Monologue2001-25 (2001.4.24〜2001.4.29)

「2001.4.29(日)」雨・デルバンAで一筆

 いつもはちょっとした切り傷やかすり傷程度であれば、「舐めりゃ直るら」(うわっ!・・・静岡弁です=「舐めて置けば直るでしょう」の意)などと、ほとんど何も手当てもしない状態だったが、事情が有った為全く久しぶりに親指の切り傷にバンドエイドを貼ってみた。
 もう前回貼ったのがいつだったか、まるで記憶に無いくらいのロングインターバル後の貼付であった。おそらく15年以上は貼っていなかったのでは無いかと推測される。

 ところで帰宅しシャワーを浴びながら指に貼られたバンドエイドを見つつハタと困ってしまった。
 「このバンドエイドは一体どのタイミングで取り替えたら良いのだろうか?。いや、それよりも取り替えるべきなのであろうか?」
 なぜこんなところで引っかかってしまったかというと、僕が若い頃バンドエイドを貼った際は、確かずっと貼りっぱなしにしていたような記憶がある。
 しかし実は実際の所どうのようにしていたかもハッキリは思い出せないのである。
 どうも一々張り替えたような記憶も無いし、元々こういう場面では不精な性格なので、おそらく貼りっぱなしにしていたのだろう、ということだけなのである。

 しかし僕がバンドエイドに大分ご無沙汰している間に「バンドエイド事情」もきっと変わっているに違いない。
 なぜならその間には、ベルリンの壁の崩壊も有り、更にはあのソ連が無くなるという事態も発生してしまったりもしているのですぞ。
 故に昨今の「バンドエイド事情」が昔と大幅に変わっていないはずがないのである。
 何より及ばずながら、この僕だって成長している。
 昔と比べてバンドエイドに対する気持ちも変わっている。バンドエイドの実力・存在意義などを十分に認め、新世紀バンドエイド革命すら起こり兼ねない意識の変化が起っている・・・はずである。
 情報化社会の現在では全世界規模で「バンドエイドの確固たる使用法」についてのマニュアルが完備され、それをNASAがバックアップし、国会を通過し、ビデ倫さえもお墨付きにしているはずなのである(んなこたー無い)。

 ・・・などと書いてしまったが、実は今日バンドエイドを貼ったとは言っても「バンドエイドさん!。今まで貴方のお力を見くびっていました。すみませんでした!。今こそ貴方のそのお力をお借りする時が来ました。お願いですので私を助けて下さい!」などと言うような切羽詰まったようなものでは無く、「そういやオマケでバンドエイドみたいのあったっけな。とりあえず貼っとくか」程度のものであった。
 確かに今僕が貼っているバンドエイドは、とある飲料水の景品で付いてきたものである。

 今気がついたが、僕はウッカリずっと「バンドエイド」という呼称を使って来てしまったが、果たして良かったのであろうか?
 もしかしたら、あまりに昨今の「バンドエイド事情」に疎すぎ、僕が「バンドエイド」と称していたものの呼称は実は全然別な呼称に変わってしまっているのでは無いか?
 「えっ?バンドエイド?古りーっ!!」などと渋谷辺りの若者に揶揄されてしまうのでは無いか不安である。

 余談であるが、昔僕はこの類いのものを「ハンザプラスト」と称していた気もしてきた。
 「バンドエイド」も「ハンザプラスト」も、もしや既に無く僕は「気がつけば電車を汽車と言っちゃう」レベルのボケをかましてしまったのでは無かろうか?と益々不安になってきた。
 こんな事態になると、僕がノホホンとしていた「バンドエイド事情話」など根底から覆されるようなことになりかねない。
 僕は、いかん!、と焦った。
 またやっちゃったか!

