Monologue2001-28 (2001.5.6〜2001.5.10)

「2001.5.10(木)」雨後晴・未だ悟れず

 以前女子マラソンの有森裕子氏が「自分をほめてやりたい」というセリフを残しておられたが、ふとあれは中々に含蓄のあるセリフだな、と思った。

 このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)も、時々マラソンに比べたら比較するべくも無い事象において、上記のセリフが出てくる時がある。
 それは面倒臭くて明日でもいいやと思っていた洗濯を干す作業を、その日の夜中に完遂したり、便所・風呂などの掃除を成し遂げたり、などといった場合に、なぜかふと「自分をほめてやりたい」などと思ったりする。

 これはまず第一に僕がこれらの作業を「柄にもない」と感じているということが大きいのであるが、それだけでは無い。
 考えてみると、例えば今まで不本意な仕事を結構してきて、時に大変な作業も成し遂げたり、わずかながらでも人の役に立ったりして誉められたりもしたが、なぜか少しも嬉しく無かった。
 これは仕事に対して、どうも受動的というか兵役のような義務的な思いがあるので、成し遂げた所で達成感よりも「終わって良かった」という安堵感・解放感しか無いからだという気がする。第一自分の才能が生かされた訳でも無く、偶々そこに居合わせた僕が労働力を提供しただけ、という感覚がひどく強いのである。
 最終的にその仕事を辞めたずっと後に「そう言えば良くやったな・・・」と振り返り、そこでおそらくようやく「自分をほめてやりたい」などと思ったりするのだろうが、今は少しもそんな気は無い(どうも相変わらず仕事に対して後ろ向きですな)。

 しかしながら、洗濯や掃除は柄でも無いが、一応そこに自発的な「さあやるか!という意志」がある。
 僕の場合、この「意志」と「達成感」が一致した時に初めて「自分をほめてやりたい」というセリフがどうやら自然と出てくるらしいことが認識できた。

 どんな仕事も貴賤は無く、この不況下仕事に有り付けるだけでも有り難いのかもしれないが、ここでそんな風に諦観・妥協してしまうことは何か自分の根本をねじ曲げてしまうようで、どうしても素直に現状況を享受することができない。ここで観念して状況打開を止めてしまうと自分の人生は終わったも同然になってしまう気がする。
 その証拠に、どの仕事も最初は良いのであるが、次第にいろいろと具合が悪くなってきてしまうのである。

 ま、とりあえず愚痴はこれくらいにしておき、ともかくそんな訳で、自分の仕事においても自然に心の底から「自分をほめてやりたい」と言えるような業績を残したいものである、とついつい願いたくなってしまうのであった、とさ。

「2001.5.9(水)」雨後曇・伝説の魔宮

 見知らぬ街を放浪したり、音楽を聴いたりするのも楽しいが、やはりこのモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)にとって、若いオネエチャンと酒を飲みながら馬鹿話をすることは無上の喜びでもある。
 昔は何が好きかといって、学校で女子が給食時に牛乳を飲んでいるのを吹かせることに無上の喜びを感じていたぐらいであるから、その哀しい性癖は今やもう直し難い性(さが)となって、僕の身体に染みついてしまった。

 そんな哀しいモテナイ独身エトランゼの儚い夢を、ある程度の金銭の支払いによって叶えてくれるのが、パブスナックやキャバクラなどの類いの俗に言う「オネエチャンのいる店」である。

 以前懐具合が良かった時代には結構行っていたものであるが、最近は経済的・健康的という理由2大巨頭により遊興は自粛していた・・・。「自粛」では無いか。行きたくても行けないのだから、僕的には「他粛」と言わせてもらう。
 そんな他粛していた「オネエチャンのいる店」への訪問であるが、先週金曜殊勝な友人の奢りで、久しぶりに実現の運びとなった。

 実は、その時入った店は飛び入りで初めて入った店であった。
 初めての店に突入するのは大変勇気のいる作業である。
 柄にも無く「ドキドキ」してしまう。変な店だったらどうしよう?ボラレたらどうしよう?一見さんお断りだったらどうしよう?カード効かなかったらどうしよう?・・・などと数々の不安が過る。

 このように不安の為突入を逡巡するという、停滞した苦しい状況を過去から数々突破して来てくれた主たる要因は「酔った勢い」なのであった。
 従って初めての店に突入する前は、軽くどこかでひっかけてから行くのが良かろう。

