Monologue2001-20 (2001.3.26〜2001.3.31)

「2001.3.31(土)」雨時々雪・街の菓子

 大判焼(黄金焼)というお菓子があるが、僕はなんて素晴らしい菓子なんだとつくづく思う。
 食物というのは、まず味で勝負するが、大判焼ほど香・匂い・暖かさ・叙情性等、味以外の面で僕を深く魅了するものは無い。
 女性に例えるなら差し詰め、かわいくて性格も良い女性、なんてところであろうか。

 大判焼の中身は多種多様であるが、どれも良い。
 スタンダードなアンコも良し、カスタードも良い。たまにチョコレートなんてのもある。

 大判焼の醍醐味は何と言っても、食べる時に真ん中で割るとホンワカ漂って来る暖かい大判焼の香である。
 あの何とも甘い香は何か地球上の善なる思想を体現しているかにすら思える。
 大判焼くらい匂いを嗅ぎながら食べる菓子も無い。
 出来れば駄菓子を入れる白い紙袋に入れてあって欲しい。

 売ってる所が私鉄やJR沿線の駅前商店街の店、なんてのも実に詩情に溢れていて良い。
 そう、大判焼は街の絵に実にシックリくるのである。

「2001.3.30(金)」曇後晴・大江戸線つれづれ

 以前タモリ倶楽部で「大江戸線では1区間だけなら乗車するより徒歩で行った方が早い」というのを検証していた。

 確かに大江戸線には時々おや?と思うようなオカシナ特徴が見受けられる。
 大江戸線の新宿駅から新宿西口駅も、たぶん歩いた方がずっと早い。
 電車で行くと2駅であるが、途中都庁前駅で乗り換えしなくてはいけない。
 これは途方も無い無駄足である。
 歩けば、そうさね直線距離で200〜300m位か。

 であるから皆さんにもくれぐれも言っておくが、新宿から春日や飯田橋や牛込方面の駅に行きたい場合は、必ず「新宿西口」駅から乗らなければいけない。ウッカリ「新宿」から乗ってしまうと大江戸線を嫌いになっちゃうかもしれない。

 それから先日都営浅草線の蔵前駅から都営大江戸線の蔵前駅へ乗り換えようとして、僕は唖然とする事態に陥ってしまった。
 普通の感覚なら駅名が同じなら、連結して乗り換えも最低地下道経由で簡単に乗り換え線まで行くことができると思う。
 しかも同じ都営だから、てっきりホームトゥホームで行けるはずだと思ってしまう。実際三田線と新宿線でもチャントそうなっているところがある。

 ところが蔵前は違うのである。
 なんとあろうことか一旦街に出なければいけないのである。
 改札を出たら地上へ出なければいけない。
 そして地上へ出ると大江戸線の行き先表示には、大江戸線の蔵前駅は「二つめの信号を左に曲がり・・・・」などと書いてある。
 アンタたばこ屋のオバチャンか!と突っ込みたくなる。
 歩いて200〜300m位はある。
 大江戸線的に言うなら、もう完全に別の駅である。
 だったら名前同じにすな!と言いたくなる。
 真面目に提言してしまうが、せめて「新蔵前」で良かったんじゃなかろうか?と思う。

 そんな数々の失態(?)が散見される大江戸線であるが、それをカバーしようというつもりなのか、他の面でいろいろ配慮しているようである。
 駅構内の壁や通路の凝ったデザイン、綺麗なトイレ、関連グッズ。
 売店では100円で沿線ガイドなどと言うのもあり僕もつい買ってしまった。
 なんとビデオも販売しており思わず欲しくなったが、その日はやめておいた。

 先程苦言を呈した「蔵前」であるが、これが浅草近辺を散策した場合に意外に便利なのである。
 浅草の中心部からは少し遠いが、帰りに歩く位はさほど気にはならない。
 なんといっても新宿まで一本で20分ほどあれば行けて、割合まだ空いているという点が実に良い。
 浅草から新宿方面に帰るには今までは一旦上野へ出て秋葉原まで出て中央線に乗るか、浅草線で新日本橋で都営新宿線に乗るかしていたが、いずれにしろちょっと面倒な部分もあり混む駅を経由したりするので、僕には大江戸線はかなり助かっているのである。

 当分結構利用するかもしれない。

「2001.3.29(木)」雨・ポルノ

 日本の男性3人組のバンド「ポルノグラフィティ」が売れてくれたおかげで、私モテナイ独身エトランゼは結構嬉しい。

 僕は別にこのバンドのファンというわけでは無い。
 むしろ僕は今まで使用されていた今まで人口に膾炙していた、言葉の本来の意味での「ポルノ」ファンと言った方が近いものがある。

 今までは、このポルノという単語、その使用に際しては我々モテナイ独身エトランゼ諸氏は、細心の注意を払い、並々ならぬ警戒をし、ある意味非常に丁寧に扱ってきた単語なのである。
 特に女性の前などでは特に、である。
 この単語を用いることで己の品格が下がることは無いか?(最初から上がってねえぞ・・・)、その場の空気には合っているか?、などと時には必要以上に脅えつつも、恐る恐るボソっと発してみたりして空気が変わったら即座に引っ込めたりと、使用に際しては非常にストレスを要するような単語ですらあったのである。

 しかし今やこの単語を日常会話などで普通に使用しても以前ほど周囲に衝撃や不快感を与えることは少なくなってきた気がする。
 この単語、今時の若い女の子の会話の中でも「ポルノってえー、結構おー、いい感じー、みたいなー」などと、なんの忌憚も無く用いられることが徐々に増えてきたのである。
 あまつさえこの単語を人前で大声で喚きちらしても、女性の前でイヤらしく連呼しても、実に以前のように下品な風には取られなくなってきたのである。ん?んなこたー未だ無いってか?こりゃ失礼。

 ともあれこれは偏にバンド「ポルノグラフィティ」のおかげである。
 例えば彼らが出演した今日のTBSの「とくばん」(「とくばん」の特番)の新聞のラ・テ欄には、こうあった。
 「売れてもポルノはポルノ」。
 昔のオジサンだったら、これはテレビ朝日のトゥナイトのノリで、どんな妖艶なネエチャンが出てくんだ!山本監督さんよお!!などと差し詰めティッシュでも用意して待っていただろうに、出てきたのはあろうことか因島出身の痩身の若者達であるのであるから、まあオジサンの落胆の度合は察するに余りある。

 そう「ポルノ」という単語が健全な市民権を得ていく裏で、新聞を読んでウッカリ誤解しガッカリこく「ウッカリガッカリオジサン」の数も少しづつではあるが徐々に増えているとかいないとか聞く今日この頃であった。

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