Monologue2001-30 (2001.5.11〜2001.5.17)

「2001.5.17(木)」晴・目に入る季節

 今年も又無事に自転車走行時に虫が目に入ってくる季節とあいなった。
 季節の移り変わりを表現するのに「虫が目に入る」などということを持ち出すのも、どうかという気もしないでも無いが、まあ実際そうなのだから仕方無い。

 それにしても虫のヤツラの中には、本当に正確に目を狙ってくるのがいるから驚く。
 ヤツラの身体的要因や、こちらが走行時であるという外的環境等を考慮するにつけても、その正確さたるや全くもって驚き呆れるばかりの正確さである。
 人間側が身体に様々な部位を取りそろえている中、何もわざわざ目を狙ってくることは無かろうに、と思う。
 大体目を狙うことの方が難しいのでは無いかと思うのであるが。
 試しに自転車で走っている人の目を狙ってみろと言われ、ハイそうですか、と一発で的中させるという高度な技術を擁しているものは人間でもそうはいないことと推察する。
 おそらくヤツらはその高精度な目狙い術によって「わざと」僕の目を狙って来ているのだろう。

 ヤツらは目を狙う直前ふいに眼前に姿を現す。
 こちらもやつらが来たのはわかるのだが、気づいた時にはもう手遅れなのである。
 ヤツが視界に入り、あっ来やがったっ!と思った次の刹那、突然視界が悪くなり目に非常な不快感が走る。
 「ぐわっ、ぎげ#$&グゴ%@¥△●ッ!!」みたいに何がなんだか訳がわからなくなり、ハンドルをとられそうになる。
 全くもって危ないったらありゃしない。

 その後は、涙を出そうが擦ろうが何しようが目の不快感はとれず、目を開けようとするとむずがゆいような痛がゆいような奇妙な感覚でまともに開けることはできない。
 とりあえず帰宅するまでは、目をしばつかせながら我慢の上自転車走行を継続しなければいけないのである。買い物帰りで荷物が多い時は大変にシンドイ状態となる。
 全くもって不愉快極まりないったらありゃしない。

 帰宅して鏡を見ると、真っ赤になった目の中に、既に絶命したヤツが丸まって小動物のウンコ状態になりながらも、「どうだ、オレ様の力を思い知ったか」と今にも言わんばかりのしぶとさで付着しているのが見て取れる。

 僕はお湯で何度も目を洗い流し、ようやくのことで不快感を取り払う。
 それにしても、なぜヤツラは命をかけてまで僕の目を狙ってくるのか?
 一度ヤツらに記者会見を開かせ、その真意を追求してみたいものである。

 ここで一句。
 何思う飛んで目に入る夏の虫。

「2001.5.16(水)」雨後晴・街道に長編

 今週月曜からNHKBS2で「東海道400年 弥次喜多道中出会い旅(4回シリーズ)」という番組を放送している。
 東海道は僕の郷里静岡県を通っており、言わば最も馴染みのある街道ではあるが、まだまだ知らぬことも多く、番組を見ている内に無性に歩きたくなって来てしまう。
 今現在は幻の街道旧鎌倉街道に凝っているが、出来ることなら今後活動を拡大して日本各地のいろいろな旧街道を尋ねてみたいもんである。

 なぜ僕がこれ程までに街道に惹かれるのかは自分でも良くわからぬが、高校生くらいからその萌芽はあったので、もしかしたら「街道好きという才能」なのかもしれんと、良いように解釈することにしている。

 ひとつ言えるなと思ったのであるが、街道等は特に「長い道」であり、その景観は街あり未開の野生の地有り、と過程過程で様々な様相を呈してくれる。要するに長くて変化に富んでいる。
 話は少し飛躍するが、テレビゲームにおいて、僕は「長くて変化に富んでいる」ロールプレイングというジャンルを好む。
 つまり僕の中で基本的に、このような「長くて変化に富んでいる」という「長編スペクタクル感」を好む性質があるのかもしれないからかなあ?、などとふと思うのであった。

「2001.5.15(火)」晴・戦略?

 又々コンビニでの話で申し訳ないが、僕の良く行く、とあるコンビニの女店員さんで、釣り銭を渡す時に必ず両手をソッと添えてくれる娘さんがいる。
 普通の店員の時は、偶然ちょっと手が触れるということもあるかもしれないが、この娘さんは必ず両手で客の手を包みこむように釣り銭を渡してくれるので、触れるというよりは「未完成の握手状態」という感じに近い。
 店長の教育が良いのか、はたまた自分のポリシーでやっているのか真偽のほどはわからぬが、モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)にとって、このサービス(?)はこの上なく喜ばしい限りの事態になっているわけである。
 この娘さんがレジの時は毎回この娘さんと未完成の握手をしに行っているようなものである。

 この娘さん、おそらく高校生くらいだと思われ、お世辞にも美人では無いが牧歌的なホノボノとした良い感じの娘さんであり、その添えられた両手からは、まだ柔らかく非常に初々しい乙女の肌の感触が伝わってくる。
 たまに汗ばんでいるかのような湿っぽさもあるが、それが更に暖かみを増し、肉感などというと大げさであるが、少女の持つ掌のなんともいえない柔らかな感触がヒシヒシと伝わってくるのである。
 「釣り銭」のみならず、その娘さんの何か存在の一部まで受け取ってしまうかのようである。

 やはり「触れ合う」というコミュニケーションは侮れんな、とつくづく感ずるのであった。
 このボディタッチは、モテナイ独身エトランゼにとっては、「もしかしてオレに気があるのでは?」系の勘違いを誘発せしむるには、充分たるものがあるのであった。