 慌てて、この僕が貼ったものの入っていた外袋を見ると、なんとこれは正式には「デルバンA」と称することが判明した。
 しかも表書きには「きずテープ」などと銘打ってある。
 「きずテープ」かあ・・・。成る程ねえ・・・。そのままじゃんっ!!。

 僕はコッソリインターネットで「バンドエイド」を検索してみたところ、割と真っ当に沢山出てきたので何とか「バンドエイド」という呼称は今でも巷にキチンと流布されているようであった。これで一先ずホッとする。
 しかし残念ながら「ハンザプラスト」は一件も検出されなかった。

 そもそも僕が貼ったこの「デルバンA」はなかなか優秀で、今日一日で何度も手を洗浄する機会があったが、全くビクともせず貼り着いている。
 完全に傷を外的要因から防御し、己の使命を完璧に遂行しているのである。
 であるから、せっかく頑張って働いているのに一日くらいで取り替えてしまうのは、あまりにも忍びないという気持ちが沸き起こって来てしまったのである。

 しかしながら昨今はO157などの得体の知れない雑菌の悪影響などがいろいろと取沙汰されなどしている中、バンドエイド、いやデルバンAは最低一日単位で取り替えないと、PTAの恐いご婦人方に「不潔ざますっ!!すぐ取り替えざますっ!!」(一体いつのどこの人達なんだよ・・・)とお叱りを受けそうでもある。

 キチンとした正式のバンドエイドなら外箱に注意書があるであろうから、僕の逡巡に歯止めをかけてもらえたかもしれぬが、この「デルバンA」にはそうした説明は一切無く「使い方くらい知っとけよ」的にアッサリとした体裁の袋のみがあるだけである。

 結局僕は寝る前に気持ち悪かったのでデルバンAは剥がしてしまった(そうきたか)。
 親指を見ると貼られていた箇所が白くなって、回りと大分変色している。
 「この感じは昔と変わって無いな」となぜか安心するのであった。

 ところがもう一度指を良く見たら、肝心の傷口が、なんと変色した部分の境界線上にあるでは無いか!
 そう、僕は傷口を中心にうまく貼らずに、ウッカリ位置が中心になっていないままズレた位置に貼ってしまっていた。いやはや全くポイントがズレていたのであった。
 大した傷でなかったので全然気づかなかったが、これではあまり意味を成していなかったのでは無かろうか?僕の今までの時間は何だったのっ!!、返してっ!!返してちょうだいっ!!(なんでキレルとオカマ口調なんだよ・・・)。
 まあ、これなら確認の意味である意味剥がして正解かもな、という前向きな気もしないでもない今日この頃であった。

 やれやれ、また下らんことでページを割いてしまったか。寝ますので、おやすみなさい。

「2001.4.28(土)」晴・夜景で一筆

 僕の居住地の近辺は割と小高い丘などが沢山有り、晴れた日には新宿西口の高層ビル街や池袋のサンシャインなどが見える。
 思えばこの景色に騙された、という訳でも無いが、最初この高台からの眺望が気に入って、この地の居住を即断で決めてしまったような経緯もあった。

 まあ、それは良いとして、この辺り景色が良い為、夜も意外に夜景が美しかったりする。
 見慣れると、それほど感慨も湧かなくなるが、偶に疲れて帰ったりする際に自転車などでフラリと、この眺望の良い場所を通りかかったりしてこの夜景を目にすると、案外癒されることがある。
 香港などの夜景を称して「100万ドルの夜景」などと言ったりするが、僕の居住地近辺は100万ドルとまではいかないまでも、さしあたって85ドルくらいの価値はあるであろう。但しオーストラリアドルでだが。

 ところで、なぜ夜景というのは美しいのだろうか?。
 街の景色というのは、家々やビルの集合体で、それら個々の構成要素は必ずしも美しいとは限らない。
 更に焦点を建物内部にまで移してみれば、そこは人間のドロドロした内幕、阿鼻叫喚の修羅場が繰り広げられている可能性だってあるかもしれない。
 夜景は、そんな人間の汚らしい内幕などを一切黒で塗りつぶしてしまい、その代りに上から綺麗な光を散りばめる。
 見えてくるのは家々やビルなどから放たれる光だけなのである。

 光は理想・希望の象徴である。
 人間臭い泥臭い世界が、夜になると明日への精一杯の理想と希望だけを表現し、宝石のような光を美しく散りばめてくる。
 だからこそ美しいのである・・・

