Monologue2001-17 (2001.3.19〜2001.3.22)

「2001.3.22(木)」晴・待ち焦がれるパパ

 子供ができると、パパさんママさんは、きっとその出産を待ち遠しく思うことだろう。
 かように誕生というのは非常に待ち遠しいもんである。

 それがたとえ子供のようにはあまりカワイクはなくても、である。
 それがたとえ情緒のあまり無い近代文明の産物だとしても、である。
 いつも地面の下で陽の目を見ないようなモノだとしても、である。

 パパは埼玉高速鉄道の開通が待ちどおしい。
 出産予定日は3月28日。
 でも忙しいパパは、当日立ち合いはできそうにない。
 だから顔を見るのは2、3日後になりそうだが、必ず会いに行こうと思っているよ。
 おまえの為にパスネットも用意したからね。
 名前はもう既に決めてある、キャサリン・・・。
 んん?・・・いや違う違う、子供じゃないぞ、と。

 沿線住民でも鉄道ファンでも何でも無いのに、ある1地方の鉄道開通に一介の部外者がこんなに恋心にも似たものを感じているのも、めずらしいだろうか?。

「2001.3.21(水)」晴・スターウォーズ

 一般的に映画の適度な長さというのは2〜3時間というようになっているのだろうか?
 僕は面白い映画なら6〜7時間の長さがあってもいいように思える。
 只それだと金も掛ったりするなどという事情もあるので2〜3時間に落ち着いているのかもしれないが、良く名作といわれる映画を見て、エンディングが意外にあっけなかったりして、もうちょっと長い時間かけてあのテーマも掘り下げてほしかったな、と残念に感ずる時があり、だったら面白ければずるずる長い映画になってもこちらは大歓迎。
 劇場で6〜7時間は確かにキツイと思うので、映画館などが長時間鑑賞に耐えられる工夫をするとか、まあそんなことを実現できていったらな、などとも思う。

 例えばスターウォーズなどは、1作づつ見るより1作目からジェダイの復讐までを一気に3本まとめて1本の作品として見る、なんてのが僕にはちょうど良いくらいにさえ思う。

 まあ、そんなことが4月30日のWOWWOWでできるらしい。

「2001.3.20(火)」晴・なぜ都市か

 大自然に恵まれて暮らしている人などは、つくづく羨ましいもんである。
 そういう場所では自然の恵みを割とた易く享受できる。
 ぶっちゃけて言うと「只で食いもんが手に入る」こともある。
 自然が「恵み」を与えてくれる。

 一方都市では何もしないと何も誰も「恵み」を与えてくれはしない。
 都市では必然的に恵みをいただく為に「何かしないと」いけなくなるのである。

 ここでシビアにギヴアンドテイクの法則が適用される。
 都市では人間は多かれ少なかれ何かを「与え」ないと「貰う」ことはできない。
 何を与えるかはいろいろあると思うが、それに対して報酬を貰ってようやく生きていくことができる。
 自分の才能・時間・身体・財産・エネルギー・・・人は様々なものを与えて、それに対する報酬を得ている。

 「自然」だけは、下手すればこちらが何も与えなくとも、こちらに「恵みを与えて」くれたりする場合もある。
 しかし都市にはそんな都合の良い「自然」は無い。

 であるからして都市では生きる為に強烈に「何かしないと食えねえぞ」という意識を目覚めさせてくれるのである。
 すなわち都市生活の意義というのは「何かしないといけないね、という意識を目覚めさせてくれること」と言えるかもしれない。

 ちょっとコジツケっぽかったですな。
 ま、いいか。

「2001.3.19(月)」晴・鎌倉街道日記(4)

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