 こういう店は大抵は中の様子が直接見えないような作りになっているので、モテナイ独身エトランゼ達は、突入を前にして店の入り口に耳をそばだて中の様子を注意深く探ろうとする。
 まさにインディージョーンズのジョーンズ博士になったようである。
 中で聞こえてくる声から女性が何人くらいいて、若い女性の嬌声は聞き取れるか?
 歌われているカラオケの曲は若い世代が歌っているような曲であるか?
 そして何よりも店内が盛り上がっているか?
 店内が盛り上がっている店であれば、最低変な店で客が寄りつかないような店では無いことが明らかになる。
 こうした諸事情を瞬時に判断し、瞬時に検討し、ゴーサインが降りた時点で、いよいよ突入、ということになる。

 初めて入った店にカワイイコがいた、すなわち「当たった」時は、これ又無上の喜びを感ずる。
 ジャングルに迷いズタボロになった先で黄金の宮殿を発見したような気分になる。
 今回は幸い「当たった」ようであった。
 値段も東京近郊にしては、かなりリーゾナブルなお値段であった。

 ところでこんなモテナイ独身エトランゼにとっては楽しい「オネエチャンのいる店」であるが、中ではいろいろな策略が交錯しているもんである。結構熾烈な争いのようなものが繰り広げられている。

 初めて行く店では、偶に新規の客に対して、その店のトップの女の子をつけてくれる場合がある。
 こんな状況であれば普段卑屈なモテナイ独身エトランゼも、最初が肝心とばかり、インチキ占い師さながらに、あることないこと喋りまくり必死に受けを取ろうとする。

 かくしてモテナイ独身エトランゼ達の哀しい努力も空回りしてしまえば何も心配することは無いが、万が一うまく行き、場が盛り上がってしまった場合、ここで一つ注意点がある。

 どんな店も大抵「常連さん」がいる。
 トップ嬢は常連さんのお気に入りである可能性は断然高い。
 逆に言えば、そのトップ嬢目当てで「常連さん」になっていることは充分考えられる。
 であるから、どこの馬の骨とも分からぬ新参者がトップ嬢の興味を持っていってしまうことなぞ、常連さんには甚だ面白く無い事態となる。
 最悪の場合常連さんの気分を害し、常連さんのボルテージダウンで店側の雰囲気もダウンし、こちらの存在も危うくなり、何より酒がマズクなってしまう。
 そんな訳で初めての店では常連さんを差し置いて、無闇矢鱈に最初から盛り上がってしまうことは避けたい。

 常連さんがカラオケを始めたら歌の合間に「イエーッ!」などと喚声を挿み、終わったら拍手し、時にはお世辞などもつかい、なるべく「店全体の盛り上がり」に貢献するよう配慮する。
 うまい具合に「中々話せる気さくな青年」を演じていなければいけない。
 しかしこれだけでは「常連さんを持ち上げる会」になってしまうので、常連さんが見ていない所では、トップ嬢に強烈なギャグをかましたりして、ポイントポイントは押さえて置かないといけない。

 こうして店全体の盛り上がりを考慮しつつポイントポイントは押さえるという、ある種管理系高等テクニックを要しないといけなくなるので、これは中々大変なことである。

 そんなに大変なら行かなきゃイイじゃねえか、ということになりそうだが、結構この策略というか駆け引きが意外に面白かったりする。おそらく男性の狩猟本能みたいなものが無意識にも働いているのかもしれない。
 かように新規の店に突入することは、何か冒険心のような物をくすぐらないでもない楽しさはある。
 ちなみに常連さんもいず、客が少なく空いている時は、もうエンジン全開である。ところがそういう日は大方週の真ん中だったりするので、従ってあまり燃えつきてしまうと明日が辛くなる。できれば「オネエチャンのいる店」上陸作戦決行は、休みの前日を当てていきたい。

 余談であるが、今回行った店で、かなり久しぶりにカラオケをしたところ、その歌本の分厚さに驚いた。
 しばらく見ない内にカラオケ歌本は、何かこう、これ百科事典?と思ってしまう程の分厚い物になっていた。持ってみると重厚な感触がし、歌本と言うよりは、秘伝の歌の書、とでも言いたくなるような厚みであった。
 中には新旧のヒット曲あり、アニメソングあり、大抵の曲はあるので選曲にはさして困ることは無い。
 しかしそんな中、やはり僕の好きなキリンジというややマイナーなグループなどの歌は相変わらず無かった。全国カラオケ審議会(んなものあんのか?)の前向きな検討を切望する次第である。