 ・・・などと今日は詩的に叙情的に(ハッキリキザと言え!)、どうでもいいことに理屈づけを致してみました。

「2001.4.27(金)」晴・聴きすぎに注意

 毎日の生活に行き詰まると何か自分が干からびてしまったように感ずる。
 調子の良かった時期の楽しさ潤いなどはスッカリ忘れてしまい、人生とはやはり思うようにはいかないものだ、今はとにかく静かになりたい、何もする気がしない、などと思えてくる。
 何か得体の知れない何の圧力かわからぬが、そんな圧力に屈してビヨーンと後ろ向きに人生ベクトルが向いてしまう。”う〜し〜ろーにーベ〜ク〜ト〜ル〜、向くのだビヨーン”になってしまう(””の間は「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」の節でお願いします)。

 人間喉が渇く。
 人生に後ろ向きになった時は、たぶん何かに渇いてしまっているのであろう。
 こんな時まるで、山間の谷でようやく見つけた岩の裂け目からわずかに滴る水の如く、清らかに潤いのある慈愛深い響きを奏でてくる音楽がある。
 まさに水のように心を潤し、心の調律をするが如く鳴り響く音楽。
 それがモーツアルトであった。

 水とは自然のものである。
 モーツアルトの音楽からは時に、ある意味どこか人間離れしているというか、人間的という感じのしない響きを感じる時がある。
 どちらかというと「自然」などを造っている人が、内職で音楽も作ってみました、という類いの音楽、などという風に僕には聴こえてくる時がある。

 かくいう私めは、ちょうどさっきモーツアルトの「ピアノ四重奏曲第一番K478」の第二楽章、「弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調K563」、「ピアノ協奏曲第十五番K450」の第二楽章、などを聴いて、ベクトルを正しい位置にまたリセットしたところである。

 只難点はこれらを聴きすぎて夜更かしすると、せっかく戻したものも、それが原因で”う〜し〜ろーにーベ〜ク〜ト〜ル〜、向くのだビヨーン”になってしまう恐れがあるので、それだけはくれぐれも注意したい。

「2001.4.26(木)」曇・ある日突然

 僕は小さい頃かなり好き嫌いがあったように記憶する。
 特に野菜の類いは多かった。
 セロリ、パセリ、アスパラ、しいたけ、トマトジュース、ナス、かぼちゃ、杏の干したの、干しぶどう、納豆、小豆、大豆、グリーンピース・・・ぜ〜んぶダメ。

 ところがこれらは、全く好きになる努力もせずに、二十歳くらいから自然に食べられる様になっていた。
 ある日気がついたら突然食べられる様になっていた。
 ある日気がついたら突然オイシかッた。
 しいたけやナスの焼いたの、トマトジュース、納豆なんて今や大好物である。

 こう考えると野菜などは、もしかしたら子供に無理やり食べさせなくても、いつか自然に好きになるかもしれない、などとも思う。

 ところで僕には実はまだ食べられないものがある。
 それは煮干などの小魚の類いや、川魚の煮たやつなどである。
 サカナの生臭さがダメなのである。
 なぜか刺し身や焼き魚にすると大丈夫なのであるが、煮てあって汁などに臭みが残っているようなのはダメなのである。

 最近もしかしたら、これらは野菜がかつて自然に食べられたように、もっと年をとると自然に食べられる様になるのでは無いか?と淡い期待を抱いている。
 できれば僕だって煮干をおやつ代りにバリバリ食らってみたい。
 僕の好きな奈良県などで名産の鱒寿司などを土産に持って帰りたい。
 山間の鄙びた旅館で出された川魚の煮物をチビチビつまんでみたい。
 そんなことが出来ている自分を想像すると、少し嬉しいような気分になる。
 いつなれるのか?
 老人になってしまってからか?。
 まあそれでもいいだろう。

 そんな訳で以下は和歌のように五七五七七でお願いします。
 目覚めたら、ある日突然煮干がオイシイ、そんな自分になりてえな。と。大変にお粗末でした。

「2001.4.24(火)」晴後曇・青空と人生と

 先週「明日があるさ」という歌がヒットしていることを少し述べた。
 「明日があるさ」はオリジナル版他いろいろあるらしいが、とりあえず今日は「明日があるさ」というフレーズだけについて、いつもながらどうでもいいような具合でこだわってみたい。

