「2001.5.5(土)」曇・名も無き音楽
若い頃に耳にしていたような洋楽・邦楽の類いも、最近はCDで復刻版が出たり、リヴァイヴァルヒットしたりで、割と容易に耳にすることができるようになった。
ところで僕には、そんなある意味運良く陽の目を見ることのできた音楽以外にも、自分にとって愛着深い全く名も知られることのない想い出の音楽がある。
その想い出の音楽とは、幼い頃良く見ていたテレビ番組の合間に流れていたCMのBGMや、父の仕事に付いて行った時にカーラジオで流れていた朝の番組のコーナーの合間に流れるBGMであったり、やはり小さい頃日曜になると放映していた外国ドラマのテーマソングであったり・・・ とりあえず今急いで手に入れようとは思わない。
これらの音楽は正直音楽性という点で一級のサウンドとは言い兼ねるし、それ故何も知らない第三者が聴いたとしたら何の感慨も湧かない曲だろう。
つまりこれらはおそらくずっと僕の頭の中で、僕だけの隠れた名曲であり続けるのだろう。
これらの無名の音楽を作った人達は、まさかこんな風に自分の作品を意義づけている人間がいるなどとは、考えてもみなかっただろう。
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「2001.5.4(金)」晴・今年はシュン
今日は良い天気である。
こう考えてみると、人間万事塞翁が馬では無いが、その時々の目の前の幸不幸に一々大騒ぎするのも、あまり意味が無いことのような気もする。
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「2001.5.3(木)」雨後曇・好きです大宮
埼玉県の浦和、大宮、与野の3市合併で「さいたま市」が誕生したということである。
僕は現在は埼玉県民では無いが、一時期かつての大宮市民であった時があった。
正直なところ大宮の第一印象は全く良く無かった。
特に僕が住んでいた大宮第二公園付近は駅前の雰囲気とはかなり違い、静かで一部には自然もあり、僕はすぐに気に入ってしまった。
それから何といっても当時はいろいろな人との出合いがあり、それが貴重で掛けがえのない想い出を作ってくれた。
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「2001.5.2(水)」曇後雨・微かに見える高層ビル
新宿の高層ビルや東京タワー、池袋のサンシャイン60などは天気が良いと結構遠くから見ることができる。
只これらや、一般的にも高いものなどを「遠くから」眺めると、正確に言うと「かなり遠く離れているのにも関らず、はるか遠くに微かにそれらが確認できると」なぜか憧憬の念のような、嬉しいような懐かしいような、言い知れない妙な気持ちになるものだ。 近代文明の産物である高層ビルなどは、すぐ近くに寄れば、その威容は都市を威圧し、息苦しささえ時に感じさせたりする。
ところがそれから徐々に焦点を遠ざけていって、遠くに小さく見えるくらいにまでになると、今度は徐々に肯定的な感慨も沸き上がってくる時がある。
この「遠くに有りて良き風に思うもの」という点で、似たようなものがあることを思い出した。
「想い出」の多くは、当時の当事者としての自分を逐一正確に臨場感豊富に、すなわち「近くに」再現してしまうと、とても耐えられぬものになるだろう。しかしながらある意味「遠くから振り返る」ことによって、その苦しかった日々も、なぜか「美しく」見えて来たりするものである。 故に高層ビルが、遠くで仄かに憧憬のようなものを駆り立てるように見えてくるのは、そこに「想い出の原理」が働いているのかもしれんな、と思う。 |
「2001.5.1(火)」晴・想い出せば
今年のゴールデンウイークは、仕事などの都合で全く身動きが取れず、どこにも行けそうに無い。
当時の写真を見たり、当時聴いていた音楽を思い出したりして、僕は机にほお杖をついたまま静かに目を閉じる・・・。
・・・こうして当時の情景をイメージしてみるとまだハッキリとした映像が浮かんでくる。
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