 かように一つのスポットに、酒・食・狩猟・色恋・歌舞音曲などなどの楽しさやらスリルやら冒険やらが沢山詰まった「オネエチャンのいる店」は、モテナイ独身エトランゼにとっての「伝説の魔宮」と言っても過言では無い・・・?(やれやれ、今度はインディージョーンズの見過ぎですな)。

「2001.5.7(月)」晴・暗黒面が、なぜか・・・

 「スターウォーズ帝国の逆襲」の中で、主人公ルークスカイウォーカーがジェダイマスターの師ヨーダとの修業中、ヨーダがルークに”オビワン(同じくルークの師ジェダイ)の弟子(=ダースベイダー:敵対する帝国軍将軍:本当はルークの父)が陥ったように「フォース」には暗黒面=ダークサイド(怒り・恐怖・敵意等の悪感情)もある”と諭すと、ルークが”(ベイダーが陥ったのは)暗黒面の方が強いからか?”と尋ねる。
 するとヨーダは、そうでは無く”(暗黒面の方が)入り易いからだ”と答える。

 これはあくまで映画の話で、勿論僕はジェダイなどでは無いが、確かに全く本当に「暗黒面は入り易い」とつくづく思うのであった。
 大体普通に生活しているだけでも僕など8割方暗黒面という気がする。
 今日なども、今日は幸い休みだったのであるが、明日からの仕事のことなどを考えるだけでイライラし、どうやらここでも簡単に「暗黒面に陥って」しまっているようである。

 こう考えるとお手軽に達成できる暗黒面よりも、難しく「修行」などというものが必要な「光明面(ブライトサイド)」への到達の方が、確かによっぽど価値はあるのだろう。
 世の中は通常状態が暗黒面で、その中から這い上がってくることが「生きること」というならば、日々の生活が大変なものであるのは、当たり前のことなのかもしれない。

 それはそれとして全然話は飛ぶが、そんな暗黒面に陥っている時に、TOKYOFMの「プッチモニダイバーV3」を聴いて、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)もやや暗黒面から脱しつつある。
 ヨッスイ(吉澤ひとみ嬢)演ずる「もんどころさん」なるヘンテコキャラに一笑いし「ヨッスイかわいいのに、お茶目でいいなあ」などと感心していく中、いつしかダークサイドのことは忘れて、いつもの「モー娘。好きオヤジ」までレベル回復しているので、「これもジェダイになる為の修行の一つだ」などとモー娘。好きを正当化しようとする自分を認識し、結局スターウォーズまで引き合いに出し、そこに持っていくのかと、あきれるやら、こっ恥ずかしいやらの今日この頃であった、とさ。

「2001.5.6(日)」晴・小市民的様式

 日本人は形にコダワルと聞く。
 日本の文化には、様式化されその様式美を追求したものも多いと聞く。

 そんな根強く様式好きな国であるから、外来文化がドッと流れ込んでいる中にも、そこかしこに様式を見ることができる。

 モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)の頻繁に利用するコンビニでも、それは充分確認できる。
 弁当・惣菜の類いを購入すれば、必ず店員のお決まりの台詞として出てくる「お弁当温めますか?」などは、この様式化の典型的な例であろう。
 弁当・惣菜の類いを購入すれば、レジ清算時では必ず耳にできる台詞であり、この点では往年の名番組「水戸黄門」が悪人の前に正体を明かす時に発せられる「この紋所が目に入らぬかッ!!」にも匹敵する純日本的様式化台詞と思われる。

 弁当と惣菜の両種類購入した場合も「お弁当温めますか?」と、「お弁当」という単語を用いてくる店員もいるので、気の弱い僕などは「えっ?、それでは惣菜の方は温めてくれないのでしょうか?。この場合の当方の予定としては、こちらの惣菜も温めた上で、ようやく食事の体形が整い、それからなんとなれば、そのこうしたケースの・・・」などと考えあぐねている内に、弁当も惣菜も両方レンジにセットしてくれたので、ドッと肩の荷が降りる、などということもある。

