Monologue2001-27 (2001.5.1〜2001.5.5)

「2001.5.5(土)」曇・名も無き音楽

 若い頃に耳にしていたような洋楽・邦楽の類いも、最近はCDで復刻版が出たり、リヴァイヴァルヒットしたりで、割と容易に耳にすることができるようになった。
 隠れた名曲などもインターネット等の情報網が発達したこともあり、少し苦労して捜し歩けば、どうにかこうにか入手できるので、それもとても喜ばしいことである。

 ところで僕には、そんなある意味運良く陽の目を見ることのできた音楽以外にも、自分にとって愛着深い全く名も知られることのない想い出の音楽がある。
 それらを耳にしていたのは、かれこれ20年、下手すると30年以上も前であるが、今でもそのメロディはハッキリと想い出すことができる。

 その想い出の音楽とは、幼い頃良く見ていたテレビ番組の合間に流れていたCMのBGMや、父の仕事に付いて行った時にカーラジオで流れていた朝の番組のコーナーの合間に流れるBGMであったり、やはり小さい頃日曜になると放映していた外国ドラマのテーマソングであったり・・・

 とりあえず今急いで手に入れようとは思わない。
 しかしテレビ番組の主題歌なら多少今でも音源が入手できる可能性はあるとしても、CMや番組のBGMとなると現存していない可能性も大いにある。

 これらの音楽は正直音楽性という点で一級のサウンドとは言い兼ねるし、それ故何も知らない第三者が聴いたとしたら何の感慨も湧かない曲だろう。
 しかし僕個人にとっては自分の少年時代を彩る大変に意義のある音楽である。
 きっとこの重要性は人に話しても全貌を理解してもらうことはできないだろう。
 もしそれをしたいならもっと普遍的に形を変えてエッセンスが理解してもらえるよう表現するべきであろう。
 しかしそうした時点で、この僕の感性に沿って形作られた郷愁も儚いメロディと共に別ものになり、その時点で大事な部分が消えてしまうことだろう。それ程僕の中には繊細で動かし難いイメージとして残っている。

 つまりこれらはおそらくずっと僕の頭の中で、僕だけの隠れた名曲であり続けるのだろう。
 ただかけがえの無さだけは僕の敬愛するビートルズの曲にだって勝るとも劣らない。

 これらの無名の音楽を作った人達は、まさかこんな風に自分の作品を意義づけている人間がいるなどとは、考えてもみなかっただろう。
 しかしこういう僕がいるということは、どんな作品、それがコマーシャル用の取るに足らないような音楽であっても、一旦創造者の手を離れた後、思いもかけぬ受け入れられ方をしていくものだという見本でもある。
 こんなことこそがきっとあらゆる作品を作り上げる価値であり意義であるのだろう。
 そして陰ながらではあるが、ほんのちょっとでも幾多の無名の創造者の支えになっているのだろうと思うと、少しは充実した気分になるのである。

「2001.5.4(金)」晴・今年はシュン

 今日は良い天気である。
 昨年のゴールデンウイークは9連休であったが、今年はカレンダー通りの休みすらとれない。
 来年はどうなっているか?、もちろんわからない。

 こう考えてみると、人間万事塞翁が馬では無いが、その時々の目の前の幸不幸に一々大騒ぎするのも、あまり意味が無いことのような気もする。
 その時々の幸不幸を有りのままに受け止め、できればそれを全て糧と出来るよう楽しんでいきたいものである。

「2001.5.3(木)」雨後曇・好きです大宮

 埼玉県の浦和、大宮、与野の3市合併で「さいたま市」が誕生したということである。
 一部ニュースでは県民の反応は今ひとつ、なんてことも書かれていたが、埼玉の人、郷土をもっと愛してやってね。

 僕は現在は埼玉県民では無いが、一時期かつての大宮市民であった時があった。
 今でも大宮はとても好きな街である。
 たった一年しか住まなかったけれど-その短さが良かったのかもしれぬが-非常に愛着深い街である。