 歌に「どちらかと言えば明日肯定」と「どちらかと言えば明日否定」という区分けを、そんなものができるのかはわからんが、仮にしてみると「明日があるさ」は「どちらかと言えば明日肯定」系になる。
 他に僕の好きな歌で、スターダスト・レビューの昔のヒット曲「今夜だけきっと」なども「どちらかと言えば明日肯定」系に属する。
 「どちらかと言えば明日肯定」系は今日の失敗や絶望は、明日があるから挽回できる、明日に望みをつなげよう、という主張になることが多い。

 ところで「どちらかと言えば明日否定」系というのもある。
 僕はひねくれているのかもわからぬが、不確実な未来に対して全肯定的にガツンガツンと行く考え方よりも、時には「どちらかと言えば明日否定」の方がシックリくる場合もある。

 昔は良く助けられたそんな「どちらかと言えば明日否定」系の歌があるのであるが、オフコースの「青空と人生と」という歌がそれで、中にこんなフレーズが出てくる。

 ”あなたが思うほど私は強く無い
  こごえる風の夜は
  明日が恐くなる

  それでも私はうたいつづけてゆけるだろう
  青空と人生と
  あなたをうたっていたいから・・・
  (「青空と人生と」(作詞作曲:小田和正「Song is love」収録  by オフコース)」)”

 明日という時間は時に恐怖と不安の時でしか無い時があるが、自分には歌がある。
 漠然とした未来よりも、自分が価値を置く、もしくは自分にアイデンティティを与えてくれる「歌=芸術=創造」といったもののほうに焦点を置く。
 明日は必ず自分にとって良いものという保証は無いが、音楽の自分にとっての価値は不確実な明日よりも遥かに確実である。
 (そしてこの場合忘れてならないのは「あなた」の存在。どうせ僕には関係ないがね。フン。)

 元来音楽好きの僕が、このようなフレーズにマイッチャッたことは言うまでも無い。
 しかもこの歌はメロディの綺麗な美しい歌である。
 ちなみに「青空と人生と」は「どちらかと言えば明日否定」系ではあるが、明日という時間の枠では無く、もっと別な次元でものを考えようとしているので、厳密に言えば「明日肯定」の対義では無い。

 ちょっと勝手な推測になってしまって申し訳無いが、この歌の作者小田さん(小田和正)は「明日があるさ」のオリジナルを作詞した青島幸男氏の世代の下の世代(団塊?)である。
 小田さんの世代には高度経済成長を支えた上の世代へのアンチテーゼ的な意味合いが、いろいろな作品に無意識にも少しこもっていて、上の世代のストレートな表現から比べたら世の中そう単純ではナイゾ的な複雑で不透明な思想が随所で垣間見られる気がする。
 だとすると高度経済成長が行き詰まった頃から少年期を迎え始めたある意味曖昧な感じの世代の僕などは、小田さんの考え方の方がシックリくる気もするので、そういった何か時代的な考えや感性の違いというのもあるのかもしれない。
 今は又昔の考え方がリバイバルしているのかもしれない。

 なんか書いている内に次第に理屈っぽく難しくなってきてしまったが、そろそろ考えるのが面倒臭くなってきてしまった。眠くもなってきてしまった。この遅い時間、明日を考えると憂鬱になってくる・・・いやいや僕には歌がある・・・
 ん?それは小田さんで、僕には最初からそんなものどこにも無いって?・・・。
 それは困りましたな。じゃあ僕には一体何があるのだろうか?・・・、ウーッ、わからん、また明日考えよう・・・。

 と、まあ結論から言えば良い歌は良い、ということである、というところに落ち着きたいと、かように思う次第である。
 ともあれ、いろんな歌があると思うが、その時の自分に一番シックリ来た歌というのは、いつまでも愛すことはできるのだろう。
 それから、そんなシックリくるフレーズの割と多かったオフコースは、だからこそ好きになったようである。

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