 この一事のみでも、モテナイ独身エトランゼをして、この店に足を向かせしむるには充分たる理由になる。
 もしかしてこれが店側の戦略だったりして・・・。

「2001.5.14(月)」晴・ヴィジョン無し

 東京山手線沿線のとあるマクドナルドに入った。
 その店は3階席まであり、僕はなるべく見晴らしの良い席を確保しようと3階へ向かった。

 3階に着いてみると窓際には3席あったが、真ん中の席は若いなかなかカワイイ感じの女性、左はその女性の荷物で占有されていた。
 残りは右端の席しかなかったが、他にいくつも席があいている中、わざわざその右端の席に座るということは、どうみたって「若い女性目当て」としかとられない可能性がある。

 只でさえストーカー呼ばわりされそうな、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)は、こんな所で誤解されちゃあタマランと、止むなく窓際よりは中に入った広いテーブル席に位置した。
 僕の横にはオバチャンの二人組、斜め後ろには5、6人の女子高生の集団がいて、何やら盛り上がっていた。

 一人客というのは、当たり前かもしれないが自らはそれほど音は発しない。
 従って他集団の発する音は、否が応でも耳に入ってくるもんである。
 かくして僕の耳には、オバチャンや女子高生の会話の内容が、いろいろと聞き取れることとなった。

 この2集団共、その会話の内容がゴシップ性を帯びたものである、ということでは共通していた。
 人類の未来や、人間のあるべき進化形、などといったような壮大なヴィジョンを要する観点は、この2集団にはどうやらあまり必要は無いらしかった。とりあえず身の回りの人間の方が興味が湧くようであった。

 この2集団共、簡単に言うと「人の悪口」がテーマらしかったのであるが、その論調などには若干の差が見られた。
 女子高生の方は当初その集団構成員の内の一人の「父親」がヤリ玉にあげられていた。
 只、その論調はそれ程攻撃的なものでも無く、時にはギャグなども交えつつ語られ、笑いなどもおきていた。

 一方オバチャングループの方は職場の同僚をヤリ玉にあげていた。
 その論調は相当ご立腹であられたのか、かなり攻撃的なものであり、そこにギャグ性は一切感じられることが無かった。
 あくまでも僕の推測であるが、おそらくオバチャンには「同僚への不満」のみという単純なものでは無く、今までの人生の苦労、夫への不満などといったものが複雑に絡み合い加味され、それで本日の攻撃的な論調にまで至ったと思われる。
 たまたま「同僚への不満」1不満語る時にも、そこには今までの各種不満が数種類にわたって勝手に乗っかってきて、その論調はそうしたものの重量を帯びた重苦しいものになってしまったと推察される。

 従って女子高生の皆さんも、年を取ってくると、その会話からギャグ性が一つ抜け二つ抜けし、重苦し性が一つ二つ、三つ四つと加わり、最終的には先のオバサンのような干からびたような深刻な内容になっていくことであろう。

 さて女子高生は相変わらず楽しげに盛り上がっているが、一方オバサン連中も、凄惨さは増してきており、オバサンらしからぬ「ムカツク」などという単語も時に挟まれ、ある意味こちらも盛り上がっていた。

 オバサンの内の一人は結構な年齢と見える方で、声はシワガレテいて高く、普段はあまり激するタイプでは無さそうに見えたが、ここぞとばかり不満をまくしたてていた。
 もう一人の方は、典型的なオバサンという感じで、その発言は次第に熱を帯び、最後には身振り手振りを使って、その窮状を切々と訴えていた。

 このオバサンの会話を、そのまま100%信じたとすれば、このお二人、同僚の身勝手さ非情さに振り回され、毎日相当「辛抱」し「我慢」を重ねておられるようである。
 真偽はわからぬが、その同僚が原因で退職した方もいるようである。
 聞いていると地獄のような人間関係のようであり、このお二人の話を聞いたらおそらく誰もそこには入社したいとは思わないだろうと推測された。かなりの重傷を負った会社と推測された。

 オバサンの会話は深刻さを増し、発言には問題を打開し改善していこうという未来への明るい展望は少しも無いので、僕などはこんな息が詰まるような会話をマックでして、この方達は一体どこに楽しさを見いだしているのだろう?と心配になったが、オバサンの会話の中で時折「そうそうそうそう!」などというマシンガンのような相槌も聞かれたので、このオバサン達はそこで互いに小さな共通点を見いだし、お互い共感を得ているのだな、と少し納得するのであった。

 さてこんな風にオバチャンや女子高生に気を取られている間に、窓際の右端の残りの席に、なんと一人の男性が座るのが見えた。
 お世辞にもカッコイイとは言え無く、どちらかというと僕のように「モテナイ側」系の青年と見られたが、他にいくつも席がある中そのオネエチャンの隣に座っちゃうなんて、大した度胸だと変に感心してしまった。
 こうして若い女性のすぐ隣に寄り添うように、その男性が座った。
 端から見れば狭い空間にそこだけ二人並んでいるので、知り合い同士と思われるかのような接近度であった。

 ところが男性が座って、ものの数分としない内に、女性はソソクサと席を立ってしまった。
 実際に用事が済んで帰っただけなのか?、男性が鬱陶しかったので立ち去ったのか?、真偽のほどはわからない。
 ここであろうことか、なんと男性は女性が立ったら、なぜか自分もすぐ立ってしまった。
 確かにジュース一杯くらいしか飲んでいなかったようなので、早く立ち去ることは構わないが、それにしてもこのタイミングだと、明らかに女性の居た時だけ臨席するという、まさしくストーカー的タイミングなので、もうちょっと居たら?と思ってしまった。

 かくして僕は今日このようにマックのネタで自らゴシップ性を帯びた文を書いてしまい、「今日も全然人類の壮大なヴィジョンはネエなあ」などと、いつものように股間を掻きむしりながら駄文をシタタメテいるのでありました、とさ。

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