれるのかは自分でも良くわからぬが、高校生くらいからその萌芽はあったので、もしかしたら「街道好きという才能」なのかもしれんと、良いように解釈することにしている。 ひとつ言えるなと思ったのであるが、街道等は特に「長い道」であり、その景観は街あり未開の野生の地有り、と過程過程で様々な様相を呈してくれる。要するに長くて変化に富んでいる。
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「2001.5.15(火)」晴・戦略?
又々コンビニでの話で申し訳ないが、僕の良く行く、とあるコンビニの女店員さんで、釣り銭を渡す時に必ず両手をソッと添えてくれる娘さんがいる。
この娘さん、おそらく高校生くらいだと思われ、お世辞にも美人では無いが牧歌的なホノボノとした良い感じの娘さんであり、その添えられた両手からは、まだ柔らかく非常に初々しい乙女の肌の感触が伝わってくる。
やはり「触れ合う」というコミュニケーションは侮れんな、とつくづく感ずるのであった。
この一事のみでも、モテナイ独身エトランゼをして、この店に足を向かせしむるには充分たる理由になる。
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「2001.5.14(月)」晴・ヴィジョン無し
東京山手線沿線のとあるマクドナルドに入った。
3階に着いてみると窓際には3席あったが、真ん中の席は若いなかなかカワイイ感じの女性、左はその女性の荷物で占有されていた。
只でさえストーカー呼ばわりされそうな、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)は、こんな所で誤解されちゃあタマランと、止むなく窓際よりは中に入った広いテーブル席に位置した。
一人客というのは、当たり前かもしれないが自らはそれほど音は発しない。
この2集団共、その会話の内容がゴシップ性を帯びたものである、ということでは共通していた。
この2集団共、簡単に言うと「人の悪口」がテーマらしかったのであるが、その論調などには若干の差が見られた。
一方オバチャングループの方は職場の同僚をヤリ玉にあげていた。
従って女子高生の皆さんも、年を取ってくると、その会話からギャグ性が一つ抜け二つ抜けし、重苦し性が一つ二つ、三つ四つと加わり、最終的には先のオバサンのような干からびたような深刻な内容になっていくことであろう。 さて女子高生は相変わらず楽しげに盛り上がっているが、一方オバサン連中も、凄惨さは増してきており、オバサンらしからぬ「ムカツク」などという単語も時に挟まれ、ある意味こちらも盛り上がっていた。 オバサンの内の一人は結構な年齢と見える方で、声はシワガレテいて高く、普段はあまり激するタイプでは無さそうに見えたが、ここぞとばかり不満をまくしたてていた。
このオバサンの会話を、そのまま100%信じたとすれば、このお二人、同僚の身勝手さ非情さに振り回され、毎日相当「辛抱」し「我慢」を重ねておられるようである。
オバサンの会話は深刻さを増し、発言には問題を打開し改善していこうという未来への明るい展望は少しも無いので、僕などはこんな息が詰まるような会話をマックでして、この方達は一体どこに楽しさを見いだしているのだろう?と心配になったが、オバサンの会話の中で時折「そうそうそうそう!」などというマシンガンのような相槌も聞かれたので、このオバサン達はそこで互いに小さな共通点を見いだし、お互い共感を得ているのだな、と少し納得するのであった。 さてこんな風にオバチャンや女子高生に気を取られている間に、窓際の右端の残りの席に、なんと一人の男性が座るのが見えた。
ところが男性が座って、ものの数分としない内に、女性はソソクサと席を立ってしまった。
かくして僕は今日このようにマックのネタで自らゴシップ性を帯びた文を書いてしまい、「今日も全然人類の壮大なヴィジョンはネエなあ」などと、いつものように股間を掻きむしりながら駄文をシタタメテいるのでありました、とさ。 |