 そうしたこちらの不安を汲んでか汲まぬか、弁当・惣菜の両方を包含する意味で「こちら温めますか?」などと「こちら」といった代名詞駆使という切り口で対応してくる店員もいる。
 こうした場合には、先の僕の不安も生じないのであるが、新たに「こちら・・・?。『こちら』というのは、言語学的観点から見たら方向を指し示す意の代名詞であったはずでありますが・・・、そうなると、この場合『これら』が正解なのでは無いでしょうか?。すなわち先の質問は『これら温めますか?』が正しいのでは無いでしょうか・・・?いや、もしかしたら店員様は『こちらの方角に所在している所の、弁当並びに惣菜を共々、温めますか?』というセリフの『の方角に所在している所の、弁当並びに惣菜を共々』という部分を、省略した形を用いておられたのでは?、そうなると、そうした省略形を見抜けなかった僕の方が間抜けだった、ということにりますねっ!。そうかあ・・・日本の様式化とは、かくも略式されるまでに洗練されていたのかああっ!!」などと、おそらく的外れな、どうでもいい不安などというものも出てくる。

 僕はお恥ずかしながら電子レンジを持っておらず、弁当惣菜の類いを購入した場合は、後で食べるのでなければ大方温めてもらうことにしているので、「お弁当温めますか?」という問に対しては、まず99%「Yes」系の回答を用意している。
 ところが先日、僕がいつものように弁当を温めてもらい、ノホホンと帰ろうとしているところに、次の客がレジで店員の「お弁当温めますか?」という問に対して「NO!」系の回答で応対しているのが耳に入ってきた。

 まあ、これ自体は温めてもらう必要の無い人もいるので全く構わないのであるが、その後の店員の発言が非常に引っかかった。
 それは「誠に恐れ入りますっ!」と、いうものであった。
 この「誠に恐れ入りますっ!」には、明らかに店側の感謝・好意の意が感じとられた。
 明らかに「いつも弁当温めさせるという、コチラの手間ばかりかけやがる馬鹿もいる中、貴方様はそうした我々店員の心意を汲んで、その手間を省いてくれた。この行為は非常に価値あるものであり、私は店側を代表し最大の敬意を持って貴方様に感謝の辞を述べることとする」という意が感じとられた。

 これは逆に言えば、僕のようないつも温めさせ手間をかけている輩には「恐れ入らない」ということでは無いのだろうか?。つまり僕のような「温める人達」は歓迎されない、嫌われている人達なのでは無いか・・・?
 そう言えば弁当保温の依頼をした際の店員の返事は「はーい」などと確かに素っ気ない。取りようによっては「案の定温めると思った。ま、別にいいけどね。それでも。どーせ電気代も私の金じゃないし。」などという一種諦観のようなものすら感じ取れる。そこに僕に対しての全店を揚げた全面的敬意と感謝の表明は無い。
 ・・・などとモテナイ独身エトランゼの杞憂は尽きることが無いのであった。

 「お弁当温めますか?」以外でも最近は弁当惣菜に関連したもので、「お箸は何本お付けしますか?」という様式化された台詞の進出も著しい。
 この台詞の場面になると「お弁当温めますか?」セクションでは卑屈になっていた小心のモテナイ独身エトランゼも一転して態度を豹変する。
 僕は「お箸は何本お付けしますか?」に対しては、まず99%「No」系の回答の用意ができている。
 むしろ「君いっ〜、何本か?などというレベルじゃ無いんだよ。もう全くいらないの。一本足りとも必要としていないんだよ割り箸なんて、現在の僕はっ!。」などというような、ともすれば尊大な態度すら伺えるかの豹変ぶりを見せる。

 これに対して店員は「誠に恐れ入りますっ!」との答えを返してくる。
 ここで僕は「ねっ、やっぱり恐れ入ったでしょ?。いつも弁当温めて君たちの迷惑ばかりかけてるんじゃ無いんだよ」と、結局差し引きゼロなのであるが、モテナイ独身エトランゼは都合よく解釈し優越感に浸る。
 割り箸を貰わないことが裕福であるかのような錯覚をする。
 が、しかし僕の精算額「863円」に対し、隣のレジで「1541円」の客がいたので、途端に現実に引き戻され、いつもの卑屈なモテナイ独身エトランゼに簡単に逆戻りしてしまうのであった。

 こうしてモテナイ独身エトランゼは小市民的様式に一喜一憂し、いつものように一人コンビニの弁当をボソボソ食べるという「様式化」した食事の時間を迎えるのであった、とさ。

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