「2001.5.10(木)」雨後晴・未だ悟れず
以前女子マラソンの有森裕子氏が「自分をほめてやりたい」というセリフを残しておられたが、ふとあれは中々に含蓄のあるセリフだな、と思った。 このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)も、時々マラソンに比べたら比較するべくも無い事象において、上記のセリフが出てくる時がある。
これはまず第一に僕がこれらの作業を「柄にもない」と感じているということが大きいのであるが、それだけでは無い。
しかしながら、洗濯や掃除は柄でも無いが、一応そこに自発的な「さあやるか!という意志」がある。
どんな仕事も貴賤は無く、この不況下仕事に有り付けるだけでも有り難いのかもしれないが、ここでそんな風に諦観・妥協してしまうことは何か自分の根本をねじ曲げてしまうようで、どうしても素直に現状況を享受することができない。ここで観念して状況打開を止めてしまうと自分の人生は終わったも同然になってしまう気がする。
ま、とりあえず愚痴はこれくらいにしておき、ともかくそんな訳で、自分の仕事においても自然に心の底から「自分をほめてやりたい」と言えるような業績を残したいものである、とついつい願いたくなってしまうのであった、とさ。 |
「2001.5.9(水)」雨後曇・伝説の魔宮
見知らぬ街を放浪したり、音楽を聴いたりするのも楽しいが、やはりこのモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)にとって、若いオネエチャンと酒を飲みながら馬鹿話をすることは無上の喜びでもある。
そんな哀しいモテナイ独身エトランゼの儚い夢を、ある程度の金銭の支払いによって叶えてくれるのが、パブスナックやキャバクラなどの類いの俗に言う「オネエチャンのいる店」である。 以前懐具合が良かった時代には結構行っていたものであるが、最近は経済的・健康的という理由2大巨頭により遊興は自粛していた・・・。「自粛」では無いか。行きたくても行けないのだから、僕的には「他粛」と言わせてもらう。
実は、その時入った店は飛び入りで初めて入った店であった。
このように不安の為突入を逡巡するという、停滞した苦しい状況を過去から数々突破して来てくれた主たる要因は「酔った勢い」なのであった。
こういう店は大抵は中の様子が直接見えないような作りになっているので、モテナイ独身エトランゼ達は、突入を前にして店の入り口に耳をそばだて中の様子を注意深く探ろうとする。
初めて入った店にカワイイコがいた、すなわち「当たった」時は、これ又無上の喜びを感ずる。
ところでこんなモテナイ独身エトランゼにとっては楽しい「オネエチャンのいる店」であるが、中ではいろいろな策略が交錯しているもんである。結構熾烈な争いのようなものが繰り広げられている。 初めて行く店では、偶に新規の客に対して、その店のトップの女の子をつけてくれる場合がある。
かくしてモテナイ独身エトランゼ達の哀しい努力も空回りしてしまえば何も心配することは無いが、万が一うまく行き、場が盛り上がってしまった場合、ここで一つ注意点がある。 どんな店も大抵「常連さん」がいる。
常連さんがカラオケを始めたら歌の合間に「イエーッ!」などと喚声を挿み、終わったら拍手し、時にはお世辞などもつかい、なるべく「店全体の盛り上がり」に貢献するよう配慮する。
こうして店全体の盛り上がりを考慮しつつポイントポイントは押さえるという、ある種管理系高等テクニックを要しないといけなくなるので、これは中々大変なことである。 そんなに大変なら行かなきゃイイじゃねえか、ということになりそうだが、結構この策略というか駆け引きが意外に面白かったりする。おそらく男性の狩猟本能みたいなものが無意識にも働いているのかもしれない。
余談であるが、今回行った店で、かなり久しぶりにカラオケをしたところ、その歌本の分厚さに驚いた。
かように一つのスポットに、酒・食・狩猟・色恋・歌舞音曲などなどの楽しさやらスリルやら冒険やらが沢山詰まった「オネエチャンのいる店」は、モテナイ独身エトランゼにとっての「伝説の魔宮」と言っても過言では無い・・・?(やれやれ、今度はインディージョーンズの見過ぎですな)。 |
「2001.5.7(月)」晴・暗黒面が、なぜか・・・
「スターウォーズ帝国の逆襲」の中で、主人公ルークスカイウォーカーがジェダイマスターの師ヨーダとの修業中、ヨーダがルークに”オビワン(同じくルークの師ジェダイ)の弟子(=ダースベイダー:敵対する帝国軍将軍:本当はルークの父)が陥ったように「フォース」には暗黒面=ダークサイド(怒り・恐怖・敵意等の悪感情)もある”と諭すと、ルークが”(ベイダーが陥ったのは)暗黒面の方が強いからか?”と尋ねる。
これはあくまで映画の話で、勿論僕はジェダイなどでは無いが、確かに全く本当に「暗黒面は入り易い」とつくづく思うのであった。
こう考えるとお手軽に達成できる暗黒面よりも、難しく「修行」などというものが必要な「光明面(ブライトサイド)」への到達の方が、確かによっぽど価値はあるのだろう。
それはそれとして全然話は飛ぶが、そんな暗黒面に陥っている時に、TOKYOFMの「プッチモニダイバーV3」を聴いて、このモテナイ独身エトランゼ(僕のこと)もやや暗黒面から脱しつつある。
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「2001.5.6(日)」晴・小市民的様式
日本人は形にコダワルと聞く。
そんな根強く様式好きな国であるから、外来文化がドッと流れ込んでいる中にも、そこかしこに様式を見ることができる。 モテナイ独身エトランゼ(僕のこと)の頻繁に利用するコンビニでも、それは充分確認できる。
弁当と惣菜の両種類購入した場合も「お弁当温めますか?」と、「お弁当」という単語を用いてくる店員もいるので、気の弱い僕などは「えっ?、それでは惣菜の方は温めてくれないのでしょうか?。この場合の当方の予定としては、こちらの惣菜も温めた上で、ようやく食事の体形が整い、それからなんとなれば、そのこうしたケースの・・・」などと考えあぐねている内に、弁当も惣菜も両方レンジにセットしてくれたので、ドッと肩の荷が降りる、などということもある。 そうしたこちらの不安を汲んでか汲まぬか、弁当・惣菜の両方を包含する意味で「こちら温めますか?」などと「こちら」といった代名詞駆使という切り口で対応してくる店員もいる。
僕はお恥ずかしながら電子レンジを持っておらず、弁当惣菜の類いを購入した場合は、後で食べるのでなければ大方温めてもらうことにしているので、「お弁当温めますか?」という問に対しては、まず99%「Yes」系の回答を用意している。
まあ、これ自体は温めてもらう必要の無い人もいるので全く構わないのであるが、その後の店員の発言が非常に引っかかった。
これは逆に言えば、僕のようないつも温めさせ手間をかけている輩には「恐れ入らない」ということでは無いのだろうか?。つまり僕のような「温める人達」は歓迎されない、嫌われている人達なのでは無いか・・・?
「お弁当温めますか?」以外でも最近は弁当惣菜に関連したもので、「お箸は何本お付けしますか?」という様式化された台詞の進出も著しい。
これに対して店員は「誠に恐れ入りますっ!」との答えを返してくる。
こうしてモテナイ独身エトランゼは小市民的様式に一喜一憂し、いつものように一人コンビニの弁当をボソボソ食べるという「様式化」した食事の時間を迎えるのであった、とさ。 |