 正直なところ大宮の第一印象は全く良く無かった。
 駅前の雑多な感じやJR工場の殺風景さなど、最初はかなり抵抗感があった。
 ところが住めば都で、その印象もいつしかガラリと180°変わっていた。

 特に僕が住んでいた大宮第二公園付近は駅前の雰囲気とはかなり違い、静かで一部には自然もあり、僕はすぐに気に入ってしまった。
 見沼代用水がすぐ近くを流れ、用水縁には桜の木があり、東を望むと大宮台地がある。
 それから時々東武の電車がゴトゴト走っているのが見えて、夕暮れ時にはとても切ない感じになる。
 他にも氷川神社や大宮公園、盆栽町に旧中山道と、僕の嗜好にピッタリの場所がある。

 それから何といっても当時はいろいろな人との出合いがあり、それが貴重で掛けがえのない想い出を作ってくれた。
 当時は(当時も?)全然お金が無くアパートも1万8千円の共同トイレ、なんて環境で、身分も大学留年という中途半端なものだったけれど、全然それを感じさせない輝きのある一年間だったように思う。
 やはり人との出会いがスターウォーズ的に言う「人生の光明面(ブライトサイド)」を形作ってくれるからなんだな、ということを今更ながらつくづく思う。

「2001.5.2(水)」曇後雨・微かに見える高層ビル

 新宿の高層ビルや東京タワー、池袋のサンシャイン60などは天気が良いと結構遠くから見ることができる。
 こうした近代建築の象徴のような建物は人間が残した文明の産物で、その存在自体の是非や建築物としての美醜には賛否両論あることであろう。

 只これらや、一般的にも高いものなどを「遠くから」眺めると、正確に言うと「かなり遠く離れているのにも関らず、はるか遠くに微かにそれらが確認できると」なぜか憧憬の念のような、嬉しいような懐かしいような、言い知れない妙な気持ちになるものだ。

 近代文明の産物である高層ビルなどは、すぐ近くに寄れば、その威容は都市を威圧し、息苦しささえ時に感じさせたりする。
 一部には非常に殺風景な場所も有り、屋上の夜景が見える場所などのように全てがロマンチックという訳にもいかない。

 ところがそれから徐々に焦点を遠ざけていって、遠くに小さく見えるくらいにまでになると、今度は徐々に肯定的な感慨も沸き上がってくる時がある。
 時には高層ビルがチラリと見えてホッとした、などということもあるだろう。

 この「遠くに有りて良き風に思うもの」という点で、似たようなものがあることを思い出した。
 それは「想い出」である。

 「想い出」の多くは、当時の当事者としての自分を逐一正確に臨場感豊富に、すなわち「近くに」再現してしまうと、とても耐えられぬものになるだろう。しかしながらある意味「遠くから振り返る」ことによって、その苦しかった日々も、なぜか「美しく」見えて来たりするものである。

 故に高層ビルが、遠くで仄かに憧憬のようなものを駆り立てるように見えてくるのは、そこに「想い出の原理」が働いているのかもしれんな、と思う。

「2001.5.1(火)」晴・想い出せば

 今年のゴールデンウイークは、仕事などの都合で全く身動きが取れず、どこにも行けそうに無い。
 昨年の子供の日などは九州の柳川に行き、水郷下りをしたり水天宮のホノボノとした縁日を見てまわったりした。

 当時の写真を見たり、当時聴いていた音楽を思い出したりして、僕は机にほお杖をついたまま静かに目を閉じる・・・。
 ・・・水郷に沿って露店が並んでいる。子供達が何か店で買った菓子を頬張りながら行き交っている。
 青い空の下のんびりとした下町風情の中で、僕は誰にも邪魔されることの無い自由な孤独を満喫している・・・。

 ・・・こうして当時の情景をイメージしてみるとまだハッキリとした映像が浮かんでくる。
 その内何かまた芭蕉のような漂白の思いにかられてくる。
 そうこうしている内に、毎日の疲れで見失った自分らしさが、次第にまた蘇ったような気分になる。
 「やっぱり去年行っておいてヨカッタな」と思う。
 旅先のイメージが、僕の波長を復元してくれる。

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